省庁制 (オウム真理教)
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省庁制(しょうちょうせい)は、1994年6月26日に導入されたオウム真理教の内部組織である。
地下鉄サリン事件以降の一連の報道により、大きくクローズアップされることになった。
多方面から批判を浴びたことと、組織の温存を図るため、1995年5月11日に擬似国家的なオウム真理教の「省庁制」は廃止された。
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[編集] 省庁制導入のねらい
教団では当初「部班制」が採られていた。「総務部」「広報部」「科学班」「デザイン班」などがあり、修行に専念するときに一時的に所属する「修行班」もあった。
教団の組織化はそれほど進んでおらず、麻原彰晃が直接各部班の決裁をしていた。林郁夫によると、オウム真理教附属医院の患者の治療についても麻原にお伺いをたてていたという[1]。
しかし、組織が拡大したことで麻原の負担が重くなり、決裁権や人事権を教団幹部に委譲するために省庁制が導入された。
省庁制導入後は、上意下達の組織としての充実が図られた反面、麻原とサマナ個人との霊的な繋がりが薄れ、「尊師」は遠い存在になっていったという[2]。
[編集] 省庁制発足式
1994年6月26日、教団の関連企業経営の飲食店であるうまかろう安かろう亭阿佐ヶ谷店において、「省庁制発足式」が開かれ、各「省庁」の「大臣」や「次官」約100人が集まり、麻原の前で決意表明を行った。
この内の何人かは、翌日に長野県松本市に赴き、松本サリン事件を起こすことになった。
[編集] オウム真理教の「省庁」一覧
オウム真理教の「国家元首」神聖法皇[3](麻原彰晃)の下に各省庁が置かれ、大臣[4](長官)が「省務」を統括した。
省庁名 | 長(事実上の長) | 省務 |
---|---|---|
法皇官房 | 麻原の三女 (石川公一) |
神聖法皇の身の回りの世話を担当 |
法皇内庁 | 中川智正 | 神聖法皇の雑務を担当 |
究聖音楽院 | 石井紳一郎 | 教団の音楽を担当 |
諜報省 | 麻原の四女 (井上嘉浩) |
教団の非合法活動を担当 |
外務省 | 上祐史浩 | 教団外の交渉を担当 |
大蔵省 | 石井久子 | 教団の物品購入を担当 |
自治省 | 新実智光 | 教団の警備を担当 |
科学技術省 | 村井秀夫 | 自動小銃やサリンプラントの建設を担当 |
第一厚生省 | 遠藤誠一 | 細菌兵器や違法薬物の製造開発を担当 |
第二厚生省 | 土谷正実 | 化学兵器や違法薬物の製造開発を担当 |
治療省 | 林郁夫 | オウム真理教附属医院を担当 |
建設省 | 早川紀代秀 | 教団施設の建設や用地買収を担当 |
法務省 | 青山吉伸 | 教団の訴訟関係事務を担当 |
文部省 | 杉浦茂 | 出家信者の子弟の教育や教典の翻訳を担当 |
商務省 | 越川真一 | 教団の経理を担当 |
労働省 | 山本まゆみ | 出家信者の生活指導を担当 |
郵政省 | 松本知子 | 教団の出版物等の編集を担当 |
流通監視省 | 麻原の長女 | 教団の食事分配を担当 |
車両省 | 野田成人 | 教団の車両の運転や整備を担当 |
防衛庁 | 岐部哲也 | 教団の空気清浄機「コスモクリーナー」の保守管理を担当 |
東信徒庁 | 飯田エリ子 | 東日本地区の信徒の管理を担当 |
西信徒庁 | 都沢和子 | 西日本地区の信徒の管理を担当 |
新信徒庁 | 大内早苗 | 白い愛の戦士の管理を担当 |
[編集] 類似の組織を設けた日本の団体
かつて「省庁」を僭称したり、国家を自称した日本の団体は下記の通り。
[編集] 注釈
- ^ 林郁夫『オウムと私』 ISBN 4167656175 120~121ページより
- ^ 林郁夫『オウムと私』 ISBN 4167656175 261~263ページより
- ^ 読みは「しんせいほうこう」である
- ^ 日本の国務大臣のように「○○大臣」ではなく「○○省大臣」と呼ばれていた。但し、朝日新聞社系のマスメディアは「○○省トップ」と呼んだ。