角淳一
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角淳一[1](すみ じゅんいち、1945年1月1日 - )は、MBS毎日放送専属パーソナリティで、元同社アナウンサー。愛称は『角さん』、『おじいちゃん』。
パーソナリティー契約は当初、2004年4月から2年間で、2006年から再契約。
目次 |
[編集] 来歴・人物
大阪府四條畷市出身で、血液型はA型。メルボルンオリンピックの実況を聞いたことがきっかけで、アナウンサーを目指すようになった。大阪府立四條畷高等学校を経て関西学院大学商学部を卒業後、1968年に毎日放送に入社。同期にはアナウンサーに青木和雄、板倉俊彦などがいた。
[編集] ラジオの人気者
テレビ・ラジオで様々な番組を担当し、昭和40年代後半にラジオ『MBSヤングタウン』で笑福亭鶴光、佐々木美絵とのトリオで一躍人気者となる。バラエティー色の強いアナウンサーとして活躍。最初のDJ番組から大阪弁でしゃべり、先輩アナウンサーから注意を受けるも自分の考えを押し通した。そのキャラクターから、アナウンサー時代のニュース・報道番組への出演は職歴を通じて少ない。
しかし、彼の求めるアナウンサー像は“ジャーナリスト”であり、大阪弁そのものが彼のパーソナリティだともいえる。阪神・淡路大震災のラジオ報道時、災害報道であることから影響を考え標準語での放送に徹したことを述懐し、「今こそ大阪弁やったのに…」と、自らの言葉で被災者に語りかけられなかったことを、記録集[2]の中で悔いている。
1984年にラジオの午後ワイド『すみからすみまで角淳一です』(月曜~木曜午後2時から)を担当。リスナーから募る電話のテーマを難しいものに設定し“たくさんの本数の電話よりもたった一人の貴重な情報”を求めた構成が話題を呼ぶ。
一方、彼のパーソナリティを生かしたテレビ番組も誕生する。1983年の深夜番組『夜はクネクネ』では、『ヤングタウン』時代からの旧知の仲である原田伸郎と共演。トークバラエティ『イカにもスミにも』や、板東英二が総合司会をした『板東英二のわがままミッドナイト』、MBSが地域貢献を目指した「近畿は美しく」キャンペーン活動のメイン番組『おスミつき新発見伝』などに出演する。また、1990年代前半ごろまでは、テレビの特番でも顔を出していた。
1994年からラジオの午後ワイド番組は『すみからすみまで愛なのね』となり、放送時間も正午からの2時間番組になる。『愛なのね』出演時は『角淳一です』時と違い、サブ的な役割に終始する。1996年、脳梗塞に倒れる。前日のラジオの生本番中に咳が止まらなくなるなど、兆候が見られた。緊急入院と休養の後、復活を遂げ、1997年には『すみからすみまで角淳一です』がかつてと同じ時間帯で復活した。
2006年6月18日(深夜)に『松山千春and角淳一 今、DJとして・・・』と題して録音ながら数年ぶりにラジオに復帰[3]。
[編集] テレビへ本格転身
2008年現在、角はMBSテレビの平日昼間のローカルワイド番組『ちちんぷいぷい』で4時間[4]メインパーソナリティを務めている。
[編集] 経緯
これまでラジオの顔だった角を、テレビの大型ワイド番組に起用するにあたっては、MBSのラジオ部門が彼を手放したくないとの声もあがった。 しかし、1990年代中盤以降、在阪局にいわゆる夕方ワイド番組が数多く登場。1994年4月には朝日放送が『ワイドABCDE~す』をスタートさせ、その年の秋には毎日放送も同形態の情報ワイド番組を開始させるが、当時『ワイドABC』の勢いは強く、MBSも番組の企画変更やリニューアルを行うが、なかなか決定打には至らなかった。
[編集] 『ちちんぷいぷい』放送開始
そんななか、MBSが出した答えが、ライバル局よりも1時間早い、午後3時からの番組開始[5]。そして角の起用である。彼の起用にあたっては、毎日放送の“社運・全社的見地”から、テレビのワイド番組に登場させることとなった。そのため、番組も彼のパーソナリティをより濃くしたものとなった。
番組タイトルの『ちちんぷいぷい』は、「世の中、癒されたいと思っている人は多い。そういった人の気持ちに応えた番組にしたい」と考える角の命名によるものである[6]。
ラジオ時代からアナウンサーでありながらも、自らの言葉である大阪弁を貫き、穏やかな語り口で視聴者に語りかけるそのスタイルは、多くの人の支持を集める。
2000年頃には「ニュースステーション」にヒゲを生やして出演する久米宏の影響でヒゲを蓄えて出演しつづけるが、どちらかといえば批判的な意見が多く、毎日放送の深夜番組『たかじんONEMAN』の企画で「角淳一の髭を剃れ」と題し、やしきたかじん、北野誠、仲田幸司が『ぷいぷい』出演中の角を拉致し、縛り上げてヒゲを剃ってやろうという関西ならではの企画もあった。
[編集] 前倒しの定年退職・専属パーソナリティーへ
2005年1月17日には、陣内智則となるみが総合司会を務める、読売テレビ(ytv)の朝のワイドショー『なるトモ!』に出演。MBS以外の在阪テレビ局への出演となった。この『なるトモ!』に出演したときの様子は、当日夕方の「ちちんぷいぷい」内コーナー「角の芸能☆印」でも大きく取り上げ、ytvで放送された映像が放映された[8]。
また、同年3月13日には、ニッポン放送の『笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ』にゲスト出演。さらに、2005年9月9日には関西テレビの朝のワイドショー『痛快!エブリデイ』に生出演。CM前のジングルは、この日に限り、特別に『ちちんぷいぷい』で使われているものと同じ音楽が使われた。同日、『エブリデイ』の司会を務める桂南光が『ぷいぷい』にゲスト出演し、『ぷいぷい』と『エブリデイ』の“夢のコラボレーション”が実現した[9])。
このほか、2005年12月2日にはやしきたかじんが司会を務める関西テレビ『ムハハnoたかじん』に出演し、たかじんや元ABCの宮根誠司アナ、関西テレビの山本浩之アナと共にトークを繰り広げた。
2005年5月10日、『ちちんぷいぷい』本番中に前半「いっぺんだけ」(角淳一がどうしても食べたいものを賞味するコーナー)開始前に番組を一時降板した。同日、MBS局内で行われた健康診断で不整脈が見つかり、『ぷいぷい』に前半のみ出演したあと、大阪府内の病院に検査入院した。入院中の『ぷいぷい』は、番組の女房役的存在である西靖アナウンサーが担当した。なお、5月12日に「リハビリを兼ねて」との理由で、復帰を果たした。
10月ころから、脳梗塞予防と共にエクササイズで1日2リットルの水を飲む生活を始めたため、飲料水の入ったペットボトルを『ちちんぷいぷい』本番中に手放さず持っている。 この番組では、パネルを読みながら番組の進行をすすめるにも関わらず、言葉につっかえることが多い。これは、番組の前に原稿の下読みを行わない角の長年のクセのためである。
2006年4月開催のハッスル16にリングアナとして出演する。これは、『ちちんぷいぷい』内で高田総統に「老いぼれの角くん、下品な腰振り野郎(レイザーラモンHG)とリングの上で勝負する気があるのなら、モンスター軍に入れてやろう」と言われたため。 自身は新聞で「もう何十年も見てないですから。力道山の時代ですから。デストロイヤーの四の字固めで苦痛にゆがむ表情は印象に残っているが…」とコメントする。 当日はハリーポッターのガウン姿で登場した。
2006年6月12日の『ちちんぷいぷい』本番内で「胆石を患っていて、薬を飲んで治療しています。今は立って仕事をするのがつらい」と告白した。また、番組の最後で6月29日に手術をすることを明かした。
マスコミ関係で初めて蛯原友里を「エビちゃん」という愛称で呼んだのは、角である。ただし、番組内での最初の表記方法は平仮名で「えびちゃん」であった(雑誌“CanCam”より2ヶ月早い)[10]。
“テレビを見る天才”を自称しており、“NHKウォッチャー”としても有名である。『ちちんぷいぷい』にVTR出演した笑福亭鶴瓶が「放送中に「NHKに出ちゃい(出たい)!」と言ったら俺がNHKの『鶴瓶の家族に乾杯』に出演させてやる!」と言ったところ、あっさり「NHKに出ちゃい!」と角が発言したので、鶴瓶が角をNHKの番組に出演させることが決定し、角の健康を考えて翌2007年あたりを予定していた。しかし、鶴瓶がNHK側に交渉したところ、「知らない人は出演できません!」とあっさり却下された[11]。
2006年7月10日放送の『ぷいぷい』では、胆石の手術が成功したことを、角自ら病床で撮影されたVTRで報告した。それと同時に前立腺肥大の手術をすることも報告した。7月17日に放送された『ぷいぷい増刊号』内にて、7月14日に退院したこともあわせて報告されている。その後、7月20日に復帰した[12]。
教育問題や、そこから派生して格差社会問題にも関心が強い。特に、教育格差と地方格差の話題になると自身の少年時代の話をするなど多弁になる。都会出身のせいか「昔の古き良き田舎を思い出せ」と田舎に対する憧れやノスタルジーが異常なまでに強い。反対に、最新コスメやヒット音楽の話題には全くといっていいほど乗ってこない。乗らないどころか不機嫌な表情が画面を通して伝わってしまうこともしばしばである。また、角に限ったことではないが、東京のメディアが発信する大阪を侮蔑する言説を真に受けた、ステレオタイプの地元卑下発言も多い。東京ミッドタウンなどの、東京等の新スポットの話題になると、まるで思考が停止したように、いかにも頑迷そうな顔つきで、必ず「大阪には絶対ない」などといった無見識な発言を繰り返す。また、時流に疎いらしく、番組中である女子アナが梅田のカフェに行ったときの話をした際、話の本筋と違うにも関わらず、「大阪にカフェみたいなんあるの?」と何回かコメントしていた。
MBS退職以前は個人的なポリシーを努めて表面に出さないようにしていたようであるが、退職後は『ちちんぷいぷい』でもストレートな発言をするようになった。2006年8月15日放送で小泉純一郎前内閣総理大臣の靖国神社参拝を自らの戦争遺児体験などを通じて厳しく批判している。前日の2006年8月14日放送では、「特攻隊とイギリスのテロリストは同じ」と発言した[13]。
BSE問題が初めてニュースとして報道された前日にトミーズ健のすすめるお店で、桂三枝と共にいちばん食べてはいけない部位、牛の脳みそ(ブレンズ)を食べている。
2007年8月23日放送のTBS制作・JNN全国ネットの音楽番組『うたばん』に、当日放送分のゲスト・aikoへのVTRコメントゲストとして上泉雄一アナウンサーと共に登場した。角が全国ネットのテレビレギュラー番組に出演するのは『ザ・ベストテン』以来、2回目である[14]。
2007年12月28日放送の、「空気は読めたか?」をテーマにした『毎日ナマ放送感謝特番』に於いて、阪神の優勝時やFIFAワールドカップ開催時にかつて行われた、大阪・道頓堀の戎橋からの飛び込み行為について、「あれの何が悪いんかわからん、川を綺麗にしたったらええねん、あんなとこ飛び込んでも死なんで」と他の出演者が困惑するほど空気の読めない発言をした。
[編集] 現在の出演番組
[編集] 過去の出演番組
- MBSヤングタウン(木曜日ほか、1971年4月~1984年3月)
- ハローナショナルショールーム(1974年4月~1984年4月)
- 夜はクネクネ
- すみからすみまで角淳一です→すみからすみまで愛なのね(1984年10月~1996年5月<病気療養のため一時降板>、1997年10月~1999年9月)
- あどりぶランド
- 板東英二のわがままミッドナイト
- イカにもスミにも
- 近畿は美しく~おスミつき新発見伝~
- 角・鶴光わははの家
- ザ・ベストテン(MBSの追っかけマン、石川優子の実況)
- うたばん(※ 上記と共にMBSのキー局東京放送の製作)
- すみっこメモリー
- すみっこ天国(1994年)
- MBSニュース(随時)
- 毎日放送開局40周年記念特別番組(1990年9月)
- 毎日カルチャースペシャル ラジオウォーク
[編集] 関連人物(MBSアナウンサー以外)
[編集] 脚注・参考文献
- ^ 本来の名字表記は、真ん中の棒が下に少し突き抜ける、「角」である。
- ^ 『阪神大震災の被災者にラジオ放送は何ができたか―「被災していない人への情報はいらない!」と言い続けた報道者たち』毎日放送編
- ^ この模様は『ちちんぷいぷい』でも編集されて放送された。
- ^ 2006年4月10日までは3時間だった。
- ^ 開始時間についてはやしきたかじんのアドバイスがあったらしい。
- ^ 角は「このタイトル以外では司会を引き受けない」と関係者に語ったという。
- ^ 本来の定年退職日は60歳の誕生日の2005年1月1日だが、約9ヶ月前倒しして定年退職。
- ^ これ以前に、在阪他局への出演としては朝日放送「らくごのご」ゲスト出演の経験あり。
- ^ この後、南光は2006年4月から『ぷいぷい』の水曜レギュラーとなった。
- ^ このことは2006年6月27日放送分の『ちちんぷいぷい』でのエビちゃん独占インタビューにて蛯原友里本人が承認している。
- ^ 『MBSヤングタウン』2006年7月2日放送(鶴瓶による証言)。却下の理由は、角が関西以外では知られていないため(ただし、関東を中心に活動する一部の芸能人は例外とされている)。
- ^ その日の放送で前立腺肥大の手術を7月7日に行ったことも明かしていた。
- ^ コラムニストの勝谷誠彦は自身のブログにおいて「英霊を偲ぶ日を前に戦時の身命を賭した義挙と平時の非戦闘員に対する犯罪を同列に論じる非礼。日本人の劣化をここまで白日のもとに晒して下さったことで靖国という装置の存在の意味はまたひとつあったと思うのである」と角の発言を厳しく批判した。
- ^ ほかに単発番組の全国ネット番組として、全国進出を果たしたばかりのダウンタウンとメイン司会をしたバラエティ番組への出演あり。