モーレツ!!しごき教室
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
モーレツ!!しごき教室(もうれつ・しごききょうしつ)は、1973年(昭和48年)10月から1984年(昭和59年)9月にかけて放送された、毎日放送(MBS)のテレビ番組。吉本興業との共同制作で、旧うめだ花月劇場からの中継録画。テレビネットワークの腸捻転時代から放送されており、一部の地方放送局へもネットされた。放送時間は土曜昼11時、日曜深夜0時頃など放送時期によって変わった。
目次 |
[編集] 番組概要
司会に西川きよしと横山やすしを迎え、吉本興業に所属する若手芸人(漫才・落語・新喜劇など。番組内では生徒と称した)が出演し、スポーツや芸能の第一線で活躍する著名人の妙技に体当たりで挑戦する番組で、「底ぬけ脱線ゲーム」(日本テレビ)とともに、いわば体当たりバラエティーの基礎を築いた番組といえる。また、笑芸人としてやすし・きよしを尊敬しているビートたけしは、この番組をヒントに自身が司会の「スーパージョッキー」(日本テレビ)内で「THEガンバルマン」のコーナーを設け、たけし軍団に対し当番組の生徒らと同様の体当たりに挑戦させている。
やすし・きよしは常時片手にハリセン(当番組の講師としても多数出演したチャンバラトリオの必須アイテム)を持っており、間寛平ら生徒がボケたりすると容赦なくハリセンチョップをかますシーンも番組名物となった。これはザ・ドリフターズのコントにおけるいかりや長介(こちらは黄色いメガホン)対加藤茶・仲本工事・高木ブー・荒井注→志村けんの関係と相似している(但し、いかりやと違ってやすし・きよしがやり込められる、というパターンは無かったが)。
講義としては殺陣、トランポリン、日舞、少林寺拳法など多彩で、講義終了後講師の独断により“最優秀生徒”が1名選出され、番組エンディングでメダル授与・胴上げが行われた。また、ステージ上には生徒の獲得メダル数を記載したボードが掲げられており、その中で10枚獲得達成者が現れそうになると舞台天井にくす玉(ヒモ付き)が用意され、達成者出現と同時にやすし・きよしの手によって割られた。ちなみに達成者には毎日放送から豪華商品(内容は不明)の目録が手渡されていた。なお、メダル10枚獲得達成者が出た翌週からは、全生徒のメダル獲得数は“0”にリセットされた。
2002年以降、なんばグランド花月のイベントとして復活した。司会は2002年はケツカッチン、その後中川家。
[編集] 主な生徒
- 彼らは当時吉本所属ではなかったが、当番組がめぐる(池乃)の吉本移籍への礎となったことは確かである。
[編集] ネット局
- 毎日放送(制作・幹事局)
- 山形テレビ
- 東北放送(腸捻転時代は不明)
- 福島テレビ(TBS系列時代の1980年頃に放送)
- tvk(1979年頃に放送)
- テレビ静岡(腸捻転時代に放送)
- 名古屋放送→CBC
- 山陰中央テレビ(腸捻転解消後も山陰放送へ移行せず継続)
- 山陽放送(腸捻転時代は不明)
- 中国放送(腸捻転時代は不明)
- サガテレビ(腸捻転時代から放送)
[編集] 東西激突!!しごき教室
1981年元旦の15:30~16:45(JST)、当番組の新春特番である「東西激突!!しごき教室」が毎日放送をキーステーションにJNN加盟全25局ネット(当時。テレビユー山形、テレビユー福島、チューリップテレビ、あいテレビは未開局で、福島県における系列局は現在フジテレビ系列の福島テレビだった)で放送された。司会及び西軍メンバーはレギュラー版と同じ横山やすし・西川きよし、木村進、間寛平、オール阪神・巨人、楠本見江子、室谷信雄で、彼らに加え東軍メンバーとしてせんだみつお、角川博、香坂みゆき、ゆーとぴあ(城後光義・帆足新一)、鈴々舎馬風が出演した。なお、MBSとネット関係にある在京キー局(NETテレビ[現・テレビ朝日]/東京12チャンネル[現・テレビ東京]→TBS)で「しごき教室」が放映されたのはこの1例のみである。