マスター・コントローラー
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マスター・コントローラー(Master controller,「マスコン」と略される)は、鉄道車両の速度を遠隔制御するスイッチ装置であり、一般に鉄道車両の運転台に設置される。
日本語では「主幹制御器」と翻訳されているが、遠隔操作される側の各制御装置も「制御器」(Controller)と訳されているため、日本では混同を避ける意味で「マスコン」の呼称が用いられるケースが多い。
現代の電車・電気機関車・気動車・ディーゼル機関車には通常、以下の方式のいずれかが搭載されている。鉄道車両以外では天井クレーンで設置されているものもある。
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[編集] 直接式
モーターの電源となる、架線電流そのものを運転台に引き込み、運転士の力でカム軸を操作し、直接、断続や抵抗器の切り替えを行うものである。厳密にはこの方式では、運転台の制御器で主回路の切り替えが行われ他に遠隔操作される制御器が存在しないため、運転台の制御器は「主幹制御器」ではなく、「直接制御器」(Direct Controller ダイレクトコントローラー)と呼ばれる。
その歴史は1870年代にドイツのシーメンスによって発明された最初の電気機関車にまで遡ることができる。
モーターによる電動カム軸式に比べ、構造が単純で反応が素早い利点はあるが、操作力は大きく、体力を要するうえ、誤操作も起こり得る。また、マスコン内のスイッチ接点に架線電圧が直接かかるため、特に外装部の絶縁処理に注意を要し、さらに運転台に置かれるため、コントローラ本体の体積(ケースの容積)や接点の寸法などには物理的な限界があり、大電流への対応や一定以上の多段化が困難である。
架線電流を引き込む構造上、集電装置を持たない非電動車からの遠隔制御や、2両以上の総括制御には向いていないない[1]ため、現在ではトロッコ用の電気機関車と旧式の路面電車でのみ用いられている。
[編集] 間接式
小電流の制御電源のみを運転台に引き込み、この制御電源の切り替えによって、離れた位置にある制御装置を遠隔操作する方式である。 電車の2両編成以上での運転には遠隔制御を用いるのが望ましいことから、1898年にアメリカのフランク・スプレイグの手により、マルチプル・ユニット・システムと呼ばれる総括制御システムの一環として考案された。最初に開発されたスプレーグ・タイプDは既に自動進段機構を備えており、制御電源は低圧(DC 12V)のバッテリーに頼っていたが、これはやがて電動発電機によるより安定した電源を使用するようになった。その後1910年代に入り、低コスト化への要求から補助電源無しで架線電圧による直接駆動可能、しかも構造が極めて単純な手動進段式制御器が、ゼネラル・エレクトリック社(GE社)やウェスティングハウス・エレクトリック社(WH社)の手で相次いで開発された。これらはその廉価さから支線区や中小私鉄を中心に普及した。
スイッチは直接式より小型で取り扱いも軽く、運転士の負担は少ない。複数の車両の制御装置を同時に遠隔操作できるのが最大の長所である。電車・電気機関車に限らず、気動車・ディーゼル機関車にも応用できる。
現在の鉄道車両で通常用いられているのは、この間接制御器である。
[編集] 電車用間接式制御器の発展
電車用間接式制御器は、その発祥の地であるアメリカにおいて、GE社とWH社の2大電機メーカーの競争によって発展した。このため、現在もなお、これら2社の製品に由来するシステムが世界中で使用されている。 ここではそれら2社が製造した主な製品と、それらとは別に発展した、イギリスのイングリッシュ・エレクトリック社(EE社)による「デッカー・システム」について概要を説明する。
[編集] GE社
間接式制御器の生みの親であるスプレーグ自身が、元々エジソンのスタッフの一人であったという経緯から、エジソンが創設したGE社は早期よりこの画期的なシステムの製品化に取り組んできた。 その成果は早くも1901年に現れており、電磁式単位スイッチ機構がこの年完成した。 後にMコントロールの名で知られるようになったこの合理的なシステムは、600Vの架線電圧を直接その動作に使用する[2]点に特徴があった。 前述の通り1910年代には回路構成を大幅に簡略化した手動進段式のMKが派生し、さらに自動進段式のMA(M Automatic)系は1910年代中盤以降カム軸式のPC、多段化したPCM、さらには電動カム軸化によってコンパクトにパッケージ化したMCMへと発展していった。
当然ながら、自動進段式のMA系と、手動進段式のMK系とでは、その制御段数の相違からコントローラの仕様が異なっており、相互の併結は不能であった。
日本においては、総括制御導入初期に事実上の市場独占を実現しており、特に新性能車の導入まで国鉄電車の標準マスコンとして長く採用され続けたMC1形主幹制御器は、GE社のC36形マスターコントローラを改良したものであった。
[編集] WH社
GE社のライバルであったWH社も、少し遅れて電気鉄道向け機器の開発に乗り出し、電空単位スイッチを1904年に実用化した。 これは総括制御に必要なもう一つの技術である空気ブレーキの開発で知られるウェスティングハウスならではのアイデアで、ブレーキに用いる空気圧制御を制御器に応用したものであった。
ブレーキと制御器で極力機構を共通・統合化しよう、というこのWH社の設計コンセプトは、やがてブレーキの電空同期を実現するSMEE/HSC-D発電制動連動型電磁直通ブレーキの開発を経て、ワンハンドルマスコンの嚆矢となったシネストン・コントローラ(後述)の完成で絶頂を迎えた。
WH社(およびそのライセンスを受けて製品を製造した三菱電機)の場合、その型番体系は非常に合理的、かつシステマティックに整理されており、以下の各種の記号を組み合わせたモデルが存在した。
- H(Hand acceleration:手動進段)
- A(Automatic acceleration:自動進段)
- L(Line voltage(架線電圧動作)
- B(Battery voltage:低電圧動作[3])
- M(M compatible:GE社Mコントロール互換。日本ではMultiple notch:多段進段)
- F(Field tupper:弱め界磁機能)
- S(Spotting:スポッティング付き)
例えば、手動進段・低電圧動作・弱め界磁機能・Mコントロール互換(多段進段)の場合はHBFM、自動進段・低電圧動作・スポッティング付きの場合はABSとなる。
[編集] EE社
直接式制御器のベストセラーとなったDBI-Kxシリーズ[4]で知られたイギリス・デッカー社(Dick Kerr Works,Preston, Lancs.)も、1910年代には総括制御器をラインナップに含める必要に迫られた。このため、1920年代以降「デッカー・システム(Dick Kerr System)」として知られることになる、画期的な間接自動制御器シリーズを開発した。
これは前述の2社とは異なり、当初よりモーターで駆動される精緻なカムスイッチ機構を備えていた点に特徴があった。電動カムスイッチはその保守コストは大きかったが、大電流を取り扱うモデルでもコンパクトにまとめられ、機構上、自動進段機構が容易に構成できるというメリットがあった。このため、いずれの製品も自動進段機構を標準搭載して、スムーズな加速に欠かせない多段制御を実現しており、これに合わせてマスコンも自動進段を前提として、実際の制御段数の割にノッチ刻みが少ない、コンパクトかつシンプルな構成となっているのが特徴であった。
デッカー社は、このシステムの開発直後にEE社に吸収合併されたため、その大半はEE社製品として販売された。販路は主として英連邦各国であったが、日本およびその影響下にあった各国においては、日本におけるEE社の提携先である東洋電機製造によるライセンス生産品が多数販売され、使用された。
[編集] ワンハンドルマスコン
間接式制御器の一種で、本来別々に設置されているマスコンとブレーキレバーを一体構造としたものである。運転操作を極力簡易にするための発想で、既に1930年代にはシネストン・コントローラ(Cineston Controller)と呼ばれる、SMEE/HSC電磁直通ブレーキ用ブレーキ制御弁に主幹制御器の電気接点を組み込んだ制御器システムがアメリカのウェスティングハウス社の手で開発され、遅くとも1940年代後半までにはニューヨーク、シカゴ、ボストン市などの地下鉄および高架鉄道で営業運転に供されている。
ワンハンドルマスコンの実現には、主幹制御器側で操作される発電・回生ブレーキと、ブレーキ弁で操作される空気ブレーキ系が電気的・機械的に確実に同期動作する必要がある。このため、当時の技術では、WH社が開発したセルフラップ式ブレーキ弁と、同じくWH社開発の締切電磁弁(Lock Out Valve:LOV)などの併用が事実上必須であった。
日本では1952年の高松琴平電気鉄道10000形電車が電空一体型ワンハンドルマスコンの最初の採用例(制御装置は日立製作所笠戸工場製)であるが、この時点ではセルフラップ弁を持たない、通常の直通ブレーキ上にシステムが構築されており、その操作は極めて特殊であった。しかも、LOV相当の機構も欠落していたことから発電ブレーキと直通ブレーキの同期に難があり、この日立製ワンハンドルマスコンシステムは普及しなかった。
このため、本格的な採用としては1969年の東急8000系電車が最初と言える。細やかな制御が難しいという理由でこの方式を好まない運転士や事業者[5]も多いが、近年はJRや大手私鉄での採用例が増えている。また、日本ではワンハンドルマスコン採用車両の殆どが、電気指令式ブレーキとなっている。
東急8000系を開発する際にワンハンドルマスコンの操作法については“押して制動・引いて力行”と、馬を御するやり方に基づいた逆方式の2つの案があり、最終的には前者に決まったのだが、これは、人間の体が慣性に逆らわずに運動する、また、万一失神時には前に倒れ込むであろうということで、“人間工学に基づいたシステム”と評価された。また運輸省(→国土交通省)から「どちらでも良いが、どちらかに決めたら変えてはならない」という指導がなされ、以後、JR・私鉄等を問わず輸入車を除いた全ての車両が東急8000系方式を踏襲している。
ちなみにヨーロッパにおいては、特にトラム等で早くからワンハンドル制御が行われていたが、こちらは逆に押して力行、引いて制動である。そのため熊本市交通局9700形や広島電鉄5000形などのヨーロッパからの輸入車はヨーロッパ方式のままである。
ハンドルの形は、左手で操作するタイプ(西日本と四国を除いたJRグループ・小田急電鉄の通勤車ほか)、右手で操作するタイプ(江ノ島電鉄・名古屋鉄道・大阪市交通局70系電車・大阪市交通局80系電車ほか(名鉄は当初両手タイプだった))、両手で操作するタイプ(東京急行電鉄・阪急電鉄・大阪市交通局66系電車・西日本鉄道ほか)の各種が存在する。様々な要因から、両手→左手→両手になった西武鉄道や、右手→両手になった京浜急行電鉄などの会社もある。片手操作のハンドルは近年小型化され、ワンレバー式とも呼べるサイズとしたものが多い。
[編集] 横軸ツインレバー型マスコン
間接式制御器の一種で、マスコンとブレーキレバーは別々であるものの、従来型と違い、それぞれ見た目が自動車のシフトレバーやATセレクター様の横軸型レバー式の構造になっている。最近主流のワンハンドルマスコンでは細やかな制御がしづらいことを嫌う会社で採用する例が目立つ。
マスコンのみを横軸型レバー式とした例は新幹線0系電車や国鉄201系電車が奔りであったが、現在ツインレバー型はJR西日本の221系電車以降の電車形式や、京阪電気鉄道の7200系電車以降の通勤型形式等、阪急・大阪市交通局堺筋線以外の関西の鉄道車両で採用されることが多い。近年は、第三セクター鉄道の新車にも採用されている。
[編集] 1軸ツーハンドルマスコン
間接式制御器の一種で、ワンハンドルマスコン同様片手操作可能ではあるが、右側/左側両方にマスコンハンドルがある。右手で右のレバーを操作すれば左のレバーも連動して動く仕組みになっている。路面電車の一部に採用。
[編集] 脚注
- ^ 車両間に架線電圧を扱うジャンパ線を引き通せば、物理的には一応可能であり、過去には蒲原鉄道などで直接式制御器搭載の小型電車に制御車を連結するために用いられた例があった。また、広島電鉄70形電車がそうであるように、電装品の絶縁処理やスイッチ機構の小型化に自信があったヨーロッパ、特にドイツのメーカーでは、2/3車体連接式の路面電車に超多段式の直接式制御器を搭載するケースが少なからず存在した。
- ^ 厳密には抵抗を挿入して降圧の上で使用する。また、1500V電化線区では電動発電機を用いて給電した。
- ^ 当初12/24Vバッテリーからの給電に依存していたため、このように命名された。アメリカではブレーキの電磁弁を駆動するのに用いられるのと共通の、32V動作のモデルが一般的となったが、日本では長大編成化に有利な100V動作の高電圧モデルが広く普及した。
- ^ DBI-K4など。日本の路面電車で現在も標準的に使用されている三菱電機KR-8形制御器などの原型となったモデル。
- ^ 関西圏の阪急以外の各社線では、ブレーキ弁とマスコンを同時に操作して出発時の衝動を軽減するスキルが常用される例が多く、ワンハンドルマスコンはこの操作法が使用できないため、後述の横軸ツインレバー型マスコンが普及している。
[編集] 関連項目
- ブレーキ
- 可変電圧可変周波数制御(VVVFインバータ)
- チョッパ制御
- デッドマン装置