池田大作サリン襲撃未遂事件
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池田大作サリン襲撃未遂事件(いけだだいさくサリンしゅうげきみすいじけん)は、1993年12月18日に発生したオウム真理教信者による殺人未遂事件。
[編集] 概要
この事件で標的とされた池田大作は創価学会の名誉会長で、同教団の事実上のトップである。
オウム真理教の教祖、麻原彰晃は同じ新宗教である創価学会を敵視していた。麻原によれば[1]、『創価学会は、仏教団体を名乗りながら煩悩を肯定している宗教』であり、『原始仏教やチベット仏教を見下している』また、オウム信者をオウムから学会に改宗させようと個人的に妨害活動をする学会員も現れ、『池田大作は「仏敵」であるからポア(殺害)[2]しなければならない』、や、『池田大作はオウムを滅ぼそうとしているからできるだけ早くポアしなければ』等と独り言を呟いていた[3]。
サリン製造成功を機に、麻原彰晃は池田大作をサリンで暗殺することを企図し、村井秀夫らに実行を指示した。
1993年12月18日土曜日、東京都八王子市の創価大学では演奏会が開かれる予定になっており、池田大作も出席することになっていた。当日未明、創価大学の近隣にある創価学会施設「東京牧口記念会館」にオウム真理教のサリン噴霧車が到着し、3kgのサリン溶液を噴霧した。しかし防毒マスクを着用していたせいで、会館の警備を担当している創価学会牙城会の会員に怪しまれ、直ちに逃走した。その際、実行犯の新実智光は防毒マスクを外したせいでサリンを大量に吸引し重体に陥った。新実は直ちにオウム真理教附属医院に搬送され、治療の結果一命を取り留めた。
池田大作本人には被害は無かったものの、当日警備していた牙城会員が、視力減退や倦怠感などサリン中毒特有の症状を訴えたという[4]。
この後、オウム真理教は1994年6月27日に「松本サリン事件」、1995年3月20日に「地下鉄サリン事件」を起こした。
池田大作サリン襲撃未遂事件の犯行の事実は1996年1月の松本サリン事件公判で明らかにされた[5]。
これ以降創価学会は、池田の行動予定の情報管理を厳しくし、金城会・牙城会・創価班などに各会館の警備を強化させている[5]。
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
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