正信会
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正信会(しょうしんかい)は、日蓮正宗から分離した新宗教団体。現議長は岡田法裕(広島県信敬寺住職)。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 結成までの経緯
正信会は昭和40年代後半日蓮正宗と日蓮正宗系新宗教・創価学会(以下、「学会」とも表記)のいわゆる第一次宗創騒動に始まる。創価学会と対立姿勢を強めた日蓮正宗第66世管長・細井日達が活動家僧侶に学会を批判させた。学会に対抗する信徒組織(檀徒)を活動家の寺院に組織していった。本尊の問題については1973年9月28日に8体の御本尊のうち7体が総本山に返納される。また11月7日に学会幹部が大石寺に参詣し教義逸脱の非を認め、これも一時収束を見せる。池田大作会長が名誉会長に退き北条浩会長となり、日達も円満に収めようとしたが、活動家僧侶は学会批判を続け、日達自身も活動家僧侶に引きずられがちであった。
日蓮正宗では他の宗派同様に弟子は末寺の住職を師匠として育成していたが、創価学会の急成長とともに弟子が急増し、一般僧侶は弟子を2名まで、能化は無制限とする状態がしばらくは続いた。後に日達が少年得度制度を始め弟子はすべて時の管長を師匠とすることになった。これらの僧侶たちの多くは創価学会出身の者が多かった。しかし皮肉にもこれらの僧侶たちは次第に学会の思想を離れ細井管長を師匠と仰ぎ「妙観会」という派閥を形成した(ここでいう「妙観会」と後の日蓮正宗中の妙観講とは異なる)。妙観会は次第に創価学会への批判を強める僧侶が多くなったが、妙観会以外にも渡辺広済や久保川法章など創価学会への批判を強める僧侶は多かった。このころは大石寺の蓮東坊(丸岡雄道住職)が活動家僧侶のセンターの役割を果たしていた。 これがいわゆる「正信覚醒運動」と呼ばれ、後の正信会につながっていく。
[編集] 結成とその後
1979年7月22日に管長・細井日達が心筋梗塞で死去(遷化)し、学会に対して協調の姿勢を見せていた阿部日顕が登座すると、学会との対立を控えたい宗門首脳と学会を批判する一部僧侶・檀徒とが対立。1980年7月4日に「正信会」を結成して宗務院が中止勧告を出すなか檀徒大会を開催、学会批判を強めた。
これを牽制する目的で宗門は罷免5名、2階級降格13名、2年停権155名、1年停権23名、譴責5名の計201名を処分した。このとき正信会側は宗会(正信会側は議長:久保川、議員:佐藤正英、渡辺広済、秋山徳道、簗瀬明道、古谷得純、佐野知道、佐々木秀明、荻原昭謙、丸岡文乗)と監正会(正信会側は会長:岩瀬正山、常任監正員:藤川法融、大泉智照、鈴木譲信)と過半数を確保していて、監正会は宗務院に不服の場合の最終判定を下すことから処分してはならないとの裁定を予め出していた。しかし宗務院は檀徒大会に出席しなかった岩瀬らを処分者に含め監正会員自身関係する案件には関われないとして宗務院は処分を強行した。正信会側は対抗策として日達から日顕へ血脈相承した形跡がないので、管主の資格なしとして地位不存在確認の裁判を起こした。この対処として宗務院は正信会僧侶の大量処分へ踏み切った。
このとき活動家僧侶のうち丸岡雄道や佐藤正英など日蓮正宗側に戻った人も多い。
阿部日顕の血脈相承疑義及び正信会僧侶僧職の擯籍処分と寺院占拠問題に関わる裁判は、「信仰次元の問題なので当事者間の話し合いで解決するべきである。」として棄却されている。その結果、日蓮正宗からの寺院明け渡し訴訟も裁判所は関わらなくなり、正信会は当時の日蓮正宗の寺院を中心に活動を継続しており、出家や授戒も宗門とは別途におこなっている。しかし住職が亡くなると日蓮正宗に寺院を返還しなくてはならず、その場合は別の場所に民家を借りるなどして対処している。
[編集] 出版活動
正信会有志が集う興風談所(研究所)の出版する書籍は他日蓮教団からも注目される研究も存在する。近年は御書システムと呼ばれる日蓮聖人御書を管理工学研究所の桐用プラグイン化した物を各方面の研究者向けに無償ダウンロード配付もしくはCD-R版の有償配付を行なっている。
日蓮正宗の碩学手塚寛道は日達の時代に住職を辞職し自宅を改造して寺院とし出版活動を行い、日蓮正宗寺院名簿に自宅住所が載り(寺院として認められたのではなく僧侶名を載せる必要があるため)、日蓮正宗の機関誌「大日蓮」にも出版物の広告を載せていたが、正信会の裁判に名を連ねたため正信会といっしょに擯斥になった。しかしその後も正信会とは独自に活動を行っていた。
[編集] 外部リンク
- 正信会公式HP
- 正信覚醒の門 - 正信会の矛盾と現在の日蓮正宗への疑問等
- nbのページ - 正信会関連資料と幕末迄の日蓮正宗史
- 創宗戦争の基礎知識
- 財団法人日弁連法務研究財団九州支部設立報告 - 血脈相承疑義及び正信会僧侶僧職の擯籍処分と寺院占拠問題への日弁連法務研究財団関係者の見解あり
- 御書システム