梓みちよ
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梓 みちよ(あずさ-、1943年6月4日- )は、日本の歌手。福岡県福岡市博多区出身。本名・林 美千代。1960年代から1970年代を中心に数曲のヒットを飛ばした。アメリカンポップスから歌謡曲まで幅広いレパートリーを持つ。
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[編集] 略歴
1961年、宝塚音楽学校在学中に渡辺プロダクションのオーディションに応募し合格。学校を中退し、上京し契約する。約1年間のレッスンを経て、1962年に"ボサノバ娘"のキャッチフレーズでキングレコードより「ボサノバでキッス」でデビューし、歌手として本格的に活動を始める。1963年、夢であいましょう/今月の歌として発表された『こんにちは赤ちゃん』が空前の大ヒットとなり、同年のレコード大賞も受賞し、人気歌手としての地位を確立。さらには1964年(昭和39年)5月、東京・文京区の椿山荘で開かれた学習院初等科同窓会に招待され、昭和天皇の御前でこの歌を披露し、芸能界には数少ない天覧歌手となる。その後も「ポカンポカン」「ねむの木の子守唄」「渚のセニョリーナ」「お嫁さん」などヒットを出したが、昭和40年代中頃は人気が低迷する。昭和46年に俳優の和田浩二と結婚したが翌47年離婚している。
デビューから1960年代は清純歌手のイメージで売っていたが本人の意向もあり、1970年代以降は大人の女路線へとイメージチェンジしていき、1974年に「二人でお酒を」を大ヒットさせ、イメージ転換を見事成功させた。昭和50年代以後も「淋しがりや」「赤いサルビア」「メランコリー」「銀河系まで飛んでいけ!」「よろしかったら」「淋しい兎を追いかけないで」などのヒットを飛ばし健在振りを示した。また1971年7月から1978年2月まで「新婚さんいらっしゃい!」の2代目アシスタントを務め、好評を博した。現在でも意欲的に芸能活動を行っている。
[編集] エピソード
- 1970年代後半から一時期、犬歯にダイヤモンドを埋め込んでいた。
- 1960年代は清純派のイメージとして売っていたが、実際は10代の頃から飲酒や喫煙を行っているなど清純とは程追いものでそのイメージが嫌で仕方なかったと方々で発言している。
- コンサートの際には下着をつけないで臨む(2006年のプレ45周年コンサート前の取材にて発言)
- 東尾修との関係を30年以上取り沙汰されており、梓自身は「大人の関係です」とコメント(東尾はノーコメント)。
- バイセクシャルの噂があり、それが原因で和田浩二と離婚したと言われている(そのことでの離婚では無いと梓の母は当時否定)。ただし近年梓本人はバイセクシャルであることを仄めかす発言をテレビやステージで度々行っている。
- 福岡市・ツルタバレエ・宝塚音楽学校出身の後輩小柳ルミ子から宝塚退団の際、渡辺プロとの契約の便宜を図ったり芸能活動のいろはについて相談をうけ、助言を行ったといわれており、そのこともあり二人の親交の深さは知られていたが、2000年頃より小柳が長年自身でも語っていたこの話を否定し「自分から(渡辺プロダクション)売り込みに行った」と発言するようになる。そのことに梓が激怒しテレビ番組等で反論。以来不仲と噂されている。
- 「さんまのまんま」第69回(1986年10月6日)に出演した時、明石家さんまの発言に対し激怒し、シャンパンをさんまに対してぶっ掛けた。このことでマスメディアからバッシングを受けた事がある(後に梓はさんまへブレスレットを贈り謝罪している)。このシーンはさんまのまんま名場面として時折番組内で放送される。
- 和田アキ子が競演を拒否している先輩歌手として、一部芸能誌に報道されたことがある。昭和時代は競演も多くあったが後年「アッコにおまかせ」にて『梓みちよは大嫌い』と名指しで批判し、その理由として"居酒屋で山田邦子をいきなり殴った(真偽不明)"というエピソードを話している。また、和田のデビュー当時イジメを行っていた先輩歌手という噂もある。
- 愛犬家としても知られ、飼い犬のポメラニアン(レイン)を溺愛。犬の名をつけた楽曲(内容は全く犬とは関係ない)や著書(「ウチの子、犬じゃありません」)まで出している。
- 自身の持ち歌である「こんにちは赤ちゃん」を長年コンサートで封印し歌わなかった(テレビ番組などではその限りでは無かった)。その理由は「この歌は今、私にとって重すぎる」「今更この歌は私には似合わない」などだったが、2002年の400周年記念コンサートでのアンコールの際に「初めて、心からこの歌の素晴らしさを理解することが出来た。こんなイイ歌を今まで歌わなかったのか、情けない」と言い、封印を解き歌唱。以後はステージでも必ず歌うようになった。
- そのステージングには定評があり、「イイ歌は古い歌でも後輩の歌でも関係なく歌っていきたい」と歌謡曲からタンゴ、シャンソンなど幅広いジャンルをこなしている。舞台の研究のために仕事を休業し、アメリカで各地のステージを鑑賞し、それを取り入れるなど、そのプロとしての姿勢は高く評価されている。
- 2006年4月1日から1年間オスカープロモーションに所属。契約の際には「最年長美女」と大々的に報道された。
[編集] 代表曲
- 『こんにちは赤ちゃん』(作詞:永六輔 作曲:中村八大。NHK『夢であいましょう』1963年7月の歌。番組内で募集した譜面の応募総数が1万通を超える大反響となる。同年11月に発売されたレコードは100万枚を超える大ヒット。同年、第5回日本レコード大賞受賞曲となり、翌1964年センバツ高校野球の開会式行進曲にもなった)
- 『リンデンバウムの歌』
- 『忘れたはずなのに』
- 『ポカン・ポカン』
- 『渚のセニョリ-ナ』
- 『月夜と舟と恋』
- 『二人でお酒を』(作詞:山上路夫 作曲:平尾昌晃。歌いながら、地面に座る格好をする独特の振り付けでも有名)
- 『小心者』(作詞・作曲:中村泰士)
- 『二日酔い』
- 『メランコリー』(作詞:喜多条忠 作曲:吉田拓郎)
- 『よろしかったら』(作詞:阿木燿子 作曲:筒美京平。日本専売公社「パートナー」CMソング)
- 『トマトジュースで追いかえすのかい』(作詞:阿久悠 作曲:大塚博堂 編曲:後藤次利)
[編集] テレビ
[編集] ドラマ
- お嫁さん(1)(1966年6月-12月、フジテレビ=日活) 主役の山縣まち子役および主題歌。
[編集] バラエティ
- 新婚さんいらっしゃい!(朝日放送) 2代目サブ司会者(1971年7月-1978年2月。1975年3月まではTBS系、同年4月以降はNETテレビ→テレビ朝日系で放送)
- 11PM(日本テレビ) 金曜版2代目サブ司会者(1982年6月-1984年9月)
[編集] 声優(吹き替え)
- 知りすぎた男(ドリス・デイ)ー 「声がドリス・デイ」に似ているということで起用された。