パーゴ (潜水艦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴 | |
---|---|
発注: | |
起工: | 1942年5月21日 |
進水: | 1943年1月24日 |
就役: | 1943年4月26日 |
退役: | 1946年6月12日 |
除籍: | 1960年6月1日 |
その後: | 1961年1月17日にスクラップとして売却 |
性能諸元 | |
排水量: | 1,526トン(水上) 2,424トン(水中) |
全長: | 307ft (93.6m)(水線長) 311ft 9in (95m)(全長) |
全幅: | 27.3 ft (8.3 m) |
吃水: | 15.3 ft (4.65 m) |
機関: | ホーヴェン=オーエンス=レントシュラー(H.O.R.)5,400馬力ディーゼルエンジン 4基 (換装後)ゼネラル・モーターズ278A16気筒6,500馬力ディーゼルエンジン 4基 アリス=シャルマース/ゼネラル・エレクトリック発電機2基 |
最大速: | 水上:20.25 ノット (37 km/h) 水中:8.75 ノット (16 km/h) |
航続距離: | 11,000カイリ(10ノット時) (19 km/h 時に 20,000 km) |
試験深度: | 300ft (90m) |
巡航期間: | 潜航2ノット (3.7 km/h) 時48時間、哨戒活動75日間 |
乗員: | 士官6名、兵員54名(平時) 士官、兵員80 - 85名(戦時) |
兵装: | 3インチ砲1基、21インチ魚雷発射管10基 |
パーゴ (USS Pargo, SS-264) は、アメリカ海軍の潜水艦。ガトー級潜水艦の一隻。艦名は西インド諸島で生息する魚のパーゴに因む。
目次 |
[編集] 艦歴
パーゴは1942年5月21日にコネチカット州グロトンのエレクトリック・ボート社で起工する。1943年1月24日にベレ・バルクによって進水し、艦長イアン・C・エディー少佐の指揮下1943年4月26日に就役する。整調及び訓練後、パーゴはパナマ運河を経由して真珠湾に7月23日到着した。
[編集] 第1・第2・第3・第4の哨戒
8月18日、パーゴは最初の哨戒で東シナ海に向かった。9月4日、パーゴは北緯29度0分、東経127度31分の地点でタンカー船団を発見し、隆栄丸(日東汽船。5,142トン)に魚雷を命中させた。隆栄丸は大火災を発生させたものの沈没は免れた[1]。その他にも日本船に遭遇したが、撃沈までには至らなかった。それでもエディは、最初の哨戒で4隻27,600トンの戦果を挙げたと判断していた。10月6日、パーゴは49日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
10月30日、パーゴは2回目の哨戒でハーダー (USS Harder, SS-257) 、スヌーク (USS Snook, SS-279)とウルフパックを組んでマリアナ諸島方面に向かった。11月28日、パーゴはスヌークとともにサイパン島北西海域で3123船団を発見。先にスヌークが攻撃を仕掛け、その後まもなくパーゴも攻撃した。パーゴは11月29日未明に万寿丸(岡田商船。5,975トン)を撃沈したのに続いて、30日にも昭興丸(東和汽船。1,933トン)も撃沈した。スヌークも2隻撃沈し、こうして船団にいた5隻の輸送船のうち、4隻を撃沈したこととなった。この後、「H.O.R.エンジン搭載艦は1隻残らず、暫時エンジンを換装するように」という合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長アーネスト・キングの命令が出ていたので、該当艦であるパーゴは40日の行動を終えて真珠湾に帰投したのちメア・アイランド海軍造船所に回航され、GM社製278A16気筒エンジンに換装。1944年3月5日に戦列に復帰した。
3月25日、パーゴは3回目の哨戒でセレベス海方面に向かった。5月4日、パーゴは北緯7度14分、東経129度12分の地点で特設捕獲網艇永隆丸(三陸汽船[2]。758トン)を撃沈した。その他にも日本船に遭遇したが、撃沈までには至らなかった。5月24日、パーゴは60日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
6月13日、パーゴは4回目の哨戒でセレベス海に向かった。6月28日朝、パーゴは北緯6度50分、東経122度32分のミンダナオ島ザンボアンガ東南東50キロの地点でハルマヘラ島からマニラに向かっていたM25船団を発見。右舷側から攻撃し、山菊丸(山下汽船。5,236トン)を目標に魚雷を発射した。山菊丸は1本目から3本目まで回避したが、4本目が右舷船倉に命中し、山菊丸は8分で沈没した。また、第10号海防艦にも魚雷を命中させて大破させた[3]。8月8日[4]、パーゴは57日間の行動を終えてフリーマントルに帰投し、潜水母艦グリフィン(USS Griffin, AS–13)による修理を受けた。また、艦長がデーヴィス・B・ベルに代わった。
[編集] 第5・第6・第7・第8の哨戒
9月3日、パーゴは5回目の哨戒で南シナ海に向かった。9月11日、パーゴは南緯6度17分、東経116度27分の地点で特設捕獲網艇檜丸(宇和島運輸。599トン)を撃沈した。9月14日にナツナ諸島近辺の海域に機雷を敷設した後、9月26日には北緯7度0分、東経116度0分のボルネオ島北西岸で敷設艦蒼鷹を撃沈した。10月7日、パーゴは34日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
10月28日、パーゴは6回目の哨戒でハッド(USS Haddo, SS-255)とともに南シナ海に向かった。エクスマス湾に立ち寄った後、哨戒海域に進出。11月26日、パーゴはボルネオ島バラム岬沖で海防艦3隻に護衛されたタンカー雄鳳丸(飯野海運。5,226トン)を発見し攻撃。パーゴの発射した魚雷が命中した雄鳳丸は、後部が沈んだが前部は浮いていた。攻撃後、海防艦千振らは爆雷攻撃を行い、パーゴは爆雷攻撃により一部のバルブが破壊され、レーダーや発電機も損傷した。何とか立ち回って致命的な危機を脱したパーゴは、修理を行った上で哨戒を続行した。その間、雄鳳丸の浮いていた部分は千振に曳航されていった。12月21日、パーゴは53日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
1945年1月15日、パーゴは7回目の哨戒でインドシナ半島方面に向かった。1月31日、パーゴはインドシナ半島サンジャック沖で対潜掃討中の海防艦満珠に向けて魚雷を発射し、魚雷は満珠の艦首に命中し中破させた[5]。2月4日から6日にかけては、西沙諸島の永興島にある日本軍の測候所や発信所に対して艦砲射撃を実施した。2月20日、パーゴは北緯12度27分、東経109度40分のカムラン湾北東海域で駆逐艦野風を撃沈した。パーゴはこの後アメリカ本国への帰還を命じられ、サイパン島経由で54日間の行動を終えて真珠湾に帰投。3月25日にメア・アイランド海軍造船所に到着してオーバーホールに入り、6月17日に終わった。
7月14日、パーゴは8回目の哨戒で日本海に向かった。この海はかつては「ヒロヒトの浴槽」などと称し、1943年に3回の侵入を果たした後誰も足を踏み入れなかったが、一挙9隻が侵入した1945年6月のバーニー作戦以降は恐れる海域ではなくなった。パーゴは対馬海峡の機雷源を易々と突破し、日本海に入った。8月8日、パーゴは北緯41度15分、東経131度19分の朝鮮半島羅津東南72海里の地点で羅津丸(大連汽船。5,462トン)を撃沈した。その後、8月15日に終戦を迎え、9月2日に降伏調印式が行われるまで日本海に留まり、9月9日に41日間の行動を終えてグアム島に帰投し、パーゴの戦争は終わった。
[編集] 戦後
パーゴは真珠湾に回航された後、1946年6月12日退役し、第13海軍管区の予備役訓練艦として1960年6月1日に除籍されるまで訓練任務に就いた。除籍後の1961年4月17日、パーゴはスクラップとして売却された。
パーゴの総撃沈トン数は27,983トンに上る。パーゴは第二次世界大戦の戦功で8個の従軍星章を受章した。8回の哨戒は全て成功として記録された。艦名はスタージョン級原子力潜水艦パーゴ (USS Pargo, SSN-650) に継承された。
[編集] 脚注
- ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War IIおよび『佐世保鎮守府戦時日誌』による。船舶データはPargo (SS-264)および『日本商船隊戦時遭難史』による
- ^ 林寛司、戦前船舶研究会「特設艦船原簿」「日本海軍徴用船舶原簿」による。『日本商船隊戦時遭難史』では所属船会社を栗林商船としている
- ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War IIおよび伊達久「第二次大戦 日本海軍作戦年誌」による。
- ^ Pargo (SS-264)による
- ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War IIおよび『海防艦戦記』による
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 自昭和十八年九月一日 至昭和十八年九月三十日 佐世保鎮守府戦時日誌(昭和18年9月1日~昭和18年9月30日 佐世保鎮守府戦時日誌(1)(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030347700、C08030347800
- Theodore Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II" Naval Institute press、ISBN 0-87021-731-3
- 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336-6
- Clay Blair,Jr. "Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan" Lippincott、1975年、ISBN 0-397-00753-1
- 海防艦顕彰会『海防艦戦記』海防艦顕彰会/原書房、1982年
- 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
- 木俣滋郎『敵潜水艦攻撃』朝日ソノラマ、1989年、ISBN 4-257-17218-5
- 伊達久「第二次大戦 日本海軍作戦年誌」『写真 日本の軍艦14 小艦艇II』光人社、1990年、ISBN 4-7698-0464-4
- 林寛司、戦前船舶研究会「特設艦船原簿」「日本海軍徴用船舶原簿」『戦前船舶 第104号』戦前船舶研究会、2004年
[編集] 外部リンク
ガトー級潜水艦 |
---|
ガトー | グリーンリング | グルーパー | グロウラー | グラニオン | ガードフィッシュ | アルバコア | アンバージャック | バーブ | ブラックフィッシュ | ブルーフィッシュ | ボーンフィッシュ | コッド | セロ | コーヴィナ | ダーター | ドラム | フライングフィッシュ | フィンバック | ハダック | ハリバット | ハーリング | キングフィッシュ | シャード | シルバーサイズ | トリガー | ワフー | ホエール | アングラー | バッショー | ブルーギル | ブリーム | カヴァラ | コビア | クローカー | デイス | ドラド | フラッシャー | フライアー | フラウンダー | ガビラン | ガンネル | ガーナード | ハッド | ヘイク | ハーダー | ホー | ジャック | レイポン | ミンゴ | マスケランジ | パドル | パーゴ | ピート | ポーギー | ポンポン | パファー | ラッシャー | レイトン | レイ | レッドフィン | ロバロー | ロック | ランナー | ソーフィッシュ | スキャンプ | スコーピオン | スヌーク | スティールヘッド | サンフィッシュ | タニー | ティノサ | タリビー | ゴレット | ガヴィナ | ギターロ | ハンマーヘッド |
前級:マッケレル級 次級:バラオ級 |
アメリカ海軍潜水艦一覧 | アメリカ海軍艦艇一覧 |