スティールヘッド (潜水艦)
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艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1942年6月1日 |
進水: | 1942年9月11日 |
就役: | 1942年12月7日 |
退役: | 1946年6月29日 |
除籍: | 1960年4月1日 |
その後: | |
性能諸元 | |
排水量: | 1,526トン(水上) 2,424トン(水中) |
全長: | 307ft (93.6m)(水線長) 311ft 9in (95m)(全長) |
全幅: | 27.3 ft (8.3 m) |
吃水: | 15.3 ft (4.6 m) |
機関: | フェアバンクス・モース38D8 1/8型9気筒6,500馬力ディーゼルエンジン 4基 ゼネラル・エレクトリック2,740馬力発電機 2基 |
最大速: | 水上:20.25 ノット (37 km/h) 水中:8.75 ノット (16 km/h) |
航続距離: | 11,000カイリ(10ノット時) (19 km/h 時に 20,000 km) |
試験深度: | 300ft (90m) |
巡航期間: | 潜航2ノット (3.7 km/h) 時48時間、哨戒活動75日間 |
乗員: | 士官6名、兵員54名 |
兵装: | 3インチ砲1基、21インチ魚雷発射管10基、機銃4基 |
スティールヘッド (USS Steelhead, SS-280) は、アメリカ海軍の潜水艦。ガトー級潜水艦の一隻。艦名はニジマスに因む。
目次 |
[編集] 艦歴
スティールヘッドは1942年6月1日にメイン州キタリーのポーツマス海軍造船所で起工する。1942年9月11日にマーギュライト・ブラウン夫人によって進水し、艦長デヴィッド・L・ウェルシェル少佐の指揮下1942年12月7日に就役する。スティールヘッドはロングアイランド沖で1942年12月から1943年1月まで整調を行う。2月に太平洋に向けて出航し、4月8日に真珠湾に到着し、訓練に従事した。訓練後スティールヘッドはミッドウェー島に回航され燃料を補給した。
[編集] 第1・第2・第3の哨戒
4月25日、スティールヘッドは最初の哨戒で北海道近海に向かった。5月9日23時30分ごろ、スティールヘッドは室蘭市の日本製鐵輪西製鐵所に対して艦砲射撃をすべく浮上し、約30発もの砲弾を撃ち込んだ。しかし、実際に砲撃した場所は室蘭の北東にある幌別村であった。海岸から約6キロ離れた時点に着弾したが、大した効果はなかった[1]。5月12日には襟裳岬沖に12個の機雷を敷設した。この哨戒ではスティールヘッドは魚雷を1度も発射することなく、6月前半に49日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
6月30日、スティールヘッドは2回目の哨戒でトラック諸島方面に向かった。7月10日、スティールヘッドはハリバット (USS Halibut, SS-232) とともに哨戒中、トラック諸島北方170海里の地点で空母雲鷹と元特設巡洋艦愛国丸(大阪商船。10,438トン)を発見した。雲鷹は九九式艦上爆撃機27機と零戦45機を輸送中であった。スティールヘッドは雲鷹に対し魚雷を5本発射し、うち3本が命中するような音が聞こえた。しかし、この戦闘ではハリバットが愛国丸を撃破しただけに終わった。8月6日、スティールヘッドは47日間の行動を終えて真珠湾に帰投し、修理を行った[2]。 9月13日、スティールヘッドは3回目の哨戒でギルバート諸島に向かった。途中、タラワに爆撃を行った陸軍機の救助支援任務に当たった。9月25日に一旦ジョンストン島に引き返し燃料を補給した後、改めてパラオ諸島方面に向かった。10月6日、スティールヘッドはトラック諸島北西方で特務艦風早を発見した。スティールヘッドは風早に魚雷を命中させたが沈めるまでには至らなかった。スティールヘッドは近くにいたティノサ (USS Tinosa, SS-283)と交信して呼び寄せ、最終的にティノサが風早を撃沈したものの、撃沈のきっかけを作ったのはスティールヘッドであった[3]。10月21日には、ウルシー環礁南東150海里地点で特設運送艦五洲丸(五洋商船。8,592トン)を撃破した[4]。スティールヘッドは72日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
[編集] 第4・第5・第6・第7の哨戒
12月、スティールヘッドは4回目の哨戒で豊後水道方面に向かった。1944年1月10日、スティールヘッドは北緯31度42分、東経137度50分の地点で特設工作艦山彦丸(山下汽船。6,799トン)を撃沈した。スティールヘッドは61日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
3月下旬、スティールヘッドは5回目の哨戒で東シナ海、台湾近海に向かった。しかし敵船に恵まれず、トロール船を浮上砲戦で撃沈しただけにとどまった。5月23日、スティールヘッドは62日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
6月17日、スティールヘッドは6回目の哨戒でハンマーヘッド (USS Hammerhead, SS-364) 、パーチェ (USS Parche, SS-384) とウルフパックを組んでルソン海峡に向かった。7月31日、スティールヘッドはルソン島沿岸に避退してくるミ11船団を発見した。3時30分にパーチェがまずタンカー光栄丸(日東汽船。10,238トン)を撃沈した後、3時40分にスティールヘッドが吉野丸(日本郵船。8,990トン)に向けて魚雷を3本発射し、うち2本が命中して吉野丸を撃沈したが、後にパーチェも吉野丸に魚雷を命中させたと主張してきた[5]。4時20分ごろには、だかあ丸(日本郵船。7,169トン)の左舷に魚雷を命中させたが、沈没には至らなかった[6]。4時55分にも扶桑丸(大阪商船。8,196トン)に魚雷を命中させ、扶桑丸は5時10分に横転して沈没した。8月16日、スティールヘッドは60日間の行動を終えて真珠湾に帰投し、サンフランシスコに回航されてオーバーホールに入った。ところが、オーバーホール中の10月1日に火災事故が発生し、焼けた司令塔を交換する大きな損傷を受けた。オーバーホールが終わって、1945年4月16日にサンフランシスコを出航し真珠湾に回航された。また、艦長がロバート・B・バイネスに代わった。
5月13日、スティールヘッドは7回目の哨戒で東京湾南方に向かった。哨戒のほとんどの期間をパイロット救助支援任務に費やし、魚雷はついに発射しなかった。その代わり、2隻のトロール船を浮上砲戦で撃沈した。8月5日、スティールヘッドは74日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投し、8月15日の終戦も同島で迎えた。
[編集] 戦後
スティールヘッドは8月25日にミッドウェー島を出航し、9月5日にサンフランシスコに到着した。その後は1946年1月2日まで西海岸のソナー学校での任務に従事する。任務終了後は真珠湾に向かい、3月まで活動した後サンフランシスコに帰還し不活性化の準備に入る。スティールヘッドは1946年6月29日に予備役となり、大西洋予備役艦隊入りする。1947年5月に予備役訓練艦としての任務が命じられ、1960年4月1日に除籍されるまで訓練任務に従事した。
スティールヘッドは第二次世界大戦の戦功で6個の従軍星章を受章した。
[編集] 脚注
- ^ この日はパガン島、ビゲエット島に対しても潜水艦が艦砲射撃を実施している
- ^ 木俣滋郎『日本空母戦史』、『日本戦艦戦史』およびClay Blair,Jr. "Silent Victory"には、おおよそ次のような記述がある。「8月5日、スティールヘッドは日本艦隊を発見し、魚雷を戦艦武蔵に4本、雲鷹に6本発射した。やがて2本が爆発する音が聞こえ、ウェルシェルは「雲鷹に2本命中」と判断した。しかし、実際には魚雷は早期爆発を起こして雲鷹にも武蔵にも命中しなかった。駆逐艦曙が爆雷攻撃を実施したが、スティールヘッドの艦体を揺さぶっただけだった。スティールヘッドはその後もう一度攻撃しようと接近を試みたが、艦隊は24ノットと推測される猛スピードで去っていき、攻撃できなかった」。しかし、8月5日といえばスティールヘッドが真珠湾に帰投する前日であるから、帰投日が正しければ、この攻撃はスティールヘッドによるものではない。当時、この海域にはポーギー (USS Pogy, SS-266) やタリビー (USS Tullibee, SS-284) がおり、タリビーがこの艦隊に接触したが逃している。この攻撃はタリビーによるものの可能性もあるが、それを裏付ける資料はない
- ^ この経緯から、風早撃沈はスティールヘッドとティノサの共同戦果となっている
- ^ 『戦史叢書』およびThe Official Chronology of the U.S. Navy in World War IIによる。なお、"The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II"では"aircraft transport"(航空機運搬艦)となっているが、林寛司、戦前船舶研究会「特設艦船原簿」では1943年10月1日に特設運送艦に変更となっている
- ^ この経緯から、吉野丸撃沈はスティールヘッドとパーチェの共同戦果となっている
- ^ だかあ丸は9月22日に空襲により沈没。Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II"では撃沈扱いとなっている
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 自昭和十八年五月一日 至昭和十八年五月三十一日 大湊警備府戦時日誌(昭和17年12月1日~昭和18年5月31日 大湊警備府戦時日誌(7)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030505200
- Theodore Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II" Naval Institute press、ISBN 0-87021-731-3
- 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336-6
- 防衛研究所戦史室編『戦史叢書62 中部太平洋海軍作戦<2> 昭和十七年六月以降』朝雲新聞社、1973年
- Clay Blair,Jr. "Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan" Lippincott、1975年、ISBN 0-397-00753-1
- 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年
- 木俣滋郎『日本戦艦戦史』図書出版社、1983年
- 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
- 野間恒『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』私家版、2004年
- 林寛司、戦前船舶研究会「特設艦船原簿」「日本海軍徴用船舶原簿」『戦前船舶 第104号』戦前船舶研究会、2004年
[編集] 外部リンク
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