ダニー・ケイ
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ダニー・ケイ(Danny Kaye、1913年1月18日 - 1987年3月3日)は、アメリカ合衆国の俳優、歌手、コメディアン。 本名デーヴィッド・ダニエル・カミンスキー(David Daniel Kaminsky)。
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[編集] 略歴
ニューヨークのブルックリンにて、ウクライナからのユダヤ系移民の親の元に生まれる。
幼い頃から歌とおしゃべりが好きで、高校中退後劇団に入り下積みを経験し、1939年の『The Straw Hat Revue』でブロードウェイデビューを果たす。 その後、1941年のブロードウェイ・ミュージカル『レイディ・イン・ザ・ダーク(Lady in the Dark)』に出演し、さらにわずか39秒で50人のロシア人作曲家を早口で暗唱する『チャイコフスキー(Tchaikovsky and Other Russians)』という曲で大絶賛を浴びた。
さらに、彼の才能に注目した映画製作者サミュエル・ゴールドウィンの誘いにより映画界入りを果たし、1944年に『ダニー・ケイの新兵さん』で映画デビューを飾る。 以降、『ダニー・ケイの天国と地獄』『虹を掴む男』『ホワイト・クリスマス』『五つの銅貨』等、数々の映画に出演。独特の早口で歌う様やコミカルな演技で人気を博した。
1954年には国連のユニセフに参加、以後亡くなるまで親善大使として尽力する。その活動と芸達者ぶりが評価され、同年のアカデミー賞では特別賞を受賞した。
その後、活躍の舞台を映画からテレビやブロードウェイ・ミュージカルに移行。1963年にスタートしたテレビのバラエティー『ダニー・ケイ・ショー』ではその年のエミー賞を受賞。またユニセフ親善大使としては世界各国のチャリティ・ショーのステージに立ち続けた。
ダニーは楽譜が読めなかったが、オーケストラの指揮者としても活動し、ヨーロッパで1973年にストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団に客演した際のライヴ録音(チャイコフスキーのくるみ割り人形組曲-現在BISレーベルのストックホルム・フィル75周年記念ボックスに収録。)が残されている。
本国アメリカでは1981年9月に行なったニューヨーク・フィルハーモニックとの演奏会が語り継がれている。同楽団の常任指揮者であったズービン・メータの物真似をしたり、ハエ叩きを持ってリムスキー=コルサコフの『熊蜂の飛行』を指揮したりと、得意のコミカルな演技で聴衆を楽しませた(尚、この演奏会の模様は『ダニー・ケイとニューヨーク・フィルの夕べ』というタイトルでビデオやレーザーディスクが発売されていたが、現在は廃盤であり、中古品が高値で取り引きされている)。
1981年のアカデミー賞では、長年のユニセフの活動に対してジーン・ハーショルト友愛賞を授与された。1987年、ロサンゼルスにて心臓発作で死去。享年74。ニューヨーク州ウエストチェスター郡ヴァルハラにあるケンシコ墓地(Kensico Cemetery)に埋葬された。
日本のコメディアン谷啓の名前は、ダニー・ケイにちなんでいる。
[編集] 主な出演作品
- ダニー・ケイの新兵さん Up in Arms (1944)
- ダニー・ケイの天国と地獄 Wonder Man (1945)
- ダニー・ケイの牛乳屋The Kid From Brooklyn(1946)
- 虹を掴む男 The Secret Life of Walter Mitty (1947)
- ヒット・パレードA Song Is Born(1948)
- ダニー・ケイの検察官閣下The Inspector General(1949)
- ホワイト・クリスマス White Cristmas (1954)
- ダニー・ケイの黒いキツネThe Court Jester(1955)
- 僕はツイてるMerry Andrew(1958)
- ダニー・ケイの戦場のドン・キホーテMe And The Colonel(1958)
- 五つの銅貨 Five Pennies (1959)
- ダニー・ケイの替え玉作戦On The Double(1961)
- 現金お断りThe Man From The Diner's Club(1963)