掛川市
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目次 |
[編集] 概要
江戸時代に東海道の主要宿場町として、また掛川城を核とした城下町から発達した地方都市である。
佐野郡、および、小笠郡に含まれ、牧之原台地のすぐ西に位置している。
安土桃山時代には山内一豊の城下町であったため、この縁で高知市(高知県中部)との交流関係が深い。江戸時代には掛川藩、横須賀藩の城下町となり、東海道掛川宿、日坂宿の宿場町でもあった。 2005年4月1日に、旧掛川市、大東町、大須賀町の1市2町が合併して、現在の掛川市となった。
農業が主要産業の一つであり、緑茶の栽培は全国屈指の産出量を誇る。牧之原市が成立するまでは、荒茶の生産量全国1位であった。
東海道新幹線掛川駅や東名高速道路掛川インターチェンジとともに工業団地の誘致に成功、拠点都市としての性質を強めると同時に製造品出荷額1兆円を超える県内有数の工業都市となった。その結果、脆弱であった財政基盤は大幅に改善され、2006年には財政力指数が1.033に到達、初めて普通交付税不交付団体となった。しかし、2006年度末には借入金総残高が1016億円に達し、実質公債費比率が18%を超過したため地方債許可団体となった。
また、「スローライフ」を宣言しており、郊外化やスプロール現象の促進とは正反対で、中心市街地の活性化で個性を強化する路線を掲げており、中心市街地活性化法(TMO)の実践が顕著である。
倉真温泉、法泉寺温泉など市内各所の温泉街や掛川花鳥園などの観光地を訪れる観光客も多い。また、吉田拓郎やかぐや姫(1970年代)、近年ではap bank(2000年代)等が野外コンサートを開催し、ロック・フェスティバルの街としても知られている。さらに、掛川市役所[1]や掛川警察署[2]の公式ウェブサイトにて流れるテーマ曲が話題となったことから、電波ソングの街と称されることもある。
[編集] 地理
[編集] 地勢
牧之原台地の西に位置する。南北に約30km、東西に約16kmの距離がある。
[編集] 地名の由来
- 掛川
- 中心部を流れる逆川の流れが、切り立った崖のように見える点から「缺けた川」と呼ばれ、次第に略されて「懸川」となり、「掛川」と改名された。
- 地元では、「かけがわ」を発音する際、「け」にアクセントをおいて発音する。しかし、JR(東海道新幹線)の駅内放送やテレビ番組のアナウンスでは「川」にアクセントをおかれている。アクセントに違いが見られるのは、放送で用いられる共通語と掛川市内で用いられる遠州弁との間にアクセントの差異があるためとされる。同様に、共通語と遠州弁とで地名のアクセントに差異がある事例としては、静岡県磐田(いわた)市が挙げられる。
- かつては、高知県高知市のはりまや橋の近くにも「掛川町」が存在した。これは、掛川から高知に移住した山内一豊の家臣が、居を構えた事に由来する。高知市の掛川町は、現在では「はりまや町」となっている。高知市には山内一豊が建立した「掛川神社」も存在する。この神社は、一豊が高知に入城した際、掛川城の北東(鬼門)にある龍尾神社を高知城の北東に勧請したものであり、掛川に因んで命名された。
- 大坂
- 掛川市の「大坂」は、大坂(明治以後の大阪)から移住した住民が多かったために付けられた地名だといわれている。
[編集] 歴史
[編集] 戦国時代まで
鎌倉時代には「懸川」として歴史書に描かれた。室町時代には戦国大名今川氏の配下の朝比奈氏の城下町として発展し、また信州塩尻に至る塩の道の始点であった。
[編集] 戦国時代から江戸時代まで
- 1567年:徳川家康が、朝比奈氏の手引きで掛川城に篭城した今川氏真を攻撃した。
- 1568年(永禄11年):石谷政清が遠州飛鳥郷一色を拝領。
- 1580年(天正8年):横須賀城が完成。
- 1581年(天正9年):徳川家康が高天神城を攻め落とした。
- 1590年(天正18年):山内一豊が掛川城に入る。天守閣の完成は1596年(慶長元年)。
- 1601年(慶長6年):山内一豊が高知城に移った。
- 1601年(慶長6年):大須賀忠政が横須賀藩の藩主となる。
[編集] 江戸時代から明治時代まで
江戸時代には掛川藩、横須賀藩が樹立され、その城下町となった。藩政時代には、譜代大名が入れ替わり入っていた。
- 1607年(慶長12年):榊原忠次が横須賀藩の藩主となる。
- 1619年(元和5年):松平重勝が横須賀藩の藩主となる。
- 1621年(元和7年):松平重忠が横須賀藩の藩主となる。
- 1622年(元和8年):井上正就が横須賀藩の藩主となる。
- 1628年(寛永5年):井上正利が横須賀藩の藩主となる。
- 1645年(正保2年):本多利長が横須賀藩の藩主となる。
- 1682年(天和2年):西尾忠成が横須賀藩の藩主となる。
- 1713年(正徳3年):西尾忠尚が横須賀藩の藩主となる。
- 1760年(宝暦10年):西尾忠需が横須賀藩の藩主となる。
- 1782年(天明2年):西尾忠移が横須賀藩の藩主となる。
- 1801年(享和元年):西尾忠善が横須賀藩の藩主となる。
- 1829年(文政12年):西尾忠固が横須賀藩の藩主となる。
- 1843年(天保14年):西尾忠受が横須賀藩の藩主となる。
- 1843年(天保14年):西尾忠受が横須賀藩の藩主となる。
- 1854年(嘉永7年):東海地震(幕末)が発生し、掛川城が崩落。
- 1861年(文久元年):西尾忠篤が横須賀藩の藩主となる。
[編集] 明治時代から第二次大戦まで
- 1868年(明治元年):明治維新で駿府藩の領土に編入された。
- 1871年(明治4年)8月29日:廃藩置県で静岡県(~1871年12月25日)に属した。
- 1871年(明治4年)12月26日:浜松県に転属した。
- 1876年(明治9年)8月21日:浜松県と静岡県(~1876年8月20日)が合併し、以降は静岡県に属する。
- 1889年(明治22年)4月1日:町制施行により掛川町となった。
- 1889年(明治22年)4月16日:東海道本線掛川駅開業。
- 1893年(明治26年):南郷村の一部を掛川町に編入。
- 1895年(明治28年):掛川町南郷地区の一部が分立し西南郷村を設置。
- 1896年(明治29年):城東郡と佐野郡が合併して小笠郡を設置。
- 1898年(明治31年)10月19日:大日本報徳社が設立。
- 1914年(大正3年):大須賀村が横須賀町に町制施行、改称。
- 1925年(大正14年):大池村を掛川町に編入。
- 1932年(昭和7年):雨桜村と垂木村が合併し桜木村を設置。
- 1940年(昭和15年)6月1日:二俣線(現天竜浜名湖線)開通。
- 1942年(昭和17年):三浜村、三俣村が合併し睦浜村を設置。
- 1943年(昭和18年):南郷村を掛川町に編入。
- 1943年(昭和18年):佐束村と岩滑村が合併し、佐束村(新制)を設置。
[編集] 第二次大戦後から平成時代まで
- 1950年(昭和25年):上内田村を掛川町に編入。
- 1951年(昭和26年):掛川町、西南郷村、栗本村、西山口村が合併し掛川町を設置。
- 1954年(昭和29年):掛川町、曽我村、東山口村が合併し、市制を施行して掛川市(旧制)となる。
- 1954年(昭和29年):西郷村、倉真村が合併し三笠村を設置。
- 1954年(昭和29年):桜木村、和田岡村が合併し北小笠村を設置。
- 1955年(昭和30年):佐束村、土方村が合併し城東村を設置。
- 1955年(昭和30年):大坂村、睦浜村が合併し大坂村(新制)を設置。
- 1955年(昭和30年):東山村、日坂村を編入。
- 1956年(昭和31年):横須賀町と大淵村が合併して大須賀町となる。
- 1956年(昭和31年):大坂村と千浜村が合併して大浜町となる。
- 1956年(昭和31年):中村を城東村に編入。
- 1956年(昭和31年):笠原村を大須賀町と磐田郡袋井町に分割、編入。
- 1957年(昭和32年):北小笠村、原谷村、原田村を編入。
- 1960年(昭和35年):三笠村を編入。
- 1973年(昭和48年):大浜町と城東村が合併して大東町となる。
- 1979年(昭和54年):掛川市が生涯学習都市宣言を行う。
- 1983年(昭和58年):ヤマハレクリェーションつま恋にてつま恋ガス爆発事故が発生する。
- 1985年(昭和60年)9月27日:大須賀町が非核平和都市宣言を行う。
- 1988年(昭和63年)3月13日:東海道新幹線掛川駅開業。
[編集] 平成時代以降
- 1993年(平成5年):東名高速道路掛川インターチェンジ供用開始。
- 1994年(平成6年):掛川城天守復元。第一回「一豊公&千代サミット」開催。
- 1997年(平成9年)3月14日:大東町が核兵器廃絶平和都市宣言を行う。
- 2000年(平成12年)4月:大須賀海岸にてマッコウクジラが座礁
- 2002年(平成14年)6月:掛川市郊外の小笠山総合運動公園にて2002 FIFAワールドカップ™が開催される。
- 2003年(平成15年):市内の各会場にて第58回国民体育大会「NEW!!わかふじ国体」が開催される。
- 2003年(平成15年):天皇明仁、皇后美智子が行幸啓。
- 2005年(平成17年)4月1日:旧掛川市、大東町、大須賀町が対等合併し、新制の掛川市が成立。
- 2005年(平成17年):戸塚進也が市長に就任。
- 2007年(平成19年)3月23日:掛川市が非核平和都市宣言を行う。
- 2007年(平成19年)4月1日:助役、収入役を廃止し、副市長、会計管理者を設置。
- 2007年(平成19年)4月14日:突風により民家等74棟が被災。
[編集] 人口
掛川市と全国の年齢別人口分布図(比較) | 掛川市の年齢・男女別人口分布図 |
■紫色は掛川市
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
総務省統計局 / 国勢調査(2005年) |
[編集] 政治・行政
[編集] 行政
[編集] 執行部
[編集] 暫定市政(2005年)
[編集] 戸塚市政(2005年~)
代 | 氏名 | 在任期間 | 会派 | 期・備考 |
---|---|---|---|---|
0 | 大倉重信 | 2005年 - 2005年 | 無所属 | 市長決定まで市長職務執行者。旧大東町町長 |
1 | 戸塚進也 | 2005年 - | 無所属 | 元衆議院議員 |
[編集] 監査委員
[編集] 農業委員会
[編集] 教育委員会
[編集] 議会
代 | 氏名 | 在任期間 | 会派 | 期・備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 菅沼茂雄 | 2005年 - 2006年 | 親和会 | |
2 | 加藤一司 | 2006年 - 2007年 | 親和会 | |
3 | 鳥井昌彦 | 2007年 - | 親和会 |
- 委員会構成
- 議会運営委員会
- 常任委員会
- 総務委員会
- 経済建設委員会
- 文教厚生委員会
- 第1回掛川市議会議員選挙(新制。2005年)結果
会派名 | 計 |
---|---|
計 | 30 |
親和会 | 23 |
みどりの会 | 4 |
日本共産党掛川市議員団 | 2 |
かけがわ21 | 1 |
[編集] 市政の混乱
[編集] 人事
2005年の合併に伴う市長選挙が行われ、戸塚進也が市長に就任した。しかし、戸塚の姻族を収入役候補とする特別職人事案が議会により否決され、収入役不在の波瀾含みの市政スタートとなった。
[編集] 市町村合併
戸塚の公約である「掛川市、菊川市、御前崎市3市による『小笠郡全域合併構想』」の実現が焦点となっている。
2005年、助役大倉重信(旧大東町長)が「合併しない方が良かった」と発言し、波紋を呼んでいる。
[編集] 農業用水目的外転用
2003年、農業用水である大井川用水を市内の事業所が工業用水として目的外転用した問題が発覚した。『サンデープロジェクト』などの報道番組や経済誌等で特集報道され、「水泥棒」とのセンセーショナルな表現も一部で散見されるなど、大きな問題となった。
2004年3月、静岡県から2007年までの暫定的な小笠工業用水の水利権許可を受ける暫定対応を実施した。また、大井川用水路、牧之原用水路の水を工業用水に正式に流用することで抜本的な解決を図ることになった。静岡県、静岡県大井川広域水道企業団による長島ダム使用権の工業用水一部転換申請が認可され、2007年1月9日、東遠工業用水道企業団が発足し、2007年4月1日工業用水の給水開始を目指している。[3]
[編集] ごみ処理
- 掛川市・菊川市衛生施設組合 環境資源ギャラリー(掛川市満水)
- 掛川市環境保全センター(掛川市浜野)
- 沿岸部(大東・大須賀地区)のごみを処理する。
[編集] 警察
- 静岡県警察本部
- 掛川警察署(市内全域を管轄)
- 掛川駅前交番
- 大須賀交番
- 大東交番
- 西部交番
- 日坂駐在所
- 上内田駐在所
- 原谷駐在所
- 原田駐在所
- 伊達方駐在所
- 倉真駐在所
- 西郷駐在所
- 千浜駐在所
- 城東駐在所
- 掛川警察署(市内全域を管轄)
- 犬のおまわりさん制度
- 掛川市内を管轄する掛川地区防犯協会が導入した制度。
- 市民が飼い犬を散歩させる際、専用の腕章を着用し、専用のリードを使用する。散歩中に不審者や犯罪行為を発見した場合、掛川警察署に通報する制度。
[編集] 消防・防災
- 掛川市消防本部
- 掛川消防署 - 市北部の旧掛川市域を管轄。
- 南消防署 - 小笠地区消防本部南分署より改組。市沿岸部の旧大東町域と旧大須賀町域を管轄。
- 掛川市消防団
- 第一方面
- 第一分団
- 西山口分団
- 駅南分団
- 上内田分団
- 第二方面
- 掛川分団
- 中央分団
- 掛二分団
- 第三方面
- 東山口分団
- 日坂分団
- 東山分団
- 第四方面
- 粟本分団
- 西郷分団
- 倉真分団
- 第五方面
- 原谷分団
- 原田分団
- 原泉分団
- 第六方面
- 曽我分団
- 桜木東分団
- 桜木西分団
- 和田岡分団
- 第七方面
- 大東第一分団
- 大東第二分団
- 大東第三分団
- 第八方面
- 大東第四分団
- 大東第五分団
- 大東第六分団
- 第九方面
- 大須賀第一分団
- 大須賀第二分団
- 第十方面
- 大須賀第三分団
- 大須賀第四分団
- 第一方面
市町村防災行政無線を市内全域で運用。屋外スピーカーの設置のほか、全戸に個別受信装置を配布している。
[編集] 法務
- 静岡地方法務局掛川支局
[編集] 社会保険
- 掛川社会保険事務所
[編集] 検察
[編集] 裁判所
[編集] シンボル
[編集] 市歌
[編集] 市章
桔梗をモチーフに掛川(Kakegawa)の頭文字Kを図案化したもの。旧掛川市・大東町・大須賀町の合併時に、一般公募により決定された。桔梗は掛川藩藩主であった太田氏の家紋であり、旧掛川市の市章や市花にもなっていた掛川のシンボルである。また、市内の学校の校章デザインにも多く採り入れられている。
[編集] 市の木
[編集] 市の花
[編集] 市の鳥
[編集] 市のCM
- 2004年度
- 「浦野くんの夕暮れ自転車散歩」
- 第3回しずおかふるさとCM大賞静岡県教育長賞受賞
- 2005年度
- 「ひろがった浦野くんの自転車散歩みち」
- 第4回しずおかふるさとCM大賞静岡県知事賞受賞
- 2006年度
- 「掛川市在住 浦野タカユキ、14歳。」
- 第5回しずおかふるさとCM大賞エントリー
[編集] 姉妹都市・提携都市
[編集] 国内の姉妹都市
[編集] 海外の姉妹都市
- ユージン市(アメリカオレゴン州)- 旧掛川市が1979年4月姉妹都市提携
- コーニング市(アメリカ合衆国ニューヨーク州)- 旧大須賀町が姉妹都市提携
- カフェランジア市(ブラジルサンパウロ州) - 掛川市に対し2007年姉妹都市提携申し入れ、検討中
[編集] 一豊公&千代サミット
[編集] 大東サミット
[編集] 産業
[編集] 農業
全国最大規模の緑茶の栽培地であり、緑茶を用いた土産物も多い。「全国お茶まつり」の「全国茶品評会」では、掛川市が深蒸し煎茶部門の産地賞を受賞し続けており、2007年現在で三連覇中である。2006年に日本茶で初めて「モンドセレクション」で丸山製茶の[茶師名人]が金賞を受賞し、2008年までに3年連続受賞[2008年は最高金賞受賞]している。また、市内に本社を置く佐々木製茶が煎茶「静岡の誉」を「モンドセレクション」に出品し、2008年に特別金賞を受賞している。このように、市内の緑茶に対する評価は総じて高いとされている。なお、掛川茶振興協会による緑茶の産地表示は、下記の通りである。
- 掛川産掛川茶
- 掛川市内で生産された荒茶を100%使用した商品。
- 掛川茶
- 掛川市内と、同市に隣接する境界地域で生産された荒茶を100%使用した商品。
- ただし、境界地域の荒茶を使用する場合、市内産の荒茶を50%以上含有しなければならない。
- (※「境界地域」とは、市境に隣接して気候や土質、地形、栽培管理、製造方法などが市内と同様の地域。)
緑茶以外では、メロン、いちご、トマト、バラの栽培が盛んである。
[編集] 工業
製造品出荷額は約1兆4469億円(工業統計表、2005年)であり、静岡県内では浜松市、磐田市、静岡市に次いで4位である。
主要な品目は、ADSL機器、ファクシミリ、化粧品、アップライトピアノ、自動車部品、携帯電話など。
市内に立地する工業団地には掛川東部工業団地「エコポリス」、新エコポリス工業団地、上土方工業団地などがある。
[編集] 商業
中心市街地は掛川駅北口周辺であり、主な商店街・飲食店街には、連雀、塩町、肴町、中町などがある。掛川城の周辺では人力車が運行され、自動販売機にまで「なまこ壁」があしらわれており、旧城下町らしい街並が整備されている。
平成期には市街地の空洞化が進行し、商業機能は大池地区(掛川バイパス大池IC南部、サンテラスユニー・オカノなど)、西郷地区(掛川バイパス西郷IC北部、Sプラザなど)など郊外に分散している。
[編集] 市街地の建設規制
地区計画による城下町風街づくりの規制に、以下の物がある。
- 建物の用途
- 葛川下俣線、駅前通り線、掛川駅大手線に面する建物の一階は、店鋪などの用途に限定する。
- 建物の壁面の位置
- 都市計画道路の道路境界から1m以上離す。
- 建物の高さ制限
- 高度利用地区以外の軒の高さ制限は15m。
- 建物の形態
- 道路に面する部分は城下町風のイメージで統一。
- 塔、屋外階段、付属する建物は主建物と一体化。
- 外壁は白、黒、自然素材色。
- 見え掛かり部分は石張り。
- 附帯設備
- 道路、公園からの景観を妨げない位置に設置。
- 広告物
- 屋外広告物は城下町風のイメージに調和させる。
- 屋上広告塔は全面禁止。
[編集] 主な企業
- NECアクセステクニカ株式会社
- 遠州夢咲農業協同組合(本店:静岡県菊川市)
- オスラム・メルコ株式会社(本社:神奈川県横浜市)
- 掛川市農業協同組合
- 掛川信用金庫
- コーニングジャパン株式会社(本社:東京都港区)
- 株式会社資生堂(本社:東京都中央区)
- 創輝H・S株式会社
- 社団法人大日本報徳社
- 株式会社多古満(通称たこまん)
- 千歳産業株式会社
- 株式会社土井酒造場
- トリンプ・インターナショナル・ジャパン株式会社(本社:東京都大田区)
- パナソニック モバイルコミュニケーションズ株式会社(本社:神奈川県横浜市)
- 株式会社山下工業研究所(ブランド名「Ko-ken」。ソケットレンチの世界三大メーカーの一社)
- ヤマハ株式会社(本社:静岡県浜松市)ピアノ生産拠点を浜松から掛川に集約している。
[編集] 関連組織
[編集] 一部事務組合
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[編集] 第三セクター
[編集] 教育機関
[編集] 大学
- 東京女子医科大学 大東キャンパス
[編集] 大学校
- 静岡県立農林大学校 掛川機械研修場
[編集] 高等学校
[編集] 中学校
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[編集] 小学校
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[編集] 特別支援学校
- 特別支援学校ねむの木
[編集] 幼稚園
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[編集] 保育園
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[編集] 職業訓練施設
- 小笠高等職業訓練校(小笠建築合同組合による認定職業訓練)
[編集] 地域
[編集] 言語
一般的な日常会話(口語)としては、市内全域で遠州弁が話されている。また、旧遠江国に属しながらも、大井川を越えた旧駿河国に程近いという位置から、一部では静岡弁(駿河弁)も話されており、遠州弁と静岡弁の混在したアクセントも見受けられる。
公式な場での発言、あるいは書き言葉(書記言語)としては、市内全域で日本語(共通語)が使用されている。
[編集] 祭事
市内に所在する各神社を中心に、さまざまな祭礼が行われている。観光客が多く訪れる祭礼としては、遠州横須賀三熊野神社大祭や掛川祭などが知られている。これらの祭礼では二輪屋台が用いられ、一本柱万度型、掛川型、日坂型など、祭りが開催される地域によりさまざまな形状がある。
[編集] 食
郷土料理としては、「とろろ」が挙げられる。とろろは静岡県を代表する郷土料理の一つであり、掛川市でも自生したヤマノイモを使ったとろろ汁や麦とろご飯が食べられており、芋煮会などが開かれることもある。
B級グルメとしては、かつて掛川市から浜松市にかけての地域で広く食べられていた「酢味噌の素麺」が挙げられる。2000年代以降、B級グルメの一品として再評価がなされ、酢味噌の素麺が再び注目され始めている。
ご当地グルメとしては、掛川商工会議所「大河ドラマを生かす会」の呼びかけで制定された「お千代御膳」が挙げられる。以下の条件さえ満たせばそれ以外は制限がないため、刺身、てんぷら、鰻の蒲焼きなど多彩な品を添えた各店独自のメニューが市内各所で楽しめる。
- お千代御膳の定義
[編集] 通信
市内全域がNTT西日本静岡支店の営業区域である。市外局番は市の大半の地域で0537であるが、市南西部の本谷地区、山崎地区は0538である。
[編集] 交流
[編集] 地域SNS
掛川市役所が、地域ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)用のウェブサイトとして「e-じゃん掛川」を開設した。掛川市役所IT政策課情報化推進係を中心として運営が行われている。さまざまなコミュニティが存在し、地域住民間の交流を深める狙いがある。2006年12月現在、SNSへの会員登録は市民以外にも開放されており、会員からの招待がなくても登録可能である。
[編集] 医療
市内全域で医薬分業が浸透している。特に、掛川市立総合病院では、処方箋を処方箋薬局に対しファックスで送信するサービスを実施しているため、かかりつけ薬局に行けば、即時に薬を受け取る事ができる。2000年代後半からは、薬局での処方内容を記録する手帳(いわゆる「お薬手帳」)に、病院・診療所、歯科医院での診察内容も併せて記録する試みが始まっており、医師、歯科医師、薬剤師間での情報共有が進められている。
[編集] ガス
市内中心部では、静岡ガス系の都市ガス会社、中遠ガスによって都市ガス(13A、熱量46MJ)が供給されている。郊外では戸別または集中方式によるLPガスを使用している。
[編集] 自然環境
マイバッグ運動が展開されており、2007年から市内全域のスーパーマーケットでレジ袋が有料化された。環境保護を目的とする基金「掛川市環境基金」を市が設立し、環境保護活動に取り組んでいる。市内の企業から提供されたリサイクル資源を環境保護団体「掛川エコ・ネットワーキング」に販売させ、その収益を基金に積み立て環境対策に充当している。また、市民有志によりマイバッグ運動のテーマ曲『いつも持っているマイバッグ』が作成され、掛川市役所の公式ウェブサイトやマイバッグ運動に参加する各店舗で流されている[4]。
歌詞、および、メロディーは『マイバッグソング』を参照。
[編集] 思想
[編集] 報徳思想
二宮尊徳(幼名二宮金次郎)とその弟子たちが提唱した経済学説・農村復興運動「報徳思想」が盛んである。二宮尊徳の弟子たちによって遠州地方に報徳思想が説かれ、遠江国報徳社(後の大日本報徳社)社長岡田良一郎(1839年~1915年)が、全国初の信用金庫である掛川信用金庫の前身「勧業資金積立組合」や、静岡県立掛川西高等学校の前身「冀北学舎」を設立した。
現在では全国団体である社団法人大日本報徳社が掛川に置かれ、各地、各事業所の報徳社(社団法人)を統括している。
掛川駅北口には、明治天皇愛蔵の二宮金次郎立像(2005年現在、明治神宮蔵)を模した二宮金次郎像が建立されている。
遠州地方から起業家が多く輩出される理由として、一説には浜松を中心とした「やらまいか精神」と、掛川を中心とした報徳思想が起業家に大きな影響を与えたためとされる。
報徳思想は、あくまで農村復興運動や、幕府や藩の財政再建などの理論的支柱となった経済学説である。希に混同されるが、あくまで学説・思想であり、宗教宗派などとは一切関係が無い。そのため、全国各地の報徳社も宗教法人ではなく社団法人である。
[編集] 生涯学習
旧掛川市長の榛村純一が、生涯学習と都市造りを結び付け、全国初の「生涯学習都市宣言」を行った。(2005年の新設合併によって失効)
向都離村の社会が地域と両親を否定するとの考えに立ち、土地条例、30億円の市民募金による東海道新幹線掛川駅建設など、生涯学習をキーワードとし、様々な市の事業と有機的に結び付けた。
[編集] スローライフ
榛村市政時代に、ファストフードに代表されるライフスタイルやモータリゼーションに対して異議を唱え、勤労・分度・推譲を重視する報徳思想と絡めた、「歩行文化・スローライフ・報徳文化都市宣言」を行った。スローライフシティを宣言した都市は、掛川が全国初である。
2005年11月には、「スローライフ月間 in 掛川」が開催され、国土交通省都市地域整備局局長澤井英一、千葉大学法経学部教授新藤宗幸、ジャーナリスト筑紫哲也、掛川市(旧制)市長榛村純一、地域活性化研究所代表川島正英によるシンポジウムが行われた。
[編集] 交通
[編集] 鉄道路線
[編集] 廃止路線
かつては海岸部を静岡鉄道駿遠線が走っていた。1914年に中遠鉄道として開業し、1967年8月に廃止された。
[編集] バス路線
[編集] 一般路線バス
- しずてつジャストライン
- 大坂線
- 掛川中横須賀線
- 掛川東高線
- 遠州鉄道(遠鉄バス)
- 掛塚さなる台線
- 掛川バスサービス(旧掛川地区)
- 桜木線
- 居尻線
- 粟本線
- 倉真線
- 東山線
- 秋葉バスサービス(大須賀・大東地区)
- 秋葉中遠線(2006年10月 -)
[編集] コミュニティバス
- 掛川市市街地循環バス「スローライフバス」(2003年5月20日 -)
- 北回り
- 南回り
- 東循環線(2007年4月1日 -)
[編集] 高速バス
- JR東海バス及び共同運行事業者
- 東名ハイウェイバス:東名掛川 - 東名岡津(1969年6月10日 -)
- ドリーム静岡・浜松号:東名掛川(2007年12月1日 -)
- 京阪神ドリーム静岡号:東名掛川(2007年12月20日 -)
- しずてつジャストライン
- 中部国際空港線:東名掛川(2005年7月23日 -)
- 遠州鉄道
- e-wing:掛川インター駐車場(2006年5月8日 -)
[編集] 主な道路
[編集] 国道
[編集] 高速自動車国道
[編集] 一般国道
- 国道1号
- 島田金谷バイパス:小夜の中山TN
- 日坂バイパス:日坂IC - 道の駅掛川 - 八坂IC
- 掛川バイパス:八坂IC - 千羽IC - 宮脇IC - 西郷IC - 大池IC - 沢田IC
- 袋井バイパス:沢田IC
- 国道150号
[編集] 県道
[編集] 道の駅
[編集] 旧街道
[編集] 空港
- 現在、県内の牧之原市・島田市で富士山静岡空港が建設中である(2009年3月開港予定)。計画では掛川市から自家用車で片道約25分で結ばれる予定。
- 現状では掛川市との往来に定期航空便を利用する場合は羽田空港、成田国際空港、中部国際空港、県営名古屋空港のいずれかを利用することが多いが、公共交通機関を用いた場合の主要駅から定期航空便のある空港までの所用時間は最短でも片道約2時間を要する。[5]
[編集] 文化・芸術施設
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[編集] 娯楽
トランポリンの普及に力を入れており、全日本トランポリントーナメント競技選手権大会が開催されている。
[編集] 娯楽施設
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[編集] 観光
[編集] 観光地
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[編集] 祭事
- 掛川納涼まつり(7月末)
- 事任八幡宮例大祭(9月)
- 掛川祭(10月)
- 三の丸楽市(第四土曜に開かれる物産市)
- 高天神社例大祭
- 遠州横須賀凧揚げ祭
- 遠州横須賀三熊野神社大祭(4月)
- 小笠神社矢矧祭
- 大浜公園桜まつり
- 砂の祭典
- 功名が辻フェスタ in 掛川(開催期間:2006年1月21日~12月17日)
[編集] 名産品
- キウイフルーツを原料とするワインが醸造されている。
[編集] 伝承
[編集] 掛川を舞台にした作品
[編集] 映画
- 雨あがる(山本周五郎原作、黒澤明脚本、小泉堯史監督、2000年)[9]
- 蒼き伝説 シュート!(大島司原作、武上純希脚本、西尾大介監督、東映、1994年)
- 影武者(黒澤明・井手雅人脚本、黒澤明監督、1980年)
- 菊次郎の夏(北野武脚本・監督、1999年)
- シュート!(大島司原作、橋本以蔵脚本、大森一樹監督、松竹、1994年)
- 対決(南條範夫原作、柳川真一脚色、安田公義監督、大映、1963年)
- 名門!多古西応援団(所十三原作、渡辺千明・我妻正義・橋本以蔵脚本、橋本以蔵監督、1987年)
[編集] ドラマ
- WATER BOYS2(矢口史靖原作、橋本裕志・中谷まゆみ脚本、佐藤祐市・髙橋伸之・吉田使憲演出、フジテレビジョン、2004年)[10]
- 功名が辻(司馬遼太郎原作、大石静脚本、尾崎充信ほか演出、日本放送協会、2006年)
- 新・必殺からくり人・東海道五十三次殺し旅(第6話「日坂」:早坂暁・野上龍雄・安倍徹郎ほか脚本、工藤栄一・蔵原惟繕・南野梅雄ほか監督、朝日放送・松竹、1977年)
- 眠狂四郎円月殺法(第12話「月光けもの谷暗殺剣」:柴田錬三郎原作、和久田正明・鈴木生郎・米谷純一ほか脚本、皆元洋之助・南野梅雄・家喜俊彦ほか監督、テレビ東京・歌舞伎座テレビ、1983年)
- 風林火山(井上靖原作、大森寿美男脚本、清水一彦ほか演出、日本放送協会、2007年)
[編集] 小説
- 冀北の人岡田良一郎(三戸岡道夫作、栄光出版社、1999年)
- 黒い風を見た…(小沢冬雄作、新樹社、1993年)
- 功名が辻(司馬遼太郎作、文藝春秋、1974年)
- 駿河城御前試合(南條範夫作、河出書房新社、1983年)
- 石言遺響(曲亭馬琴作、江戸時代後期)
- 中央構造体(内田康夫作、講談社、2002年)
- 天下を汝に――戦国外交の雄・今川氏真(赤木駿介作、新潮社、1991年)
- 東海道中膝栗毛(十返舎一九作、江戸時代後期)
[編集] 絵本
- おけちゅう(ミキオ・E作、狩野富貴子絵、エヌ・ティ・ティ出版、2000年)
[編集] 浮世絵
[編集] 漫画
- アタック!!(大島司作、新潮社、『週刊コミックバンチ』連載中)
- 女の道(青木光恵作、『週刊アスキー』連載中)
- シグルイ(南條範夫原作、山口貴由漫画、秋田書店、『チャンピオンRED』連載中)
- シュート!(大島司作、講談社)
- 名門!多古西応援団(所十三作、講談社)
[編集] アニメ
- 蒼き伝説 シュート!(大島司原作、武上純希・神戸一彦脚本、貝沢幸男・角銅博之・矢部秋則ほか演出、フジテレビジョン・読売広告社・東映、1993年-1994年)
- シグルイ(南條範夫原作、山口貴由漫画、水上清資シリーズ構成・脚本、浜崎博嗣監督、マッドハウス、2007年。)
- 水色時代(第38話「あの頃のように」:やぶうち優原作、武上純希脚本、ときたひろこ監督、テレビ東京・日本アドシステムズ、1997年)[11]
[編集] 出身有名人
[編集] 政官界
[編集] 学術
- 旧大東町名誉市民(大東「町」だが称号は名誉「市」民)。
- 松本亀次郎(教育者。魯迅の恩師)
- 村松岐夫(法学博士。元京都大学法学部教授。学習院大学法学部教授)
- 八木美穂(国学者、歌人)
- 吉岡弥生(医師。東京女子医科大学創立者)
- 鷲山恭彦(東京学芸大学学長。文学修士、ドイツ文学・ドイツ社会思想)
- 鷲山養斎(医師)
- 医師。吉岡弥生の父。当時としては珍しい「聴診器」をいち早く導入するなど地域医療の向上に努め、貧しい患者からは診療費を徴収せずに米を渡すなどしたため、地元から慕われた。報徳思想の普及に努める。現在、旧鷲山邸は、吉岡弥生記念館の横に、当時のまま移設保存されている。
[編集] 文化・芸術
- 伊藤京子(声楽家)
- 大島司(漫画家)
- 小沢冬雄(小説家、第11回文藝賞受賞、第73・74回芥川龍之介賞候補)
- 久米里紗(第37回2005年度ミス日本グランプリ)
- 榛葉英治(小説家、第39回直木三十五賞受賞)
- 鈴木トオル(ミュージシャン)
- 高木まみこ(女優)
- 高須沙知子(日本放送協会アナウンサー。フジヤマTV、しずおか情報ランチ、たっぷり静岡等担当)
- 高須基仁(出版プロデューサー、モッツ出版代表取締役)
- 所十三(漫画家)
- 飛永翼(「プロダクション人力舎」所属若手お笑い芸人「ラバーガール」のツッコミ担当)
- 長尾春花(バイオリニスト)
- 成瀬大域(書家)
- 松下誠(編曲家)
- 水島総(日本文化チャンネル桜社長、映画監督、脚本家)
- 三戸岡道夫(小説家、あさひ銀行副頭取、大日本報徳社副社長)
- 宮沢章夫(早稲田大学客員教授。劇作家)
[編集] スポーツ
- 鵜藤俊平(ベルリンオリンピック銀メダリスト)
- 尾澤聖子(水上オートバイプロ選手、2005年国際ジェットスポーツ協会世界大会プロ-アマ女子スキークラス世界チャンピオン)
- 松井謙弥(プロサッカー選手、ジュビロ磐田)
- 森保一(プロサッカー選手、サンフレッチェ広島トップチームコーチ)
- 森保洋(プロサッカー選手、サガン鳥栖U-18監督)
- 山崎諭(アマチュア野球指導者、日本興業銀行野球部部長、東海大学付属仰星高等学校校長、東海大学第三高等学校校長、東海大学付属相模高等学校校長)
[編集] 縁故のある有名人
[編集] 政官界
- 静岡県静岡市出身。掛川市立和田岡小学校卒業。第72代国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣(防災担当)を歴任。
- 柳澤伯夫(元大蔵官僚、衆議院議員)
- 静岡県袋井市出身。静岡県立掛川西高等学校卒業。掛川市在住。掛川市を含む衆議院静岡県第3区から選出。初代金融再生委員会委員長、初代金融担当大臣、第7代厚生労働大臣を歴任。
[編集] 文化・芸術
- 伊東四朗(芸能人)
- 東京都出身。戦時中、疎開のために掛川に転入した。未だ売れていない頃はよく帰って来ていたが、人気が出るにつれて人が群がってくるという理由で、それ以来は帰って来ていない。
- 三代目尾上菊五郎(歌舞伎俳優)
- 江戸小伝馬町出身。掛川宿にて客死し広楽寺に葬られる。
- 西行(僧侶・歌人)
- 宮城まり子(芸能人)
- 東京都出身。掛川市にて施設群ねむの木村を運営する。
[編集] スポーツ
- 藤田寛之(ゴルファー)
[編集] 脚注
- ^ 『マイバッグソング』掛川市役所。
- ^ 『掛川警察署』掛川警察署。
- ^ 目的外転用自体は、東遠地域での工業用水未整備、地下水の塩水化、農業用水の余剰など、複合的な要因で発生した問題であり、一概に悪と決めつけることはできない。問題の発覚から解決に至るまでは寸感_経済建設部付参事_1に詳しい。
- ^ 掛川市役所環境保全課環境企画係「掛川発マイバッグソング『いつも持っているマイバッグ』」『マイバッグソング』掛川市役所、2008年2月21日。
- ^ Yahoo!路線情報にて検証
- ^ エコパスタジアムなどは袋井市であるが、多目的広場など一部施設は掛川市に立地している。
- ^ 日本初のオールナイトライブ「コンサート・イン・つま恋」(よしだたくろう、かぐや姫など出演)、「ap bank fes'05」、「ap bank fes '06」(小田和正、桑田佳祐(サザンオールスターズ)、コブクロ、BoA、忌野清志郎、ポルノグラフィティ、一青窈出演)会場。
- ^ ガラス張り、階段状吹き抜け、アトリウム吹き見寄せ、シースルーエレベーターなど、市役所とは思えないデザインであり、JR東海道新幹線からも見えるランドマークタワーのひとつ。茶産地に因み、茶畑に設置する防霜ファンを屋内に設置、回転させることで空調効果を向上させている。
- ^ 掛川城二の丸御殿がロケ地となった。
- ^ 天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線原谷駅がロケ地となった。
- ^ アニメ主人公の恋人が掛川第一高等学校にサッカー留学している設定。JR東海道新幹線掛川駅のホームや駅周辺の風景が忠実に描写されており、一話のみの舞台でありながら、綿密なロケハンが行われたことが窺える。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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