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ジャズ - Wikipedia

ジャズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ジャズjazz)は、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカ南部の都市を中心に発展した音楽形式。アフリカ系アメリカ人の音楽形式と西洋音楽の技術と理論が融合して生まれた。演奏の中にブルー・ノートシンコペーションスウィング、コール・アンド・レスポンス(掛け合い演奏)、インプロヴィゼーションポリリズムなどの要素を組み込むことが特徴的とされている。

その自由な表現形式は黒人音楽家のみならず白人音楽家にも注目され、技法や理論など急速に発展した。20世紀半ばには人種の枠を越えた音楽のジャンルとして認識され、現代音楽理論をも内包する高度な体系をつくりあげた。その結果、人種、国籍や狭義のジャンルを越えた音楽芸術の現代的様式の一つとなり、様々な方向性に発展を見せる現代の音楽の源流を形作った存在であると考えられている。

目次

[編集] 歴史

Duke Ellington, 1943年
Duke Ellington, 1943年
Buddy Bolden, 1905年頃
Buddy Bolden, 1905年頃
Art Blakey, 1985年
Art Blakey, 1985年

ジャズは西洋音楽とアフリカ音楽の組み合わせにより発展した音楽である。スピリチュアルブルースラグタイムの要素を含み、根底的には西アフリカ、西サヘルサハラ砂漠南縁に東西に延びる帯状の地域)、ニューイングランドの宗教的な賛美歌やヨーロッパの軍隊音楽にある。アフリカ音楽を起源とするものについては、アフリカからアメリカ南部に連れてこられたアフリカからの移民(多くは奴隷として扱われた)とその子孫の民族音楽としてもたらされたとされており、都市部に移住した黒人ミュージシャンによってジャズとしての進化を遂げたといわれている。

ニューオーリンズが発祥の地[1]とされており、この地区での当時のスラングで、女性性器性行為をjass、売春宿をJass Houseと呼んでいて、売春宿の待合室や酒場を主な活動場所にしていた演奏家たちのことをJASS BANDと呼んだことが、JAZZの語源となった[1]という説もあるが、「JAZZはシカゴで成立した語」「フランス語のjaser(「くだらない話」の意味とも、アフリカ系アメリカ人に対する軽蔑を意味したとも言われる)から」[2]などと、現在でもその語源ははっきりしない。

1917年、ニューオーリンズ出身の白人バンドであるオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドが、ジャズでは初の商業用レコードとなる、「Dixie Jass Band One Step」と「Livery Stable Blues」の2曲入りシングルをビクタートーキングマシンから発表。

初期のジャズは、マーチングバンドと20世紀初頭に流行したダンス音楽に影響を受けており、ブラス(金管楽器)・リード(木管楽器)・ドラムスによる組み合わせの形態はこれらの影響に基づくものといえよう。当初は独学でジャズを創作していった者も少なくなかったが、ジャズと音楽理論が融合するようになっていったのは、ジャズが黒人社会に広く普及し、古典的なヨーロッパの音楽理論を取得したアフリカ系黒人ミュージシャンがジャズに反映させていく時点からである。アメリカの禁酒法時代に地下化した酒場に集うミュージシャンによって、あるいはレコードラジオの普及によって、ダンスミュージックなどのポピュラー音楽のスタイルがまだまだ渾然一体となっていた1920年代初頭にはアメリカを代表する音楽スタイルの一つとして、アメリカ国内の大都市に急速に広まった[1]。第一次世界大戦から大恐慌までのアメリカの隆盛期が「ジャズ・エイジ」と呼ばれるのはこのためである。1920年代にはイギリスでもジャズが流行り、後のエドワード8世も少年時代にレコードを収集するなど、幅広い層に受け入れられた[1]

1930年代には、ソロ演奏がそれまで以上に重要視されるようになり、ソロを際だたせる手法の一つとして小編成バンドが規模拡大してビッグ・バンドスタイルによるスウィング・ジャズが確立されるようになり、人気を博す。この背景には、人種的障壁で隔てられていた黒人ミュージシャンと白人ミュージシャンの媒介としての役割を果たしたクレオールの存在があった[1]。スウィング・ジャズはアレンジャーとバンドリーダーの立場がより重要視されるようになり、特に代表的なバンドリーダーの一人であるルイ・アームストロングの存在は、ジャズとヴォーカルとの融合という側面(アームストロングはトランペット奏者でありながら自ら歌も歌った)において重要な役割を果たした。

その一方で、ソロを際だたせる別の手法として、アレンジを追求したスウィング・ジャズとは異なる方向性を求める(あるいはスウィング・ジャズに反発する)ミュージシャンにより、即興演奏を主体としたビバップ等の新たなスタイルが模索されるようになる。1940年代初頭には、ビバップに傾倒するミュージシャンも増えていくが、1942年8月から1943年秋にかけて、アメリカで大規模なレコーディング・ストライキがあったため、初期ビバップの録音はわずかしか残されていない[3]。1940年代後半には、チャーリー・パーカーディジー・ガレスピー等が多くの録音を残し、1950年代には、クール・ジャズウエストコースト・ジャズハード・バップ等が登場し、モダン・ジャズの流れを作り出すことになる。

[編集] 日本における歴史

日本に初めてジャズが伝わったのは1900年頃とされている。上陸地はさだかではなく神戸港横浜港大阪港など諸説存在する。

1923年(大正12年)4月に日本で初めてのプロのジャズバンドが神戸で旗揚げした。宝塚少女歌劇団オーケストラ出身の井田一郎をリーダーとするラッフィング・スター・ジャズバンド(ラッフィング・スターズ)である。その後1925年(大正14年)に井田は大阪でチェリーランド・ダンス・オーケストラを結成し活動するが、大正天皇崩御を理由に大阪市がダンスホールの営業を1年間停止したため、大阪を拠点としていた井田や南里文雄ら多くのプロのジャズマンは東京に拠点を移していった。戦前に発売された国産ジャズレコードの中には著しくレベルの低いものも多数見受けられるが、それでも着実にファンを増やしていった。歌手としては二村定一淡谷のり子バートン・クレーンディック・ミネ、川畑文子、中野忠晴、ベティ・稲田らが、ボーカルグループではコロムビア・ナカノ・リズムボーイズやアメリカのボードヴィルの影響を受けたあきれたボーイズがそれぞれ人気を集め、作曲家としては服部良一がジャズの要素を用いた数多くの名曲を生んだ。太平洋戦争中は禁令 [4]や自主規制などでジャズは鳴りを潜めたが、学生や軍人の中でも密かにレコードを聴いて楽しむ者も多かった。特攻隊員の川柳に「アメリカと戦ふ奴がジャズを聞き」「ジャズ恋し早く平和が来ればよい」などと遺されていることからも分かる。戦後多くの元陸海軍軍楽隊員がジャズ畑へ転向した。

戦後は、服部良一が作曲したブギウギを笠置シヅ子に歌わせたことから始まる。つづいて、江利チエミジョージ川口、ティーブ釜萢(ムッシュかまやつの父)、ナンシー・梅木世良譲阿川泰子などのすぐれた歌手、演奏家などが出、ジャズが大衆化した。一時期は、アメリカ風のポピュラー音楽をすべて「ジャズ」と呼ぶ風潮が広がったほどである。また、神戸や阪神間の学生を中心にデキシーランドジャズ・バンドが数多く生まれている。

1956年穐吉敏子が、1962年渡辺貞夫がバークリー音楽院(現バークリー音楽大学)に留学。1963年には松本英彦がモントレー・ジャズ・フェスティバルに出演する等、国際的に活動するミュージシャンも増えていった。

1969年には、山下洋輔のメジャー・デビューや、フリー・ジャズ専門スポット「新宿ニュージャズ・ホール」[5]の開店(1971年閉店)等により、日本でもフリー・ジャズが盛んになる。1970年代になると、国鉄(現JR中央線沿線(西荻窪吉祥寺八王子など)を拠点とするミュージシャンも多く登場し、1980年代後半、新星堂プロデューサーが「中央線ジャズ」という言葉を提唱[6]

日本で最初のジャズの祭典「神戸ジャズストリート」は、ラッフィング・スターズ結成60年の記念の年となる1982年(昭和57年)から行われてるものである。

[編集] 主なスタイル/ジャンル

いずれも活発に演奏され、かつ発展している生きたスタイルである。

何がニューオーリンズ・ジャズであり、何がディキシーランド・ジャズであるかという明確な合意はないが、初期の様に黒人によって演奏されるのがニューオーリンズジャズ、白人によって演奏されるのをディキシーランドジャズと区別するのが一般的である。

[編集] 代表的なアーティスト

ジャズ・フュージョンミュージシャンの一覧を参照

[編集] 著名なジャズクラブ等

[編集] ジャズ喫茶

詳細はジャズ喫茶を参照

ジャズを聴きながら楽しむ喫茶店。日本で1950年代後半に流行り、1970年代から下火となる。

[編集] 著名なジャズ・フェスティバル

[編集] 三大ジャズ・フェスティバル

[編集] 日本

[編集] 野外(有料)

[編集] 屋内ホール・クラブ(有料)

[編集] 屋内ホール・クラブ(無料)

[編集] 屋内クラブ(有料)・屋外街中(無料)

[編集] 屋外街中(無料)

[編集] 北アメリカ

[編集] ヨーロッパ

[編集] 著名なジャズ学園

[編集] ジャズに関するその他の作品・関連メディア

[編集] TV・ラジオ番組

[編集] 現在放送中

音楽番組
音楽番組以外(BGMにジャズを多用)

[編集] 終了番組

[編集] ジャズ専門ラジオ放送局(有料)

ジャズライブやレアレコード音源も放送している。

  • [1] -衛星デジタルラジオ ミュージックバード

[編集] ジャズ専門ネットラジオ局(無償配信)

[編集] 新聞

  • ジャズワールド紙(日本ジャズ界で唯一の専門紙であり、日本ジャズヴォーカル賞を主催する。)

[編集] 文学・エッセイ・研究書

[編集] 映画

アーティスト伝記物、もしくは作品音楽としてジャズを多用した作品

[編集] 洋画

[編集] 伝記物

[編集] 記録映画

[編集] フィクション

あらすじ自体もジャズとの関わりが強い作品

[編集] BGMにジャズを多用

[編集] 邦画

[編集] フィクション

あらすじ自体もジャズとの関わりが強い作品

[編集] BGMにジャズを多用

[編集] アニメ・教育番組等

  • PEANUTS(邦題:スヌーピーとチャーリー・ブラウン)
    • 原作者のチャールズ・M・シュルツがジャズファンで、ジャズアーティストとも何人か交流がある事もあり、TVシリーズ・長編映画、いずれの作品もBGM・挿入歌はジャズ(フュージョン)である。同作品とのコラボレートであるジャズコンピレーションアルバムも多数、存在する。
  • The Aristo Cats(邦題:おしゃれキャット)
    • ディズニー作品。作中でふんだんにジャズが流れ、ジャズ解説本でも採り上げられる事が多い。
  • おじゃる丸
    • NHKアニメ。主役の居候先に住む少年の祖父トミーはアマチュアのジャズバンドメンバーでもあり、時々、ジャズバンドに関連するエピソードが主題の回が登場する。他、同バンドメンバーの一人マイクが経営する ジャズ喫茶 一服 を舞台にした回等。
    • トミー:クラリネット担当 マイク:ピアノ担当 サム:ギター担当 エド:ドラム担当 ピーター:ウッドベース担当
  • おかあさんといっしょ
    • NHKの老舗教育番組。1999年にスタートした「スプーとガタラット」で、は森の中でミラーボールを飾り、スプーが得意の「ラッパ」で「スプラッピスプラッパ」(現在のエンディングテーマ曲)をジャズヴァージョンで演奏した。ドラムスはガタラットが担当している。実際の演奏は、当番組の音楽プロデューサーを担当している堀井勝美
  • pp -ピアニッシモ- 操リ人形ノ輪舞
    • 成人向けPCゲームソフトメーカー Innocent Greyより2006年発売。初回版のみサントラ「Tonality」添付。ジャズ曲である「all the way」「Pluse」「Dusk」などが使用されている。2006/09/22に東京都渋谷区のライブバー「The DOORS」においてライブイベントが開催された。

[編集] 漫画

  • Blow UP! - 細野不二彦小学館
    • 東京都内の有名私大を中退(在学中は同大学の名門ジャズクラブに所属)し、プロのジャズミュージシャン(テナーサックス奏者)を目指す青年の物語。毎回、ジャズのスタンダードナンバーから選んだ題名が付けられている。
    • 文庫サイズ版では、以下四作品が追加されている。
      • SESSION・10 "YOU DON'T KNOW WHAT LOVE IS"
      • SESSION・12 "DON'T BE THAT WAY"
      • SESSION・14 "SONG FOR MY FATHER"
      • SESSION・15 "MACK THE KNIFE"
  • 真夜中のジャズマン - 柳沢きみお実業之日本社
    • 趣味とはいえ、相応の才能と人一倍の努力を注いで、プロからも一目置かれる程の技量を持っている(そして真面目な性格なのに、女にはだらしない)三十代のアマチュア・ジャズ・ピアニストが、安定したサラリーマンの職を捨てて、『ジャズ・ミュージシャン』ならぬ『酒場のジャズ・ピアニスト』を目指し成長していく物語。
  • らじかるTeenAgeBlues - 山桜桃(ワニマガジン社
    • ジャズ・ミュージシャン(サックス奏者)志願の孤高気味の男子高校生に惹かれていく女子高生を描いた作品。
    • 読みきり作品(1992年)。「北の国からこんにちは」単行本(一巻のみ)に収録。
  • 坂道のアポロン小玉ユキ小学館
    • 1960年代を舞台に、都会から田舎へ引っ越してきたナイーブな少年がバンカラな少年と出会い、ジャズに夢中になっていく物語。

[編集] 落語

[編集] 参考文献

  1. ^ a b c d e 斎藤真 他(監修)『アメリカを知る事典』(平凡社、1986年)pp. 210-217
  2. ^ 内藤遊人『はじめてのジャズ』(講談社、1987年)pp.57-58
  3. ^ 岩浪洋三『これがジャズ史だ〜その嘘と真実〜』(朔北社、2008年)pp.291-292
  4. ^ 以下の3つの基準で禁止された。1).旋律の美しさを失った騒擾的なるリズム音楽。2).余りに扇情的淫蕩的感情を抱かしめる音楽。3).怠惰感を抱かしめる様な退廃的或は亡国的なる音楽(情報局・内務省共編「出版警察報」138号、1941年7月p64)。
  5. ^ 副島輝人『現代ジャズの潮流』(丸善、1994年)pp.40-41
  6. ^ 『音楽CD検定公式ガイドブック上巻』(音楽出版社、2007年)p.220

[編集] 関連書籍

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ
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