富士火災海上保険
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種類 | 株式会社 | ||||
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市場情報 |
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本社所在地 | 東京本社:東京都中央区銀座2丁目12番18号 | ||||
設立 | 1918年4月18日 | ||||
業種 | 保険業 | ||||
事業内容 | 損害保険業 | ||||
代表者 | 取締役兼代表執行役社長・CEO ビジャン・コスロシャヒ | ||||
資本金 | 413億34百万円 | ||||
決算期 | 3月31日 | ||||
主要株主 |
オリックス株式会社 22.19% |
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主要子会社 | 富士生命保険株式会社 | ||||
外部リンク | http://www.fujikasai.co.jp/ | ||||
富士火災海上保険(ふじかさいかいじょうほけん)は、大阪府と東京都に本社を置く中堅損害保険会社。バブル崩壊後に経営危機に瀕し、経営安定化のため2002年3月より、オリックス株式会社(22.19%)とAIGグループ(22.14%)の出資を受けているが、両社のグループ企業ではない。
目次 |
[編集] 沿革
- 1918年 - 井上幸治郎が日本簡易火災保険設立。
- 1927年 - 本社ビルを大阪市中央区南船場1丁目18番11号に移転。
- 1941年 - 常磐簡易火災保険株式会社を吸収合併。
- 1949年 - 富士火災海上保険に社名変更。
- 1953年 - 大阪証券取引所上場。
- 1961年 - 東京証券取引所上場。
- 2002年 - オリックス株式会社・AIGグループが資本参加。
- 2007年 - 京都労働局から、サービス残業の是正勧告を受け、未払いの残業代を支払っていたことが判明する[1]。
[編集] 備考
- 動産三社の一角。
- 大阪市議を経て会社設立に至った初代社長:井上幸治郎は、友人で四條畷中学校(現在の大阪府立四條畷高等学校)の校長であった牧田宗太郎を通じて、三井財閥関係者との政略結婚を計画。牧田の弟、牧田環(三井鉱山会長、昭和飛行機工業の初代社長など歴任。工学博士)が團琢磨の長女の「めい」の夫であったことから、井上の弐女、禮子を牧田環の甥の西本初夫と結婚させる。しかし、井上幸治郎が昭和2年11月25日に胃癌にて他界したことにより、親族関係のバランスが崩れる。二人は昭和5年に離婚。これにより、当社と三井財閥との関係が切れることとなる。
- 戦前吸収合併した東京地盤の常盤簡易火災保険が、川崎財閥系の企業ではある。同社は同系の日本火災保険(現在の日本興亜損害保険)との合併を望んだが、当時は動産保険会社と普通の保険会社の合併は許されず、やむなく同業の日本簡易火災保険に吸収合併された。
- 社名に「富士」が入っているが、旧富士銀行(現在のみずほ銀行・みずほコーポレート銀行)・富士信託銀行(現在の住友信託銀行)とは全く無関係である。なお、各社とも似通った社章を用いていた。
[編集] グループ会社
- 富士生命保険
- 富士損害調査サービス株式会社
[編集] 提供番組
- 2008年1月現在
かつては、2005年9月末まで毎日放送制作土曜朝のワイドショー枠(すてきな出逢い いい朝8時から始まり、リアルタイム→サタモニ!→知っとこ!)のスポンサーだった。その後は同年10月より1年間「まんが日本昔ばなし」(デジタルリマスター版)のスポンサーを務めた。2007年4月より約3ヶ月間にわたり、スポットCMを流してたが、「知っとこ!」2008年1月5日放送からスポンサーとして復帰。
[編集] 外部リンク