宮城まり子
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宮城 まり子(みやぎ まりこ、1927年3月21日 - )は、東京都出身の歌手・女優・映画監督・福祉事業家。東京都名誉都民。
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[編集] 来歴
貧しい母子家庭に出生、幼くして母、弟と相次ぎ死別するつらい少女時代を送った。1950年9月ポリドールより『恋はお荷物』でレコードデビューをしたがA面の青葉笙子『七色の花』の方が話題になった。1953年レコードで歌った『毒けしや、いらんかネ』が流行し一躍歌手としてその名が知れ渡った。1955年には『ガード下の靴磨き』も大ヒットした。その後も『納豆うりの唄』『てんてん娘』『夕刊小僧』などヒットを連発し人気歌手として紅白歌合戦にも連続出場をしている。その後女優業に進出し1958年『12月のあいつ』で芸術祭賞、1959年『まり子自叙伝』でテアトロン賞を受賞。
1968年に肢体不自由児の社会福祉施設「ねむの木学園」を静岡県浜岡町(現御前崎市)に発足(1997年から掛川市に移転)。この頃より、タレント活動は事実上引退状態となる。1974年には記録映画『ねむの木の詩』を製作・監督し、第6回国際赤十字映画祭で銀メダル賞を受賞した。1976年には、『まんが世界昔ばなし』の声優として名古屋章とともに共演。1977年には『ねむの木の詩がきこえる』を製作した。1979年「ねむの木養護学校」を発足。1975年と1981年に実施された、近畿放送(京都放送=KBS京都)テレビ番組『宮城まり子のチャリティーテレソン』を通して身体障害者の社会参加を訴えた。これらが評価され、1979年総理大臣表彰された。
また身体障害者に対する手描き友禅、合唱の指導なども行っている。
なお、ねむの木学園設立時のエピソードは、1980年代にテレビ朝日系でアニメ化されたことがある。
作家吉行淳之介と交際し、彼の死までよきパートナー関係(都内の互いの自宅も隣同士)であったことはあまりにも有名。また、信心厚いクリスチャン(プロテスタント)でもある。
2007年3月、日本経済新聞『私の履歴書』に自伝を執筆した。
[編集] 代表曲
[編集] 著作
- ともだち ねむの木 そして私
- ねむの木のこどもたち
- としみつ
- ねむの木の詩
[編集] 監督作
[編集] その他の表彰歴
- 1989年 CD「ねむの木」、劇団「虹」により芸術祭賞
- 1991年 辻村教育賞、エイボン女性大賞受賞
- 1992年 広島大学主催のペスタロッチ教育賞受賞(第1回受賞者)
- 1993年 東京都文化賞受賞
- 1994年 博報堂教育特別賞・文部大臣奨励賞受賞
- 1996年 日本肢体不自由児協会主催の高木賞受賞
- 2000年 第5回尾崎行雄咢堂賞、静岡県都市景観賞最優秀受賞
- 2004年 東京都名誉都民称号受領。
[編集] 関連施設(いずれも掛川市)
- ねむの木のどかな家
- 森の喫茶店MARIKO
- がらすやさん
- 雑貨屋さん
- 毛糸やさん
- 地域交流インフォメーションセンター
- 吉行淳之介文学館
- ねむの木こども美術館