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パネルクイズ アタック25 - Wikipedia

パネルクイズ アタック25

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

パネルクイズ アタック25
ジャンル クイズ番組
放送時間 日曜日13:25 - 13:55(27分)
放送期間 1975年4月6日 -(1637回)
放送国 日本
制作局 ABCテレビ
監修 堤章三
プロデューサー 岩城正良
出演者 児玉清(司会)
沢木美佳子(出題)
音声 ステレオ放送2006年4月~)
字幕 あり
外部リンク 公式サイト

特記事項 :
ハイビジョン撮影(2005年4月 - )

この項目ではについて扱っています。閲覧環境によっては正しい色が表示されない可能性があります。

パネルクイズ アタック25』(パネルクイズ・アタックにじゅうご、英字表記: PANEL QUIZ ATTACK 25)は、1975年4月6日から放送されているABC製作のクイズ番組。一般には単に『アタック25』と呼ばれることが多い。ごく稀に『アタック』とも呼ばれる。司会児玉清(番組開始当初から)、現在の出題は沢木美佳子

目次

[編集] 概要

テレビ朝日系列24局での放送となっている。系列外の富山テレビフジテレビ系列)でも放送中(本放送から20日遅れ)。なお、BS朝日では放送されていない。

当初、放送時間は13時15分からの25分番組だったが、後に30分番組になった。1994年10月2日からは、日曜正午の番組の放送時間を12時55分まで延長するため、13時25分からの30分番組となり、現在に至る。

年末年始と12月第1日曜日の福岡国際マラソン、ならびに全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が放送日に当たる場合を除いて特番による休止がほとんどないが、全日本大学駅伝(14:20 - 14:50に変更)や東京国際女子マラソン(15:30 - 16:00に変更)などのロードレース放送時は、放送時間が変更されたりしている。また、地方局で高校野球などの放送時は、放送時間が夕方に変更されたり、日曜日に放送できなかった分などは次の土曜日などで振り替え放送される。但し、2007年7月29日の回でABCだけは高校野球大阪府大会準決勝の放送の都合で当日の12時30分からに前倒して放送を行った。

この番組の生みの親である堤章三MBSアップダウンクイズ』の生みの親でもあり、構成を長く務めていた。放送開始から18年にわたり構成を務め、現在は監修。1993年より上方演芸放送作家高見孔二が構成を担当。

初代プロデューサーは三上泰生(当時、朝日放送テレビ第二制作部長)。番組送信などの技術畑出身で、『ワイドショー・プラスα』や『ワイドサタデー』、『新婚さんいらっしゃい!』などの番組プロデューサーを務める傍ら、「残響2秒 ザ・シンフォニーホール誕生」と「6chは上方文化や」(いずれも大阪書籍)という著書を残す。

音楽山下毅雄によるもの(代表作にテレビ朝日『クイズタイムショック』や『霊感ヤマカン第六感』など)。この番組のテーマ曲と海外旅行アタック・フィルムクイズ出題中に流れる曲(フライト・トゥ・パリ)は発売されたCDに収録されている。また、オープニングテーマ曲の「アタック!」の声と「口笛」の音は、山下本人のものである。なお、シンキングタイムの音楽、トップ賞のファンファーレ(ごく一部のみ)以外は開始当初から全く変わっていない。

近年、クイズ番組を含むバラエティ番組やニュース番組では字幕テロップが多用されているが、この番組では答えのテロップを出す程度でほとんど用いられていない(代わりに字幕放送でその喋った内容を確認できる)。同じABC制作で前番組である『新婚さんいらっしゃい!』でも字幕テロップはほとんどされていない。

この番組の最高視聴率は近畿地区で24.2%(1979年1月14日放送)、関東地区で21.5%(1980年1月27日放送)を記録している。現在視聴率はほぼ2桁で推移しているが、全盛期に比べるとあまり高くない。最近近畿地区では裏番組のytv'たかじんのそこまで言って委員会』の人気が上昇しており、また関東地区でもTBS噂の!東京マガジン』が視聴率的に健闘していることから、その影響が出ているものと思われる。

不正解時の起立を3問から2問にしたこと、「オープニングクイズ」での不正解時の起立を廃止したことを除き、基本的なルールはほとんど変わっていない(ルールは下記参照のこと)。

[編集] クイズの種類

番組内で出題される問題は普通の出題形式に加え様々な形式が用意されている。

[編集] オープニングクイズ

当初は第1問から読み上げ問題だったが(その際児玉が「今週のアタック25は、この問題からスタート!」と言う)、80年代序盤からオープニングクイズとして登場。最初は「フラッシュオンクイズ」として、黄色のパネルがランダムでフラッシュされるモニターに隠れてる写真の人物を当てる。後に分割された写真が繋ぎ合わさる過程に変更、その後街頭インタビューなどの25のヒントからある人物を当てる志向になり、演出もホームページ風になり、現在はやはり25のヒントからある物を当てる。90年代中盤までは他のクイズ同様間違えるとお立ちとなったが、番組リニューアルの余波でCM後に間違えた解答者がお立ちのまま自己紹介するという異質なケースが少なからずあったため、お手つきでもペナルティなしに変更された。

[編集] 映像クイズ

画面を見て、言葉や物等を当てる問題。

[編集] 音楽の問題

当初は、曲名を当てる問題だったが、現在は3曲流し、つながりがある言葉等を当てる問題である。

[編集] ルール

  • の4色で構成された4人の参加者が、5×5の正方形状に並び、左上から横に向かって1番、2番、…、25番と配されたボードで、オセロゲームの要領でパネルの枚数を競う。
  • 読み上げ問題では、解答者がボタンを押したところで読み上げが止まる。
  • 出題される早押し問題に正解すると、パネルを1つ指定し、そこを自分の色にすることができる。

[編集] パネル獲得のルール

  • 自分の色のパネルで他人の色のパネルを縦・横・斜めのいずれかの方向で挟むと、挟まれたパネルが自分の色のパネルに変わる。挟まれた間に複数の回答者の色が混在する場合も、そのまま正解者が挟んだ色へと変わる。すなわち、単にクイズの正解数を競うことではなく、最終的に獲得したパネルの枚数を競うことが目的である為、パネルの取り方には戦略性が求められる。後述するが「第2問以降の取るべきパネルの優先順位」に関するルール上、第2問をあえて解答せず2枚目のパネルを他人に取らせた方が、かえって有利になる事などが指摘されている。
時には、13→7→1の様に、3問連続正解で角を狙う出場者が現れるが、多くの場合3問目で他の解答者に阻止される。この場合は3問目の正解者が挟まれる恐れがない角のパネルを獲得する事になり、リスクも大きい。13→8→3の様に端のパネルを狙う場合も同様である。
また、いくら正解を重ねても角を取れない事態に陥ることもあるなど、一見「正解してパネルを取る」単純明快なゲームだが、ルール上「四隅を先に確保する」戦術が使えないため、シンプルさの中に複雑な駆け引きが繰り広げられる。
  • まず、第1問の正解者は、中央13番のパネルを獲得する(13番に固定されていなかった時期もある。この時はアトランダムに光るパネルを解答ボタンで押して止めていた)。
    画像:Attack25-panel1-1.png 画像:Attack25-panel1-2.png
    (第1問で赤が正解。自動的に13番を獲得する。)
  • 第2問以降は下記の優先順位に従ってパネルを指定する。
    1. 自分の色で他の色を縦・横・斜めのいずれかの方向に挟める場合、必ず挟むようにパネルを指定する。挟んだパネルは全て自分の色に変わる。
      画像:Attack25-panel2-1.png 画像:Attack25-panel2-2.png
      (白が正解の場合、黄色の枠で囲まれたパネルを指定できる。角の25番は指定できない。この場合では10番のパネルを指定し、14番の青が白に変わる。)
    2. 自分の色で挟めない場合、次の問題に正解したときに挟めるようになるパネルを指定する。
      画像:Attack25-panel3-1.png 画像:Attack25-panel3-2.png
      (緑が正解の場合、黄色の枠で囲まれたパネルが指定できる。この場合では角の5番を指定できる。次に正解すれば3番に入れることで4番の赤を挟むことが可能だからである。)
    3. それでも指定できない場合、点灯しているパネルに接するパネルを指定する(縦・横・斜めいずれでも可)。
      画像:Attack25-panel4-1.png 画像:Attack25-panel4-2.png
      (赤が正解の場合、黄色の枠で囲まれたパネルが指定できる。この場合では角の1番を指定できる。)

[編集] アタックチャンス

  • 残りのパネルが5枚になったところで『アタックチャンス』の問題となる(ただし児玉は、残りが7枚位になってくると「まもなくアタックチャンスに入る可能性あり。お立ちにならないでいきましょう」などと言う)。
  • この問題で正解した解答者は、通常のパネル獲得の他に、大量得点の可能性や今後の展開に有利なパネルを1枚だけ「黄色」にして無効にする(消す)ことが出来る。解答者なし、お手つきや誤答の場合は、正解者が出るまで続ける(放送開始から半年後に採用。当初はスルー、誤答の場合はアタックチャンス消滅)。なお、児玉の「アタックチャンス」コールもチャンス中は正解者が出るまでコールする(児玉はこの黄色のパネルを「アタックチャンスの狙い目」と呼んでいる)。
    • 黄色のパネルは誰も取っていないパネルと同じ扱い。他人が取ったパネルはもちろん、自分が取ったパネルでも指定できるが、消すと逆に不利になったり、他の解答者にチャンスが出てきてしまうような場合でも、どれか1枚を指定しなければならない。但し過去にアタックチャンス時にパーフェクト状態であった解答者に対して、アタックチャンスの狙い目指定の放棄を認めた例がある。その解答者はその後パーフェクトを達成した。
    • だいたいの回は角のパネルが指定されるが、配置によっては端のパネルが狙い目に指定されることもある。一般に、13番に狙い目を指定することはめったにないが、1987年7月5日と1994年2月27日には狙い目に13番が指定されるという珍事が起きた。
      画像:Attack25-panel5-1.png 画像:Attack25-panel5-2.png
      (22番に青が入って、アタックチャンスの狙い目として25番を指定。)
    • アタックチャンスの時点でトップ独走状態にある解答者が正解した場合は、大量のパネルを追加獲得する必要性が小さい。このため、他の解答者にとって以後の展開が有利にならないパネルをアタックチャンスの狙い目に指定して、守りに回ることがある。
  • 児玉が「アタックチャンス後の問題が大事です」と度々述べるように、解答者全員は、その後の問題に正解し狙い目となったパネルを獲得することがさらに重要である。前述のように、パネルが空くことで他の解答者にもチャンスが生まれるからである。
  • アタックチャンス前の「アタックチャンス!!」という掛け声とポーズは、正解時の「正解!!」(現在はこれがほとんど)・「その通り!!」・「結構!!」、不正解時の「そうじゃない!!」、接戦の当事者が不正解となった場合の「立ってしまわれた!!」、あるいは「果敢にアタックしていただいたのですが、(正解となる答え)なんです」の掛け声とともに、番組の隠れた名物となっている。
  • 1996年6月以前はアタックチャンス問題の合図となる鐘(チャイム)を鳴らしたあと、児玉が「それではここでこちら(コマーシャル)をご覧下さい」と言ってCMに入り、その後「アタックチャンス」のタイトル文字とアタック音が流れる趣向だったが、同年7月以降はCMに入る前に児玉が「(大事な大事な)アタックチャンス!!」とコールしてから、一旦CM(2005年~2006年に同点決勝の場合はCMなし。この時は、同点決勝の前にCMが入っていた)を入れて、再開後再び「アタックチャンス!!」のところから再生する。このコールの際、児玉が右手の握りこぶしを微妙に上下させるポーズもまた番組恒例となっている。なお、一時期は解答権を得た出場者が解答する直前まで放送、CMに入って「アタックチャンス!!」から再生していたこともある。
  • 1996年7月以前のアタックチャンスのアタック音は、優勝者に対するフィルムクイズに不正解だった時の音の出だしの部分を加工して使用していた。

[編集] シンキングタイムとお手つき

  • シンキングタイムはおよそ10秒。シンキングタイム用のBGMが流れ、流れ終わっても(時間切れ寸前であっても)、解答ボタンが押された場合は解答する事ができる。但し、画面を見て答える問題と音楽の問題では出題自体がシンキングタイムであるためBGMが流れない(児玉自らが押すブザーが鳴った時点で出題は終了)。
  • お手つき・誤答は児玉自らが押すブザーが鳴り、しおれた感じのBGMが流れ、解答者ははその場で起立(いわゆる「お立ち」)し、続く2問の解答権を失う(児玉が「2問の間御辛抱」や「あと1問御辛抱」と言う)。ブザーが鳴ると解答権を失うため、正解が出ても不正解である(これは他の解答者も押されていることを考慮して即答をしなければならないため)が、第1問目のオープニングクイズにはペナルティがないので、同じ解答者が何回も続けて間違えることもある。
    • ブザーが鳴ると解答席の横にあるランプが2つ点灯し、解答権がない間は起立していなければならない。起立することから、児玉は解答権のない状態を「お立ち」と呼んでいる。2問以上連続して誤答が出ると、次の問題の解答権は2人しか与えられない。
    • ブザーの後は不正解の(立たなければならない)BGMを流す。但し、音楽の問題や画面を見て当てる問題ではすぐ正解確認に入るため流れないが、もちろん起立しなければならない。なお、正解の場合のチャイムやBGMはなく、児玉が「正解!」(現在は「正解!」と言う場合が圧倒的に多いものの、たまに「結構!」「その通り!」と言う場合もある)などと言うことでそれに替えている。
    • 解答権のない間、他の解答者が答えない場合は、そのままランプは1つ消える。従って場合によってはパネルが1枚も埋まることなく解答権が復活することもある。このとき、児玉が「1問得されました」あるいは「1問助かりました」と言う事もある。
    • また、お手つき者がいる場合問題の難易度が上がる。
    • 1995年9月24日(第1033回)放送分まで、解答権を失うのは3問だったが、解答者が4人なので、解答権が1人だけという状況もあった。そのため、収録時間や問題を全部使い切ったりして、ウェストミンスターの鐘(いわゆる「学校チャイムの音」(キンコンカンコン))が鳴って強制終了したこともある。
    • 妊娠している人などは体調の負担を考慮して座ったままで休む形となる例外もあるが(2006年9月3日に放送された芸能人大会において出産直前だったジャガー横田がその例外の1人になった。ペアでの大会だったため、不正解の際はペアを組んでいた夫の木下博勝のみ「お立ち」とした。)、当然座ったまま休むことができても解答権は2問分失う。

[編集] 優勝者(トップ賞)の決定・ウェストミンスターの鐘・賞金

  • 全てのパネルが埋まった時点、用意された問題が全て消化された時点(実質的にはお立ちが非常に多く、VTRの編集が放送時間内に収まらず時間切れという形)でウェストミンスターの鐘が鳴った時点でゲーム終了。
  • 出場者は参加賞と獲得パネルの枚数に応じた賞金(1枚につき1万円)を獲得し、獲得パネルの最も多い人が優勝(すなわち、トップ賞)。万が一枚数が同点の場合には同点決勝(プレーオフ)を行って優勝者を決定、海外旅行を賭けたクイズに挑戦する。
    • 優勝者を発表する時、児玉が「○(色)の○○さんが○枚のパネルをお取りになりまして、充実のパリ・スペイン9日間の旅、挑戦権獲得!!おめでとうございます!!」と絶叫し、ファンファーレが流れる。画面には「充実のスペイン・パリ9日間の旅、挑戦権獲得」の字幕スーパーが写し出される。その後、児玉がトップ賞の賞品を紹介し、沢木が参加賞の紹介をする。
    • 鐘が鳴るのはだいたい年に1~2回程度だが(2002年度は1回も鐘が鳴らなかった)、かつて1995年9月には1ヶ月の間に2回(第1031回・第1033回)もウェストミンスターの鐘が鳴ってパネルが全て埋まらず、ゲーム終了ということもあった。ただし、芸能人大会やチャンピオン大会など特別な大会では時間切れなしで全てのパネルが埋まるまで勝負は続けられるが、その際、途中カットされる部分はダイジェスト形式で編集した上で放送する。特別な例として、1995年5月28日放送の回で、誤答の「お立ち」が非常に多かったため、逆に全てのパネルが埋まるまで続けたこともある。1995年10月1日放送分から不正解による起立を3問から2問に短縮したのは、1995年9月の出来事の影響が大きく、ウェストミンスターの鐘が鳴る確率を低下させて攻撃性を増すためである(1995年10月1日放送分で児玉がコメント)。
    • 賞金は獲得したパネルの枚数によって決められ、放送開始当初は1枚2000円だったが、4000円(1977年4月~1986年3月)、6000円(1986年4月~1989年3月)、8000円(1989年4月~1990年3月)と次第に値上げされていき、1990年4月からは1枚1万円となった。ただし、パーフェクトの場合は25万円ではなく、50万円(これは放送開始以来変わっていない)。このほかに、賞金とは別にトップ賞・参加賞の賞品がプレゼントされる。
    • また、賞金とは別に出演料的なものとして5000円が支払われる(ABCまでの交通費が5000円を超えた場合、交通費もまた別に支払われる)。なお、獲得賞金はゲーム終了後児玉が「パネル獲得数と賞金の額を順に申し上げますが…」と言って紹介していた(現在は行っていない)。但し、夏休みに行う児童・生徒ものの大会では「賞金」とはいわずに、「奨学金」(主に生徒)または「図書券」(主に児童)と表現していた。

[編集] 海外旅行アタック・フィルムクイズ

海外旅行獲得を賭けたフィルムクイズは、パネルの盤上にVTR映像(過去はフィルム映像)を映し、古今東西問わず「ある○○」(人物都市半島日本の年号西暦年文学作品等)を当てる問題。

成績や賞品紹介の後、すぐに優勝者と児玉が簡単な感想を話した後、児玉から「今日はある○○をお当ていただきます。」というようにジャンルが発表され、優勝者が取ったパネルが全部取れた時点で「ある○○、VTR(以前はフィルム)スタート!!」と言ったところで一旦CMに入る。CM明けに旅行の紹介フィルム(VTR)を放送した後、もう一度「ある○○、VTRスタート!!」から再生される。開始当初(単独提供時代)は全ての解答者の成績を述べた後、CMなしでそのまま入っていたが、複数スポンサーになってからは一旦成績発表後CMを挟んでから行っていた時代があった。

フィルム (VTR) 映像はトップ賞獲得者が取ったパネルの部分だけしか見ることが出来ない(オンエアでは残った他の色(時間切れで点灯しなかったパネルを含む)のパネルのうちの1枚にトップ賞獲得者の様子が映し出される。パネルがCG化される1995年9月以前はクロマキー合成により残った白および青のパネルの数字部分が透けて映像が見えていたり、格子の形が見えていた。)。映像はいくつかのヒント映像が流れ、映像の最後に、ある人物ならその人の顔写真、ある都市なら航空写真に市章(ただし、日本にある都市の場合のみ)、ある国なら航空写真に国旗が映される。

映像終了後、児玉に「その○○とは?(西暦の場合のみ「さあ、それは西暦何年?」)」と尋ねられ、5秒以内で正解を解答すると(解答時間は電話の時報のようなカウントダウンの音が流れる)、児玉の「正解!」・「結構!」・「その通り!」と大絶叫、ど迫力あるファンファーレが鳴り、1980年代前半から1995年9月までは天井に吊るされていたくす玉が割られて大量の紙吹雪(色は銀のみ。風船は入っていなかった)とフランス国旗を彩った紙テープが降る中(初めてくす玉が割られた時、児玉は相当驚いていた)、番組開始当初から1980年代前半までと1995年10月以降は電飾が光る中で海外旅行獲得(但しこの場合、画面には一切字幕スーパーは映らない)。誤答・無解答はもちろん、言い直しやタイムオーバー後の正解も不正解となる。不正解の場合はしおれた感じのBGM(初代「アタックチャンス」のアタック音をアレンジしたもの)が流れる。一時期、不正解の時、しおれた感じのBGMが流れている最中にブザーが鳴ったこともあった。かつては旅行を獲得できなかった場合、児玉は司会者席に座り番組が終了していた。

児玉が正解内容を確認する時、全部のパネルが取り除かれて全て見られるようになる(児玉が「見にくいパネルもございましたが、パネルを全部抜いて皆さんとご一緒に○○を確認していきたいと思います」と言う)。現在はその際に画面が中央に寄り、周りはトップ賞獲得者の色がバックとして使われる(画面下にはスタッフロールが流れる)。確認の際、児玉は当初、内容の書かれたメモをポケットに入れていたが、現在は「アタック25」のロゴの入った黒いファイルを持っている。

展開によっては大事な部分が他の人のパネルで隠されて全く見えず(特に、画面下の年代などのヒントのテロップなど)、分かっていたのに答えられなかったというケースも少なくない。これはルールがオセロゲームに類似しているため、「優勝=最多パネル獲得者」は則ち、「辺及び隅の優先的獲得者=画面の中央部は見にくい」という法則が成立してしまうからである。他の3人は分かっていたのに優勝者だけが分からなかったという皮肉なことになってしまったケース、パーフェクトや20枚以上の大量得点を獲得したのに全く分からなかったケース、逆に1桁枚数(7・8・9枚で)での優勝者がわずかに見えた画面から正解を探し当てたケースも少なからずある。問題の難易度は常に一定ではなく、週によってばらつきがあり、サービス問題だと思う回もあれば、難易度が高く誰も答えられそうにないような問題もある。従ってどのような難易度の問題に当たるか、得意・不得意のジャンルに当たるかは運である。なお、児玉はこのクイズを「画(え)当て」と呼ぶ。

エールフランス協賛によるパリ旅行だった時は出題前に「さぁ(トップ賞の解答者名)さん、エールフランスに乗れますでしょうか。パリがあなたを待っております。よろしいでしょうか、ある○○(人物・国・都市・川・島・年号など)、フィルムスタート!!」というコメントとともに出題が始まっていたが、1995年になくなる(「○○行きなるでしょうか、VTRスタート!!」に変更されるが、詳しくは後述)。正解内容を確認した後、児玉が「(解答者名)さん、お見事!! パリにいらしていただきます!!おめでとう!!」とコメントした後、エールフランス機の離陸映像をパネルに映し出して、そのパネルをバックにエールフランスのスチュワーデスより目録(当初は旅行カバン、末期は旅行獲得プレート)と花束が贈呈され、バックミュージックも変更されたが、現在は解答者の前で出題者・沢木から目録代わりの旅行獲得プレートと花束を贈呈されている。

[編集] 出題者

出題者は現在6代目で、歴代の出題者は以下の通りである。

  • あかはゆき(1975年4月6日 - 1976年3月28日)
  • 中村京子(1976年4月4日 - 1980年3月30日)
  • 相沢純子(1980年4月6日 - 1984年9月30日)
  • 豊島美雪(1984年10月7日 - 1993年9月26日)
  • 相馬宏美(1993年10月3日 - 1999年3月28日)
  • 沢木美佳子(1999年4月4日 - 現在)

番組開始当初から10年ほどはパネル操作アシスタントもいて、児玉・出題者・アシスタントの3人で番組を進行していた時期もあったが、現在アシスタントはおらず、児玉と出題者の2人で進行している。パネル操作アシスタントは以下の通りである。

  • 浅井環(1975年4月6日 - 1980年頃)
  • 森昌美(1980年頃 - 1981年頃)
  • 平井悦子(1981年頃 - 1985年頃)

番組開始当初から、児玉は出題者(アシスタント)とともに司会者席に座り、海外旅行クイズの時だけ立って(ハンドマイクを持って)番組を進行したが、1992年10月4日放送分から全編立って進行するようになった(座っている時はスタンドマイク、立っている時はハンドマイクだったが、これらに代わりピンマイクを着装している)。

1993年1月17日1月24日の放送分は、出題者の豊島が急病のため、下村委津子が代役を務めた。

沢木は2008年4月以降も出題を務めているため、豊島の持つ担当9年の記録を抜くことになった。

[編集] 放送時間

  1. 13:15 - 13:40(1975年4月 - 9月 25分)
  2. 13:15 - 13:45(1975年10月 - 1994年9月 25分から30分に拡大。)
  3. 13:25 - 13:55(1994年10月 - 現在 30分)

※フジテレビ系列の富山テレビでは木曜14:10 - 14:40の放送。(それまでは土曜16:55 - 17:25に放送)

[編集] 歴史

この番組が誕生する1年前の1974年4月 - 1975年3月、同じ児玉が司会をした視聴者参加クイズ番組「東リクイズ・イエス・ノー」という番組が東洋リノリユーム(現:東リ[1]一社提供の下、MBS製作でテレビ朝日系列にて放送されたが、1975年3月31日にABCとMBSのネットチェンジ、並びに視聴率の低下などを理由に番組が打ち切られた。ただ、東リ側が自社提供の番組をABCでも継続して制作・放送することを熱望したため、1975年4月にこの番組が誕生。児玉は当初「 - イエス・ノー」の失敗からこの番組を司会することに難色を示したが、東リ側の要請もあって結局はそのまま司会を担当することとなった。よってNET(現・テレビ朝日)など一部の系列局では、制作局が異なるものの児玉司会・東リ提供の番組が継続して放送されたこととなる。(この状況は仮面ライダーがABCとMBSのネットチェンジでTBS系に移ったことによりNETと東映スーパー戦隊シリーズを放送する事になったのと同時である。)

NET系列単独加盟局所在地域でも、広島県では広島ホームテレビが開局した後もMBS制作「 - イエス・ノー」までは諸事情により系列外の中国放送(TBS系)への時差ネットだった。本番組から系列通り広島ホームテレビへのネットとなった。

番組の企画にあたっては、とあるABCのスタッフが家族にオセロゲームを買ったところ、「このオセロゲームを使ったテレビ番組はどうだろう」と言うのが浮かんだ発端だった。

当時のABCは(TBS系列局だったころ)それまで自社制作の視聴者参加クイズ番組はなかった(夫婦、恋愛トーク番組のみ)。TBS製作の番組ばかり(「ベルトクイズQ&Q」「夢の世界旅行・クイズジャンボ」等)だった。

番組開始当初は、まだ一般家庭の半数は白黒テレビだったため、この企画には社内やスポンサーからも難色が上がったという。プロデューサーは「将来テレビはすべてカラーになる」と説得して回った。

1992年9月まではABC制作枠の15秒番組宣伝枠がABC制作全国ネット番組の中で唯一なかったが、翌10月から放送開始。同時に番組ロゴをそれまで台形をモチーフにしたものから現ロゴに一新した。

テレビ朝日系列フルネット局が今より少なかった時期は、いくつかの他系列の局などで数週遅れで放送していたが、現在、テレビ朝日系列局以外での放送は、富山県の富山テレビ(フジテレビ系列)のみ。なお、福井県では福井テレビで放送されていたが、短期間で打ち切られている。宮崎県ではテレビ宮崎(フジテレビ系列)が当初日曜13:00から放送していたほか、現在日本テレビ系列同時枠の金曜19:00枠で放送していた時期もあったが、編成上の都合で1996年10月に宮崎放送(TBS系列)へ移行したものの、結局打ち切りとなった。

1997年4月の時点でこれまでクイズ番組の最長寿だったMBS「アップダウンクイズ」、NHK連想ゲーム」の22年を抜き、クイズ番組の長寿新記録となった。

テレビ朝日「100万円クイズハンター」が終了した1993年10月からテレビ東京決戦!クイズの帝王」が始まる1996年4月までの2年半と、「決戦!クイズの帝王」が終了した1997年3月からフジテレビ「クイズ$ミリオネア」が始まる2000年4月までの3年間は、全国ネットのレギュラー番組で唯一の視聴者参加クイズ番組だった。ただ、「クイズ$ミリオネア」(2007年3月に番組終了)が2006年9月に視聴者参加を取り止めたため、再び唯一の視聴者参加クイズ番組になっている。

2003年4月から字幕放送を開始。2005年4月からハイビジョン化された。2006年4月9日からは番組の音声もモノラルからステレオ放送になった。

[編集] 特別企画

  • 毎年、8月の盆あたりに「高校生大会」と8月下旬に「高校生VS高校の先生」が、9月の第3日曜(敬老の日前後)あたりに60歳以上対象の「熟年大会」が行われる。1994年まで「中学生大会」、1996年まで「小学生大会」が行われた。なお、「高校生VS高校の先生」は1997年から行われている。
  • 年始初の放送はANN系列のうち4局の女性アナウンサー各2人を解答者に迎えた「新春女性アナウンサー大会」を2003年から行っており、この時に限り旧来の解答者本人が自己紹介をする形をとっている。かつては1992年1996年に男性アナウンサーを含めた「アナウンサー大会」を実施した経緯がある。なお、ABCのアナウンサーは社則により出場しない。
  • 毎年9月第1週はタレントやお笑い芸人の2人1組、計4組が解答者として出場する「芸能人大会」が行われる。なお、上記の「アナウンサー大会」同様、出題場面が途中でダイジェストの扱いとして放送されることがある。
    • 2006年9月3日の芸能人大会にて司会の児玉の物真似でお馴染みの博多華丸が相方の博多大吉と組んで解答者として出演、児玉と二人でのWアタックチャンスが実現し、出場者及び後方の応援席の方々まで拍手と爆笑が溢れた。また、華丸・大吉は最後の問題を答え、華丸自身で「ラストコール」をした。解答者は林家木久蔵(現・林家木久扇)・三遊亭好楽ペア(元・兄弟弟子)、山口もえ魚住りえペア(同じ事務所所属)、ジャガー横田木下博勝夫妻、華丸・大吉。提供クレジットをはさみながらのエンディングでは、解答者全員で「アタックチャンス!!」の掛け声とポーズを唱和した。(この方式は、2007年のチャンピオン大会でも取り入れられた。)また、この日の放送は、普段行われていない番組宣伝まで行われる程の回となり、これ以降、最低1問は、児玉の「その通り!○○!!(○○は、出された問題の答え)」と言っているシーンが映されるようになった。なお、この回では山口もえ・魚住りえペアが優勝したが、フィルムクイズは不正解。ちなみに、華丸・大吉の地元・福岡県(北部九州地区)での視聴率は19.8%(近畿地区12.9%・関東地区11.6%)を記録した。
    • 2007年9月2日には、お笑い芸人大会を開催した。解答者はアンガールズカンニング竹山ダンディ坂野ペア(同じ事務所所属)、ハリセンボンブラックマヨネーズ。(アンガールズが優勝したが、フィルムクイズは不正解)
  • 毎年、最終放送となる本番組の放送は前年12月からその年の11月までに優勝した解答者から獲得枚数が多かった上位4人が登場し『年間チャンピオン』を決定する「アタック25 チャンピオン大会」が行われている。近年は12月第3日曜に行われている。2004年度からはまず年間の獲得枚数(得点)上位10人を対象とした予選クイズを行い、そこで3点獲得した4人で決勝戦を行うというシステムを取り入れた(誤答2回で失格・退場となる)。
  • 1989年1月15日に放送された『700回記念大会第1弾』「4強激突!プロ野球大会」ではセ・パ両リーグの2強の選手とファンのタレントが出場、優勝したジャイアンツチーム(後述)がフィルムクイズをおまけの正解(フィルムクイズの本来の正解は大阪球場であるが、通称だった難波球場でおまけの正解)で成功、パリ行きを獲得したが、この際トップ賞となったチームを応援していた観客1人にもパリ旅行がプレゼントされた。
  • 1989年1月22日(700回記念大会第2弾)、1990年4月8日(15周年記念大会第2弾)、1991年1月20日(800回記念大会)の3度、各大学のクイズ研究会やサークル25人が1チームとなって4大学対抗で戦う「大学対抗!100人の大サバイバル」を実施。各大学、代表者1名が解答席に着いてクイズに答えるが、お手つき・誤答や相手に正解された場合は、その人は失格で、次の代表者に交代するという特別ルール(後期『アメリカ横断ウルトラクイズ』の「空席待ちクイズ」のようなルールだが、こちらはもちろん団体戦)で実施。当然25人全て失格になった大学は、その時点で敗退。そのため、1989年の700回記念大会第2弾で放送された最初の大会では、通常のルールでは不可能な6枚獲得で優勝するという事態が起きた(18枚獲得していた大学がいたが、25人全員失格で敗退したため。)。なお、海外旅行への挑戦権は、優勝したチームで最終的に残ったメンバー全員にあり、正解した場合は、残り人数分の旅行を獲得となったが、6枚で優勝した大学はフィルムクイズで不正解(正解:ロバート・キャパ)、パリ旅行は獲得できなかった。1990年の15周年記念大会第2弾ではC.W.ニコルを、1991年の800回記念大会では坂口安吾を見事正解して、パリ行きを獲得した。
  • 1995年3月に「20周年記念大会」が開催され、まず全国各地で予選が行われネット局ごとに代表1人が選ばれ、さらにそれらを東日本・西日本別に予選大会を行い(形式は早押しクイズで4人勝ち抜き→従来のパネルクイズ)それぞれ獲得パネルの多かった2名が選出。グランドチャンピオン大会では神奈川県の東大生が優勝(賞金50万円を獲得)して、フィルムクイズもマハティール・ビン・モハマドで、パリ行きを獲得した。
  • 数年に一度、過去5年以内(またはそれ以上)に出場者で惜しくも海外旅行を逃した人、解答出来ずに終わった人、あるいは正答できてパネルを獲得するも最後は0枚という残念な結果に終わった人たちのためのいわばリベンジ大会である「夢をもう一度大会」がある。優勝出来なくとも、獲得パネル1枚だけで喜ぶ人あり、海外旅行獲得リベンジ達成の人ありなど、夢を再び与えるという画期的な企画も持っている。
  • 2004年4月には番組開始30周年(正式には満29年だったため、30年目突入)記念大会と銘打って、特別に過去5年以内の出場者も参加できるようにして、3週間に渡る「史上最強のクイズ王決定戦」を開催した。これは全国を東西に分けてまず予選クイズを行い、勝ち抜いた4人が本戦に進出。それぞれの2位までに入った参加者が、3週目に開いた決勝戦を争うというものだった。優勝したのはFNS1億2000万人のクイズ王決定戦初代チャンピオンで「20周年記念大会」でもグランドチャンピオン大会まで勝ち残った人だったが、フィルムクイズで大伴家持を外し、残念ながら海外旅行獲得を逃した。

[編集] 冠スポンサー

この番組の冠スポンサーは以下のように移り変わっている。2000年7月以降は冠がつかず、単に「パネルクイズ アタック25」として放送されている。

  • 1975年4月 - 1986年3月: 東洋リノリユーム(現・東リ)(一社提供)「東リパネルクイズアタック25
  • 1986年4月 - 1986年9月: 冠スポンサーはないが、東洋リノリユーム・小林製薬の二社提供だった。
  • 1986年10月 - 1987年3月: アルインコ(一社提供)「アルインコパネルクイズアタック25
  • 1987年4月 - 1992年3月: 日興證券日興投信日興パネルクイズ アタック25
    • ここから複数社提供になり、1992年3月 - 9月は冠が外れた。
  • 1992年10月 - 2000年7月: 東リ「東リパネルクイズアタック25

[編集] 番組出場

解答において人名の場合は、日本人の場合は姓と名のフルネームでなければならないが、外国人の場合はフルネームでなくてもよく、判別できる程度でよい(これは予選でも適用される)。但し、フィルムクイズは外国人もフルネームで答えなければならないことがある。そのため、苗字または名前しか答えられず、結局不正解になってしまったこともある。

番組収録は従来、大阪市北区大淀南のABC本社Aスタジオで行われていたが、2008年4月から社屋の移転により、福島区福島のAスタジオでの収録となっている。このため、エンディングでのスタジオ全景のカメラ位置も変更された。

クイズ王によるクイズ荒しを防ぐため、一度本選に出場すると、5年間は本選に出場することができない(ただし、「グランドチャンピオン大会」などの特別企画で特例として5年以内でも出場できることがある)。その5年間の沈黙を経て再び出場する者も多い。

[編集] 予選

予選は基本的にANN系列局の放送エリアごとに(関東地区予選はテレビ朝日ではなくABC東京支社、ANN系列局がない富山県は富山テレビ)行われる。そのため、かつては住所を都道府県名から書かなければならなかった。

予選は専用の用紙に氏名などの他に自己アピールを記入することから始まる。予選問題は全30問(制限時間8分)の筆記形式で、いわゆる「クイズによく出る問題」と時事問題がバランスよく出題される。解答の際、誤字・脱字がある場合は不正解となる。ただし、漢字がわからない場合はその漢字をかなで書いても問題はない。筆記予選が終わると答案用紙が回収され、即採点される。その後は名前を呼ばれた人のみ面接に進めるが、それ以外の人はその場で「お帰り」となる。面接に呼ばれるのは基本的には得点上位者だが、ある程度得点できていれば、面接に呼ばれることもある。この面接に受かれば、予選に合格となる。予選に合格すればすぐ出場というわけではなく、向こう1年間の出場資格が与えられたということになる。実際に出場が決定するのはABCより電話連絡が入った時である。1年待っても連絡がなければ出場資格が消滅する。なお、指定された収録日に都合が悪く、出場を辞退したとしても、合格してから1年以内であれば再びお呼びがかかることもある。なお、出場が決まっていない間なら、出場資格を持っている間にも予選に参加することは可能で、その予選に合格すれば出場期限を延長できる。

1975年の放送開始以来、出場者募集ははがきのみだったが、2004年春頃からはインターネットでも募集されるようになった(現在は携帯電話でも募集している)。また、出場者募集のお知らせは数ヶ月に1回だけ行っていたが、現在は番組中アタックチャンスに入る前のCM明けに告知され(無いときもある。)、1年を通じて行われている。また、音楽問題の正解確認時と旅行獲得クイズ前のインタビューを行っているときに各放送局別で送出マスターのテロップで出場者募集のお知らせ表示を行うときもある

2006年10月3日、横浜市立大学医学部に通う19歳の少年が優勝したが、予選の筆記試験でカンニングしたことをmixi上のブログで暴露していたことが発覚。2ちゃんねるを中心に騒がれ、一部の新聞などにも掲載された。その後、この少年はカンニングを否定。放送元の朝日放送はこれを不問とした。

[編集] 備考

[編集] 解答者後方の応援席

1994年頃までは観覧者を一般から募集していたが、現在は出場者の身内・友人とアルバイトしか観覧席に座ることができない。

1992年9月までは観覧者がトップ賞の予想を行い、予想が的中するとプレゼントが贈られた。プレゼントの内容は、番組オリジナルグッズや、スポンサーからの賞品などだった。その為支持(応援)する色の観客席に座る人のばらつきが発生していた。観覧者にはそれぞれの色のシートを持たせて、番組序盤で上げていた。このようなトップ賞予想のプレゼントは、フジテレビの「なるほど!ザ・ワールド」「クイズ・ドレミファドン!」でも行われていた。1985年頃には、フィルムクイズの前に各解答者の応援人数をコンピューターで表示していた。

初期の頃は、司会の児玉の呼びかけとともに、番組の冒頭でギャラリー(観客・応援者)が4人の解答者の誰がトップ賞になるかを各々予想し、自分が支持する解答者の後方にある「応援席」へ移動し着席する様が、番組テーマがBGMで流れる中、映し出されていた。なお、この移動に要す時間はかなり長くなるためBGMは延々と流れ「♪パネルバヤ~ パネルパヤ~ パネルアタック~ アタッ!25 アタッ!25」(のちに「♪25~25~パネルクイズ25」)のフレーズが印象的であった。なお、トップ賞獲得者を的中させたギャラリーには当時のスポンサーからの賞品が贈呈された。なお、現在はこの制度は廃止され、番組冒頭時点から各解答者の後方にはギャラリーがすでに着席している。

[編集] 解答者紹介

1994年4月3日までは本人による自己紹介(解答ボタンを押した後に自己紹介に入るもの)で、翌週4月10日からは出題者のナレーションによる紹介に。1996年10月からは序盤終了後に児玉が紹介し提供クレジットとCMとなった。2005年1月以降、現在はオープニングクイズが終わった後に紹介する形になっている。

以前は「パーソナルクイズ」と呼ばれる解答者それぞれにちなんだクイズも出題された。オープニングクイズから3問出題後に行われる形式で、赤から順に4人の解答者に関するエピソードの関連問題を1問ずつ計4問出題。司会者とのやりとりは直接の対話とエピソードの一節を紹介するケースの2通りであった。なお年間チャンピオン大会では解答者がそれぞれトップ賞をとった回のフィルムクイズの答えの関連エピソードから出題した。クイズは全員に解答権があった。初期には、各解答者の生年月日の朝日新聞に載ったニュースから出題するクイズだった。


[編集] 優勝者・海外旅行に関する記録

番組での25枚パーフェクトを達成した解答者はこれまでに11人いる。ちなみに、1998年10月以来パーフェクトは出ていない。かつては副賞として「パーフェクト賞」なるものも存在した。

年に数回はあわやパーフェクトかというシーンはあるが、筋違いやパネルの配置上アタックチャンス後1、2問後にはその可能性が消滅することが多く、実際は数年に1人程度しかパーフェクトは出ない。ましてや最後の1枚でパーフェクトの権利を残すこと自体もほぼ年に1回程度である。

この番組は最低7枚で優勝(海外旅行挑戦権獲得)となるが、1989年1月の大学サバイバルでは6枚で優勝となった。これはパネル獲得数トップだった大学が、25人いた解答可能メンバーを全部使い切って失格となったため。ちなみに、この時は旅行挑戦に失敗している。

なお、最低トップ枚数の7枚で優勝したのはこれまでに5人おり(最近では2007年10月14日放送分)、そのうち2人は旅行挑戦に成功している。また、1985年6月9日放送ではたった3問正解で優勝・パリ挑戦権を獲得した人がいる。

年によっては優勝する色が偏っている傾向にある(一例:2006年度の白席は年間18勝と2位の赤席(12勝)を大きく引き離している)。また数週間全く勝利が無かった時もあった(一例:2006年9月3日から2007年2月25日まで青席は23週連続で敗退)。

これまでの旅行連続成功の最長記録は、1987年5月 - 7月にかけての8週連続というのがある。逆に旅行連続失敗の最長記録としては、2003年7月27日 - 9月21日2006年9月24日 - 11月19日の9週連続というのがある。

色別でも勝利してない時を入れて海外へ行っていないこともある。例えば赤席は2007年7月1日から2008年5月18日まで海外旅行を獲得していなかった。

ここ最近、20枚以上で優勝した挑戦者はなぜか海外旅行をかけたフィルムクイズと相性が悪く、2005年6月19日放送分の成功を最後に13人連続で失敗している。

[編集] 海外旅行

海外旅行は初回からエールフランスで行くパリ(パリの他にニースカンヌディジョン、あるいはタヒチ)だったが、1995年10月放送分から旅行先はアメリカ合衆国ニューヨークフロリダディズニーワールド)、ドイツスイスローマオーストリアミラノと変化。2008年4月からは充実のスペイン・パリ9日間の旅となっている。

1975年以来、オープニング映像にエールフランスの旅客機が飛び立つ映像が使われていたが、パリ旅行中止とともに消滅した。2007年4月1日放送分で、旅行先がパリ・ミラノに変更されたことに伴って、久々にエールフランスの旅客機が飛んでいる映像が、オープニングクイズで流された(2008年4月からのスペイン・パリ旅行の時にも適応された)。

フランス旅行が中止になったのは、1995年にフランス政府がムルロア環礁核実験を行ったことに対する抗議とされている。そのため、この出来事以降、1995年9月放送分まで収録した日付のテロップを表示したり、児玉のコメントの1つである「エールフランスに乗れますでしょうか?」を「海外旅行獲得なるでしょうか?」と変更するなどの対応に追われた。このような対応は、2004年頃のTBS『関口宏の東京フレンドパークII』でも行われた(ダーツの景品の1つだったパジェロを発売している三菱自動車工業がリコール隠しを起こしたため、応援団の「パジェロ!パジェロ!」を「車!車!」に変えた。)。

2001年4月、ようやく旅行先にパリが復活。但し、エールフランスではなく、日本旅行会社が主催するツアーとの提携である(2002年2004年ANAハローツアー、2005年4月からは近畿日本ツーリスト提供となっている)。なお、現在は違うが、児玉は長らく樫山文枝と近畿日本ツーリストのCMに出演。

旅行先が何年かに一度は変わるため、紹介するVTRもその際に変わる。そのVTRには数秒だが児玉と沢木の姿が映る。

旅行先が変更される際の1か月間は、通常のオープニングクイズが、旅行先にまつわる問題に変更される。また、これが実施されると、通常の映像(ビジュアル)クイズ(2008年1月6日以降の問題の流れは、アナグラムの問題〈芸能人の名前の文字を並べ替えて出題し、元になっている芸能人の名前を当てる)→駅弁クイズ(各地の駅弁の写真を出し、どこの都道府県のものかを当てる〉→漢字クイズ〈2008年4月からの内容は、出されるヒントから共通する部首を当てる〉)と音楽の問題で、合計4問が途中、読み上げ問題の間に挟まれるが、これらのクイズが1 - 2問分削減される。

[編集] パネルボードと解答席

  • 番組初期の頃は、25枚のパネルの左右両サイドに上向きの矢印(当時のスポンサー東洋リノリユーム(東リ)のマーク)を図示した10個のランプが縦並びにあり、シンキングタイム(10秒)には、シンキングのBGMとともにそのランプが下から1つずつ順に点灯していき、解答時間切れを表していた。
  • 現在、地上デジタル放送でこの番組を見ると、画面右端の空きエリアの部分に現在の4人取得パネル数が常時表示されている。
  • 現在の解答席は7代目である。2001年9月30日放送分からパネルの枚数表示がランプから液晶に替わっている。

・初代 1975年4月~?
・2代目 ?~1984年9月?
・3代目 1984年10月?~1986年3月
・4代目 1986年4月~1992年9月
・5代目 1992年10月~1995年9月
・6代目 1995年10月~2001年9月
・7代目 2001年9月~

  • 現在のパネルボードの書体は3代目である。初代は角張った文字、2代目はゴシック体になり、解答席と同様に、2001年9月30日放送分から3代目になった。

・初代 1975年4月~1984年9月
・2代目 1984年10月~2001年9月
・3代目 2001年9月~

[編集] セットの変遷

この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

[編集] 関連書籍

  • 1983年11月1日に『アタック25』の書名で、大泉書店より発行された。大きさは新書判で、全1250問・219ページで構成されている。8 - 9ページの目次に「パリ挑戦者(向かって左)を激励する児玉清さん」という写真があるが、このときのトップ賞とパリ旅行挑戦権を獲得したのは、滋賀県の大学生・早川浩一だった(彼は獲得パネル数10枚、フィルムクイズである人物・「ガンジー」を見事正解してパリ旅行を獲得。長寿クイズ番組で1冊しかクイズ本が発行されていない中で、唯一掲載された挑戦者である)。
  • 当然ながら現在は絶版で古書店でも探すのが難しく、ネットオークションでは当時の定価(650円)の数倍から十数倍もの高値で落札となるケースが多い。

[編集] ゲームソフト

  • 富士通パソコンシステムズ: プレイステーション版・Windows95版・Macintosh版のゲームソフト(全て1997年)を発売していた(他に100万円クイズハンターのゲームも発売された)。
    • PS版: ゲーム内容はオープニングからエンディングのフィルムクイズに至るまで実際の番組(発売当時)の流れを完全に踏襲しており、司会の児玉も実写ムービーで登場するなど、番組の雰囲気の再現性は非常に高い。クイズゲームとしても、問題数の多さに加え、一度出題された問題はセーブデータに記録されて出題の優先度が下がるなど、独自の仕様により高い評価を得ている。他にもクイズだけで楽しむモードや、逆にクイズなしでスロットマシンを使ったモードが楽しめる。また、「勝ち抜きアタック」モードで優勝し、フィルムクイズを正解すると、「ニューヨークの様々な光景」がテーマの映像が流れ、そのあとに「勝利の言葉」が表示される。この言葉、応募券とともに自身のプロフィールなどを郵送すると、先着500名にオリジナルグッズが貰えた。
    • PC版: PS版では予選がなかったのに対し、こちらは応募ハガキの記入から始まり、予選の筆記試験、面接を合格できれば番組出場と、実際の番組参加手順を更に忠実に再現している。
  • デジキューブ(のちに倒産): プレイステーション2版のゲームソフト(2002年)を発売していた。
    • PS2版: PC版と同じく応募ハガキの記入からスタート。まれに、予選会の通知ではなく「近所のスーパーの特売」といったものが届き、その時点でゲームオーバーになることがある。予選もある程度再現されており、筆記試験、面接が行われる。面接の受け答えによっては、ミニゲームに挑戦することもある。本戦では、1問目はおてつきなし、パネルが規定の数だけ埋まると、「画面を見て答える問題」「音楽を聞いて答える問題」が出題されるなど、本戦の雰囲気を最大限に踏襲している。他にも専用マルチタップで最大4人まで対戦できるパーティモードがある。さらに、ある条件を満たすと、新しいモードが追加される。また、タイトル画面でコントローラー2のR1を押すことでパネルシミュレーター機能が利用できる。なお、海外旅行挑戦権クイズに使われる音楽はオリジナルである。

[編集] 補足

  • オープニングの挨拶は番組開始から数年間は「さぁ、25枚のパネルにアタックしましょう!パリです」と言った後、その季節ごとのパリ・フランスの風景を描写した紹介の後、「東リパネルクイズアタック25、司会の児玉清です」「問題を差し上げます〇〇(出題者)です」「アシスタントの〇〇です」「どうぞ、よろしくお願いいたします」だったが、現在は「こんにちは、パネルクイズアタック25、児玉清です」「問題を差し上げます沢木美佳子です。今週もパリ・スペイン9日間の旅を目指して頑張って下さい」の挨拶である。
  • あと、海外旅行アタッククイズの時と、かつてのエンディングで児玉が常に「パリがあなたを待っています!!」と言ってた。
  • また、番組開始当初のオープニングでは、エールフランスの飛行機が離陸するシーンから、25枚のパネルを使って番組タイトル、そして解答者の写真や各色を矢継ぎ早に変えていき、最後に「25」の赤文字が浮かび上がるというパネルの演出をバックにスタッフロールを流していた。併せて、山下作曲のテーマソングもフルコーラス流れていた。
  • 初回から数回は、児玉が一分間ほど、パネルの取り方等のルールを説明していた。
  • 開始当初はパネルの取り方のルールが十分に把握できず、時間切れも頻発していた。
  • 現在番組スポンサーのひとつであるジャパネットたかたのTVショッピング(CM)は、高田明社長が「今日は、(商品名・機器名)にアタックします!」と言っている。
  • 児玉清は番組開始当初から司会を務めているが、児玉が腹膜炎に伴い入院したため、1984年10月14日10月28日放送分は板東英二が代役を務めた。このことが1000回記念の時のアタックチャンスの問題にも取り上げられ、その時のVTRも放映された。また番組上で話題になる度に児玉は、板東に対し感謝の意を述べている。
  • 番組初期のオープニングは、テーマソングに合わせて色を切り替えたりクロマキー合成を駆使して解答者などのアップの写真を表示していた。
  • 日本テレビとテレビ朝日のクロスネットとして開局した静岡県民放送(現在の静岡朝日テレビ)は、開局した1978年7月から1979年6月まで『TVジョッキー』をネットするために30分繰り上げ12:45~13:15に放送していた。静岡放送が1979年3月まで『新婚さんいらっしゃい!』のネットを手放さなかったための代替策でもある。1979年7月に日本テレビフルネット局の静岡第一テレビが開局し、静岡県民放送がANNフルネット化してからは同時ネットに移行している。
  • 川崎フロンターレ 2007年8月25日川崎市等々力スタジアムで行われた日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)1部・ガンバ大阪との試合で「アタック25日」と題したコラボレーション企画を行った。
    • この企画では博多華丸を迎え、「川崎フロンターレ、大事な大事なアタックチャーンス!!」「青のガンバ大阪さん、もう1試合ご辛抱!」といったフレーズのPRや、当日のスタジアムのフロンターレ応援席(メインスタンドとバックスタンド)で「水色のフロンターレさんお見事!!青のパネルが水色に変わる!!」という合図とともにガンバのチームカラーの青色からフロンターレの水色へと観客が持ったパネルの色が変わる(青色の紙を落とし、その裏に持っていた水色のビニールシートを入場中の選手達に見せる)というパフォーマンスを行った。(参照:フロンターレ公式[1]
    • なお、博多華丸は福岡市出身で、故郷のJリーグチームであるアビスパ福岡を応援しているが、この年はカテゴリーが違う(アビスパは2部所属)という理由でフロンターレからの依頼を引き受けたことを自らのブログで説明した。
  • 競走馬にも「アタックチャンス」がいた。2000年生まれの牡馬騙馬で、2002年にデビューしたが、平地競走10戦0勝(2着・3着各1回。4着以下8回)、障害転向後も4戦0勝(全て4着以下)の合計14戦0勝(2着・3着1回ずつ。4着以下12回)で2003年に競走馬を引退した。(詳細こちらを参照
  • 2007年9月5日フジテレビ平日正午に放送されている『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに、司会の児玉がゲスト出演した際、『いいとも!』司会のタモリが「(2007年)8月頃から、アタック25で“正解!”っておっしゃってますよね、どうしてですか?(タモリの発言は8月であるが、正式には同年6月頃にはじめた)」と尋ねると、児玉が「私のモノマネをして下さっている(博多)華丸さんが、“その通り!”や“結構!”と真似して下さるので、それを自分が真似しているのではないかと思い、“正解!”と言うように変えた」というエピソードを語っている。
  • かつてライバル局のMBSが、ちょうど重なる時間帯にローカルのクイズ番組をぶつけていた。特に「クイズGoGoZ」はネット局(HBCCBCRKB)で放送されるなど好評だったが、「アタック」に視聴率面で遠く及ばず短期間で終了している。
  • 他系列がこの時間帯(日曜13時台)の広告料金をゴールデンタイムより低く設定しているのに対し、テレビ朝日系列局はゴールデンタイム並みの料金に設定している(つまり最高ランク)。
  • 他局でのパロディーは非常に多いが、ABC自身もたびたびパロディーの題材にしている。「ごきげん!ブランニュ」では、「アタック25やろう!」という企画で、出演者が本物のセットと出題者で普通に1回分のアタック25をやるだけというのがあった(問題は「喜連瓜破」という地名が正しく書いてあるのはどれか答えるなど、関西ローカルに特化したものだった)。2006年夏に放送された「ブラマヨ最強宣言」では、本物のセットと出題者であるにもかかわらず、吉田敬が特定の解答者を勝手に正解にしたり、でたらめな場所のパネルを一度に何枚も取らせるなど、ABC自身がアタック25の権威を傷つけるような内容だった。なお、ブラックマヨネーズは、前述の通り2007年9月の「芸能人大会」に出演した。
    • さらに、同局の関西ローカルの深夜番組『クイズ!紳助くん』の大晦日スペシャルでは、アタック25のパロディ企画が行われ、島田紳助が児玉になりきった。
      • この時、トップ賞だった板東英二大河内奈々子ペアがフィルムクイズで正解し、賞金100万ウォンを獲得した。ちなみに2001年末に放送された時には沢木が既婚者だったことも紳助からバラされ、更に「25枚のパネルに一色に染めたチームは沢木さんを持ち帰っても構いません」等と島田紳助が過度にいじっていた。更に2002年の年末特番では「児玉さんが今年お亡くなりなりましたので代理で私が司会を担当します」や島田紳助が沢木を散々いじってその為か動揺してしまい、本家では考えられないミスを連発(噛んでしまう、笑ってしまうなど)してしまったことから島田紳助が「今沢木さんの体調が弱っています。沢木さんにアタックチャンス!!」等本放送では考えられない展開だった。
      • なお、紳助の「アタック25」は、2006年3月20日にABCの番組対抗クイズ「番組ナンバーワン決定戦」(ABC開局55周年記念特別番組)の決勝で行われ、2008年5月6日には「朝日放送新社屋完成記念 番組対抗No.1スペシャル 〜オールスター大集合!おめでたバトル〜」の決勝として行われた。2006年3月20日分では「朝だ生です旅サラダ」チームが優勝したもののフィルムクイズ(ある番組=プロポーズ大作戦)は誤答。2008年5月6日分では「ビーバップ!ハイヒール」チームが優勝、フィルムクイズ(ある人物=福澤諭吉)も正解し、フィルムクイズ正解の賞金100万円を獲得した。
  • 最後の海外旅行挑戦権の問題において、日本国内の地名・人名に関する問題が出題される場合は、大体その地域にあるANN系列局が協力している。

[編集] スタッフ(2008年06月現在)

[編集] 過去のスタッフ

  • プロデューサー:河野雅人、月村潔、吉田多満子、野条清、秋山利謙
  • ディレクター:岡本悦治、野条清、及川瑞葉、鳥海久慎

[編集] 脚注

  1. ^ 東リカーペット・アタックシリーズは「アタック25」の名称にちなんでいる

[編集] 外部リンク

[編集] 番組の変遷

朝日放送(近畿ローカル、本番組開始以降はANN系列) 日曜13:15 - 13:45→13:25 - 13:55の枠
前番組 番組名 次番組
家族そろって歌合戦
TBS・ABC他JNN系列共同制作)
※13:15 - 14:25
ここまでJNN系列
毎日放送に番組及び共同制作移行)
パネルクイズ アタック25
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ANN系列 日曜13:15 - 13:45→13:25 - 13:55の枠
末廣演芸会
(関東ローカル。地域により別編成)
※13:15 - 14:00
(枠移動=16:30 - 17:15)
パネルクイズ アタック25
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