ドリス・デイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Doris Day ドリス・デイ |
|
1955年の『情欲の悪魔』でのドリス・デイ |
|
本名 | Doris Mary Ann von Keppelhoff |
---|---|
生年月日 | 1924年4月3日(84歳) |
出生地 | アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティ |
国籍 | アメリカ合衆国 |
ジャンル | 歌手、映画女優 |
活動期間 | 1939年 - 1986年 |
ドリス・デイ(Doris Day、1924年4月3日 - )は、アメリカ合衆国の女優・歌手。オハイオ州シンシナティ出身。本名はDoris Mary Ann von Keppelhoff。
[編集] 経歴
父はドイツ出身の音楽教師で、両親は彼女が8歳の時に離婚。ドリスの名はサイレント映画女優のドリス・ケニヨン(en:Doris Kenyon)から名付けられた。子どもの頃から歌や踊りが好きでバレリーナをめざしていたが、14歳の時に交通事故に遭い、激しい踊りができなくなりその夢を断念。しかし歌の方は続け、16歳の時にジャズバンドのレス・ブラウン楽団に専属歌手として参加。バンドメンバーのアル・ジョーダンと結婚し、息子テリー(のちにレコードプロデューサーとなる)を出産するが、1942年、18歳の時に離婚。2年後、このバンドのリーダーだったレスター・ブラウンの提供した「センチメンタル・ジャーニー (Sentimental Journey)」を歌い、大ヒットさせる。
1946年、24歳の時に2度目の結婚をするも、わずか8ヶ月で破局。離婚直後にワーナー・ブラザーズのオーディションを受け、同社と契約。1948年の『洋上のロマンス』で映画デビューする。評判はよく1949年に2本、1950年に主題歌もヒットした『二人でお茶を』など3本、1951年には5本も出演するほどのど売れっ子になった。同年エージェントだったマーティン・ミシェルと結婚。また1953年の西部劇風ミュージカル映画『カラミティ・ジェーン』の大ヒットで人気を不動のものとした。1956年の『知りすぎていた男』の劇中で歌った「ケ・セラ・セラ (Que sera sera)」が大ヒットし、アカデミー歌曲賞を受賞した。
1968年に夫が亡くなり映画界を引退、活躍の場をテレビに移し『ドリス・デイ・ショー』(1968年-1973年)を中心に活躍することになる。1976年に4度目の結婚をするが、1981年には離婚。その後は動物愛護に力を注ぎ、カリフォルニア州のカーメルに設立した「Doris Day Animal League」で、家庭内ペットの世話の方法などを指導している。
[編集] 主な出演作品
- 情熱の狂想曲 Young Man with a Horn (1949年)
- 二人でお茶を Tea for Two (1950年)
- カラミティ・ジェーン Calamity Jane (1953年)
- 情欲の悪魔 Love Me or Leave Me (1955年)
- 知りすぎていた男 The Man Who Knew Too Much (1956年)
- 影なき恐怖 Julie (1956年)
- パジャマゲーム The Pajama Game (1957年)
- 先生のお気に入り Teacher's Pet (1958年)
- 愛のトンネル The Tunnel of Love (1958年)
- 夜を楽しく Pillow Talk (1959年)
- ママは腕まくり Please Don't Eat the Daisies (1960年)
- 誰かが狙っている Midnight Lace (1960年)
- 恋人よ帰れ Lover Come Back (1961年)
- ミンクの手ざわり That Touch of Mink (1962年)
- ジャンボ Billy Rose's Jumbo (1962年)
- スリルのすべて The Thrill of It All (1963年)
- 女房は生きていた Move Over, Darling (1963年)
- 花は贈らないで! Send Me No Flowers (1964年)
- ただいま熱愛中 Do Not Disturb (1965年)
- マーメイド作戦 The Glass Bottom Boat (1966年)
- おしゃれスパイ危機連発 Caprice (1967年)
- ニューヨークの大停電 Where Were You When the Lights Went Out? (1968年)
- ドリス・デイ・ショー The Doris Day Show (TV 1968年-1973年)