バッショー (潜水艦)
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艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1942年12月4日 |
進水: | 1943年7月25日 |
就役: | 1943年10月25日 |
退役: | 1969年9月13日 |
除籍: | 1969年9月13日 |
その後: | 1972年7月に標的艦として海没処分 |
性能諸元 | |
排水量: | 1,526トン(水上) 2,426トン(水中) |
全長: | 307ft (93.6m)(水線長) 311ft 9in (95m)(全長) |
全幅: | 27.3 ft (8.3 m) |
吃水: | 19.3 ft (5.9 m) |
機関: | ゼネラル・モーターズ278A16気筒ディーゼルエンジン 4基 ゼネラル・エレクトリック発電機2基 |
最大速: | 水上:20.25 ノット (37 km/h) 水中:8.75 ノット (16 km/h) |
航続距離: | 11,000カイリ(10ノット時) (18.5 km/h 時に 20,400 km) |
試験深度: | 300ft (90m) |
巡航期間: | 75日 |
乗員: | 士官6名、兵員54名(平時) 士官、兵員80 - 85名(戦時) |
兵装: | 3インチ砲1基、21インチ魚雷発射管10基 |
バッショー (USS Bashaw, SS/SSK/AGSS-241) は、アメリカ海軍の潜水艦。ガトー級潜水艦の一隻。艦名はナマズの一種バッショーに因む。
目次 |
[編集] 艦歴
バッショーは1942年12月4日にコネチカット州グロトンのエレクトリック・ボート社で起工する。1943年7月25日にノーマン・S・アイヴス夫人によって進水し、艦長リチャード・E・ニコルズ少佐の指揮下1943年10月25日に就役。その後、真珠湾を経てニューギニアのミルン湾に回航され、1944年3月3日に到着した。
[編集] 第1・第2・第3の哨戒
3月10日、バッショーは最初の哨戒でミンダナオ海、パラオ諸島方面に向かった。3月21日、バッショーはパラオ沖で特設救難艦浦上丸(福洋汽船。4,317トン)を発見し攻撃。損傷を与えた[1]。4月5日、バッショーは「ダバオから日本艦隊が出撃してくる」との司令部からの情報に基づき、ダバオ湾で艦隊[2]が出てくるのを待ち構えていた。翌日、バッショーは2隻の駆逐艦をレーダーで探知。バッショーは目標に9キロまで接近したが、結局攻撃できなかった。4月27日には、ハルマヘラ島近海でトロール船を撃沈した[3]。5月10日、バッショーは60日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。
5月27日、バッショーは2回目の哨戒でハルマヘラ島近海に向かった。この頃、アメリカ軍はマリアナ諸島攻略作戦を行いつつあり、リンガ泊地に在泊中の日本艦隊が出撃してくることが予想された。そこで、司令部では多数の潜水艦をもって予想進路上に潜水艦を配置して動向を監視していた。バッショーがブリーム(USS Bream, SS-243)、フラウンダー(USS Flounder, SS-251)とともにハルマヘラ島近海に配備されたのも、そのためである。しかし、担当海域を日本艦隊が通過することはなかった。6月25日、バッショーはハルマヘラ島の泊地に侵入し、陸軍輸送船山宮丸(山下汽船。6,440トン)を撃沈した。7月16日、バッショーは50日間の行動を終えてマヌス島に帰投した[4]。
8月7日、バッショーは3回目の哨戒でミンダナオ海方面に向かった。主にミンダナオ島の西側をパトロールし、9月8日、バッショーは北緯8度19分、東経121度30分の地点で海軍徴用船柳河丸(大連汽船。2,813トン)を撃沈した。翌日には、200トンの船のようなものを沈めた[5]。10月4日、バッショーは55日間の行動を終えてブリスベンに帰投した[4]。
[編集] 第4・第5・第6の哨戒
10月27日、バッショーは4回目の哨戒でフラウンダー、ガヴィナ(USS Guavina, SS-362)らとウルフパックを組んで南シナ海に向かった。12月14日朝、カムラン湾近海でバッショーとガヴィナは戦艦などを発見する。これはリンガ泊地からカムラン湾に進出してきた第二遊撃部隊(司令官は海軍中将志摩清英)で、志摩の旗艦である重巡洋艦足柄、第四航空戦隊の伊勢と日向、大淀、それに駆逐艦2隻の計6隻で構成されていた。バッショーは戦艦を「長門型」と判断し、やろうと思えば艦隊に接近して痛打を与えることもできたが、とりあえず艦隊発見の報告をしてから攻撃してもよいと考え、しばらく後に浮上してから艦隊発見を司令部に打電した。この頃、バーゴール(USS Bergall, SS-320)が重巡洋艦妙高を撃破したものの、その妙高に反撃され大破したため、近在の潜水艦にバーゴールの救援が命じられた。バッショーも命令を受信したが、バーゴールとは会合できなかった[6]。12月31日、バッショーは63日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した[4]。また、艦長がH・S・シンプソンに代わった。
1945年1月26日、バッショーは5回目の哨戒でフラッシャー(USS Flasher, SS-249)とともに海南島近海に向かった。2月13日午後、バッショーは悪天候の中動く目標を探知した。この時、前回の哨戒で見た伊勢、日向、大淀と駆逐艦で構成された完部隊が北号作戦で貴重物資を満載し日本を目指して航行中であり、バッショーが探知したのは、その伊勢以下の完部隊に他ならなかった。この時までに13隻もの潜水艦(イギリス潜水艦1隻を含む)やB-24の攻撃や偵察をかいくぐって来た完部隊の前に、最後に刺客として現れたのがバッショーとフラッシャーであった。しかし、バッショーは不意を打たれた。16時18分、日向が22キロ先のバッショーを探知して主砲で攻撃してきたのである。一種の威嚇射撃だったが、日向の36センチ砲弾はバッショーの右舷後方に至近弾として落下、バッショーは潜航して避退した。しばらくして浮上し完部隊追跡に移ったものの後の祭り。完部隊はすでに去った後だった。その後は通常の哨戒に戻り、2月21日と27日には、フラッシャーと共同でサンパンを撃沈した[7]。3月5日には、北緯16度47分、東経108度41分のインドシナ半島ツーラン湾沖でヒ98船団を発見。タンカー良栄丸(日東汽船。10,017トン)を撃沈した。ヒ98船団は良栄丸とぱれんばん丸(三菱汽船。5,236トン)の2隻のタンカーと海防艦で構成されていたが、ぱれんばん丸は前日3月4日に撃沈されており、良栄丸撃沈で日本の油事情はより絶望的に厳しくなる結果となった。3月12日、バッショーは47日間の行動を終えて、アメリカ軍が奪還したばかりのスービック湾に帰投した[4]。
3月27日、バッショーは6回目の哨戒で南シナ海に向かったが、獲物にはありつけなかった。4月29日、バッショーは33日間の行動を終えてスービック湾に帰投し[4]、続いてオーバーホールのためメア・アイランド海軍造船所へ向かう。作業は8月13日に完了し、真珠湾に向かう。その途中で終戦の知らせを受け、バッショーはメア・アイランドへの帰還を命じられた。9月5日にメア・アイランドに到着し、バッショーは不活性化オーバーホールに入る。1945年11月24日に予備役となり、1949年6月20日に退役、太平洋予備役艦隊で保管される。
[編集] 戦後
バッショーは1951年4月3日に再就役し、サンディエゴを拠点として1952年5月10日まで西海岸沿いに活動する。1952年5月から1953年3月までバッショーはハンターズ・ポイント海軍造船所で対潜潜水艦への転換作業を受ける。1953年2月18日に SSK-241 (対潜潜水艦)へ艦種変更され、3月28日に再就役、サンディエゴの第33潜水艦部隊に配属される。1954年の3月から8月までバッショーは極東へ巡航する。翌年はハワイ海域での大規模演習を含む様々な訓練や演習に参加し、その後サンフランシスコでオーバーホールに入る。1956年1月から8月までバッショーは戦後二度目の極東配備に入る。1956年8月14日に真珠湾の潜水艦基地に到着した。1959年8月にバッショーは SS-241 に再び艦種変更され、1962年9月には AGSS-241 (実験潜水艦)へ変更される。1969年9月13日に退役、同日除籍され、その後1972年7月に標的艦として海没処分された。
バッショーは3隻の日本の商船を沈め、総トン数は19,269トンに上った。加えて数隻の小型艇も撃沈している。また、第二次世界大戦の戦功で5個の従軍星章を受章した。
[編集] 脚注
- ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War IIによる
- ^ パラオからリンガ泊地に向かう第二艦隊の一部。司令官は海軍中将栗田健男
- ^ uboat.net Bashaw (SS-241)による
- ^ a b c d e 出撃日と帰投日はuboat.net Bashaw (SS-241)による
- ^ uboat.net Bashaw (SS-241)による
- ^ 続きはアングラー(USS Angler, SS-240)を参照のこと
- ^ uboat.net Bashaw (SS-241)による
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- Theodore Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II" Naval Institute press、ISBN 0-87021-731-3
- 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336-6
- Clay Blair,Jr. "Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan" Lippincott、1975年、ISBN 0-397-00753-1
- 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年
- 木俣滋郎『日本戦艦戦史』図書出版社、1983年
- 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
[編集] 外部リンク
- history.navy.mil: USS Bashaw
- hazegray.org: USS Bashaw
- navsource.org: USS Bashaw
- Sinkings by boat: USS Bashaw
- uboat.net Bashaw (SS-241)
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