朝鮮半島
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朝鮮半島 | |
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位置 | |
各種表記 | |
ハングル: | 조선반도 / 한반도 |
漢字: | 朝鮮半島 / 韓半島 |
平仮名: (日本語読み仮名) |
ちょうせんはんとう / かんはんとう |
片仮名: (現地語読み仮名) |
チョソンバンド / ハンバンド |
ラテン文字転写: | {{{latin}}} |
英語表記: | Korean peninsula |
朝鮮半島(ちょうせんはんとう)は、ユーラシア大陸の中緯度の東端に位置する半島。
ただし、陸地の幅が最も狭くなるのは平壌のやや北の平安南道~咸鏡南道だが、朝鮮半島と言った場合、かなり北の、中朝国境より南を指すのが普通である。また、済州島を含めた朝鮮地域全体を指して用いられることも多い。このように、自然地形の名称というよりは、政治的・文化的・歴史的な文脈で、朝鮮の同義語として使われることが少なくない。
目次 |
[編集] 名称
日本では「朝鮮半島」と呼ぶのが一般的だが、現地では統治する国家によって異なる言い方がなされており、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では조선반도(朝鮮半島)、大韓民国(韓国)では한반도(韓半島)となり、互いに他方の国の名で呼ばれることに拒否反応を示す。なお、これらは半島の北半分と南半分を指す名称ではなく、共に半島全体の名称である。
この煩雑さを避け政治的中立性を保つ意図で、稀に高麗半島と呼ばれることがある。ただし、「朝鮮・韓→高麗」という呼称の統一は、北朝鮮側が好んで使う傾向があるため、中立的な意図で使うには注意が必要である。
[編集] 地理
ユーラシア大陸から日本列島の九州に向かう様な形をしている。東側を日本海、西側を黄海、南側の日本とは対馬海峡西水道(朝鮮海峡)にて隔てられている。北端は一般的には朝鮮民主主義人民共和国と中華人民共和国の境界、すなわち鴨緑江と豆満江及び白頭山山頂とされる。
半島は中国大陸と同じく中国地塊に属する安定大陸(安定陸塊)で、先カンブリア時代に原型ができていたと考えられる。非常に古く安定した大地のため、付近に断層などはなく、よって地震も非常に少ない。火山も少ない。
半島全体の面積は219000km²である。なお日本の本州は227900km²、グレートブリテン島は216800km²である[1]。
黄海に面した西側は平野が多く、農地に適している。一方、日本海に面した東側は太白山脈をはじめ多くの山地がそびえており、平地は非常に少ない。特に北部はほぼ全て山地で、この山地は標高が海抜1000mを越えており、白頭山付近は2000mを上回っているため、農業には非常に不向きである。
気候は南部は温暖で湿潤な温帯で夏は蒸し暑く、冬は緯度が高いため寒い。北部は亜寒帯から寒帯であり、山地が多いため夏も冷涼で冬の寒さは大変厳しい。西部は対馬海流の支流が黄海に流れ込むので比較的暖かいが、東部は対馬海流が日本海北部で冷やされて南下しており(リマン海流)、寒さに拍車をかける。朝鮮半島最寒の地とされるのは、鴨緑江上流の中江鎮である。北朝鮮の統治地域であるが、韓国の新聞の天気予報にも最低気温の予想が掲載される。
朝鮮戦争によって生じた軍事境界線を中心とした幅4kmの非武装地帯 (DMZ) は地雷原のため、民間人は全く立ち入ることが出来ない。そのため、渡り鳥などの自然動物が集まる世界有数の場所となっている。
[編集] 住民
朝鮮民族が主な住民である。韓国と北朝鮮を合わせて71,295,728人(2004年)。
中国の史書によると、3世紀頃には朝鮮半島北部や東北部沿岸には扶余系諸族、南部には韓系諸族が住み、西北部は漢や魏などの郡が置かれて移民の漢族も住んでいた。4世紀頃には高句麗領に扶余族の高句麗人が、百済に百済人(支配層は扶余族、被支配層は韓族)が、新羅・伽耶に韓族の新羅人と伽耶人が住み、7世紀、新羅により統一されると民族統合は進むが、半島北部の鴨緑江南岸と豆満江南岸一帯には高句麗継承を掲げる渤海人が住んでいた。
10世紀に新羅を滅ぼした高麗は渤海から亡命してきた王族や貴族を受け入れて鴨緑江沿岸と豆満江付近まで勢力を広げ、渤海が滅びると渤海遺民を受け入れて朝鮮半島の大部分が高麗人の住む土地となった。しかしその後、女真族の南下とモンゴル帝国の侵攻により、鴨緑江と豆満江一帯は再び民族混住地域となった。
14世紀、高麗は元の北走後、鴨緑江と豆満江まで勢力を回復し、高麗に代わって建国した李氏朝鮮(←朝鮮)の初期のころまでに豆満江一帯の女真族は朝鮮に同化されたと見られ、これにより朝鮮半島のほぼ全域が朝鮮民族の住む土地となった。
20世紀前半には日韓併合により、日本(内地)から日本人が都市部を中心に多く住んでいた。
[編集] 歴史
詳細は朝鮮の歴史を参照
石器などが発見されていることから、数万年前から人が住んでいたと思われるが、現在の朝鮮民族との直接のつながりは明らかでない。紀元前4000年ごろから南部・西部で稲作が始まった。朝鮮半島において学術的な検証が可能となる最初の国家は衛氏朝鮮である。衛氏朝鮮の建国に関しては考古学的に証明できていないが、『三国志』によれば、燕出身の将軍であった衛滿が箕子朝鮮の王・箕準を追い出して立てたことになっている。衛氏朝鮮は三代衞右渠の時、漢の武帝に滅ぼされ、領地は楽浪郡などの四郡に分割支配されたが、移転や廃止が相次ぎ、最後には楽浪郡のみが残った。
任那(みまな、にんな 369年 - 562年)は古代に存在した朝鮮半島の地域。三韓の中の弁辰、弁韓、および馬韓、慕韓の一部の地に相当する地域で、日本と深い協力関係にあった。その後、鴨緑江付近で興った高句麗が南下して楽浪郡を滅ぼし、朝鮮半島は高句麗、百済、新羅の三国時代に入った。7世紀に新羅は唐の力を借りて高句麗と百済を滅ぼしたが、高句麗の故地には渤海が建国された。10世紀に新しく興った高麗は新羅を滅ぼし、契丹に滅ぼされた渤海の遺民を受け入れて鴨緑江沿岸と豆満江付近まで勢力を広げた。12世紀にモンゴルの元に侵攻されて服属。14世紀に元が北へ逃げると李氏朝鮮が高麗に代わって建国され、朝鮮半島を制圧し明に朝貢した。16世紀に豊臣秀吉の侵攻があり、17世紀には清の侵攻を受けて、明から清へと冊封関係を変える。
19世紀末から欧米列強が来訪、開国を要求、そして日本、清、ロシアが朝鮮に対する影響力をめぐって対立、日清戦争後に長きにわたる冊封体制から離脱し大韓帝国として独立するも、20世紀に全土が日本に併合され、日本の統治下となった。第二次世界大戦による日本の敗戦後、連合軍により朝鮮半島のほぼ中央を走る北緯38度線を境に南北に分割統治され、各々独立し、南に大韓民国、北に朝鮮民主主義人民共和国が建国された。1950年に北側から統一を目指し朝鮮戦争を起こすが、統一はならず、現在も南北に二つの政権が並立している。