イングリッシュ・エレクトリック
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イングリッシュ・エレクトリック(英 English Electric)は、1918年に設立された、当初は電動機を生産し、後には鉄道の機関車、航空機、コンピュータなどを生産していたイギリスの総合電機メーカーである。1968年にゼネラル・エレクトリック・カンパニー(GEC: General Electric Company)に買収された。
日本では、その前身の1つであるディック・カー・アンド・カンパニー(Dick, Kerr & Co.)から来ている「デッカー」という通称がよく知られている。
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[編集] 歴史
- 1917年 - ディック・カー・アンド・カンパニー(Dick, Kerr & Co.)がプレストンで路面電車を製造していたユナイテッド・エレクトリック・カー・カンパニー(United Electric Car Company)を買収。
- 1918年 - イングリッシュ・エレクトリック設立。
- 1918年から1919年 - イングリッシュ・エレクトリックがプレストンのディック・カー・アンド・カンパニー、ラグビー(Rugby)のウィランズ・アンド・ロビンソン(Willans & Robinson)、ブラッドフォードのフェニックス・ダイナモ・マニュファクチャリング・カンパニー(Phoenix Dynamo Manufacturing Company)を買収。またシーメンスのスタッフォード工場(Stafford works)とダイナモ・ワークス(Dynamo Works Ltd.)も買収している。ディック・カーの動力機械事業はプレストンに集中しており、1930年までここで事業を継続した。
- 1926年 - 最後のキングストン飛行艇(English Electric Kingston)を送り出して航空機事業部門閉鎖。
- 1920年代後半 -経営危機に陥る。アメリカのウェスティングハウス・エレクトリック社の資本支援を受けた複雑な財務上の再編を行って脱却。
- 1930年 - 電気製品の製造をブラッドフォードに移転(路面電車、バスの車体、鉄道車両製造事業はプレストンに残存)。
- 1930年 - イングリッシュ・エレクトリックに関連している人間としてよく知られている、ジョージ・ネルソン(George Nelson, 1st Baron Nelson of Stafford)が社長に就任。
- 1930年代 - サザン鉄道の電化プロジェクトに設備を供給し、電気鉄道事業での立場を築く。
- 1939年 - ランカシャーのセームルズベリー(Samlesbury)に「影の工場」(shadow factory)を建設し、ハンドレページ ハンプデンとハンドレページ ハリファックスを製造する。
- 1939年から1945年 第二次世界大戦に対して重要な貢献を行う。
- 1942年 - 航空エンジンメーカーのネイピア・アンド・サンを買収し、イングリッシュ・エレクトリックの航空機部門を設立する。工場はハリファックス製造用に転用される。
- 1945年以降 - 航空機の設計に多大な投資を行い、1950年代にイングリッシュ・エレクトリック ライトニングやイングリッシュ・エレクトリック キャンベラなどで多大な成功を収める。キャンベラは各国空軍で多くの任務に就き、2006年まで現役であった。
- 1946年 - マルコーニ(Marconi Company)を買収。
- 1947年 - ウォートン空軍基地(Warton Aerodrome)跡に設計事務所を拡張移転。
- 1955年 - 機関車製造を行ってきた、ヴァルカン ファウンドリーとロバート・スティーブンソン・アンド・ホーソーンズ(Robert Stephenson and Hawthorns)を買収。またこの頃イングリッシュ・エレクトリックは蒸気タービンも製造していた。
- 1958年 - 航空機事業部門をイングリッシュ・エレクトリック・アビエーション(English Electric Aviation Ltd.)に分社化。
- 1960年 - イギリスの大手電機メーカーの1つであるGECを買収しようとする。
- 1960年 - イギリス政府の圧力を受けて航空機事業部門をブリティッシュエアクラフトコーポレーションに合併させる。イングリッシュ・エレクトリックはその40%を出資した。
- 1963年 - J.リヨンズ・アンド・カンパニー(J. Lyons and Co.)と合弁で、同社の開発したLEOコンピュータ(LEO)を製造するためのイングリッシュ・エレクトリックLEOを設立。
- 1963年 - イングリッシュ・エレクトリックの誘導兵器部門をブリティッシュエアクラフトに合併させる。
- 1964年 - J.リヨンズ・アンド・カンパニーのイングリッシュ・エレクトリックLEOに対する半分の持ち分を買い取り、マルコーニ・コンピュータと合併させてイングリッシュ・エレクトリックLEOマルコーニ(EELM: English Electric Leo Marconi)を設立する。
- 1967年 - EELMがエリオット・ブラザーズ、インターナショナル・コンピューターズ・アンド・タビュレーターズ(ICT: International Computers and Tabulators)と合併してインターナショナル・コンピューターズ・リミテッド(ICL: International Computers Limited)を設立する。
- 1967年 - GECがアソシエイテッド・エレクトリカル・インダストリーズ(AEI: Associated Electrical Industries)を買収。
- 1967年または1968年 - プレッシー(Plessey)がイングリッシュ・エレクトリック買収に失敗。
- 1968年 - 新しいGECがイングリッシュ・エレクトリックを買収する。
[編集] 製品
[編集] 航空機
ディック・カー・アンド・カンパニーと、フェニックス・ダイナモ・マニュファクチャリングのソーンベリー(Thornbury)、ブラッドフォードでは、第一次世界大戦の時から飛行艇を含む航空機を製造しており、例えばフェリックスストウ(Felixstowe)のシープレーン・エクスペリメンタル・ステーション(Seaplane Experimental Station)で開発された飛行艇や、ショート・ブラザーズ(Short Brothers)が開発したショート・タイプ184(Short Type 184)を62機、爆撃機を6機製造するなどしていた。
イングリッシュ・エレクトリック キングストン飛行艇は、フェニックス社がイングリッシュ・エレクトリックに合併してから同社の設計を元に開発されたものである。このイングリッシュ・エレクトリックの航空業界への参入の試みは、キングストンへの発注が1機もなかったため1926年に断念された。
イングリッシュ・エレクトリックの航空業界への再度の参入は、第二次世界大戦を前にしたイギリス空軍の拡張計画の中で実現し、まず、他のメーカの設計したハンドレページ ハンプデン爆撃機の"shadow production"からスタートした。1939年、空軍省はイングリッシュ・エレクトリックにセームルズベリー空港に工場を建設することを指示した。イングリッシュ・エレクトリックによるハンプデンの最初の機体は、1940年2月22日に初飛行し、1942年までに770機のハンプデン(ハンプデン全生産機数の半分以上)をセームルズベリー工場から送り出した。1940年、第2工場が建設され滑走路が延長されて、ハンドレページ ハリファックス重爆撃機の生産が開始された。1945年までに5つの工場と3つの滑走路が建設され、またイギリス空軍第9集団(No. 9 Group RAF)の基地ともなった。戦争終結までに2000機を超えるハリファックスを含む、3000機を超える爆撃機がセームルズベリーから送り出された。
第二次世界大戦末から、イングリッシュ・エレクトリックは、イギリスの2番目のジェット戦闘機であるデハビランド バンパイアをセームルズベリーで1300機生産した。独自の機体設計は、元はウエストランド・エアクラフトで設計を行っていたW.E.W. ペッター(W.E.W. Petter)により第二次世界大戦後に始められた。ブリティッシュエアロスペースに合流する前にイングリッシュ・エレクトリックが送り出した航空機は2種類しかないが、設計チームは多くの空軍のプロジェクトに助言を与えている。
[編集] コンピュータ
イングリッシュ・エレクトリックのコンピュータ事業への参入は、RCAとの契約によって始まった。最終的にはこの事業はICLの一部となった。1963年にJ.リヨンズ・アンド・カンパニーの傘下のLEOコンピュータとコンピュータ事業を統合してイングリッシュ・エレクトリックLEOを設立した。さらにリヨンズはその持ち分をマルコーニに売却し、マルコーニとイングリッシュ・エレクトリックLEOを合併させてイングリッシュ・エレクトリックLEOマルコーニ・コンピューターズとなり、最終的にはICLになった。
- DEUCE(DEUCE)1955年
- KDF6
- KDF8(KDF8)
- KDF9(KDF9)1960年
- イングリッシュ・エレクトリック コンピューターズ・システム4 1965年、システム4-50とシステム4-70は、本質的にRCA Spectra 70であり、それはIBM System/360のクローンである。
[編集] 誘導兵器
- サンダーバード(Thunderbird)
- ブルー・ウォーター(Blue Water)
[編集] 戦車
- エクセルシオール A33戦車(Excelsior A33 Tank) — 第二次世界大戦、試作
- カヴェナンター巡航戦車 — 第二次世界大戦
[編集] 鉄道
[編集] エンジン
- 12CSVディーゼルエンジン
- 6SRKTディーゼルエンジン
[編集] 鉄道車両
- イギリス国鉄クラス08ディーゼル機関車(British Rail Class 08)
- イギリス国鉄クラス09ディーゼル機関車(British Rail Class 09)
- イギリス国鉄クラス11ディーゼル機関車(British Rail Class 11)
- イギリス国鉄クラス12ディーゼル機関車(British Rail Class 12)
- イギリス国鉄クラス13ディーゼル機関車(British Rail Class 13
- イギリス国鉄クラス20電気機関車(British Rail Class 20)(イングリッシュ・エレクトリック1型)
- イギリス国鉄クラス23ディーゼル機関車(British Rail Class 23)
- イギリス国鉄クラス37ディーゼル機関車(British Rail Class 37)(イングリッシュ・エレクトリック3型)
- イギリス国鉄クラス40ディーゼル機関車(British Rail Class 40)
- イギリス国鉄クラス50ディーゼル機関車(British Rail Class 50)(イングリッシュ・エレクトリック4型)
- イギリス国鉄クラス55ディーゼル機関車(British Rail Class 55)(イングリッシュ・エレクトリック5型)
- イギリス国鉄クラス73電気機関車(British Rail Class 73) イギリス国鉄による組み立て
- イギリス国鉄クラス83電気機関車(British Rail Class 83)
- イギリス国鉄クラス86電気機関車(British Rail Class 86)
- イギリス国鉄クラス487電車(British Rail Class 487)
- イギリス国鉄D0226ディーゼル機関車(British Rail D0226)
- イギリス国鉄クラスDP1ディーゼル機関車(British Rail DP1)(「デルティック」(Deltic)、クラス55の原型)
- イギリス国鉄クラスDP2ディーゼル機関車(British Rail DP2)
- イギリス国鉄クラスGT3ガスタービン機関車(British Rail GT3)
- ポルトガル鉄道クラス1400
- ポルトガル鉄道クラス1800
- 日本国鉄ED13形、ED50形、ED51形、ED52形電気機関車
- 日本国鉄EF50形電気機関車
- 豊川鉄道・鳳来寺鉄道デキ50形電気機関車
- 青梅鉄道1号形、2号形電気機関車
- 東武鉄道ED10形電気機関車
- 総武鉄道デキ1形電気機関車
- マレー鉄道クラス15
- マレー鉄道クラス20
- マレー鉄道クラス22
- ナイジェリア鉄道クラス1001
- 北アイルランド鉄道クラスNIR1ディーゼル機関車(NIR 1 Class)
- オランダ鉄道クラス500ディーゼル機関車(NS 500 Class)
- オランダ鉄道クラス600ディーゼル機関車(NS 600 Class)
- ニュージーランド国鉄クラスDEディーゼル機関車(en:NZR DE class)
- ニュージーランド国鉄クラスDFディーゼル機関車(1954年)(NZR DF class (1954))
- ニュージーランド国鉄クラスDGディーゼル機関車(NZR DG class)
- ニュージーランド国鉄クラスDIディーゼル機関車(NZR DI class)
- ニュージーランド国鉄クラスDM電車(NZR DM class)
- ニュージーランド国鉄クラスED電気機関車(NZR ED class)(1両を完成品で、9両を部品として)
- ニュージーランド国鉄クラスEバッテリー機関車(1922年)(NZR E class (1922))
- ニュージーランド国鉄クラスEO電気機関車(NZR EO class (1923))
- ニュージーランド国鉄クラスEW電気機関車(NZR EW class)
- ポーランド国鉄クラスEU06電気機関車(PKP class EU06)
- QRクラス1200
- QRクラス1250
- QRクラス1270
- QRクラス1300
- QRクラス2350
- タスマニア鉄道クラスXディーゼル機関車(TGR X class)
- タスマニア鉄道クラスYディーゼル機関車(TGR Y class)(部品を供給して現地で組み立て)
- ビクトリア鉄道クラスL電気機関車(Victorian Railways L class (electric))
[編集] 路面電車
香港の路面電車の1912年から1918年にかけての第二世代車両をユナイテッド・エレクトリック・カーが製造し、その会社をイングリッシュ・エレクトリックが買収している。その後イングリッシュ・エレクトリックは香港の第三世代路面電車を1918年から1930年代にかけて製造している。