ミリカホール
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ミリカホールはかつて毎日放送の公開用ホールとして、千里丘放送センター内にあった施設。現在は閉鎖されている。
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[編集] 施設概要
- ミリカホールは公開用ホールを中心とする、4階建ての施設であった。
- 総工費15億円をかけて建設され、1969年8月23日に完成した。
- なお、同年9月1日には開館式が執り行われている。
- 客席は477席で460.5m2、ステージ部分は695.6m2あった。また、3階にはホテル並みの宿泊室(使用は出演タレント、協力局社員、及び一部の下請けスタッフに限定)も完備していた。
- JNN系及びTBS系列でこの様なホールを持っている局は他に東京放送(TBS)のTBSホールと中部日本放送CBCホールがあるがTBSホールは赤坂再開発計画で閉鎖された。
[編集] 歴史
- 1967年9月1日、千里丘放送センター内に「放送会館」を建設する計画が発表された。
- 当初は千里丘陵で開催される万国博覧会を記念して建設する「万国博メモリアルスタジオ・ビル」(仮称)として、4950m2の公開用ホールと、同じく4950m2で高さ45mのタワービルを建てる計画だった。
- しかし、施設の有効活用やその是非に疑問の声があがり、その後計画は修正され、名称も最終的には「ミリカホール」となった。
- 「ミリカ」はヤマモモの学名であり、かつて千里丘放送センター建設予定地に1本のヤマモモの老樹があったことに由来する。
- 1990年9月1日、大阪市北区茶屋町に新社屋が完成して、その中にギャラクシースタジオ(旧ギャラクシーホール)も完成。千里丘で放送されていた番組が徐々にギャラクシースタジオで放送されるようになり、後に閉鎖された。
[編集] 収録された番組
☆は茶屋町移転後も引き続き千里丘で収録もしくは生放送。
- ほか。
[編集] 参考文献
- 株式会社毎日放送40年史編纂室 『毎日放送の40年』 毎日放送、1991年。