元祖どっきりカメラ
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元祖どっきりカメラ(がんそどっきりかめら)は、日本テレビ系列で放送されていた人気バラエティ番組。
[編集] 概要
前身は1969年から同局で放送された、『何でもやりまショー』(司会は宍戸錠・高松しげお)という番組中の1コーナー『どっきりカメラ』。
その後金原二郎アナウンサーを総合司会に迎え、1970年10月より『どっきりカメラ』の題名でレギュラー番組としてスタート。放送は1年足らずで終了するが、その後1973年に放送開始した木曜スペシャルの枠に移動、単発番組として放送されるようになる。司会は当初は金原だったが、のちに『何でもやりまショー』時代から出演している宍戸錠と石川牧子アナウンサーに交替した。
番組の内容は、仕掛け人がターゲットを騙し、ターゲットが驚いたところに赤いヘルメットを被った野呂圭介が“どっきりカメラ NTV”と書かれたプラカードを持って登場するというもので、このスタイルは首尾一貫していた。騙されるターゲットは主に芸能人だったが一般人の場合もあり、ネタとしては仕掛け人が単純に担ぐ(騙す)ものや驚かせるもの、女性の水着が溶けるといったお色気ものなど様々であった。
番組初期に一般人を後ろから不意に蹴って逃げ、その後にプラカードを持って笑ってごまかすも蹴られた一般人が本気で怒ってしまい、本気で蹴り返されたあとにプラカードを逆にかざされ“どっきりカメラ”としたオチもあった(ちなみにこれはやらせではなく、本気で怒った一般人の報復。野呂は本気で痛がっていた)。他にも日本テレビの幹部もターゲットとなり、当時編成局長だった萩原敏雄(現・副社長)もパイ攻撃に遭った。
中でも特筆されるネタは“仕掛け人”として登場した玉川良一が熊の着ぐるみを着てターゲットを驚かすはずが実は玉川が騙されており、本物の熊と勘違いした男たち(実はこちらが仕掛け人)に猟銃を向けられて囲まれたところ『俺だよ俺だよ、玉川だよ!』と叫んで命乞いをするというもので、この時の玉川の悲惨さと滑稽さは当時大きな話題となり、今日においてもこの番組を語る上で欠かせないものとなっている。
林家ペーが半レギュラー出演し、毎回騙されていたことから、視聴者に番組構成上の「やらせ」の存在を認識させた点も看過できない。
その後、野呂の降板が契機となり番組は一旦終了。その後司会に高橋英樹、プラカード役に笑福亭笑瓶を起用して新作が放送されたが結局定期放送には至らず、その後同局系列ではこの形式の番組は単発特番以外での放送はない。
なお、芸能人を驚かせるという類似番組として『スターどっきり(秘)報告』(フジテレビ系)や『ビートたけしのD-1グランプリ』(テレビ朝日系)や『スター(秘)どっきりテレビ』(テレビ東京系)。『タモリのいたずら大全集』や『卍くりぃむVS芸能人卍卍爆笑どっきり作戦卍』が放送されている。
本番組が終了して長い現在でも“ドッキリもの”としてどっきりカメラのコンセプトは、様々な番組内の企画やコーナーとして楽しまれている。
[編集] 番組関連の著書
- 「どっきりカメラに賭けた青春」(元スタッフの塩川寿一氏の著。日本テレビ放送網、1996年)