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任那 - Wikipedia

任那

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

任那(みまな、にんな、369年[要出典] - 562年)は古代に存在した朝鮮半島の南部地域。三韓の中の弁辰弁韓、および馬韓、慕韓の一部の地に相当する伽耶諸国地域と一部重なり合う。日本ではかつては任那をこれらの伽耶諸国全域と現在の全羅南道を含む地域とみなしてきたが、今日では伽耶諸国の中の金官伽耶国(現在の慶尚南道金海市)を指すものとする説が有力となっている(「#任那の指す領域」に後述)。しかし、後に示すようにこれには異説がある。

明治維新の後には古代日本の任那支配を根拠に征韓論が唱えられ、また、日本が朝鮮半島を植民地として支配するにあたっての正当化に利用されたこともあるため、戦後の概説書や教科書では任那問題を避けることが多くなっていた[1]が、倭が新羅や百済を臣民とした等と書かれている『広開土王碑』の改竄説が否定され、史料価値が明確になったこと[2]、またいくつもの前方後円墳が朝鮮半島南部で発見され始めたことなどから、近年ヤマト朝廷そのもの或いは深い関連を持つ集団による一定の軍事的影響力および経済的利権の存在について認める様々な見解が発表されている。

日本による任那支配は、その実態に関する議論はあるものの、古代以来今日まで一貫して記録され語り継がれてきた事項であったが、今日、韓国北朝鮮の歴史学界では否定する態度を取っている。

目次

[編集] 語源と読み

任那の語源については、『三国遺事』所収の『駕洛国記』に見える首露王の王妃がはじめて船で来着した場所である「主浦」村の朝鮮語の訓読み(nim-nae ,님내)を転写したものとする鮎貝房之進の説が日本の学界では主流を占める[3]。また日本語呼称の「みまな」は、「nim-na」という語形が、日本語の音節構造に合わせて開音節化(音節末子音に母音が付加されること。この場合はm→ma)した後に、逆行同化(後続音の影響を受けて前部の音が変化すること)によって語頭子音のnがm化した結果成立したものと推定されている。

[編集] 任那の指す領域

後述の諸史料のうち中国史料・朝鮮史料の解釈から、任那とは加羅(広義には伽耶諸国全域の総称、狭義には大加羅(=大伽耶、現代の慶尚北道高霊郡))とは別の実体を表すものであり、結論的には伽耶諸国の中の一国である金官伽耶国(現代の慶尚南道金海市)を指すものと見られるのが一般的になっている。しかし、これには異説もある.

朝鮮史学者の田中俊明は、朝鮮・中国の史料では任那を伽耶諸国の汎称として用いることはなく金官伽耶を指すものと結論し、『日本書紀』においても特定国を指す用法があるとともに、総称としての用法が認められるがそれは『日本書紀』に独自の特殊な用法とする[4]。日本史学者の吉田孝は、『日本書紀』が伽耶諸国を総称して任那と呼んだとする説が一般化していることを批判し、中国・朝鮮の史料では任那は金官伽耶単体を指すものであり、『日本書紀』の任那の用法は任那加羅(金官伽耶)を指すと同時に任那加羅を中心とする政治的領域の全体を指す特異なものであるとしている[5]。 朝鮮史学者の権珠賢は日本、朝鮮、中国の金石文を含む23種類の史料における任那と加耶の全用例を精査し、任那は特定の小国の呼称ではなく、百済にも新羅にも属さなかった諸小国の呼称であること、任那の範囲と加耶の範囲は一致しないこと、任那という呼称は倭国と高句麗による他称であること、このような説を提示している[6]

[編集] 任那日本府

現在、記紀の記述や考古学的成果、他に傍証として、広開土王碑、『宋書』倭国伝等の記述をもとに、任那日本府倭国の軍事を主とする外交機関であり、倭国は任那地域に権益(おそらく製鉄の重要な産地があった)を有していたと考えられている[7]

一方、1960年代頃から朝鮮半島では民族主義が広がり、記紀に記されているヤマト朝廷の直接的な任那支配は誇張されたものだとの主張がなされた[8]。また日本でも1970年代に入り、それらに同調する主張がなされた[9]

しかしながら、1983年に慶尚南道の松鶴洞一号墳(墳丘長66メートル)が前方後円墳であるとして紹介されて以来、朝鮮半島南西部で前方後円墳の発見が相次いでおり(その後の調査により、松鶴洞一号墳は築成時期の異なる3基の円墳が重なり合ったものであり、前方後円墳ではないことが明らかになった[10])、これまでのところ全羅南道に11基、全羅北道に2基の前方後円墳が確認されている[11]。また朝鮮半島の前方後円墳はいずれも5世紀後半から6世紀中葉という極めて限られた時期に成立したもので、百済が南遷する前は金官伽耶を中心とする政治的領域の最西部であったとする説[5]がある地域のみに存在し、円筒埴輪や南島産貝製品、内部をベンガラで塗った石室といった倭系遺物を伴うことが知られている[11]。そのため、ヤマト朝廷と深い関連を持つ集団(ヤマト朝廷から派遣された官吏や軍人、ヤマト朝廷に臣従した在地豪族)が伽耶地域とその西隣の地域において一定の軍事的影響力および経済的利権を有していたことについてはほぼ確実視されるようになった[12]

ヤマト朝廷の勢力を示す他の傍証としては、新羅・百済・任那の勢力圏内で大量に出土(高句麗の旧領では稀)しているヒスイ製勾玉などがある。戦前の日本の考古学者は、これをヤマト朝廷の勢力範囲を示す物と解釈していたが、戦後、朝鮮から日本へ伝来したものとする新解釈が提唱されたことがあった。しかし、朝鮮半島にはヒスイの原産地がなく、古代においては東アジア全体でも日本の糸魚川周辺以外にヒスイ工房が発見されないこと[13]に加えて、最新の化学組成の検査により朝鮮半島出土の勾玉が糸魚川周辺遺跡のものと同じであることが判明し、朝鮮半島由来説は否定された[14]

[編集] 各種史料

[編集] 中国史料における任那

日本書紀』(720年成立)よりも古い記述を含み、信頼性が高いとされる。

  • 三国志』魏書東夷伝・弁辰諸国条の「弥烏邪馬」が任那の前身とする説がある。
  • 広開土王碑文(414年建立) : 永楽10年(400年)条の「任那加羅」が史料初見とされている。
  • 宋書』では「弁辰」が消えて、438年条に「任那」が見え、451年条に「任那、加羅」と2国が併記される。その後の『南斉書』も併記を踏襲している。
  • 梁書』は、「任那、伽羅」と表記を変えて併記する。
  • 525年前後の状況を記載した『梁職貢図』百済条は、百済南方の諸小国を挙げているが、すでに任那の記載はない。
  • 翰苑』(660年成立)新羅条に「任那」が見え、その註(649年 - 683年成立)に「新羅の古老の話によれば、加羅と任那は新羅に滅ばされたが、その故地は新羅国都の南700~800里の地点に並在している。」と記されている。類書の『通典』(801年成立)、『太平御覧』(983年成立)、『冊府元亀』(1013年成立)もほぼ同様に記述している。

[編集] 朝鮮半島史料における任那

朝鮮半島史料では任那は次の2つの記載しかない。

  • 『鳳林寺真鏡大師宝月凌空塔碑文』(924年成立) : 大師の俗姓について「任那の王族に連なる新金氏」としており、ここでの任那は金官伽耶を指すとされている。
  • 三国史記』(1145年成立) : 本紀には現われず列伝に1例が認められるのみである(巻46・強首伝:「臣本任那加良人」)。

[編集] 日本史料における任那

  • 『肥前風土記』(713年成立)松浦郡条に「任那」が見え、
  • 『日本書紀』(720年成立)崇神天皇条から天武天皇条にかけて「任那」が多く登場し、
  • 『新撰姓氏録』(815年成立)に「任那」、「弥麻那」、「三間名」と見えている。

地理上、任那が朝鮮半島における日本に最も近い地域であり、重要な地域であったことに由来し、日本の史料が最も豊富な情報を提供している。これらの史料によると日本(倭)は、任那滅亡後に新羅に「任那の調」を繰り返し求めており、従来日本(倭)に対し朝貢していたように書かれている。なお、646年大化2年)、高向玄理が新羅へ派遣され、質(人質の意だが実質的には外交官と推察されている)を送ることと引き替えに、これまで「任那の調」の代行納入を新羅に求めることは廃止され、質として金春秋(後の武烈王)が来日している[15]

に続く代になり、290年頃に八王の乱が起きて中原が乱れると、鮮卑の慕容氏が強勢になって遼東と遼西に進出し、楽浪帯方両郡は中原との陸路の連絡を絶たれ弱体化した。そして高句麗の攻撃を受けて、313年には楽浪郡が、翌314年には帯方郡が滅亡した。346年には前燕(慕容氏)による高句麗の一時的壊滅と、さらに357年の前燕の中原進出に伴う高句麗の再起と、朝鮮半島南部への政治的圧力関係は、めまぐるしく情勢が変化した。この間に朝鮮半島南部の政治状況は一気に流動化したと考えられ、魏代の弁辰弁韓)諸国は任那に再編成されたと推測される。一つの仮説ではあるが、その時期は320年から350年代、しぼってみると345年から355年頃ではないかと考えられる。


[編集] 脚注

  1. ^ 吉田1997 p.74 実際に、『朝鮮史』(山川出版社<新版世界各国史2>、2000年 ISBN 4-634-41320-5)においても、任那については広開土王碑文に登場する「任那加羅」や、弁韓諸国の系統の一小国としてしか扱われていない。
  2. ^ 従来、日本軍による改竄の可能性があるとされてきたが、2006年4月に中国社会科学院の徐建新により、1881年に作成された現存最古の拓本と酒匂本とが完全に一致していることが発表された。
  3. ^ 該当の論考は、鮎貝房之進『日本書紀朝鮮地名攷』国書刊行会 1971年復刊(『雑攷』第7輯上下巻 1937年刊の複製再版)によるもの。(→田中1992 p.37)
  4. ^ 田中1992 pp.31-37.
  5. ^ a b 吉田1997 pp.74-76.
  6. ^ 権珠賢(下)1998 pp.38-39.
  7. ^ 吉田孝は、「任那」とは、高句麗新羅に対抗するために百済・倭国(ヤマト王権)と結んだ任那加羅(金官加羅)を盟主とする小国連合であり、いわゆる伽耶地域とは一致しないこと、倭国が置いた軍事を主とする外交機関を後世「任那日本府」と呼んだと主張し、百済に割譲した四県は倭人が移住した地域であったとした。また、532年の任那加羅(金官加羅)滅亡後は安羅に軍事機関を移したが、562年の大加羅の滅亡で拠点を失ったと主張した(→吉田1997 pp.74-78.)。
  8. ^ 1963年、金錫亨は「分国論」を発表した。この主張によれば、三韓の住民が日本列島に移住し、各出身地の毎に分国を建てたというもの。具体的に加耶人が広島、岡山に、新羅が東北にという主張である。任那日本府の問題は夫々の分国がこれを争ったという解釈である。この論文によって第二次世界大戦前の朝鮮史像が打破され、新しい主体的発展的な歴史像を生み出したとしている。(金錫亨著 朝鮮史研究会編『大和政権と任那』勁草書房、1969 ISBN 4326200014
  9. ^ 井上秀雄は「任那日本府」とは『日本書紀』が引用する『百済本紀』において見られる呼称であり、6世紀末の百済高句麗新羅に対抗するために倭国(ヤマト王権)を懐柔しようとして、『魏志』(『三国志』)韓伝において朝鮮半島南部の諸国を表していた「倭」と、日本列島の倭人の政権とを結びつけて、ヤマト王権の勢力が早くから朝鮮半島南部に及んでいたかのような印象を与えるに過ぎず、実際の『百済本紀』の記述では、任那日本府とヤマト王権とは直接的には何の関係も持たないことが読み取れると主張した(→井上2004 pp.106-107.)。論考は井上秀雄『任那日本府と倭』(東出版、1973)に詳しい。
  10. ^ 沈奉謹編『固城松鶴洞古墳群 第1号墳 発掘調査報告書』(東亜大学校博物館、2005年)
  11. ^ a b 國學院大学「韓国全羅道地方の前方後円墳調査」
  12. ^ 朝鮮学会編『前方後円墳と古代日朝関係』(2002年)では、西谷正は倭人系百済官僚が栄山江流域に存在したと主張し、山尾幸久は、倭人の有力者が百済に移住し、百済女性との間に儲けた二世が外交の使者になっている例を挙げ、そのような倭人系百済官僚の存在を主張した。また、田中俊明は、倭との関係が深く百済と一定の距離を置いていた特定の首長層の墓と主張している。
  13. ^ 門田誠一「韓国古代における翡翠製勾玉の消長」『特別展 翡翠展 東洋の神秘』2004
  14. ^ 早乙女雅博/早川泰弘 「日韓硬玉製勾玉の自然科学的分析」 朝鮮学報 朝鮮学会
  15. ^ 吉田1997 pp.101.

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • 井上秀雄『古代朝鮮』講談社学術文庫、2004年 ISBN 4-06-159678-0(原著『古代朝鮮』日本放送出版協会、1972)
  • 田中俊明『大加耶連盟の興亡と「任那」』吉川弘文館、1992年 ISBN 4-642-08136-4
  • 吉田孝『日本の誕生』岩波書店、1997年 ISBN 4-00-430510-1
  • 森公章『「白村江」以後』講談社、1998年 ISBN 4-06-258132-9
  • 朝鮮学会編『前方後円墳と古代日朝関係』同成社、2002年 ISBN 4-88621-251-4
  • 都出比呂志『前方後円墳と社会』(塙書房、2005)
  • 権珠賢「「加耶」の概念とその範囲(上)」『国学院雑誌』99(2)、1998年、22ページ~35ページ
  • 権珠賢「「加耶」の概念とその範囲(下)」『国学院雑誌』99(3)、1998年、34ページ~42ページ
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