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ガッツ石松 - Wikipedia

ガッツ石松

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ガッツ石松
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基本情報
本名 鈴木有二(すずき ゆうじ)
通称 鈴木石松
階級 ライト級
国籍 日本
誕生日 1949年6月5日(59歳)
出身地 栃木県鹿沼市(旧粟野町
命日
死地
スタイル オーソドックスガッツファイトスタイル
プロボクシング戦績
総試合数 51
勝ち 31
KO勝ち 17
敗け 14
引き分け
無効試合

ガッツ 石松(ガッツ いしまつ、英:Guts Ishimatsu、本名:鈴木有二(すずき ゆうじ)、1949年6月5日 - )は、日本の大学教授、俳優タレント広島国際学院大学現代社会学部客員教授。元プロボクサー。元WBC世界ライト級チャンピオン。

栃木県鹿沼市(旧粟野町)出身、血液型はO型。

目次

[編集] 概要

ガッツ石松はヨネクラジム所属で、WBC世界ライト級チャンピオンであった。ボクシング引退後はタレント、俳優として活躍している。

当初は、鈴木石松というリングネームだったが、試合で少しでも形勢が悪くなると、試合放棄に近い行動を取り勝てる試合を落とすことがしばしばだったので(※日本の世界王者の中でチャンピオンになる前に10敗以上しているのは石松のみである)、ガッツのあるボクサーになってくれるようにとの思いを込めて今の名前に改めた。因みに「石松」の由来は「死んでも直らないほどのおっちょこちょい」という森の石松から。三度笠の潮来スタイルでのリングへの登場にも迫力があった。

ボクシングの試合後、握りこぶしを握った状態で上へ向けて万歳をしたような独特の勝利のポーズをしたことから、そのポーズが「ガッツポーズ」と名づけられたといわれている。ガッツポーズは、右手が自分のための喜びを示しており、左手が観客に対する喜びという意味があるらしい。

1996年森喜朗の勧めで第41回衆院選東京9区から自由民主党公認で出馬したが落選、多額の借金を抱える。最近では、テレビのバラエティー番組に出演するなどタレント活動を主とする。バナナが大好物である。

一般にはかなりの天然ボケキャラクターとして広く認識されているが、これはテレビ出演(主にバラエティー番組)向けの演技である。事実、ボクシング解説や講演活動などでは論理的かつ正確な分析を行なうなど人生経験で培った聡明さを持っている。 また世相問題や政治経済に対する知識も日頃のキャラクターと対比すれば持ち合わせており、これらを問うクイズ番組の正答率は決して低くはない。 (自著によれば当初は晒し者になる事に元世界チャンピオンのプライドとの狭間もあり悩んだという。)バナナ好きな事でも有名だが実際にはこれも営業用であるという。

[編集] 大学教授としての活動

広島国際学院大学現代社会学部客員教授に就任した。

[編集] ボクシング活動

  • 1966年プロデビュー。ボクサーとしてはこの時代のオーソドックスな「早い(左)ので崩して強いの(右)を入れる」タイプだが、土壇場での打ち合いを嫌ったとされ倒れ癖と揶揄される面もあった。ヨネクラと契約していたエディ・タウンゼントの教えを受けている。
  • 1969年、全日本ライト級新人王。同期の新人王にウェルター級の輪島功一がいた。
  • 1970年1月25日、世界王座挑戦がほぼ決まっていた、東洋ライト級王者・ジャガー柿沢(中村)の前哨戦の相手に選ばれるが、番狂わせの一方的な判定勝ちを収め、柿沢に代わって世界挑戦権を得る。
  • 1970年6月6日、パナマでWBA世界ライト級王座挑戦。イスマエル・ラグナ パナマ)に13回TKO負け。
  • 1972年1月16日、5ヶ月前にKO負けしている門田新一(三迫)の東洋ライト級タイトルに挑戦。今度は判定勝ちで王座奪取する。試合後「今の目標は、生意気ですが、ブキャナン(当時WBA王者)です」と語ったが、3年後には王者としてこのブキャナンの挑戦を受けることになる。
  • 1973年9月6日、WBA世界ライト級王座挑戦。石の拳ロベルト・デュラン パナマ)の持つ世界ライト級王座に敵地で挑戦し、一時健闘するが10回KO負け。試合の勝敗以前に石松の「こりゃ勝てない」という諦めの早さに米倉健司会長は怒ったという。石松も後に全盛期のデュランの余りの強さに「もうだめだ、いつ頃倒れようか。余り早く倒れると敵地なので何が起こるかわからない。結局は自分から倒れちゃったみたいなもの」という主旨の事を後に語っている。
  • 1974年4月11日、東京・日大講堂で、WBC世界ライト級王座挑戦。ロドルフォ・ゴンザレス メキシコ)に8回KO勝ちで王座奪取。戦績59勝50KO5敗、しかもその前5年間の敗北は一階級上の名王者アントニオ・セルバンテス コロンビア)に喫した1敗のみという王者に対し、石松の戦績は26勝14KO11敗6分であったため、下馬評は石松の圧倒的不利の予想であった。だが、試合が始まってみると、石松は絶好調で、毎回ほぼ互角の打ち合いが続いた。8回、石松のパンチを吸収し、動きがやや重くなった王者に対し、石松は強烈な左フックをヒット、すかさず右をフォローし王者からダウンを奪った。ややレフェリーのカウントはロング気味で、何とか立ち上がったゴンザレスから、すかさず石松は2度目のダウンを奪う。ところが、レフェリーはこれを「スリップ」と判断し、なおかつキャンバスに倒れた王者を助け起すルール違反を犯す。セコンドの米倉会長、エディ・タウンゼントらが激高、抗議のためリングに上がりかけるほどの事態だったが、石松は冷静に「大丈夫。倒すから」とセコンド陣を制したのち、その言葉どおりにコーナーでゴンザレスを乱打して、今度こそマットに完全に沈めた。最初のダウンを奪ったパンチは、本人曰く「ワンツーパンチ」だが、左・右のスピードが速く相手には右腕の動きが見切れない事から、“幻の右”と評された。トレーナーのエディ・タウンゼントも「今日のイシマツ、新しい力入ったのよ。」と驚いたほどの会心の出来だった。この試合は本来3ヶ月前に行われるはずであったが、ゴンザレスがクモに噛まれたために延期になった。後に、ガッツは「この3ヶ月の延期によってスタミナを付けることができた。私には運があった。」と述べている。この対戦から32年後に番組の企画で再会した際、ゴンザレスも貧しい家に生まれたこと、ボクシングの世界チャンピオンになったこと、そして、引退後に俳優になったことなど、あらゆる点で共通していたことを知る。
  • 1974年9月12日、愛知県体育館でチュリー・ピネダ メキシコ)を相手に初防衛戦、風邪をひいて最悪の体調のため、苦戦するが、辛くも引き分けで初防衛に成功。
  • 1974年11月28日、大阪府立体育会館で、ロドルフォ・ゴンザレスとのリターンマッチに12回KO勝ち。2度目の防衛。
  • 1975年2月27日、東京体育館で、前WBA王者であり、世界1位の指名挑戦者ケン・ブキャナン イギリス)相手の防衛戦を行う。この試合まで56勝25KO2敗の戦績を誇るブキャナンは、超一流のテクニシャン、ややローブロー気味のボディブローでデュランにKO負けし、WBA王座を奪われたものの、その後3年間は負けなし、石松自身を始め、日本の一流どころがいずれも勝てなかった李昌吉( 大韓民国)にもKO勝ちしていた。序盤は石松がブキャナンの左に合わせて、威力ある右を再三ヒット、ブキャナンは左目が腫れてふさがったが、中盤はブキャナンが全盛期を思わせるスピードで石松の廻りを動きながら、左ジャブを再三ヒットし、ポイントをリードした。これに対し、石松は12回、左右を風車のように振り回す「ケンカ殺法」でブキャナンのペースを乱し、最後の3Rはほぼ一方的に打ちまくって3者一致で判定勝ち、WBCは、この月の月間MVPに石松を選出した。最強の挑戦者ブキャナンを下した事で、石松の評価は揺るぎないものになった。
  • 1975年6月5日、大阪の近大記念体育館で、前回引き分けているチュリー・ピネダと再戦、今回もやや手こずったが、終盤はアウトボクシングするなど、ピネダの攻勢をかわし、3者一致の判定勝ちで4度目の防衛に成功。このあたりから、ライト級の体重維持がだんだん苦しくなる。
  • 1975年12月4日、東京・日大講堂で、アルバロ・ロハス コスタリカ)を苦戦の末、14回に右アッパーで倒し5度目の防衛。「13kg減量」が話題となったが、実際には19kg減量、しかも試合前1ヶ月間で10kg落としたと言われている。
  • 1976年5月8日、エステバン・デ・ヘスス プエルトリコ)に15回判定で敗れ王座陥落。この試合、経済的に後進国だったプエルトリコが、当時としては異例の20万ドルを石松のファイトマネーに用意したことから、ヘススへの期待と石松の人気が窺える。
  • 1977年4月2日、WBC世界Jウェルター級(現・Sライト級)王座に挑戦するが、センサク・ムアンスリン タイ)に6回KO負け。この試合、石松にとって1年ぶりの試合であり、約15キロの減量を余儀なくされていたため勝算の少ない挑戦であった。一方で、王者のムアンスリンは、親しい友人に「彼の「右」がいつ来るかと神経を使った。早くKOできて助かった」と話していたという。
  • 1978年、後の日本Jミドル級王者・新井容日(大星)に判定負けし、引退。

生涯戦績は、51戦31勝(17 KO)14敗6分。

[編集] 俳優活動

主な映画出演作品に、『青春讃歌 暴力学園大革命』(内藤誠監督)、『太陽の帝国』(スティーヴン・スピルバーグ監督)、『ブラックレイン』(リドリー・スコット監督)、『ミンボーの女』(伊丹十三監督)、『野ゆき山ゆき海べゆき』(大林宣彦監督)、『スペーストラベラーズ』(本広克行監督)等。

自ら監督・企画・脚本・製作・製作総指揮を務めた作品に『カンバック』がある(『カムバック』は誤記)。マニアからは『シベリア超特急』に並ぶカルト映画の逸品と評価されている。しかし多額の借金はこの時の映画製作費を回収できなかったことにあるとも言われている。

最近では主演映画『ガッツ伝説 愛しのピット・ブル』が2006年1月に公開された。また『カンバック』に続く映画製作第2弾となる『罪と罰』(仮題)も構想中とのことである。

テレビドラマでは、『おしん』(原作・脚本:橋田壽賀子)、『北の国から』(原作・脚本:倉本聰)、『太陽にほえろ!』(ゲスト出演)をはじめとして多数出演。また、テレビ朝日『TRICK』シリーズでは、甘い物好きの人面虫「ガッツ石まっ虫」を演じた。また円谷プロ作品にも度々出演しており『ぼくら野球探偵団』ではレギュラーで一人二役をこなし、『ウルトラマン80』と『ウルトラマンティガ』にゲスト出演している。

プロボクサーから俳優に転向したときは、「ボクシングで有名になったからといって、俳優などできるはず無い」と反対されたというが、彼はただ少年時代から憧れだった俳優高倉健と共演したかっただけらしい。そもそも東京に来てボクサーになった動機が「有名になって健さんと共演したかったから」だと後に語っている。俳優転向後、ハリウッド映画『ブラックレイン』のヤクザ役でその夢を見事果たした。今では、そうそうたる面々と仕事をしており、個性派俳優として地位を不動のものとしている。現役時代、顔を打たれることを極端に嫌っていたのも引退後の俳優活動が念頭にあったからなのかも知れない。ちなみに、芸域が広いとは云い難いが、その演技の評価は決して低くはない。

[編集] テレビ

[編集] タレント活動

現在数多く存在する元ボクサータレントの草分け的存在である。

1974年4月11日(木曜日)の夜に国鉄(現JR)のストライキの中、ほぼ超満員に集まってくれたファンと、職場を早退せざるを得ず、テレビの前に座ることのできた多くのサラリーマンボクシングファンの前で堂々と世界新王者になった翌日、12日(金曜日)が芸能界デビューの日と考えられる。金曜夜22時からの日本テレビ系『うわさのチャンネル』に出演したガッツは「僕さぁ、ボクサーなの」という、今でこそ有名だが当時は相当寒いギャグを3発繰り出しただけだった。

その後は、クイズ番組の解答者などにおける珍解答、何を聞いても「OK牧場」と答えるあっけらかんとしたところがバラエティで受け、ゲストとして重宝される存在となっている。但し「クイズダービー」では、番組開始当初の1976年に、かつて5枠レギュラー解答者として約半年間出演し、97勝94敗・5割0分8厘(平均5勝5敗ペース)という高い正答率を残している。しかし、1990年3月の大橋巨泉勇退時と1992年12月のクイズダービー最終回では、久々にギャンブラーとして出演したものの、賭け方が下手でいずれも賞金額は0円の結果となっている。

バナナ好きで有名であり、家のそこら中にはバナナが置いてありいつでもバナナが食べられるようになっている。某番組[1]の寝起き早食い選手権でもすぐにバナナを食べる驚異的な記録を持つ。但し、番組内で目隠しをして何を食べたか当てるコーナーに出演し、バナナで問題を出されたが「コロッケ」と答えてしまい当てることが出来なかった。ちなみに、初めてバナナを食べたのは、ボクシングでファイトマネーを手に入れてからだという。現在はバナナは安価で容易に入手できるが、当時は高価な果物であった。

2004年には、はなわのネタから生まれたCDシングル『伝説の男~ビバ・ガッツ~』にてブレイク。ガッツ自身の存在感を見せつけたほか、天然ボケを武器とする、一流ボクサー出身タレント(輪島功一具志堅用高平仲明信ら)の再認知に寄与している。

また、テレビ朝日系放送の「タイムショック21」に出演し、モザイクがかかっている画像を答える問題でなかなかボタンを押さなかった。彼曰く「モザイクが全部消えてから答えるかと思った」と話す。また同番組ではセットの豆球を勝手に外したりしていた。

ガッツがときおり繰り出すギャグは、天然ボケ半分、計算半分の絶妙なブレンドによって生まれるものであり、彼が愛される理由ともなっているのである。

[編集] OK牧場

以前からガッツ本人が多用していたが、はなわの唄う『伝説の男 ~ビバ・ガッツ~』のヒットやガッツ本人のいわゆる“伝説”をまとめた本のベストセラー化等によって、2004年流行語の一つとなった。

自身のホームページに記載されている由来(※)によれば、自身の監督映画『カンバック』を制作するにあたり、映画『ララミー牧場』で知られ、自身の憧れの俳優でもあるロバート・フラーに出演してもらうこととなり、撮影で(監督であるガッツにとって)フラーが最高の演技をしてくれたのに感激して、思わず口をついて出たのが、この言葉であったという。これ以降、何か良いことがあると、「OK牧場」と言うようになったそうである(一部要約)。
なお、「OK牧場」と言う言葉自体はガッツが使う以前から、心理学用語や映画『OK牧場の決斗』などで存在しているが、これらの語句の読みは“「おーけー」牧場”であるのに対し、ガッツは“「おっけー」牧場”と発音しており、厳密に言えば違う語句であると言えなくも無い。

(※) 自身のホームページ開設前、モーニング娘。がMC(司会進行)を担当する番組において「OK牧場の決斗」に由来すると語った事もある。

[編集] OK農場

なかなかお目にかかれぬ言葉に、OK農場というものがある。これは、OK牧場よりも格が下に位置づけられていて、芳しくない場合に使用するらしい。例えば、2006年8月2日に行われた、TBS中継による、亀田興毅のWBA世界ライトフライ級王座決定戦の試合結果について、「よくがんばったが、OK牧場とは言えない。OK農場だな」(要約)などとコメントしている。

[編集] 代表的ギャグ

  • OK牧場!(NO牧場、単に「牧場」など変動あり)
  • サムタイムときどき
  • 僕さぁ、ボクサーなの
  • チョウチョとパピヨンがいっしょに飛んでた
  • 黙って喋れ!

[編集] エピソード

  • 東洋ライト級王者時代、池袋の路上で弟にからんだヤクザ8人を相手に喧嘩をし、たった一人で全員KOしたという伝説的な事件を起こした(この事件の新聞の見出しは「石松、場外で8人KO」だった)。ただし現行犯逮捕された(後に正当防衛を認められ釈放された)。その時の事情聴取でガッツは「チャンピオンは“いついかなる時でも誰の挑戦でも受けなければならない”と賞状に書いてある」と言い訳したため、これ以降チャンピオンに渡される賞状からその文言が削除されている(本来は「組まれたマッチメイクを受ける義務」の規定である)。ちなみにさすがのガッツでも8人と同時に喧嘩をしても勝ち目はないと判断したのか、細い路地に誘い込み8人に対して常に「1対1」で勝負して勝ちを収めた。「1対8」ではなく「(1対1)×8回」を選んだ戦術的には正しい判断であり、格闘センスの高さを窺わせる。
  • 1973年3月、元プロボクシング世界フェザー級王者西城正三が、キックボクサー藤原敏男とキックルールで対戦。有名な異種格闘技戦の一つだが、藤原の回し蹴り、ハイキックを浴び西城の3RTKO負け。これにガッツは「キックボクシングシャモのケンカだ」と発言。この発言に激怒した藤原が挑戦を表明し挑発したが、対戦が実現する事は無かった。
  • 1974年4月11日、東京・日大講堂でWBC世界ライト級王座獲得直後、有名なガッツポーズを披露している時に、祝福のためにガッツの夫人と娘がリング上まで駆けつけた。
  • ライブドアの株も買ったことがあるが中々上がらず売った矢先にいきなり高額で取引された。
  • ダウンタウン浜田雅功にすれ違ったとき「よう!やっちゃん!」と挨拶したが浜田は誰のことを言ってるかわからなかった。それでもガッツは「何で無視するんだよう。おーい!やっちゃん!」と叫び続けていたらしい。
  • 番組の収録中に話をほとんど聞かなかったため陣内智則にツッコミとして頭を叩かれ、「痛ぇなこの野郎」と怒り、殴ったり蹴ったりしてスタジオから帰ってしまった事がある(但し、その後陣内が謝罪に来てくれて和解が成立)。
  • スティーヴン・スピルバーグ監督の映画に出演したとき、珍しい格闘家の出演に監督から「なぜオーディションを受けたんだ?」と聞かれて、「事務所が行けというから…」と答えた。
  • 娘の鈴木佑季とともに、日本バナナ輸入組合主催の「第一回勝手にバナナ大賞」を受賞。その授賞式とトークショーは、8月7日のバナナの日に、無事執り行われた。ちなみに、副賞としてバナナ1年分が進呈され、テレビメディア等芸能ニュースによると、非常に上機嫌だったそうだ。
  • TBS2006年8月2日に中継したWBA世界ライトフライ級王座決定戦における亀田興毅勝利の判定について、各メディアは業界関係者のインタビュー映像を連日放映していた。ガッツ石松もその一人である。インタビュー映像や、同件に関してコメンテーターとしてワイドショーに出演した際など、あまりにもまともに、淡々と意見を述べるため、「ガッツ石松=天然ボケ」という一般的イメージとのギャップにより一部視聴者に衝撃を与えた。ただしワイドスクランブルにおいて、興毅がアウェーでの試合を一度も経験していない事が議論になり司会に意見を求められた際、「アウェーって何?」などという、プロボクシング経験者とは到底思えない質問をして周囲や視聴者の笑いを誘った事もある。
  • その後、テレビ東京9月18日に中継したWBC世界スーパーフライ級暫定王座決定戦の川嶋勝重(川嶋の師匠である大橋秀行はヨネクラの後輩)戦にゲストで招かれる。ダウンを奪った川嶋がスプリット・デシジョンで敗れ、亀田戦同様「疑惑の判定」と言われかねない試合だった。しかし、贔屓目なしの独自採点を中継中に公表し、これが功を奏してか高視聴率を獲得し、局には感謝の電話が鳴り止まなかった。ちなみに採点はジャッジ2名と同じ114-113で川嶋の負け。これによりJBCが採点公開を始めるなど影響を与えた。
  • ボクシング評論家として活躍していた1989年4月のテレビ朝日系木曜プレステージで特集された「ボクシングを救う座談会」の主要ゲストで呼ばれた時に、中村浩美キャスターから「ボクシングをやって良かったことは?」と聞かれた時に、「世界中至るところに行くことが増えたが、その時によく『お前は誰だ?』と聞かれるが、『俺はロベルト・デュランと戦った男だ』と言えば、どこの国でも認めてくれるのが良かったことだ」と答えたところは非常に素直で彼らしい言葉であると言える。
  • 日本テレビ「元祖どっきりカメラ」で嵌められた事がある。若者たちに人生は何たるか云々と講演する為に呼ばれたが、遅刻して来る者、ガッツの話を聞かず騒ぐ者などがガッツを徐々に怒らせていく。しまいには全員でガッツに対して帰れコールが飛び交う中、野呂圭介がプラカードを持ってネタばらしをする設定。ところが、ガッツがあまりにもカンカンになってしまい、野呂のなだめる言葉も全く耳に入ってなかった様子。
  • 粟野町役場庁舎内(現在、鹿沼市役所粟野支所庁舎)に、「粟野町出身の名誉人」として、額入りの顔写真を掲げられている。
  • アップダウンクイズ」のゲスト解答者として出場した際、小池清が「そして、問題を出すのは…」と言った時点で早押しボタンを押し「佐々木美絵」と答えた。しかし、2007年12月にTBSラジオで放送された「こちら山中デスクです」にゲスト出演したとき、小池は真っ向からこれを否定した。
  • WBA世界フライ級タイトルマッチのデビット・グリマン対井岡弘樹の試合で解説者として出演した際、井岡弘樹がストップ負けしたときに「スタンディングダウンを取れ。」と叫んだ。この試合にはスタンディングダウンはなく、実況のアナウンサーに「この試合はスタンディングダウンはないんですよ。」とたしなめられた。
  • ボクシングコメンテーターとしての質は高く、流れにのまれずに意見をいうところが特徴的である。
  • 探偵!ナイトスクープの小ネタ集にて、トラックがバックするときに言う「バックします」のアナウンスが、「ガッツ石松」に聞こえるというネタがあった。又、タモリのボキャブラ天国CX)でも同様のネタが投稿されている(実際にそう聞こえる)。

[編集] 歌手活動

以下のシングルを発売している。

  • 『石松おとこ節』(1974年)
  • 『男のうた』
  • 『気がかり』
  • 『人生男道』(1992年)
  • 『恋人ができたなら』(1995年)
  • 『気』(1999年)
  • 『ガッツ人生 ワッショイ祭り~OK牧場~』(2005年)

[編集] 著書(共著を含む)

  • 『生き残りケンカ哲学』(NP出版)
  • 『ガッツ石松の人生タイトルマッチ 抱腹絶倒』(フットワーク出版、1983/04) - ISBN 4906175023
  • 『10キロならすぐやせられる―食べて飲んで脂肪を落とす9日で10キロ減量法』(青春出版社、1984/10) - ISBN 441301362X
  • 『男・石松のガッツエンターテイメント―新人生タイトルマッチ』(フットワーク出版、1989/01) - ISBN 490617552X
  • 『ガッツ流人生ラウンド』(近代映画社、1992/04) - ISBN 476481689X
  • 『神様ありがとう俺の人生』(維摩書房、1999/04) - ISBN 4795276846
  • 『うつ病を克服した男―元手10万円から年商100億円を実現 香山次郎の半生』(研光新社、2001/03) - ISBN 4874549845
  • 『最驚!ガッツ伝説』(光文社、2004/07) - ISBN 4334974562
  • 『鈴木佑季の最驚バナナレシピ~ガッツ石松父娘の愛情料理~』(中経出版、2004/10) - ISBN 4806121126
  • 『最驚!ガッツ伝説2』(光文社、2004/11) - ISBN 4334974694
  • 『鉄腕ガッツ!!』(ベストセラーズ、2004/12) - ISBN 4584188483
  • 『人生はOK牧場!』(幻冬舎、2004/12) - ISBN 4344007263
  • 『遠くで笑い聲が聴こえる』(実業之日本社、2005/05) - ISBN 4408592471

[編集] その他

  • 2008年1月9日より、読売新聞水曜夕刊内『ムチャぶり大作戦』と題したコーナーに、SHEILAと隔週で紙上登場。“ガッツ将軍”として、様々な『指令』を出している。

[編集] 笑っていいとも!テレフォンショッキング

[編集] 関連人物

  • ビートたけし:70年代に入って漫才界から衝撃的にメディアに登場し、ラジオの深夜番組として当時多くの若者に人気のオールナイトニッポンのパーソナリティを務めた。放送中でも特に人気を博したのは、ガッツと村田英雄の大ボケぶりをからかうコーナーだった。とはいえ披露されていたネタのほとんどはリスナーハガキ職人から寄せられた作り話である。
  • はなわ: 2000年に入ると、ガッツ石松がテレビ番組に出演した際の発言をネタとした『伝説の男~ビバ・ガッツ~』を歌う。日本テレビ系のバラエティーテレビ番組『エンタの神様』等で披露されたものがCD化、2004年6月30日に発売される。
  • 嘉門達夫: 同じくガッツ石松の発言を題材にした楽曲『ガッツ石松伝説』を歌う。その他、何度もアルバム製作に参加。『ガッツ石松伝説』のCDは2002年に発売。
  • 鈴木佑季: ガッツ石松の長女、タレント・歌手・ラジオパーソナリティー。
  • 輪島功一: ガッツと同じく元プロボクサー。ガッツの友人でもあり、たまに共演する。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

前王者

ロドルフォ・ゴザレス

第12代WBC世界ライト級王者

1974年4月11日 - 1976年5月8日

次王者

エステバン・デ・ヘスス

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