掛川祭
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掛川祭(かけがわまつり)は、静岡県掛川市で10月第2週に行われる祭典。各種の芸能と屋台祭りおよび獅子舞の三つの面で有名。
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[編集] 概要
掛川城下の龍尾神社・神明宮・利神社・池辺神社・津島神社・白山神社・貴船神社の7社合同で行われている。
祭禮は3年に1度(数え年で4年に1度。丑・辰・未・戌年)行われる大祭と、それ以外の小祭に分けられる。
現在でも大祭の年のみ行われる三大余興のうち「瓦町のかんからまち」は、静岡県の無形文化財に指定されている。
かつては大祭の年のみに屋台が曳き廻され、小祭には獅子を出していたが、戦後は毎年屋台を曳き廻している。
遠州地方では多くの地区で10月第2週に祭禮が行われており、掛川市中心部でも駅南地区では独自に祭典が行われており、その他の地区でも同日に行うことが多いが、単に「掛川祭」という場合、駅北の「掛川城下の祭り」をさす。
祭典期間中は中心市街地、旧東海道筋の広範囲に渡って交通規制が敷かれ、車両が進入できなくなる。中町・連雀通り、駅前通りには多数の露店が並び、屋台と参加者、近隣住民、観光客で非常に混雑する。近隣地区でも同日に祭典を行う地区が多いため、掛川祭の参加町以外の法被姿の者も多く見られる。
1990年までは高校生の参加が禁じられていたが、現在は誰もが参加できるようになっている。
[編集] 開催日程
毎年10月上旬に行われているが、具体的な日は休日制度の変遷により、時代ごとに若干異なる。体育の日がハッピーマンデー制度により10月第2月曜になってからは、10月第2金・土・日に行われている。金曜日は夜間のみであり、自区内の家に余興を披露するために行われる。なお、大祭の年は1日長く、月曜日まで行われる。
[編集] 平成以降の大祭開催年
[編集] 歴史
獅子と屋台と言う現在の掛川祭の原型が始まったのは定かではないが、宝暦年間(1751年‐1763年)に獅子舞が行われていることと、嘉永2年(1849年)に現存最古の祭り屋台が購入されていることから、少なくとも幕末には現在の原型が始まったと思われる。また祭典の中心の氏神である龍尾神社が古くは天王社であることから、祇園祭との関連性で山車祭りとしての側面がもっと古くからあったと考える見方もある。
[編集] 三大余興
掛川の祭りは各町の出し物「余興」でも知られる。各町参加者が「かっぽれ」「奴さん」「おいとこ」などの舞踊を披露するが、大祭の年だけに披露される特別な余興もある。その中でも有名なものが三大余興である。
- 西町の「奴道中」……島津家の大名行列をかたどったものといわれ、供奴の大名行列や毛槍の受け渡しが見もの。
- 仁藤の「大獅子」……重さ300キロの獅子頭が掛川の町内を練り歩く。
- 瓦町の「かんからまち」……伊勢太神楽系の獅子舞で、3頭の木獅子が舞う。
[編集] 衣裳
通常は各町ごと決められた法被を着用し帯を締めるが、大祭の特別な余興においては、専用の豪華な衣裳に仮装して余興を行う。このような出し物を特に戦前期には各町競って披露していたため、衣裳祭としての側面もあったが、現在では一部の町で残っているのみである。現在行われていない町でも、屋台のだし飾りとして残っていることがある。
- 現在でも行われている余興
[編集] 屋台祭りとしての「掛川祭」
[編集] 屋台の形式
掛川の祭り屋台は、俗に「御所車型」と言われている二輪屋台である。ただ、御所車と全く同じ形というわけではなく、屋上には縁側に当たる浜床があり、跳高欄で囲まれ、各町の余興や由来にちなんだ出し物(人形、獅子など)が飾られている。ただし、掛川祭は芸能の祭りでもあり、囃子の締太鼓は屋台正面の出高欄で演奏される。そのため遠州の他地域の二輪屋台と比べて出高欄が大きめに作ってある(出囃子)。
[編集] 祭囃子
掛川の祭囃子は遠州横須賀の「三社祭礼囃子」の系統であるが、「沖の大船」や「本町二丁目」「六法」などの民謡や小唄・黒御簾なども演奏される。これは、浜松まつり同様、古くから祭りに芸者衆が参加していたためと考えられる。そのため、二輪屋台の祭礼では珍しく三味線も囃子に参加する。
横笛と三味線の奏者は近隣の祭囃子保存会や芸者が招聘され、所謂プロが担当するが、小太鼓は自町内の小学生が担当する。
[編集] 手木合わせと徹花
掛川の屋台の名物が、屋台同士のすれ違いの際に行われる手木合わせ(てぎあわせ)と徹花(てっか)である。もともとこれらの風習は狭い道を屋台がすれ違う際に、「お互い無事に屋台がすれ違えました」という意味で手打ちをしたことに始まるが、道路が拡幅された現在でも風習として残っている。
まず2台の屋台がすれ違う際に屋台の手木(てぎ=御所車で牛をつなぐ頸木の部分)を近づけ、これから屋台がすれ違うという確認を両町で行い、木頭(きがしら)と呼ばれる役員が拍子木を打つ(このとき両町の囃子は一旦中止)。屋台を通過させて車軸がすれ違う際に「無事通過した」ことを確認すると、再び両町の木頭が拍子木を打つ。このときにテンポの速い「徹花囃子」を披露することからこれを徹花(あるいは鉄火)という。更に屋台を進め、屋台尻がすれ違うとき、3度目の拍子木が打たれ、徹花は終了する。
なお、屋台と獅子・獅子と獅子がすれ違う場合でも拍子木が打たれるが、徹花は行われず、囃子を止めたまますれ違う。
[編集] 獅子の祭り
掛川祭は屋台祭りとしてだけでなく、獅子の祭りとしても有名である。これは三大余興の大獅子・かんからまち以外にも小獅子・木獅子を持つ町があり、獅子舞が祭りの重要な要素であったからである。
小獅子と言っても幌が道路を覆い尽くすほどの大きなもので、現在でも祭典時には屋台の間を小獅子が練り歩く。
[編集] 行動
参加各町は事前に定められた行動表に従い、途中休憩を挟みながら屋台(獅子)を進行する。道中、各町の会所や商店・家宅の前で余興が披露される。日程は午前の部(09:00-12:00)・午後の部(13:00-17:00)・夜の部(18:00-21:00)に分けられる。小祭では各町が個別に行動するが、大祭では近接する3~4町がまとまって行動する「ブロック行動」をとる。ただし、三大余興を持つ町は単独行動をとる(午前・午後のみ)。
行動表は毎年適宜定められるが、おおよそのパターンが決まっている(ただし例外も多い)。まず1日目夜に自町内を回る。2日目以降の午前・午後はブロック町、近隣の町から次第に遠方の町へ向かう。2日目以降の夜は一斉に宿場の中心にあたるイシバシヤ交差点(連雀西交差点)付近に集合する。
また、期間中に奉納のため各町の氏神とする神社に向かう。但し、利神社は新幹線高架橋の南側にあり、屋台が潜れないため、1日目午後に万灯・御囃子のみが神社に赴き奉納する。
[編集] 参加町
平成19年現在、41町が祭典に参加しており、このうち38町が屋台を所有している。他の3町は屋台を持たず、小獅子のみで参加している。
氏神 | 氏子町内 | ブロック | |
---|---|---|---|
神明宮 | 新町 | しんまち | 第一ブロック |
喜町 | きまち | ||
塩町 | しおまち | ||
旭町 | あさひまち | 第二ブロック | |
神明町 | しんめいちょう | ||
仁藤町 | にとうちょう | ||
道神町※ | どうしんちょう | ||
龍尾神社 | 松尾町 | まつおちょう | 第三ブロック |
城内 | じょうない | ||
北門 | きたもん | ||
大手町 | おおてちょう | 第四ブロック | |
連雀町 | れんじゃくちょう | ||
肴町 | さかなまち | ||
栄町 | さかえちょう | 第五ブロック | |
紺屋町 | こうやまち | ||
研屋町 | とんやまち | ||
中央一丁目 | ちゅうおういっちょうめ | ||
緑町 | みどりちょう | 第六ブロック | |
中町 | なかまち | ||
西町 | にしまち | ||
瓦町※ | かわらまち | ||
十王 | じゅうおう | 第七ブロック | |
利神社 | 下俣町 | しもまたちょう | |
中央二丁目 | ちゅうおうにちょうめ | ||
十九首 | じゅうくしょ | 第八ブロック | |
小鷹町 | おだかちょう | ||
中央三丁目 | ちゅうおうさんちょうめ | ||
中央高町※ | ちゅうおうたかまち | ||
龍尾神社 | 下西郷 | しもさいごう | 第九ブロック |
城北町 | じょうほくちょう | ||
弥生町 | やよいちょう | ||
池辺神社 | 二瀬川 | ふたせがわ | 第十ブロック |
龍尾神社 | 城西 | しろにし | |
池辺神社 | 七日町 | なのかちょう | |
鳥居町 | とりいちょう | 第十一ブロック | |
秋葉通り | あきはどおり | ||
上屋敷 | かみやしき | ||
秋葉路 | あきはみち | ||
白山神社 | 橘町 | たちばなちょう | 第十二ブロック |
津島神社 | 末広町 | すえひろちょう | |
貴船神社 | 長谷 | ながや |
※印は小獅子のみの参加