デイス (潜水艦)
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艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1942年7月22日 |
進水: | 1943年4月25日 |
就役: | 1943年7月23日 |
退役: | 1955年1月31日 |
除籍: | 1972年10月15日 |
その後: | イタリア海軍へ移管 |
性能諸元 | |
排水量: | 1,526トン |
全長: | 311 ft 9 in |
全幅: | 27.3 ft (8.3 m) |
吃水: | 15.3 ft |
機関: | ゼネラル・モーターズ278A16気筒ディーゼルエンジン 4基 ゼネラル・エレクトリック発電機2基 |
最大速: | 水上21ノット (39 km/h)、水中9ノット (17 km/h) |
航続距離: | 水上10ノット時11,000カイリ (20,000 km) |
試験深度: | 300ft (90m) |
巡航期間: | 潜航2ノット (3.7 km/h) 時48時間、哨戒活動75日間 |
乗員: | 士官、兵員60名 |
兵装: | 3インチ砲1基、21インチ魚雷発射管10基(艦首6基、艦尾4基)、魚雷24本 |
デイス (USS Dace, SS-247) は、アメリカ海軍の潜水艦。ガトー級潜水艦の35番艦。艦名はコイ科の淡水魚に因む。同名の米軍艦(USS Dace)としては初代。
目次 |
[編集] 艦歴
デイスは1942年7月22日にコネチカット州グロトンのエレクトリック・ボートで起工する。1943年4月25日にO・P・ロバートソン夫人によって進水し、艦長ジョゼフ・F・エンライト少佐の指揮下1943年7月23日に就役する。
[編集] 第1の哨戒
10月27日、デイスは最初の哨戒で本州海域に向かった。当時、デイスが向かった海域を「空母翔鶴が通過する」という情報があり、デイスを含めた所在の潜水艦に翔鶴を仕留めるよう指令が出ていた。ところが、エンライトは自分の直感を抑えて規則に従った結果、結果的に翔鶴を逃す結果となった。デイスは全く戦果が上がらず、11月19日に特設潜水母艦平安丸(日本郵船。11,616トン)に向けて魚雷を発射したものの命中せず、逆に護衛の海防艦隠岐から反撃され、エビの大群に入って何とか逃亡する始末であった。12月11日にミッドウェー島に帰投すると、すっかりヤル気が萎えていたエンライトは司令部に報告のため出頭した。報告は「自分は艦もスタッフも担当海域も、あらゆる優れたものに恵まれた」で始まり、「今回の哨戒任務が不作だったのは自分の責任ですから」と、自ら自分をデスクワークに廻してくれるよう要請、受理されエンライトは12月28日に潜水艦救護隊隊長に転じた。この翌年のほぼ同じ時期、エンライトは再び水上勤務に戻り、ある潜水艦の艦長としてある巨大空母を撃沈して有名になるが、それはまた別の話である。
[編集] 第2・第3・第4の哨戒
ブラッデン・D・クラゲット少佐が2代目艦長として着任したデイスは1944年1月7日、2回目の哨戒でトラック諸島に向かった。1月26日夜、デイスは2隻の護衛艦に厳重に護衛されたタンカーを攻撃。魚雷を5本発射して爆発音が聞こえてきたが、どうやら早期爆発を起こしたらしく、結局取り逃がした。その後、緊急修理が必要な故障が発生し、2月2日にツラギ島に入港し応急修理を施した後、再びトラック諸島周辺に戻った。2月17日の第58任務部隊によるトラック島空襲の支援を実施した後、2月25日に48日間の行動を終えてミルン湾に帰投した。
3月18日、デイスは3回目の哨戒に向かったが、このときに最初に行うべき任務はコマンド部隊をホーランディア周辺に揚陸させたりする特殊任務であった。3月27日にマヌス島に寄港し給油をした後、任務を遂行。戻ってきたコマンド部隊を再び乗せ、合流してきたダーター(USS Darter, SS-227)らとともにダバオ湾まで足を伸ばして哨戒を実施した。4月7日、デイスはスキャンプ(USS Scamp, SS-277) が駆逐艦と水上偵察機の攻撃で中破したため、デイスはスキャンプの掩護を命じられた。スキャンプをマヌス島まで送り届けた後、デイスは55日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。
6月13日、デイスは4回目の哨戒でダバオ湾に向かった。6月20日にマヌス島で給油した後、7月16日にサランガーニ湾を偵察。7月26日、デイスは1条の煙を発見し、丸一日追跡した後の7月27日、ホロ島沖で3隻の船からなる輸送船団を発見。タンカー第二共栄丸(共栄タンカー。1,192トン)を撃沈した。31日にも小型船舶を撃沈した。8月12日、デイスは60日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。
[編集] 第5の哨戒・摩耶撃沈
9月1日、デイスはダーターとともに5回目の哨戒を実施した。この哨戒はデイスとダーター両方にとってあらゆる意味で「大航海」となった。両艦は9月10日にポートダーウィンに入港し給油した後、10月1日にビアク島のミオス・ウンディ泊地に到着。整備の後ボルネオ沖に進出した。10月14日、デイスは7隻の輸送船からなる輸送船団を発見し攻撃。永享丸(日本郵船。6,948トン)を大破させ[1]、日鉄丸(日産汽船。5,993トン)を撃沈した。その後、パラワン水道に移動した。
[編集] 10月20日~22日
10月20日、デイスのレーダーは数個の目標を捉えた。これはレイテ島に対する緊急輸送を支援するためマニラに向かっていた重巡洋艦青葉と軽巡洋艦鬼怒であった。デイスはダーターに率いられこの目標を追跡し、その結果本来の哨区から大きく離れる結果となった。10月22日夜半、デイスはダーターと無線電話で交信するため接近していた。その時、ダーターのレーダーが新たな目標を捉えた。2隻は目標に向かって速力を上げた。
[編集] 10月23日
10月23日0時17分、ダーターのレーダーが複数の目標を追跡していた時、デイスのレーダーは故障していた。デイスは故障回復に努め、その間はダーターからの情報を得て追跡を行っていた。程なく故障修理が終わったデイスに対してダーターが「重量級の艦隊が二列縦隊で前進中」と通報し、自艦に続くよう指示を与え、デイスも全速前進に速力を上げた。目標がレイテ沖海戦に出撃する日本海軍栗田艦隊であることは言うまでも無く、この時ダーター、デイスの進路と栗田艦隊の進路は直角で交差する位置にあった。2時30分、ダーターは無線封止の命をためらわず破り、「日本艦隊出撃。パラワン水道経由でレイテへ向け進撃中と推測」とデイスにはもちろんのこと、第7艦隊と第3艦隊にも通報した。デイスとダーターは19ノットの速力を維持し浮上したまま艦隊に接近していった。
5時9分、ダーターが自身の攻撃位置に向かうため分離した後潜航した。デイスはそのままの進路を保ちながら潜航。艦隊の右翼列を狙える位置を確保した。6時34分ごろ、デイスはダーターの発射した魚雷が左舷隊先頭の重巡洋艦愛宕に5本命中し、駆逐艦2隻が愛宕に近寄っていくのを確認した。その後、デイスも自身の攻撃目標を定めにかかった。この時点で、一番近くの目標まで6,300メートルの距離があった。クラゲットは潜望鏡越しに「先頭は愛宕、次いで那智、その後ろに戦艦が続いている」と判断した。6時52分、「目標は金剛型戦艦」と指示、愛宕がまさに海中に没しようとした6時54分、「金剛型戦艦」を目標に魚雷6本を発射。発射後、大型艦の舷側に回りこむ体勢をとった。6時56分、魚雷は「金剛型戦艦」と目された右舷隊3番艦の重巡洋艦摩耶の左舷に4本命中した。当時摩耶は右舷に注意を集中させており、左舷側から迫る魚雷音に気付くのが遅れ、面舵、直後に取舵を下令したものの命中。摩耶は約8分で沈没し、デイスでは6時1分に「海底が爆発したかのような爆発音」、6時3分に大破壊音を聴取した。6時5分に爆雷攻撃を受けるも損害無く切り抜けた。日没後、ダーターとともに浮上、ダーターが第2撃で撃破した高雄を追跡したが、潜航状態を続けていたため自艦が現在向いている方位が分からなくなってしまった。デイスはダーターに倣って天測航法を試みるも雲量が多く断念せざるを得なかった。両艦は最初の攻撃位置とおぼしき位置にとりあえず戻ろうと反転したが、デイスはダーターと少し違う進路をとった。
[編集] 10月24・25日
1時5分、ダーターはボンベイ礁に座礁してしまった。デイスはなおも高雄を追跡中であったが、ダーターの座礁により反転、デイス及びダーター乗組員の艦を離礁させようという試みは全て失敗した。翌25日2時46分、デイスはダーターにロープを投げ、またゴムボートも活用してダーター乗組員の移乗が開始された。ダーターの全ての乗組員はデイスに乗り移った。3時45分、2本目のロープがダーターの艦尾に結び付けられた。ダーターの乗員を救助した後、5時55分にデイスはダーターに向けて魚雷4本を発射したが、岩礁に当たって爆発しただけだった。次いで4インチ砲21発をダーターの水線に命中させたが、日本軍機が飛来してきたのでデイスは潜航し退避した。デイスは潜航中もダーターの様子を伺っており、日本兵が駆逐艦からダーターに乗り込むのを確認した。夕刻、デイスは浮上して再度ダーターの完全破壊を目論むも、正体不明の発信音を探知したため、これ以上の作業を断念。デイスはダーターの処分を他の艦に依頼する旨司令部に打電し、乗組員ですし詰め状態になりながら現場を去った。11月6日、デイスは60日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。なお、デイスはダーター処分時に最後に残っていた魚雷をすべて使い果たし艦内には余裕があったが、それでもダーター乗組員全員を立ったまま詰め込んだため身動きもままならず、乗組員がトイレに向かう時だけわずかに空間が出来る有様だったという。
[編集] 第6・第7の哨戒
艦長がオーティス・R・コール・ジュニアに交代し、12月2日にデイスは6回目の哨戒で南シナ海に向かった。この哨戒ではシンガポールと香港間の航路遮断を命じられるとともに、機雷敷設も命じられていた。12月16日、インドシナ半島沖での機雷の敷設を完了。直後、敷設海域のあたりから爆発音が聞こえた。3日後の12月19日、デイスは輸送船団を発見し攻撃準備に取り掛かっていたところ、4発の爆雷を投下され、損傷を受けた。12月28日、デイスは船団護衛中の給糧艦野埼を撃沈し、芝園丸(日本郵船。1,831トン)を撃破した[2]。その後、デイスはオーバーホールを命じられ、サイパン島を経て1945年1月28日に56日間の行動を終えて真珠湾に帰投し、アメリカ本土に向かった。
オーバーホールなったデイスは、5月25日に7回目の哨戒で千島列島海域に向かった。6月7日に哨戒海域に到着し、まず2隻のスクーナーを撃沈した。6月10日、デイスは霧の中を貨物船とタンカーがやってくるのを探知した。以後追跡を続け、占守島沖で博洋丸(九州郵船。1,391トン)を撃沈。反撃を受けたので、護衛艦に魚雷を発射した後、深深度潜航で退避した。7月25日、デイスは46日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。8回目の哨戒の準備のため8月13日にサイパン島に到着したが、2日後に終戦を迎えた。
[編集] 戦後
太平洋戦争が終了すると、デイスは真珠湾への帰還が命じられ、その後1945年10月5日にコネチカット州ニューロンドンに到着した。1946年1月15日にポーツマス海軍造船所で予備役となり、ニューロンドンに曳航された後、1947年2月12日に退役した。その後、デイスは1951年8月8日に再就役し、ニューロンドンから大西洋岸、カリブ海で活動、1953年12月31日に再び予備役となる。1954年1月15日に広範囲近代化のためにポーツマス海軍造船所で退役し、1954年10月22日に再就役する。イタリア海軍の乗員を訓練した後1955年1月31日にニューロンドンで退役、同日軍事援助プログラムに基づきイタリア海軍へ移管された。
その後デイスはイタリア海軍でレオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci, S-510) として就役した。当初はイタリアへ5年間の貸与の予定であったが、1959年にもう5年間延長され、その後再び5年延長された。姉妹艦のエンリコ・タッツオーリ (Enrico Tazzoli, S-511) (元バーブ)と共に1950年代から60年代末にかけてイタリア海軍潜水艦部隊の中核として活躍した。SS-247(レオナルド・ダ・ヴィンチ)は1972年10月15日にアメリカ海軍を除籍され、翌年イタリア海軍を除籍された。なお、ジェーン海軍年鑑1954-55年版および1955-56年版ではデイスがエンリコ・タッツオーリへ、バーブがレオナルド・ダ・ヴィンチになったと記述された。他の全ての資料及びその後のジェーン海軍年鑑ではその記述が反対になった。
デイスは第二次世界大戦の戦功および7度の哨戒で海軍殊勲部隊章と7個の従軍星章を受章した。デイスの総撃沈トン数は28,689トンに及ぶ。
[編集] 脚注
- ^ 永享丸はラブアン島の泊地に曳航された後、度重なる空襲で破壊され12月16日に放棄された
- ^ 芝園丸撃破はThe Official Chronology of the U.S. Navy in World War IIによる
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- Theodore Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II" Naval Institute press、ISBN 0-87021-731-3
- 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336-6
- Clay Blair,Jr. "Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan" Lippincott、1975年、ISBN 0-397-00753-1
- 木俣滋郎『日本戦艦戦史』図書出版社、1983年
- 木津重俊編『世界の艦船別冊 日本郵船船舶100年史』海人社、1984年、ISBN 4-905551-19-6
- 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
- 木俣滋郎『敵潜水艦攻撃』朝日ソノラマ、1989年、ISBN 4-257-17218-5
- 瀬名堯彦「パラワン水道における米潜の活躍」『写真/太平洋戦争 第4巻』光人社、1989年、ISBN 4-7698-0416-4
- J・F・エンライト/J・W・ライアン、千早正隆監修、高城肇訳『信濃!日本秘密空母の沈没』光人社NF文庫、1994年、ISBN 4-7698-2039-9
- カール・ソルバーグ、高城肇訳『決断と異議 レイテ沖のアメリカ艦隊勝利の真相』光人社、1999年、ISBN 978-4-769-80934-0
[編集] 外部リンク
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