林泰男
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林泰男(はやし やすお、1957年12月15日 - )は、元オウム真理教幹部。東京都出身。ホーリーネームはヴァジラチッタ・イシディンナ。教団内でのステージは師長だったが、地下鉄サリン事件3日前の尊師通達で正悟師に昇格した。省庁制が採用された後は、科学技術省次官の一人となる。
同姓の林郁夫(同教団幹部)とは縁戚関係は無い。
[編集] 来歴
中学校3年生の頃、父親が北からの帰化人だったことを初めて知り、自身も帰化した。それによって、従来朝鮮人などを差別していた自らの偏見や歪みに苦悩するようになったという[1]。祖父母は北朝鮮の秘密工作船支援の容疑で、日本の公安調査庁の重要監視対象者だった[要出典]。
1974年1月、国学院久我山高校を中退し都立立川高校定時制に入学。1983年に工学院大学二部電気工学科卒業後、就職せずに4年間世界各地を旅行し、そこでヨーガや仏教に興味を持ち、麻原彰晃の著書を読んだことで入信。1988年12月6日に出家。
地下鉄サリン事件では、自ら志願して他の実行犯よりサリン袋を一つ多い三袋持ち、実行したと報道された。このためオウムへの忠誠心が厚くダーティーワークを厭わずに実行する者との認識が一般に広まり、ワイドショーなどでは「殺人マシン」、「オウムの殺人マシン」、甚だしくは異名も容疑者呼称も全てが名前の一部であるかのような「殺人マシン林泰男容疑者」などと呼称され、サリン事件後全国指名手配された逃亡中のオウム犯の中でも頭立った者、危険性の高い犯人として認識されていた。指名手配ポスターでも、記載位置は上列の一番左すなわち筆頭だった。なお、別名の表記は事件当時は「殺人マシン」と縮めることが多く、逮捕・起訴後は「殺人マシーン」と表記するケースが多くなっている。
逃亡をしていたが、1996年12月3日に沖縄県石垣島で逮捕された。第一審判決は、林泰男が真面目に学業や仕事に取り組んでいたことなどを挙げ、「被告人を一個の人間としてみるかぎり、被告人の資質ないし人間性それ自体を取り立てて非難することはできない。」「およそ師を誤ることほど不幸なことはなくその意味において被告人もまた不幸かつ不運であったといえる。」とも述べている。
地下鉄サリン事件の他の実行犯は1995年5月頃までに逮捕されたが、林は逃亡を続け、1996年12月3日に石垣島で逮捕された。松本サリン事件、地下鉄サリン事件などで起訴されており、第一審、控訴審ともに死刑判決を受け、上告するも2008年2月15日、最高裁第二小法廷は上告を棄却し、林の死刑が確定した。