パドル (潜水艦)
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艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1942年5月1日 |
進水: | 1942年12月30日 |
就役: | 1943年3月29日 |
退役: | 1946年2月1日 |
除籍: | 1968年6月30日 |
その後: | 1957年1月18日にブラジル海軍に貸与 |
性能諸元 | |
排水量: | 1,526トン(水上) 2,424トン(水中) |
全長: | 307ft (93.6m)(水線長) 311ft 9in (95m)(全長) |
全幅: | 27.3 ft (8.3 m) |
吃水: | 15.3 ft (4.6 m) |
機関: | ホーヴェン=オーエンス=レントシュラー(H.O.R.)5,400馬力ディーゼルエンジン 4基 (換装後)ゼネラル・モーターズ278A16気筒6,500馬力ディーゼルエンジン 4基 アリス=シャルマース/ゼネラル・エレクトリック2,740馬力発電機 2基 |
最大速: | 水上:20.25 ノット (37 km/h) 水中:8.75 ノット (16 km/h) |
航続距離: | 11,000カイリ(10ノット時) (19 km/h 時に 20,000 km) |
試験深度: | 300ft (90m) |
巡航期間: | 潜航2ノット (3.7 km/h) 時48時間、哨戒活動75日間 |
乗員: | 士官6名、兵員60名 |
兵装: | 3インチ砲1基、21インチ魚雷発射管10基 |
パドル (USS Paddle, SS-263) は、アメリカ海軍の潜水艦。ガトー級潜水艦の一隻。艦名はミシシッピ川に生息するパドルフィッシュに因む。
目次 |
[編集] 艦歴
パドルは1942年5月1日にコネチカット州グロトンのエレクトリック・ボート社で起工する。1942年12月30日にフェクテラー夫人(後の海軍作戦部長ウィリアム・フェクテラー提督の妻)によって進水し、艦長ロバート・H・ライス少佐の指揮下1943年3月29日にコネチカット州ニューロンドンで就役する。公試及び訓練後、パドルは1943年6月8日にニューロンドンを出航しパナマ運河を経由して真珠湾に7月5日到着した。パドルは真珠湾から二度の哨戒を行い、その間に駆逐艦に対する対潜水艦戦訓練を行い、気象観測設備が装着された。
[編集] 第1・第2・第3・第4の哨戒
7月20日、パドルは最初の哨戒で日本の本州海域に向かった。8月13日朝、パドルは北緯33度45分、東経136度17分の梶取崎(和歌山県太地町)沖で輸送船団を発見し、日高丸(日本郵船。5,486トン)に魚雷を2本命中させたが、不発魚雷だったので軽微な損傷に留まった[1]。パドルは攻撃後、護衛艦の反撃により13時間の潜行を強いられた。8月19日、パドルは日本軍の観測機に7発の爆弾を投下され、パドルは僅かに損傷する。しかしながら損傷は直ちに修理された。8月23日昼、パドルは浜松南方掛塚灯台146度4海里地点で7822船団を発見し、安宅丸(帝国船舶、元イタリア船Ada。5,248トン)を撃沈した[2]。9月12日、パドルは54日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
10月17日、パドルは2回目の哨戒でマーシャル諸島方面に向かい、ガルヴァニック作戦に参加した。パドルはナウル島沖に配備され、主にギルバート諸島を攻撃する航空部隊に向けた気象情報の通報や電波誘導を実施。また、エニウェトク環礁沖で駆逐艦に護衛されたタンカー日本丸(山下汽船。9,975トン)を攻撃したが失敗した。この後、「H.O.R.エンジン搭載艦は1隻残らず、暫時エンジンを換装するように」という合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長アーネスト・キングの命令が出ていたので、該当艦であるパドルは22日の行動を終えて11月9日に真珠湾に帰投したのちメア・アイランド海軍造船所に回航され、GM社製278A16気筒エンジンに換装した。また、艦長がバイロン・H・ノウェルに代わった。
1944年3月19日、オーバーホールが終わったパドルは3回目の哨戒でフィリピンの南方およびモルッカ諸島方面に向かった。4月16日、パドルは南緯2度25分、東経127度24分のアンボンの北西120キロ地点でハルマヘラ島からアンボンに向かっていた輸送船団を発見した。船団は護衛艦3隻と輸送船4隻からなり、パドルは1時53分に第一日の丸(日の丸汽船。2,671トン)に魚雷を命中させ、第一日の丸は大爆発を起こし沈没した。3分後、水戸丸(日本郵船。7,061トン)にも魚雷3本を命中させて撃沈した。パドルはさらに戦果を拡大せんと魚雷の装てんを急ぎ、タンカーを攻撃しようとしたが護衛艦に阻止された。5月12日、パドルは54日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
6月5日、パドルは4回目の哨戒でセレベス海、ダバオ湾方面に向かった。折りしも、アメリカ軍がマリアナ諸島攻略を進めている最中であり、それを阻止するための日本艦隊の出撃も予想された。パドルの担当海域も艦隊の通過が予想されたが、結局何もなかった。6月30日、パドルはセレベス海で哨戒中に爆撃を受け損傷を受けたが、すぐに修理を行って事なきを得た。7月6日、パドルは北緯3度24分、東経125度28分のサンギ島西岸沖で輸送船団を発見し、駆逐艦帆風を撃沈した。7月29日、パドルは54日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
[編集] 第5・第6・第7・第8の哨戒
8月22日、パドルは5回目の哨戒でスールー海に向かった。9月7日、パドルは北緯8度12分、東経122度37分のミンダナオ島シンダンガン岬沖で輸送船団を発見。真洋丸(拿捕船。2,634トン)に魚雷3本を命中させて撃沈したが、この時真洋丸にはアメリカ軍の捕虜が乗船しており、捕虜は真洋丸から脱出した84名と、真洋丸とともに運命をともにしたり、日本側の機銃掃射などで殺害された688名に大別され、前者のうち1名は岸にたどり着いたときに死亡し、他の1名はフィリピンに残った。残る82名はオーストラリア経由で生還し、アメリカ本国で幾度か会合を開いている。真洋丸撃沈の後、パドルはタンカー第二永洋丸(日本油槽船。5,061トン)も損傷させた。第二永洋丸は9月12日にセブ島で第38任務部隊機によって撃沈された[3]。9月25日、パドルは34日間の行動を終えてビアク島のミオス・ウンディ泊地に帰投し、艦長がジョゼフ・P・フィッツパトリックに代わった。
10月3日、パドルは6回目の哨戒でバリクパパン沖に向かった。この哨戒では主に、バリクパパンを爆撃する爆撃機搭乗員の救助任務に就いた。バリクパパン沖に向かう途中、石油を輸送していた海上トラックとスクーナーを発見して銃火で撃沈した。11月1日、パドルは29日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
11月25日、パドルは7回目の哨戒で南シナ海、ルソン島方面に向かった。12月8日、パドルは北緯4度2分、東経111度12分のボルネオ島クチン沖で、付近にいたハンマーヘッド(USS Hammerhead, SS-364)とともにシマ臨時船団を発見。1時4分にタンカー松栄丸(日東汽船。2,854トン)を雷撃、2艦の発射した魚雷のうち3本が松栄丸に命中し、松栄丸は大火災の末沈没していった[4]。直後に第43号海防艦の反撃を受け、パドルは浮上してその場から脱出した。その後、アメリカ本国に向かうよう指示され、1945年1月18日、パドルは53日間の行動を終えて真珠湾に帰投し、サンフランシスコに回航されてオーバーホールに入った。
5月15日、オーバーホールが終わったパドルは8回目の哨戒で東シナ海と黄海に向かった。この時期の日本の海上輸送は末期状態であり、残った大方の船舶も機雷で身動きが取れない状態だった。それでもパドルは、この哨戒で8隻のスクーナーおよび監視艇を撃沈し、道中で見つけたいくつかの浮遊機雷を機銃を使って爆破した。7月18日、パドルは60日間の行動を終えてグアム島に帰投した。この後、8月13日に9回目の哨戒(搭乗員救助任務)で日本の本州海域に向かったが、2日後に終戦を迎えた。パドルはミッドウェー島に帰投した。
[編集] 戦後・ブラジル海軍で
パドルは真珠湾とパナマ運河経由で大西洋岸に向かい、9月30日にスタテンアイランドに到着した。その後、ニューロンドンで予備役として保管されていたパドルは1946年2月1日に退役した。1956年8月31日に再就役し、相互防衛援助計画の下のブラジル海軍に貸与するための準備に入る。パドルは1957年1月18日に退役、ブラジル海軍に貸与され、リアチュエロ (Riachuelo, S-15) と改名、任務に就いた。
パドルは第二次世界大戦の戦功で8個の従軍星章を受章した。第1回から第7回までの哨戒が成功として記録された。
[編集] 脚注
- ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War IIおよび『大阪警備府戦時日誌』による。船舶データはuboat.net Paddle (SS-263)、『日本商船隊戦時遭難史』および『日本郵船船舶100年史』による
- ^ 船舶データの一部はThe Official Chronology of the U.S. Navy in World War IIによる
- ^ この経緯から、第二永洋丸撃沈はパドルと空母機の共同戦果となっている
- ^ この経緯から、松栄丸撃沈はパドルとハンマーヘッドの共同戦果となっている
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 自昭和十八年八月一日 至昭和十八年八月三十一日 伊勢防備隊戦時日誌(昭和18年8月1日~昭和18年8月31日 伊勢防備隊戦時日誌(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030418000、C08030418100
- 自昭和十八年八月一日 至昭和十八年八月三十一日 大阪警備府戦時日誌(昭和18年6月1日~昭和18年12月31日 大阪警備府戦時日誌(2))アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030499500
- Theodore Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II" Naval Institute press、ISBN 0-87021-731-3
- 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336-6
- Clay Blair,Jr. "Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan" Lippincott、1975年、ISBN 0-397-00753-1
- 海防艦顕彰会『海防艦戦記』海防艦顕彰会/原書房、1982年
- 木津重俊編『世界の艦船別冊 日本郵船船舶100年史』海人社、1984年、ISBN 4-905551-19-6
- 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
[編集] 外部リンク
- history.navy.mil: USS Paddle
- hazegray.org: USS Paddle
- navsource.org: USS Paddle
- uboat.net Paddle (SS-263)
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