広開土王碑
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広開土王碑(こうかいどおうひ)は、高句麗の第19代の王である広開土王(好太王)の業績を称えるために息子の長寿王によって414年(碑文によれば甲寅年九月廿九日乙酉、9月29日 (旧暦))に建てられた石碑である。好太王碑とも言われ、また付近には広開土王の陵墓と見られる将軍塚・大王陵があり、広開土王陵碑とも言われる。
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[編集] 概要
1880年(明治13年・光緒6年)頃に清の集安(現中華人民共和国吉林省通化地級市集安市)の農民により発見され、翌年関月山より拓本が作成された。高さ約6.3メートル・幅約1.5メートルの角柱状の碑の四面に総計1802文字が刻まれ、純粋な漢文での記述となっている[1]。風化によって判読不能な箇所も存在するが、辛卯年(391年)条の倭国関連記事の干支年が『三国史記』などの文献と1年異なるなどを示すなど、4世紀末から5世紀初の朝鮮半島の歴史、古代日朝関係史を知る上での貴重な一次史料となっている。広開土王碑は現在吉林省集安市の好太王陵の近くに位置している。1961年、洞沟古墓群の一部として、全国重点文物保護単位に指定された。
[編集] 碑文
碑文は三段から構成され、一段目は高句麗の開国伝承・建碑の由来、二段目に広開土王の業績、三段目に広開土王の墓を守る「守墓人烟戸」の規定が記されている。碑文では広開土王の即位を辛卯年(391年)としており、文献資料(『三国史記』『三国遺事』では壬辰年(392年)とする)の紀年との間に1年のずれがあることが広く知られている。また、この碑文から、広開土王の時代に永楽という元号が用いられたことが確認された。
[編集] 辛卯年条の解釈
ここでは倭に関する記述のある二段目の部分(「百殘新羅舊是屬民由来朝貢而倭ロ<耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民」)について通説により校訂し訳す。
- 百残新羅舊是属民由来朝貢而倭以辛卯年来渡■破百残■■新羅以為臣民。
なお、「■を渡り」は残欠の研究から「海を渡り」とされていたが異論もある。
[編集] 三国史記 百済本記 391年
八年, 夏五月丁卯朔, 日有食之. 秋七月, <高句麗>王<談德>, 帥兵四萬, 來攻北鄙, 陷<石峴>等十餘城. 王聞<談德>能用兵, 不得出拒, <漢水>北諸部落, 多沒焉. 冬十月, <高句麗>攻拔<關彌城>. 王田於<狗原>, 經旬不返. 十一月, 薨於<狗原>行宮。
[編集] 碑文改竄説
この記述に関しては、1884年に大日本帝国陸軍砲兵大尉の酒匂景信が参謀本部に持ち帰って解読した、いわゆる酒匂本を研究対象にした在日朝鮮人の歴史学者李進熙や、北朝鮮の学者から、大日本帝国陸軍による改竄・捏造説が唱えられたことがある[2]。その主張は、「而るに」以降の「倭」や「来渡海」の文字が、5世紀の倭の朝鮮半島進出の根拠とするために日本軍によって改竄されたものであり、本来は
- 百殘新羅舊是屬民由来朝貢而後ロ<辛卯年不貢因破百殘倭寇新羅以爲臣民
- 百済新羅はそもそも高句麗の属民であり朝貢していたが、やがて辛卯年以降には朝貢しなくなったので、王は百済・倭寇・新羅を破って臣民とした。
という表記であって、「破百殘」の主語を高句麗とみなして、倭が朝鮮半島に渡って百済・新羅を平らげた話ではなく、あくまでも高句麗が百済・新羅を再び支配下に置いた、とするものであった[3]。しかし、百済などを破った主体が高句麗であるとすると、かつて朝貢していた百済・新羅が朝貢しなくなった理由が述べられていないままに再び破ることになるという疑問や、倭寇を破ったとする記述が中国の正史、『日本書紀』、『三国史記』などの記述(高句麗が日本海を渡ったことはない)とも矛盾が生じる。これに対して、高句麗が不利となる状況を強調した上で永楽6年以降の広開土王の華々しい活躍を記す、という碑文の文章全体の構成から、該当の辛卯年条は続く永楽六年条の前置文であって、主語が高句麗になることはありえない、との反論が示された[4]。
2005年6月23日に酒匂本以前に作成された墨本が中国で発見され、その内容は酒匂本と同一である旨の新聞報道がなされた。さらに2006年4月には中国社会科学院の徐建新により、1881年に作成された現存最古の拓本と酒匂本とが完全に一致していることが発表された[5]。これにより、大日本帝国陸軍による改竄・捏造説が成立しないことが確定した。
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 井上秀雄『古代朝鮮』日本放送出版協会<NHKブックス172>、1972 ISBN 4140011726
- 徐建新『好太王碑拓本の研究』東京堂書店、2006 ISBN 4490205694
- 武田幸男『高句麗史と東アジア―「広開土王碑」研究序説』岩波書店、1989 ISBN 400000817X
- 武田幸男編集『広開土王碑原石拓本集成』東京大学出版会、1996 ISBN 4130260464
- 武田幸男編『古代を考える 日本と朝鮮』吉川弘文館、2005 ISBN 4642021930
- 武田幸男編『広開土王碑』天来書院<知られざる名品シリーズ第二期-4>、2007 ISBN 4887151969
- 武田幸男『広開土王碑との対話』白帝社<白帝社アジア史選書>、2007 ISBN 4891748834
- 水谷悌二郎『好太王碑考』開明書院、1977
- 李進熙『好太王碑の謎―日本古代史を書きかえる』講談社、1973
- 李成市『東アジア文化圏の形成』、山川出版社<世界史リブレット17>、2000 ISBN 4-634-34070-4
[編集] 外部リンク
- 浜田耕策「4世紀の日韓関係 七支刀をめぐる日韓関係」(pdfファイル)付録としてpp.63-81.に〈日本における「広開土王碑」研究文献目録〉を掲載
- 高句麗研究会(日本語)
- 廣開土境平安好太王 碑文