オウム真理教の兵器
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オウム真理教の兵器(オウムしんりきょうのへいき)では、オウム真理教が購入・開発した兵器について解説する。
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[編集] 兵器
[編集] 一般兵器
- 自動小銃 (AK-74)
- 旧ソ連軍が採用した自動小銃を基に、銃の密造を企てた。(詳細は自動小銃密造事件を参照のこと)
- ヘリコプター(Mi-17(ミル17))
- 加えて、Mi-24(ミル24)攻撃ヘリコプターや飛行船の入手も企てていた
- 旧ソ連のミル設計局で開発されたヘリコプターであり、ロケット弾や対戦車ミサイルなどを装備させて武装ヘリコプターとして運用することも可能。オウム幹部の早川紀代秀は、92年からの3年余に21回ロシアを訪れ、人材発掘と武器購入に奔走。サリン散布のため、1994年6月にロシアから購入した。大型軍用ヘリコプター「ミル17」を購入し、オランダのロッテルダム港経由で海上輸送により、上九一色村の教団施設に運び込んだ。しかし実際に運用されることはなかった。
- 軍用炸薬 (RDX)
- 東京都庁小包爆弾事件で使用された爆薬である。これを積んだ人間ロケット爆弾(軍用爆薬と増速用ロケットを搭載したグライダー)も作ろうとしていたが、自爆の覚悟を持つ信者が一人もおらず麻原の空想のみで終わった。
- 特殊潜航艇
- 1993年、「オウム海中都市構想」を企てた麻原が、その手始めとして村井秀夫らに命じ建造させた。動力源はディーゼル・エレクトリック機関を目指していたが開発が遅れ、やむなく試作機の動力源は人力となった。静岡県の港で進水式と試運転を行ったが、ハッチの不具合と水圧により進水直後に沈没を遂げ、操縦士役の端本悟が内部に取り残され、地元のダイバーに救出された。後に端本はオウム裁判の法廷にて「潜水艦が沈み内部に取り残されていたときは、走馬灯のように今までの人生が思い出された。オウムにめぐり合っていなければ…。」と悔恨の供述をしている。
[編集] 化学兵器
- サリン
- 松本サリン事件(1994年)や地下鉄サリン事件(1995年)で使われた毒ガスで、1993年頃に開発に成功する。教団内の隠語は「マホウ」「サッチャン」(魔法使いサリーからとられた)である。
- VXガス
- サリンとともに開発した毒ガスで、主に教団に敵対する人物の殺害に使われた。教団内の隠語は「神通力」である。
- 青酸ガス
- 1994年に青酸ガスの製造に成功した。後に警察の捜査かく乱のために、青酸ガスの原料であるシアン化ナトリウムを使って、新宿駅青酸ガス事件を起こすことになった。
- ホスゲン
- 1990年頃にホスゲンの製造に成功した。1994年にジャーナリストの江川紹子宅に散布し、江川に全治2週間の傷害を与えた。(江川紹子ホスゲン襲撃事件)
- イペリットガス
- 1994年頃にイペリットガスを製造した。外部に漏れ出て、信者に火傷を負わせたことから、「スパイの仕業」ということになり、疑われた男性信者が殺害された。(オウム真理教男性現役信者リンチ殺人事件)
[編集] 生物兵器
- ボツリヌス菌
- 1990年の石垣島セミナー開催時に、本土でボツリヌス菌を散布するテロ計画があったが、製造に失敗したため断念した。教団内の隠語は「ボッチャン」「夏目漱石」(坊つちやんの題名とその作者からとられた)である。
- 炭疽菌
- 1992年頃より開発が始められ、1993年に亀戸の教団支部付近に炭疽菌を噴霧した。噴霧直後に炭疽菌が死滅したため死傷者は出なかったが、悪臭があたり一面に漂い、近隣住民の顰蹙をかった(亀戸異臭事件)。このため生物兵器の開発は見送られ、化学兵器の開発に重点を置くようになった。教団内の隠語は「CCチャン」(「炭(炭素)」の元素記号からとられた)である。
[編集] 核兵器
- ウラン型原子爆弾
- 核兵器の開発に必要なウランを入手すべく、人形峠の調査を行ったり、オーストラリアのウラン鉱脈がある土地を購入した。しかし、麻原一行が視察のためオーストラリアに入国した際に、違法薬物を持ち込んでいたことが判明、これ以後の入国が禁止されたことで核開発は断念することになった。
- オウム程の規模と技術のある団体であれば、戦術級の核兵器を製造する事は絶対に不可能とはいえないが、日本に輸送する手段は無かったと思われる。