村井秀夫
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村井 秀夫 | ||
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出生 | 1958年12月5日 大阪府 |
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没地 | 1995年4月23日 東京都港区南青山 |
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ホーリーネーム | マンジュシュリー・ミトラ | |
ステージ | 正大師 | |
教団での役職 | 科学技術省大臣 | |
入信 | 1987年 |
村井 秀夫(むらい ひでお、1958年12月5日 - 1995年4月23日)は、オウム真理教最高幹部、科学技術省大臣。ホーリーネームはマンジュシュリー・ミトラ正大師。IQ180[要出典]。
大阪府生まれ。子供の頃はただ望遠鏡で星を観察するのが趣味という親から見て全く手の掛からない少年であった。1977年大阪大学理学部物理学科入学、同大学院修士課程を卒業後、神戸製鋼に入社したが、1987年オウム真理教に入信し正大師になる。
坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件など、教団が起こした事件では中心人物だった。1990年の第39回衆議院議員総選挙に東京都第8区から真理党公認で立候補したが落選している。
1995年に東京都港区南青山の教団東京総本部前で指定暴力団・山口組系羽根組組員の右翼団体構成員に刺殺された[1]。享年36。直後、どこからか彼の遺体の写真が週刊誌に流出し、物議を呼んだ。
詳細は村井秀夫刺殺事件を参照
死ぬ直前、ユダにやられたと話していたことを上祐史浩(当時外務部長)が会見で述べた。