横山昭二
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横山 昭二(よこやま しょうじ、1927年 - 2007年?)は、検察官出身(ヤメ検)の元弁護士で、晩年は歴史研究家として活動をしていた。
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[編集] 来歴・人物
東京都出身。炭坑夫を経て、中央大学法学部卒業。大学は夜間部に在籍、工事現場などで働きながら司法試験に現役合格し、検察官として勤務した。検察を退官後は弁護士となる。一連のオウム事件に於ける、オウム真理教教祖・麻原彰晃こと松本智津夫の最初の私選弁護人として知られる。
[編集] オウム事件
1995年の松本逮捕の後、松本の弁護人を買って出、そのまま松本の私選弁護人となる。当時はオウム真理教の幹部が連日連夜報道番組等に出演しており、彼等は芸能人のような扱いを受けていたが、横山も例に漏れず同様の扱いを受ける。
殊に彼の場合は、その独特の雰囲気やしゃべり方から「横弁」の渾名がつくほどの人気を得たが、日を経る毎に他の裁判での弁護費用の310万円の着服等の疑惑が取り沙汰され、これに関することでマスコミに追い回されることとなった。
そのあまりのしつこさにキレた横山の「大馬鹿者!!!」「バカモンっ!!!」や「も~う、やめてー。」に代表される一連の発言は、バラエティ番組でタモリ、志村けんや岡村隆史に物まねされたことが記憶に新しい。また、そのキャラクター性から、バラエティーの特番に出演する事も多かった。 2004年、2005年の「年越しロンドンハーツ」で、特別出演し、マスコミに揉みくちゃにされる自虐ネタを自ら買って出て行い、笑いをとっていた。なお2回とも出演はこのシーンのみである。
[編集] 不祥事
松本の公判が開始が近づくと、裁判の先延ばしのためか、横山は公判開始前日に突然松本被告から私選弁護人を解任されるも、その直後に再任された。また、横山が同乗しオウム信者が運転する車が、不可解な事故を起こして横山が負傷した。
さらに、横山が講談社に、松本被告の供述調書を横流しする等の不祥事が続き、裁判所の判断で私選弁護人の横山が存在することを承知の上で、松本被告には横山とは別に国選弁護人が付けられるという異例の事態を迎えることとなる。
しかし、その国選弁護人と裁判所は初公判の日時をめぐって激しく対立するようになった。その時、早く公判を開きたいと考える裁判所側が国選弁護人とは意見が合わない私選の横山昭二弁護士に注目し、横山昭二を松本被告の主任弁護人にしようとしたが、国選弁護人たちの抵抗によって、成功しなかった。
そうこうしている内に、横山は私選弁護人を解任され、さらに以前の着服や松本の供述調書の横流し等が問題となり、弁護士活動は事実上行うことができなくなってしまう。これを機に横山は弁護士を廃業し、前々から関心のあった歴史(主に世界史)の研究をして、余生を送ることとしたようである。
[編集] 弁護士廃業後の活動
名誉を毀損したとして、大阪弁護士会に所属する弁護士を相手に民事訴訟を起こした。1審では敗訴したが、2審で勝訴し、30万円の損害賠償請求が認められた。
オウム事件後、大阪府河内長野市に住居を置き、近隣住民からも郷土歴史家として知られていた。TV等のメディアに出演する事は殆ど無かった。
2006年7月19日、肺ガンを患い闘病中であるとスポーツ紙で報じられた。同年春先、中期ガンであると診断され、本人は延命治療を拒否する考えであったが、家族が抗がん剤による治療を勧め、本人も承諾することになった。治療の結果、危機的な状態からは脱し、その後は「日本の刑事裁判における裁判官の暴走」なるテーマの本を執筆中であったという。
2007年8月6日発売の写真週刊誌『FLASH』にて、特集「日本の人権派弁護士」の中でオウム事件の松本智津夫(麻原彰晃)の弁護人として紹介されたが、故人と表記されていた。肺ガンが原因とみられる。
[編集] 著書
- 『大馬鹿者―私の話を聞きなさい』(ディエスシー、1996年)ISBN 4795240280