See also ebooksgratis.com: no banners, no cookies, totally FREE.

CLASSICISTRANIERI HOME PAGE - YOUTUBE CHANNEL
Privacy Policy Cookie Policy Terms and Conditions
国鉄457系電車 - Wikipedia

国鉄457系電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

国鉄451・453・455・471・473・475・457電車
国鉄455系電車(JR東日本東北地域色)
国鉄455系電車(JR東日本東北地域色)
営業最高速度 110 km/h
設計最高速度 130 km/h
全長 20,500 mm(制御車)
20,000 mm(中間車)
全幅 2,950 mm
全高 4,090 mm
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V
交流20kV 50Hz(451・453・455系)
交流20kV 60Hz(471・473・475系)
交流20kV 50/60Hz (457系)
主電動機 MT54系 120kW
MT46系 100kW(451・471系)
制御装置 直並列組み合わせ抵抗制御
ブレーキ方式 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
勾配抑速ブレーキ(455・475・457系)
このテンプレートは試行中です ■Template / Notes

国鉄457系電車(こくてつ457けいでんしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交直両用急行形電車

本項では、同じ用途で設計・製造された451系453系455系471系473系475系の各形式についても解説する。

目次

[編集] 概説

1958年に運用開始された153系電車は、車体の両端に出入台を設け全席を固定クロスシート(ボックスシート)とした車両で客車を凌駕する居住性を有し、利用者からは好評であった。

また1950年代半ば以降は変電所など地上設備の数が少なく済み、初期コストが少なくなる交流電化を推進した結果、直流電化区間との直通車両が要求され、交直流いずれの電化区間も走行できる急行形電車が必要となった。

表 - 国鉄急行形交直流電車の分類
50Hz 60Hz 電動機出力 抑速ブレーキ
451系 471系 100kW(MT46) なし
453系 473系 120kW(MT54)
455系 475系 あり
457系

このため153系をベースとした交直両用電車として開発されたのが、本グループの第1弾となる451・471系である。

本グループは、増備過程での主電動機出力の変更や勾配抑速ブレーキの有無、さらに対応する交流電源周波数により細かいグループに分類されている(右表を参照)。以下、本項では各グループ別に解説してゆく。

基本的な仕様としては2扉のオールクロスシート車で、ほぼ直流急行形と同一であるが、客用扉にステップが設置されていることや交流20KVに対して絶縁距離を確保する目的から屋根上のパンタグラフ周りを低屋根構造にした上で主変圧器・主整流器などの交流機器を搭載していることが直流急行形との相違点である。

2000年代に入ってからは、車両の老朽化と新型車両によるサービス水準の向上(ドアの数や座席配置など)で運用には適さなくなり、さらに断熱材アスベストが使われていることなどから、JR西日本を除くJR各社で急速に廃車が進められている。

[編集] 系列別概要

[編集] 451・471系

451・471系は、401・421系と同時に設計され、1962年に竣工した交直両用急行形電車の系列。直流急行形電車では153系に相当する。

当初は特急形電車が検討されていたが、当時は交直流電車が誕生間もない頃で、技術上の課題が若干残されていたため、まず急行形電車として計画が進められた。

基本的には153系を踏襲しているが、短編成を組むことが考慮され制御電動車とパンタグラフ付き中間電動車で電動車ユニットを組む形で製造された。またクハ153形500番台と同じく高運転台構造が採用されたが、正面貫通扉付近のデザインは幌枠が突き出ているなど若干異なっており、翌1963年に登場する165系先頭車も本系列に準じている。電源周波数の違いにより、電動車では50Hz用車両に451系、60Hz用車両に471系の系列番号が付与された。付随車については、商用周波数の影響を受けないため451系とした。

本系列は、運用線区の関係でホーム高さの低い線区が多いためにレール面上970mmの高さにステップが取付けられたが、クモハ451・471形第1次車は戸袋部分で枕ばりと側はりの結合が実施できなくなるので、車体強度の問題から乗務員室側客用扉については外吊方式とされた。しかし、雪の付着やトンネル入出時にかかる圧力からトラブルが生じたことにより、第2次車以降は通常の戸袋方式が採用され、第1次車についても同様の改造が行われた。これにより、重量が約900kg増加した。

台車には、以後の国鉄特急・急行形電車の標準となるダイアフラム空気バネのDT32・TR69系列が初めて採用された。

クモハ451-1~12
451系の二等1969年以降普通)制御電動車で、急行形電車では初の制御電動車として登場した。定員76名。乗務員室助士席側後部に機器室が設置されたため、その部分に側窓がなく、機器室用冷却風取入口が設置されている点が外観上の特徴となっている。
451・471系は登場時に奇数東海道本線基準で東京駅方)・偶数(同神戸駅方)のどちらの方向を向けても運用可能な両渡り構造とされ、中間のサロを境にユニットを背中合せに連結することで両端が制御電動車となっていた。その後、冷房化による低圧電源ジャンパ線の追加やATSの導入促進で方向転換が困難になったことなどから奇数向きで統一され、偶数方をクハ451形とした。
また、床下艤装の関係上トイレ・洗面所用の水タンクは横手方向に取付けられた。これは後のクモハ165形などに踏襲された。1993年に形式消滅。
モハ450-1~12
クモハ451形とユニットを組む451系の二等中間電動車で、パンタグラフの他、主変圧器・主整流器などの交流機器を搭載している。定員84名。屋上機器を搭載した関係上、パンタグラフ取付位置が車体中央に寄ったため、台車心皿間距離が他形式に比べて小さくなった。パンタグラフ取付部が低屋根構造となったため、低屋根部の室内天井にファンデリア(換気扇)が設けられ、その外気取入口が低屋根部に設置された。本形式とモハ470形の車体側面(2・4位側-東海道本線基準で山側)に主整流器冷却風取入口が2か所設けられているのが外観上の特徴となっている。主整流器は当初はRS5・RS5A形(モハ470形はRS7・RS7A形)であったが、後の冷房化にあたって両形式では整流能力が不足するため、モハ402・422形に使用されていたRS22・RS22A形との振替が1969年から施工された。1993年に形式消滅した。
クモハ471-1~11・13・15
交流60Hz対応の二等制御電動車で、定員76名。1~11・13(他にクモハ451-1~9)は新製時は乗務員室側客用扉が外吊戸であったが、後年は通常の形態に改造された。車両需給上の問題で偶数向き車が2組少なくなっていて、本形式およびモハ470形は12・14番が欠番となっている。
2007年6月現在、1962年製造の1・2・9の3両が改修を受けながら北陸本線で運用されている。主電動機がMT54系に交換されたために、473系と同性能になっている。
モハ470-1~11・13・15
モハ450形に相当する交流60Hz対応の形式で、定員84名。
2007年6月現在1・2・9の3両が在籍するが、本形式の特徴であった車体側面の主整流器冷却風取入口は主整流器の振替により不要となったため、改修の際に埋められた。
クハ451-1~40
451・453・471・473系の二等制御車。定員76名。当初、交直流急行形は編成両端とも制御電動車となっていたため、クハ153・165形が新製時は両渡り設計であったのに対し、新製当初より偶数向き固定使用設計で登場した。制御電動車と異なり、乗務員室助士席側後部に機器室がないため、出入台用の側窓が設けられた。
2007年6月現在30と33の2両が北陸本線で運用されている。455・457・475系とは抑速ブレーキは使用不可となるが、混結は可能。製造時期が短いこともあって、製造数は40両と多くない。
サロ451-1~26・101~105
451系の一等(1969年にグリーン車と改称)付随車で、定員48名。回送用の運転台を装備しており、妻面に小窓と標識灯が、屋根部に前照灯が設置されている。26はAU12S形冷房装置搭載準備車として製造されたので、屋根上の通風器の配列が異なる。1978年1986年に廃車となり、形式消滅した。
1963年登場の増備車は空気圧縮機(CP)を床下に搭載したため、100番台として区別された。
サハ451-1・2・101
二等付随車で、定員84名。0番台が2両とCPを搭載した100番台が1両の計3両が製造された。1986年に形式消滅した。
サハシ451-1~16
二等・ビュフェ合造付随車。サハシ153形の使用経験に基づいてビュフェ部分の構造が改良されており、アコモデーションや形態は後のサハシ165形0番台に踏襲された。床下に自車電源用MG(電動発電機)とCPを装備している。客室部の定員は36名。サハシ153形のビュフェでは「寿司コーナー」が設けられたのに対し、当形式では「そばコーナー」が設けられた(西日本地区で運用されたものはサハシ455形も含め「うどんコーナー」であったと言われる)。また、本形式から調理器として電子レンジが本格的に採用されるようになった。1977年~1978年に廃車となり、形式消滅した。

[編集] 453・473系

451系の出力増強型である453系が1963年、471系のそれである473系が1965年に登場した。163系の交直両用タイプに相当する形式であるが、163系は計画変更でサロ163形のみの製造で終了している。

453系は列車増発のためにまとまった両数が製造されたが、予備車補充が目的だった473系については、ほどなく475系の増備に移行することが決定していたため、わずか1ユニットだけで製造が打ち切られている。

このグループは電動機の出力変更による形式区分であるため、付随車については引き続き451系が付与された。

クモハ453-1~21
1963年に東北本線急行電車の出力増強および451系の常磐線準急列車増発への充当のためにクモハ451形の主電動機が100kWのMT46系から120kWのMT54系に主制御器と主抵抗器が変更され、水タンクがFRP製となった形式である。定員76名。5両が717系100番台、2両が455系200番台へ改造され、それ以外は1992年までに廃車となり、形式消滅した。
モハ452-1~21
クモハ453形とユニットを組む453系の中間電動車である。主電動機がMT54系に、主変圧器が変更され、水タンクがFRP製になったほかはモハ450形と同一である。定員84名。2・4位側に主整流器冷却風取入口が設けられているが、モハ452-21および後述のモハ472形は主整流器がRS22形に変更されたため、取入口は廃止された。1992年に形式消滅した。
クモハ473-1
1965年に製造された。クモハ453形に相当する形式で、定員76名。半年後に475系の製造が予定されていたので、1両のみの製造であった。
モハ472-1
473系の中間電動車で、モハ452形に相当する形式である。定員84名。クモハ473形と同じく1両のみの製造で、両車共に1986年に形式消滅している。

[編集] 455・475系

北陸本線475系 2005年12月
北陸本線475系 2005年12月
東北本線455系運転台(デッキから窓越しに撮影)
東北本線455系運転台(デッキから窓越しに撮影)

1965年に453・473系の制御装置に抑速ブレーキが追加されるなどした系列が455・475系である。設計最高速度130km/h。電動車では50Hz用車両に455系、60Hz用車両に475系の系列番号が区分された。周波数の影響を受けない付随車については、455系とした。直流急行形電車では165系に相当する。

抑速ブレーキは使用不可となるが、451・453、471・473系との併結は可能である。

また普通車の後期製造分は冷房装置搭載の準備工事もしくは新造時から搭載されたが、グリーン車は全車が新造冷房車となっていた。

クモハ455形AU12S形冷房装置搭載車 後位側から 仙台駅
クモハ455形AU12S形冷房装置搭載車 後位側から 仙台駅
クモハ455-1~51
交流50Hz対応の制御電動車で、定員76名。主制御器・主抵抗器などの直流電機器が搭載されている。床下艤装は抑速ブレーキ追加に伴う主抵抗器の大型化や空気圧縮機の移設などでクモハ451・453形とは大幅に変更されている。冷房装置はAU13E形5基が標準だが、37~42はAU12S形対応冷房準備工事車のためAU12S形6基で冷房改造された。


モハ454形 仙台駅
モハ454形 仙台駅
モハ454-1~51
クモハ455形とユニットを構成する中間電動車で、定員84名。455・475・457系ではCPの容量が倍増の上搭載車両が本形式およびモハ474・456形のみとなっている。9~はパンタグラフ脇の低屋根部のファンデリアが2基に増強された結果、外気取入口は3組から6組となった。37~42はAU12S形4基での冷房準備工事車であったが、他車と同じくAU72形集中式冷房装置が搭載されたため、屋根と天井が大改造されている。
クモハ475形 JR九州
クモハ475形 JR九州
クモハ475-1~53
交流60Hz対応の制御電動車で、定員76名。49~51はクモハ455-37~42と同様の理由で冷房装置がAU12S形6基搭載となっている。7両がクモハ717形200番台への改造種車となった。


モハ474-1~53
クモハ475形とユニットを構成する中間電動車で、定員84名。35~はパンタグラフ脇の低屋根部のファンデリアが2基に増強された結果、外気取入口は3組から6組となった。49~51についてはモハ454-37~42と同様の冷房化改造が行われている。7両がクモハ716形200番台への改造種車となった。
クハ455-1~75
制御車で、定員76名。65~は新製時からAU13E形冷房装置5基を搭載の上、出入台部の通風器は省略、冷房電源用に自車を含めて4両まで給電可能の容量110kVA MGを搭載している。1~61はAU13E形5基、冷房準備工事車の62~64はAU12S形6基で冷房化改造が施工された。
サロ455-1~45
グリーン車で定員48名。新造時からAU12S形6基搭載の冷房車であるが、最終グループである1970年製の42~では冷房装置がAU13E形5基に、冷房電源用MGが110kVAとされ、三相引通線が新設された。それ以前の車両は自車冷房電源用に20kVA MGが搭載されていたが、普通車も冷房化されたために北陸地区配置車を除いて4両まで給電可能の110kVAに換装している。
サハ455-1~8
付随車で定員84名。製造年は急行形電車としては最終期の1971年。全車が新造時からAU13E形6基を搭載し、床下には冷房電源用110kVAのMGを搭載する。
サハシ455-1~26
二等ビュフェ合造付随車で客室定員は36名。モハのCP容量が倍増したので、サハ451形とは異なりCPを装備しない。21番以降はビュフェ部の窓側テーブル前にFRP製の椅子が設置された。ビュフェ部分は新製時からAU12形4基で冷房化されていたが、普通席部分も全車AU13E形2基で冷房改造された。なお、大分電車区配備のサハシ455形のみMGが40kVAから110kVAのものに換装された。

[編集] 457系

1969年に主変圧器を50/60Hz対応のTM14形に変更し、3電源形の457系となった。全車新製時から冷房装置を搭載している。

クモハ457-1~19
制御電動車で、定員76名。新造冷房車のため後位(トイレ・洗面所側)出入台部の通風器が省略されているのが特徴である。14は1995年にクモハ717-901に改造。
モハ456-1~19
クモハ457形とユニットを組む中間電動車で、定員84名。新造時冷房車で、低屋根部のファンデリアおよび外気取入口は当初から省略された。当初搭載されたTM14形主変圧器は、絶縁油に毒性の強いPCB(ポリ塩化ビフェニル)を使用していたため、1978年~1985年にシリコン油を使用するTM20形への交換が施工された。14は1995年にクモハ716-901に改造。

[編集] 改造車

[編集] 形式間改造車

[編集] サロ451-107~119

サロ451形のうちCP装備をした車両は100番台に区分されているが、新製時からCPを装備していた101~105とは別に、1965年から1979年にかけて大井工場(現・東京総合車両センター)で0番台13両にCP搭載改造を行った。なお、106は欠番となっている。

サロ451-1~9・21・22・13・26→サロ451-107~119

[編集] クハ455-201

1973年に踏切事故によって廃車となったクハ455-45の補充として、1975年3月26日に廃車予定であった金沢運転所所属のサハシ455-18を郡山工場(現・郡山総合車両センター)で先頭車化改造を行った。クハ455形最終増備車に準じた車体であり[1]、AU13E形5基および冷房電源用110kVAのMGが搭載された。1993年に廃車。

サハシ455-18→クハ455-201

[編集] 455系200番台(453系からの編入車)

最初の455系化改造は、1969年にサロ451形3両をサロ455形に改造する工事が施工された。

サロ451-23~25→サロ455-201~203
クモハ455-202 1989年3月22日 仙台駅
クモハ455-202 1989年3月22日 仙台駅

1978年10月ダイヤ改正を機に仙台運転所の急行形車両形式統一が図られ、453系の455系編入改造工事が郡山工場で施工された。改造対象はクモハ453形・モハ452形・クハ・サロ451形(0番台)でMc車の主制御器・主抵抗器の交換(これに伴い床下水タンクが撤去されたためトイレ・洗面所も同時に撤去)、Mc・Tc車の主幹制御器の交換、各車両に抑速ブレーキ引通線増設などの改造が1978年1979年に施工された。このグループはオリジナルの455系と異なり、CPの大容量化とM'車への移設は施工されておらず、CPの配置は元車両のままとなった。

クモハ453・モハ452-19~21→クモハ455・モハ454-201~203
クハ451-25・26→クハ455-202・203
サロ451-14~20→サロ455-204~210

以上15両の改造が計画されていたが、

クモハ455・モハ454-201(クモハ453・モハ452-19)
サロ455-204・208(サロ451-14・18)

この4両は車両需給上計画番号にとどまり、実際には改造工事が行われず欠番となっている。クハ455-201とともに仙台運転所(現・仙台車両センター)に配属され、主に東北本線などで運用されていたが、719系701系の投入に伴い、クヤ455-1に再改造された1両以外は1994年に廃車された。

[編集] クハ455形300番台

クハ455-317 2006年7月22日 会津若松駅
クハ455-317 2006年7月22日 会津若松駅

普通列車への転用に伴い先頭車が不足することから、クハ165・169形900番台を改造編入したもので、1984年1985年に24両が改造された。ドアステップが設置された。特徴として架線電圧検知アンテナの台座がオリジナル車では角錐形状でホイッスルが埋め込まれているのに対し、改造車は台座が円錐形状でホイッスルが独立して取付られている。

クハ165-139・140・143・145~147・156・157・159~161・169・171・179~181・185・186・188・189・クハ169-901~904→クハ455-301~324


[編集] クハ455形400番台

クハ455-405 2007年4月29日 仙台駅
クハ455-405 2007年4月29日 仙台駅

300番台と同じくクモハ165・169形900番台を電装解除の上編入したもので、1984年1985年に5両が改造された。300番台と同じくドアステップや架線電圧検知アンテナなどの設置、台車のTR69系への振替が行われたが、種車の関係で前部デッキ屋根上の通風器の形状が異なり、種車の主電動機冷却風取入用通風器が存置されるなど微妙な差異が見られるが、後に401と405ではこれを撤去した。

クモハ165-107・クモハ169-901~904→クハ455-401~405


[編集] クハ455形500番台

クハ455-501(2002年3月30日 八代駅)
クハ455-501(2002年3月30日 八代駅)

サハ165形を先頭車化改造の上で455系に編入したもので、1983年に5両が改造された。300・400番台と異なり、新設された運転台はクハ411形500番台に準じたものであるため、外観及び運転台の交直切替スイッチ周りに微妙な差異が見られる。501のみ種車同様AU13E形6基が搭載されたが、それ以外は前位寄の1基が新設した前位デッキと競合するために撤去された。

サハ165-1~4・6→クハ455-501~505


[編集] クハ455形600番台

クハ455-605
クハ455-605

サロ455・165形に運転台を取付けた上で普通車に格下げしたもので、1984年1985年に11両が改造された。

外観・車内設備を含めて種車のものがそのまま活かされているため、グリーン車特有の2連窓が残っており、サロ165形を種車とするものは先頭車化改造以前から2段式ユニット窓であるなど、種車の製造時期による差異特徴がある。シートも近郊形改造した車両のロングシート部分を除き種車のグリーン車用リクライニングシートがそのまま残されたが、一部は更新工事の際に一般のボックス式クロスシートに交換された。この工事を施行された車両は窓と座席の間隔が合っていない。

2007年現在では鹿児島にサロ455形改造の602・604・605の計3両が現存している。

サロ455-36・42・43・44・45・サロ165-101・122~124・129・133→クハ455-601~611

[編集] クハ455形700番台

クハ455-701(2006年4月10日 富山駅)
クハ455-701(2006年4月10日 富山駅)

サハ455形を松任工場で先頭車化改造した車両で、701と702の2両が1986年および1987年に改造された。他の455系改造車と異なり、当初より471系・473系の更新改造車である413系と編成を組むために改造されたものであるが、種車が455系であったことから413系への改造は行われなかった。[2]側面窓の一部が固定化され、その上部に電動行先表示器を装備しており、運転台なども413系に準拠している。

サハ455-1・6→クハ455-701・702


[編集] クロハ455-1

クロハ455-12006年8月16日 郡山駅
クロハ455-1
2006年8月16日 郡山駅

1990年磐越西線快速ばんだい」(当時、その後愛称廃止)用としてクハ455-44に郡山工場で前位側側窓3窓分のグリーン席化・リクライニングシート取付などの改造を施工した。1999年にグリーン車としての運用はなくなったが、2007年現在もそのまま普通車扱いで運行されている。また仙台配置車のトイレと洗面所はJR化後にクハ455形を除いて撤去・閉鎖されたが、本形式ではこれらが撤去されて荷物置場と電話室が置かれたため編成を組むモハ454-40はトイレと洗面所が残された。この編成(S-40編成)は1997年に当時運行していた特急「ビバあいづ」のグリーン車の向きに合わせて方向転換が行われ、その際に他編成との連結を考慮し引通しが逆向きに改造されている。当初は仙台色で緑色の帯を二重にまとっていたが、その後磐越西線専用塗装に変更。1999年12月~2005年6月まで「BAN-ETSU LINE 455」のロゴを消し、東北本線系統で運用(時折磐越西線運用に入ることもあった)。同年7月以降は、再度「あいづデスティネーションキャンペーン」により磐越西線運用に復帰したが、キャンペーンキャラクターである「あかべぇ」のステッカーは、つけられないままであった。

クハ455-44→クロハ455-1

[編集] クヤ455-1

1991年にJR東日本では、乗務員を対象に定期的に行う異常時の取扱いや応急処置等の教育訓練のため、保留車を活用して訓練用編成を整備することになった。455系ではクハ455形をベースにし、室内は座席を一部撤去、テーブルとパイプ椅子を持込みミーティングルームとし、備品収納用ロッカーや視聴覚教育用モニタ、ビデオを搭載したクヤ455形に改造。455系の1番ユニットと編成を組み、塗装は交直流急行色に白帯と「訓練車」の表記が入れられていた。2006年11月14日に編成に組まれていたクモハ455-1の鉄道博物館展示準備を兼ねて郡山総合車両センターへ廃車回送されて形式消滅している。

クハ455-203→クヤ455-1

[編集] 近郊化改造車

[編集] 概略

1982年11月15日国鉄ダイヤ改正では九州地方の、1985年3月14日国鉄ダイヤ改正では東北北陸地方急行列車が全廃となったため、捻出された車両は普通列車に充当されることとなり、1984年から一部車両が近郊形対応の改造を受けた。改造の内容は、洗面所の廃止や車端部座席のロングシート化、ならびに吊手の新設や一部車内仕切りの撤去などが挙げられる。

また、先頭車両が不足したために余剰となったグリーン車や付随車に運転台取付が行われた車両や、165・169系からの編入改造時に近郊化改造を同時施工した車両も存在する。

また、本系列の一部は地方都市圏の輸送改善を目的に車体更新をして近郊形電車に改造された。

詳細は国鉄413系・717系電車を参照。

[編集] 問題点

JR東日本仙台圏では朝夕のラッシュ時にも運用され6連もしくは最大9連で運転しており、更新改造により車内の一部をロングシート化しているものの急行時代の2扉のままで、扉の幅も1,000mmと狭く一部を除いてデッキとの仕切により乗降にも支障があり、列車の遅れにもつながっている。その対応策として、2001年には仙山線からの撤退したのを皮切りに2007年3月18日のダイヤ改正から順次701系E721系といった3扉車に置き換えられている。

[編集] 急行・快速列車としての運用

本系列は東北や北陸・九州といった交流電化地域を中心に配備され、主に東京大阪とを結ぶ急行列車の運用に就いていた。

しかし、その後特急格上げや快速格下げなどで急行列車自体が減少していったことから、ローカル運用を担うようになった。本節では、急行列車として運用された時代について記す。

[編集] 東北方面

1962年の451系落成当初は勝田電車区(現・勝田車両センター)に配置され、翌1963年からは仙台運転所にも配置された。北は青森、南は上野(一時期は東京)、臨時列車では万座・鹿沢口のほか私鉄である伊豆急行伊豆急行線伊豆急下田伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺まで乗り入れている。主として東北本線系統は仙台車が、常磐線系統は勝田車が運用を担当。また仙台車は、郡山福島などで列車編成の分割・併合が行われる運用もあった。詳細は東北本線優等列車沿革も参照。

[編集] 勝田電車区

投入直後は準急「ときわ」と急行「みやぎの」に充当された。

  • ←上野McM'TsTsTbTM'McM'Mc→日立・仙台
もしくは、
  • ←上野McM'TbTsTsTbM'McM'Mc→日立・仙台

翌1963年にはクハ451形が配置され、10月1日から「みやぎの」を仙台運転所に移管。同時にサハ451形[3]とサハシ451形も全車仙台に転出。以後は次の編成で常磐線中心の運用に投入された。

  • ←上野TcM'McTsTsTcM'Mc+TcM'Mc→勝田・日立・平
勝田側3両が付属編成。

1968年10月のダイヤ改正では、グリーン車1両が減車され、一部編成では中間閉じ込みのクハ451形がサハ451形に置き換えられている。 その後、1972年3月15日のダイヤ改正で編成が再度変更された。1985年の運用終了まで次の編成で運用された。

  • ←上野TcTsM'McTcM'Mc+TcTsM'Mc→勝田・日立・平・仙台

なお、「つくばね」は1968年登場当初は仙台運転所の付属編成による運用であったが、1978年10月2日国鉄ダイヤ改正で勝田に移管されている。また、「あぶくま」も1972年以降は仙台から移管されている。

準急→急行
急行
  • 「みやぎの」(上野~東北本線~仙台 ~1963年)
  • 「そうま」(上野・水戸~仙台 1972年「ときわ」に統廃合)
  • 「もりおか」(上野~常磐線~盛岡 1972年~1982年)
  • 「あぶくま」(白河~盛岡 1972年~1982年)
  • 「つくばね」(上野~東北本線・水戸線勝田 1978年~)
臨時急行

[編集] 仙台運転所

1963年10月に「みやぎの」運用を勝田電車区から移管[4]されたのと同時に「松島」「青葉」の電車化のために新たな配置区となり、次の編成が組成された。

  • ←上野TcM'McTsTsTbM'Mc+TcTM'Mc→仙台
TはTcの場合がある。

しかし、東北本線に介在する急勾配区間や1968年以降に乗り入れる奥羽本線の板谷峠対策のために455系が集中配置[5]されるようになり、1967年7月の磐越西線喜多方電化により次の編成に変更されている。

  • 上野←TcM'McTsM'Mc+TcTbM'McTsM'Mc→山形・仙台・盛岡・青森
上野方が付属編成[6]。青森方Tb組込が基本編成。
上記の編成とは別にTcM'Mcのみの編成も存在し、「仙山」をはじめとするローカル運用や臨時運用に投入された。

その後、ビュフエの営業休止に伴い1977年からTbが編成から外され、基本・付属共に共通の6両編成となったが、さらに1984年2月からは次の編成に短縮され、基本編成と付属編成の位置が逆転している。

  • 上野←TcM'McTsM'Mc+TcM'Mc→山形・仙台・盛岡・青森

1985年に東北本線系統の電車急行が全廃となり、以後はローカル運用に転用された。なお、仙台車で運転された主な列車を次に示す。

準急→急行
  • 「あぶくま」(白河~盛岡 ~1972年)
急行
  • 「いわて」「きたかみ[7](上野~東北本線~盛岡)
  • 「みやぎの」「青葉」「松島」→「まつしま」(上野~東北本線~仙台
  • 「あづま」(上野~福島)
  • ざおう(上野~山形
  • ばんだい(上野~会津若松喜多方
  • なすの[8]白河→上野 ~1982年)
  • 「つくばね」(上野~水戸線~勝田 ~1978年)
急行→快速
  • 「くりこま」(仙台~青森[9]
急行→特別快速・快速
臨時急行
  • 「エコーもりおか」(上野~東北本線~盛岡)
この列車は、本来は特急「やまびこ」の臨時列車と計画されていたが、485系の予備車捻出ができずに急行列車として運転されることになった。翌1972年に485系が大量増備されたために格上げされるが、停車駅を大幅に減らし運転時間約6時間30分という速達性が好評だったために1972年3月15日国鉄ダイヤ改正で仙台~青森間の「くりこま」2往復を電車化することになった際に1往復を全車座席指定席で停車駅を大幅に減らし、485系特急列車が4時間30分程度のところを4時間45分で結ぶ特急並みのダイヤ・列車設定を行った。
この「くりこま」は本来なら特急として運転しても遜色のない急行列車であったが、こちらは1往復だけ特急化することに当時の社会情勢も踏まえて仙台鉄道管理局が難色を示した上に対上野口のエル特急を大増発したために485系の運用に余裕がなくなり急行列車として運転されることになった。この列車は途中で定期の気動車急行「たざわ」を追い抜くというダイヤが組まれており、表定速度81.6km/hは歴代急行列車第2位[10]であった。1982年東北新幹線開業で「くりこま」は快速列車に格下げ。さらに盛岡~青森間は「はつかり」に発展的解消を遂げている。

[編集] 北陸地区

1962年7月から敦賀第二機関区(現・福井地域鉄道部敦賀運転派出)に配置され、同年年末年始輸送の臨時急行「越前」と名古屋~大阪間の準急「比叡」に投入[11]。翌1963年4月から定期急行列車での運用が開始され、1964年の北陸本線富山電化以降は金沢運転所(現・金沢総合車両所)への転属・集中配置となっている。

東は富山(臨時列車では糸魚川)、西は大阪まで運用[12]を担当。1970年7月15日から1982年まで富山地方鉄道本線宇奈月温泉立山線立山まで、「常磐伊豆」とともに交直流急行形電車の私鉄乗り入れという珍しい運用も見られた。

なお、投入当初は次のような編成を組成していた。

  • 大阪←McM'TbTsTsTbM'McM'Mc→金沢
    • 臨時列車などに投入される場合、Tb2両減車の8両編成が組成されるケースもあった。

1964年1月にクハ451形が新造され、4月以降次のような編成に順次変更された。

  • 大阪・米原←TcM'McTbTsTsTbM'Mc+TcM'Mc→名古屋・金沢
    • 金沢方3両が付属編成。

1967年にはTb1両減車の上でさらに次の編成に変更。

  • 大阪・米原←TcM'McTcTsTsTb[13]M'Mc+TcM'Mc→名古屋・金沢
    • 金沢方3両の付属編成は475系限定で、単独もしくは2本連結の上で「くずりゅう」運用や臨時列車にも投入された。
    • サハ455形配置後は、一部編成の大阪方4両目TcをTに置き換えている。

1973年11月より、食堂要員を特急に集中するためにビュッフェ営業を休止。

1975年より冬期のみ基本編成からTsTbを抜いた減車編成で運用される。

  • 大阪・米原←TcM'McTsTM'Mc+TcM'Mc→名古屋・金沢

1978年4月より12両編成に復帰せず、1978年10月改正で冬期減車編成が基本となり、ヘッドマークも小型化された。

1982年11月の改正で「くずりゅう[14]」を除き特急列車に格上げもしくは廃止され、「くずりゅう」も1985年3月の改正で廃止となり、北陸地区での本系列の急行運用に終止符が打たれた。

投入された主な列車を以下に示す。

準急→急行
急行→準急→急行
急行
  • ゆのくに」「加賀[19](大阪~金沢)
  • 「立山」「越山[20](大阪~富山・糸魚川・宇奈月温泉・立山)
  • 兼六名古屋~金沢)
快速
  • 「こしじ」(福井~富山)

[編集] 山陽・九州方面

1965年南福岡電車区に配置され、10月のダイヤ改正から東海道本線山陽本線鹿児島本線日豊本線系統の急行列車として運用が開始。東は名古屋[21]、南は西鹿児島(現・鹿児島中央)までの運用を担当。名古屋~博多間のロングランや小倉で列車編成の分割・併合が行われる運用もあった。

そのため、鹿児島まで電化が完成した1970年10月1日に一部車両が鹿児島運転所(現・鹿児島総合車両所)に転属したのを皮切りに、1973年10月1日には鹿児島の他に 大分電車区(現・大分鉄道事業部大分車両センター)にも転属となり、南福岡の配置がなくなった。山陽新幹線博多開業によるダイヤ改正で本州内での急行運用がなくなり、大分電車区に集中配置となった。その後の運用見直しで1980年から一部車両が鹿児島に再転出しているが、1982年11月のダイヤ改正を持って九州地区での急行運用が消滅している。詳細は山陽本線優等列車沿革も参照のこと。

編成については、1965年投入当初は次の編成が組成されていた。

  • 熊本←TcM'McTbTsTsM'Mc+TcTbM'Mc→大阪・名古屋
    • 大阪方4両が付属編成。

1968年10月1日改正以降は編成数増加のためにTsと付属編成のTbを外し、以下の編成に変更となった。

  • 熊本←TcM'McTbTsM'Mc+TcM'Mc→大阪・名古屋

1978年10月改正で、Tbが外され基本編成が6両となっている。

  • 熊本・西鹿児島←TcM'McTsM'Mc+TcM'Mc→博多・門司港

また、一部列車や臨時列車には他地区同様TcM'Mc3両を組み合わせた6両・9両編成での運用も行われた。 なお、投入されたの主な列車を以下に示す。

準急→急行
急行
  • 「はやとも」「玄海」(名古屋~博多)
  • 「つくし」新大阪・大阪~博多)
  • 「山陽」「はやとも」広島~博多)
  • 「有明」「しらぬい」(岡山~熊本
  • べっぷ」(新大阪~大分
  • ゆのか(博多~日豊本線~大分)
  • 「かいもん」(博多~鹿児島本線~西鹿児島)
  • 「そてつ」(熊本~西鹿児島)
  • 「日南」門司港・小倉~日豊本線~西鹿児島)
急行→快速
  • 錦江(宮崎~西鹿児島)
快速
季節・臨時急行

[編集] 現状

2008年3月現在、以下の会社と路線で運用されている。


[編集] JR東日本

東北本線455系(2006年12月23日、郡山駅)
東北本線455系(2006年12月23日、郡山駅)
東北本線455系モハ454形の車内(2003年8月9日)
東北本線455系モハ454形の車内(2003年8月9日)
東北本線455系クモハ455の車内(2007年12月20日)
東北本線455系クモハ455の車内(2007年12月20日)

東日本旅客鉄道(JR東日本)所属車両は仙台車両センターに在籍していたが、全車両定期列車からは運用を離脱している。かつては東北本線の黒磯~一ノ関[24]仙山線奥羽本線常磐線でも運転され、さらには阿武隈急行線にも乗り入れていた。主な路線からの撤退時期は以下の通り。

仙台地区の455系は1両ごとに座席モケットの色が異なり、青森方のクモハが赤、モハが青、クハが緑となっている。また、一部編成は正面の種別・行先表示器が幕式からLED式に換装[27]されている。また磐越西線色の幕式車も内容が改定され、訓練車を除いて急行幕が消滅している。運転機器については、東北地区でのATS-Ps導入により表示器を速度計上部に設置しており、一部車両では常磐線いわき駅構内のATS-P[28]導入に対応した表示器も運転台右側に設置した。

編成番号は、455系はS+電動車ユニットの車両番号で表記される[29]。457系はユニットの若い順から車号に関係なくS71~73に編成に編成番号が定められている[30]

本形式は、417・717系と同じく全廃される予定[31]で、2008年4月現在本形式は陸前山王駅に1編成疎開留置されており、残る編成は仙台車両センター内に保留車として留置されている。

なお、訓練車として在籍していたS-1編成[32]のうち、モハ454-1・クヤ455-1は廃車となったが、鉄道博物館への保存・展示のためにクモハ455-1と仙台色のクハ455-2+モハ454-4[33]は、2007年5月に郡山総合車両センターでの整備後に大宮総合車両センターへ輸送、その後除籍された。

2008年3月22日に仙山線仙台~山形間、23日に東北本線仙台~郡山駅間でさよなら運転を行い、JR東日本仙台地区での旅客運転を終了した。

[編集] JR西日本

北陸本線475系。前面の種別表示器が塞がれているのはつららによる破損を防ぐため
北陸本線475系。前面の種別表示器が塞がれているのはつららによる破損を防ぐため

西日本旅客鉄道(JR西日本)所属車両は金沢総合車両所に在籍し、原則として北陸本線敦賀駅直江津駅間で運用される。

つららによる破損を防ぐために先頭車前頭部の列車種別表示器が塞がれているほか、の浸入によるMGの故障を防ぐためにクモハの前頭部箱型通風器のうち運転士側のMG冷却風用が撤去され、室内デッキから採風する方式に変更されている。なお、車齢45年を迎える471系が営業運転に使用されていることは特筆される。 修繕により、現存する471系全車と475系の一部は側窓のサッシが交換されオリジナルと形状が異なっており、屋上ベンチレータの撤去も進行中である。また、Mc-M'車のトイレ・洗面台は閉鎖あるいは撤去されている[34]

北陸本線475系復元国鉄色(2006年7月 金沢駅)
北陸本線475系復元国鉄色(2006年7月 金沢駅)

かつては北陸本線米原駅~敦賀駅間・湖西線近江今津駅近江塩津駅間および富山港線でも運用されていたが、前者は直流電化への切替に伴う223系125系521系の投入によって2006年10月20日限りで、後者は富山ライトレールへの転換のため同年2月28日限りでそれぞれ撤退したが、その際に475系A16・A19の2編成が交直流急行色に塗装変更され、2006年9月23日「リバイバルくずりゅう」として運転された。2008年2月現在でも塗装は戻されていない。

2008年現在、本格的な置き換えの発表はない。

[編集] JR九州

九州旅客鉄道(JR九州)管内では、以下の路線で運用されていた。かつては熊本地区でも運用され、一部は博多駅まで乗り入れていた。

しかし同年8月16日18日に川内・錦江湾の花火大会の臨時列車に充当された。このうち、8月16日はGK5・29・31の3編成で、18日はJK9、GK5・29・31の4編成が運用された。

また、2008年3月10日から3月31日まで、GK5編成が717系Hk3編成と組み、415系の代走で運転された。[35]

国鉄時代も含めて九州管内に配属されたのは475・457系のみであるが、国鉄末期のサロ455形先頭車化改造時に先頭車が不足した際に、金沢運転所からクハ451形を2両を借り受けた例[36]がある。また、鹿児島車は鹿児島本線上で、大分車は日豊本線上で、ともに鹿児島中央方がクハ455形となっている。したがって両車は鹿児島中央駅でクハ455形同士が向い合う形となる。このため、両区所間での車両の転属や貸し出しは方向転換を伴っていた。

[編集] 車両塗装

オリジナルの車両塗装は、地色を赤13号ローズピンク[37])として、窓周りにクリーム4号の帯をまとった「交直流急行色」と称される配色であった。60Hz電源用の車両は、当初、識別用のクリーム色の細帯を電動車のみに、後に編成全車の下部に巻いていたが、457系登場後に塗装工程省略の見地からこの細帯は廃止された。これらのオリジナル塗装は、国鉄時代末期になると地域ごとに独自のカラーリングへと塗り替えられていった。

[編集] 仙台地区

455系東北色(手前)・磐越西線色(赤)・仙山線色(青)2002年1月10日 郡山駅
455系東北色(手前)・磐越西線色(赤)・仙山線色(青)
2002年1月10日 郡山駅

仙台地区に在籍する車両は、715系1000番台に準じたクリーム10号[38]アイボリー)の地色に緑14号の帯の配色に変更された。前面に回り込んでいる帯の部分が菱形になっているのが特徴である。

[編集] 学生によるデザイン

1995年仙山線のイメージアップを狙って東北芸術工科大学の学生によってデザインされたパッチワーク模様の塗装とした編成が登場した。S41編成がこの塗装変更を受け、1年間に渡り運用された。また、1996年にはS19編成が同大学の学生によってデザインされた「オプティカル塗装」に変更の上で1年間仙山線で運用され、その奇抜なデザインで沿線利用客の話題となった。

[編集] 専用塗装

1996年には磐越西線向けの、1997年には仙山線向けの専用塗装がそれぞれ登場している。共にデザインは同じで、配色とロゴが異なっている。

磐越西線向け455系2006年12月23日 郡山駅
磐越西線向け455系
2006年12月23日 郡山駅
さよなら455系あかべぇ2007年9月2日 喜多方駅
さよなら455系あかべぇ
2007年9月2日 喜多方駅
磐越西線向け
赤をベースに、1編成3両に渡って磐梯山をイメージして山なりに抜かれた白地が特徴。「BAN-ETSU LINE 455」ロゴ[39]が前面と側面に表記された。
2005年から「あいづデスティネーションキャンペーン」の一環として「あかべぇ」のイラストが追加された[40]が、2007年6月30日をもって磐越西線での運用を終了した。2007年9月2日には郡山~喜多方間で臨時列車「さよなら455系あかべぇ」号がS-6[41]+S-2編成で運転され、「あかべぇ」が涙目をしているヘッドマークが掲出された。
仙山線向け455系 郡山駅
仙山線向け455系 郡山駅
仙山線向け
青をベースに、1編成3両に渡って蔵王連峰をイメージして山なりに抜かれた白地が特徴。「SENZAN LINE 455」ロゴが前面と側面に表記された。しかし2001年に仙山線からの運用離脱に伴い、しばらくロゴのみが消された状態で東北本線や常磐線で運用されたが、その後仙台地区塗装に戻された。

[編集] 北陸地区

北陸地区向け475系現行塗装
北陸地区向け475系現行塗装

1985年に登場した419系が、赤2号の地色にクリーム10号の帯[42][43]の「旧北陸色」が採用された。後に本系列もこの塗装が採用[44]されることになったが、分割民営化後の1988年にイメージチェンジでオイスターホワイトを地色としてコバルトブルーの帯を配した塗装[45]に変更された。1991年に全車塗り替え完了後、現在も引き続き採用されている。

また2005年2006年には、2編成がリバイバルで交直流急行色に変更されている。クハを含めた編成全体に60Hz電源識別用の細帯が再現されているが、車両によって細部の塗分が異っている。

[編集] 九州地区

クリーム10号の地色に青23号の帯が入った九州標準色であるが、GK-5編成は2000年ミレニアム記念として交直流急行色に変更された。こちらも60Hz電源識別用の細帯が再現されているが、北陸地区とは異なり、クハに帯が入らない初期の仕様である。

[編集] 参考文献

JTBパブリッシング
ジェー・アール・アール
  • 『国鉄車両シリーズ2 交直流急行形電車』1983年
鉄道ジャーナル社
鉄道ジャーナル
  • 1980年4月号 No.158 急行形交直流電車
電気車研究会
鉄道ピクトリアル
  • 1986年9月号 No.469 急行形交直流電車
  • 1996年4月号 No.619 455・475系電車の現状
  • 2007年4月号 No.788 451~475系電車
イカロス出版
『季刊j-train』
  • Vol.1~5(2001~2002年)「交直流急行形電車451~475系 その1~5」
  • Vol.22(2006年) 東北・北陸の455・475系
『国鉄型車両の系譜シリーズ06 形式455系』(2007年)
プレス・アイゼンバーン
とれいん
  • 2006年7月号 No.379 東北・北陸・南九州 交直流急行形電車大全
『レイル』
  • 2007年 No.60 交直流急行形電車の45年
交友社
鉄道ファン
  • 2007年7月号 Vol.47 No.555 JR車両ファイル2007

[編集] 関連商品

[編集] 脚注

  1. ^ 種車の車体長19,500mmからオリジナルのクハ455型と同じ19,900mmに延長されたという説と、実車は車体延長されておらず他のクハ455型よりも車体長が短かったという説がある。
  2. ^ 北陸地区における413系への改造は471系(付随車は451系)、473系が対象であり、475系(付随車は455系)、457系は413系への改造を行わず更新修繕で対応する方針であった。
  3. ^ 1968年には勝田に出戻り転属している。
  4. ^ 完全移管に先立ち6月から早期落成車と転属車によって運転されている。
  5. ^ 455系配置によって451・453系の多くは勝田区に玉突き転属しているが、それでも一部車両は仙台に残留。また、200番台を除くクモハ455形+モハ454形のユニットは全車仙台に新製配置されているが、30~32のみ1980年~1985年の間、勝田区に転属している。
  6. ^ 磐越西線の需要・有効長から電車急行は6両編成が妥当という判断からの組成。
  7. ^ 1968年、「いわて」に統廃合。
  8. ^ 前日夕方、上野に到着した455・457系を折り返し上野口ローカル運用に投入。付属編成は、黒磯滞留。基本編成は白河滞留とし、翌朝の上りのみの設定で上野入りさせ、東北急行に充当させる間合い運用であった。
  9. ^ 快速格下げ後は仙台~盛岡
  10. ^ 歴代最速は711系電車による札幌旭川間のノンストップ急行「さちかぜ」の85.5km/h。
  11. ^ 大垣電車区(現・大垣車両区)と高槻電車区(現・吹田工場高槻派出所)に貸し出し、捻出された153系を東京~姫路間の臨時急行「第2はりま」に充当。
  12. ^ 急行運行終了時まで先頭車の貫通扉にヘッドマークを装着していた。
  13. ^ サハシ451-7~12・16、サハシ455-18・22・24。
  14. ^ 583系化される「立山」と客車使用の「きたぐに」は残存。
  15. ^ 準急時代の運転区間は、敦賀~金沢。
  16. ^ 1962年12月28日~1963年1月7日運転の臨時急行列車。
  17. ^ 1963年4月20日~1964年9月30日運転の定期準急列車。
  18. ^ 1964年10月1日~1965年9月30日運転の定期急行列車。1965年10月1日「ゆのくに」に統合され、愛称は上野~福井間の客車急行に変更。
  19. ^ 1968年、「ゆのくに」に吸収され愛称消滅。
  20. ^ 1964年10月1日国鉄ダイヤ改正で登場なるも、1年後に「立山」に吸収され愛称消滅。
  21. ^ 間合い運用の普通列車で中央本線中津川まで入線
  22. ^ 2000年、特急「ひゅうが」に格上げされ消滅。九州地区最後の475系優等仕業でもあった。
  23. ^ 「つくし」の間合い運用。
  24. ^ 団体列車で上野~黒磯での実績もある。
  25. ^ 417系は同7月1日からE721に置き換え
  26. ^ ただし、同年9月10日より再び、平日に限り1編成だけ上り早朝・下り昼間に運用されていたが、2008年3月14日で運用を終了した。
  27. ^ 仙台色車とS-40編成が対象。
  28. ^ 現在は運用区間変更などから車上装置の使用を停止している。
  29. ^ 例:クモハ455-19以下3連の場合はS-19編成となる
  30. ^ 例:クモハ457-12以下3連の場合はS-72編成となる
  31. ^ 訓練車として残る417系1編成を除く。
  32. ^ クモハ455-1+モハ454-1+クヤ455-1で組成された編成はヘッドライトが原型の大型(デカ目)であり、交直流急行色だあったことから一部の鉄道ファンの間では人気のある編成であった。
  33. ^ 元S-4編成。鉄道博物館内で休憩スペースとして使用。クハは正面の種別・行先表示器が方向幕に復元されている。
  34. ^ 例外として、クモハ475-41のトイレは残されている。これは編成を組むクハ455-302がトイレを装備していない為である。
  35. ^ 鉄道ファンより
  36. ^ 1984年12月21日~1985年4月24日にかけてクハ451-20・31の2両を鹿児島運転所が借り受けている。なお、この2両は貸し出し中の1985年3月31日付で仙台運転所に転属という希有な経歴を残している。
  37. ^ 就役当初はセクシーピンクと呼ばれていた。
  38. ^ 715系1000番台は当初はクリーム1号
  39. ^ 当初は「BAN-ETSU RAPID 455」となっていたが、快速以外にも運用されていたため修正。
  40. ^ 2006年からは485系にもあかべぇ塗装車が登場。
  41. ^ S-6編成のクモハ455-6は前頭部の箱型通風器が「ハの字」に取付けられている変形車。
  42. ^ 身延線115系の登場時と同一塗装。
  43. ^ 帯はステッカーとなっており、塗装工程の簡素化が計られていた。
  44. ^ 改造車のクハ455-302は落成時から採用。
  45. ^ 「旧北陸色」の全車塗り替え前に新塗装に変更が決定した。

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ


aa - ab - af - ak - als - am - an - ang - ar - arc - as - ast - av - ay - az - ba - bar - bat_smg - bcl - be - be_x_old - bg - bh - bi - bm - bn - bo - bpy - br - bs - bug - bxr - ca - cbk_zam - cdo - ce - ceb - ch - cho - chr - chy - co - cr - crh - cs - csb - cu - cv - cy - da - de - diq - dsb - dv - dz - ee - el - eml - en - eo - es - et - eu - ext - fa - ff - fi - fiu_vro - fj - fo - fr - frp - fur - fy - ga - gan - gd - gl - glk - gn - got - gu - gv - ha - hak - haw - he - hi - hif - ho - hr - hsb - ht - hu - hy - hz - ia - id - ie - ig - ii - ik - ilo - io - is - it - iu - ja - jbo - jv - ka - kaa - kab - kg - ki - kj - kk - kl - km - kn - ko - kr - ks - ksh - ku - kv - kw - ky - la - lad - lb - lbe - lg - li - lij - lmo - ln - lo - lt - lv - map_bms - mdf - mg - mh - mi - mk - ml - mn - mo - mr - mt - mus - my - myv - mzn - na - nah - nap - nds - nds_nl - ne - new - ng - nl - nn - no - nov - nrm - nv - ny - oc - om - or - os - pa - pag - pam - pap - pdc - pi - pih - pl - pms - ps - pt - qu - quality - rm - rmy - rn - ro - roa_rup - roa_tara - ru - rw - sa - sah - sc - scn - sco - sd - se - sg - sh - si - simple - sk - sl - sm - sn - so - sr - srn - ss - st - stq - su - sv - sw - szl - ta - te - tet - tg - th - ti - tk - tl - tlh - tn - to - tpi - tr - ts - tt - tum - tw - ty - udm - ug - uk - ur - uz - ve - vec - vi - vls - vo - wa - war - wo - wuu - xal - xh - yi - yo - za - zea - zh - zh_classical - zh_min_nan - zh_yue - zu -