鉄道の電化
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鉄道の電化(てつどうのでんか)とは、鉄道の動力を電気にすることである。
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[編集] 概要
鉄道は蒸気機関を動力としてスタートした。しかし、1879年にベルリン工業博覧会での電機会社シーメンスによる電車の試験運行の実施、1887年にアメリカ人スプレーグが考案した電気軌道が敷設され、軌道では馬力等から電気動力による運行が主流となってゆく。この流れの中で、鉄道の電化が始まった。
鉄道において電気動力は、蒸気機関や内燃機関に比べエネルギー消費率で優れ、輸送力増強や速度向上といった輸送サービスの改善にも向く。
[編集] 方式
車両内部に蓄電池などの電源を持つものと、車両外部から電気を取り入れるものがあるが、圧倒的に後者が多い。外部からの集電方法は、大きく分けて架空電車線方式と第三軌条方式がある。また、電源は直流を用いるものと交流を用いるものがある。詳細は直流電化、交流電化を参照されたい。
車両内では、外部から取り入れた電力を主電動機の種類に応じて変換の上で使用する。詳細は電車、電気機関車等を参照されたい。
[編集] 各国の事例
国策や資源(電力)事情、産業の動向などにより、各国での電化率には偏りが見られる。スイス、ロシアといった国々が90%を越え、ドイツ、オランダ、日本が50%を越える比率なのに対し、アジア・太平洋地域は全体で3割程度である。近年では韓国・中国が鉄道電化比率を急速に上げている。
[編集] 日本における進展
電気軌道では、1895年に京都で京都電気鉄道が開通しているが、一般の鉄道では甲武鉄道(現在のJR中央本線)が1904年に飯田町~中野を電化したのが始まりである。甲武鉄道は1906年に国有化され国有鉄道初の電化区間となった。以降、大正期は山手線など東京都市圏での通勤電車の走行を目的に実施され、昭和初期には城東線(現在の大阪環状線)など大阪都市圏でも実施された。
しかし、幹線鉄道では東海道本線の東京~国府津間(1925年までに電化)を除けば、碓氷峠(1912年。先述の甲武鉄道を除けば国有鉄道初)や清水トンネル(1931年)、関門トンネル(1941年)など、山岳地帯や長大トンネルで局地的に実施されていたに過ぎない。これには当時の軍部が国有鉄道を建設・運営する鉄道院・鉄道省に対し、戦時に変電所を攻撃されると運転不能になることを理由に、基本的には非電化とすることを主張していたことも影響している。例えば、後に東海道新幹線として帰結する「弾丸列車計画」でも静岡以西は非電化による蒸気機関車牽引で計画されている。
一方、私有鉄道では、甲武に続き南海鉄道が難波~浜寺公園間を1907年に電化した。その後の一般鉄道の電化は低調であったが、名古屋鉄道など電気軌道系の路線が郊外へ延び大規模な路線網を形成してゆく。アメリカのインターアーバンの影響を受けたもので、後に一般鉄道並の施設になった路線も多い。そして、大正末期~昭和初期にかけて、東武鉄道、大阪鉄道、豊川鉄道など一般鉄道の電化が進むほか、目黒蒲田電鉄、宮城電気鉄道、富山電気鉄道など当初より電気軌道の利便性を兼ね備えた電気鉄道の開業が相次いだ。結果、1930年代には全国的に電気軌道系・鉄道系問わず、電化路線が散見されるようになる。中には、大阪電気軌道・参宮急行電鉄の上本町(大阪)~宇治山田(伊勢)や東武鉄道の浅草(東京)~日光など、全長100kmを越える路線も出現した。
太平洋戦争の敗戦後、石炭の価格が高騰した。これにより非電化私鉄は燃料の確保に支障をきたし、淡路交通、十和田観光電鉄など1950年前後に多くの路線が電化を実施することになる。しかし、その後は燃料事情が好転、また石油類の安定供給ならびにディーゼル動車の普及に伴い、非電化路線の電化事例は数例に留まる。
一方、国鉄でも前述の石炭事情の悪化、および輸送力増強が叫ばれたことから、1950年代以降、逆に多くの路線が電化されてゆく。東海道本線については、1956年(昭和31年)11月19日、米原~京都間を最後に、支線を除く全線の電化が完了した。これを記念し、1964年に鉄道電化協会がこの日を「鉄道電化の日」に制定した(→鉄道の歴史 (日本)・1956年11月19日国鉄ダイヤ改正も参照)。
また、1955年から商用周波数による交流電化の試験が開始され、1957年に北陸本線で実用化された。 戦後の電化は東海道本線を皮切りに、山陰地方を除く本州と九州で進められて行くが、一方で北海道と四国の電化区間は短区間に留まった。特に四国では国鉄分割民営化直前に香川県内の一部区間で実施されたに過ぎない。分割民営化後も引き続き電化区間の延長が実施されているが、内燃動車の性能改良により必ずしも電化の必要はなくなっている。
[編集] 旅客線の電化
輸送量の多い都市圏では電化の進捗率が高く、都道府県単位では既に全ての旅客線が電化された地域もある。しかし、電化工事には変電所の増設や架線設備の設置をはじめ、歴史が古く建築限界が小さい区間ではトンネル改修を要するなど多額の費用がかかる。そのため国鉄では、大都市近郊や都市間路線でも非電化の路線が長らくそのままにされていた。特に並走する私鉄がある区間では近距離輸送でも積極的な競争を行わないため、比較すると旧態依然としていたほか、電化した路線でも特急列車以外は内燃動車を継続して用いる例が見られるなど、消極的な経営が批判されることもあった。もっとも、民営化と前後して大都市近郊の路線の電化も少し行われた。
一方、閑散路線でも急勾配路線は高速化のため電化することがあった。しかし財政難などから高山本線などでは国鉄時代に工事が中止されたままとなり、その後気動車の性能が電車並に向上し、電化より新製気動車の購入がコスト安となったため、こうした路線では出力を強化した気動車を投入して近代化を進めている。また、沿線の地方自治体が費用を負担した一部の路線で、簡易方式による電化が行われた(播但線・加古川線・小浜線など)。
[編集] 旅客線が完全電化されている都府県
- 奈良県 - 1984年、関西本線・和歌山線を最後に全線電化。2006年の急行「かすが」廃止で気動車列車も消滅。
- 大阪府 - 1989年、片町線を最後に全線電化。ただし1973年に関西本線の大阪府内区間が電化されたことで、片町線長尾駅から京都府境までの区間を除いて全線電化されていた。なお、非電化区間へ直通する特急列車があるため、府内を走行する気動車列車がなお存在する。
- 神奈川県 - 1991年、相模線を最後に全線電化。
- 東京都 - 1996年、八高線を最後に全線電化。
- 沖縄県 - 唯一の鉄道である沖縄都市モノレール線は2003年の開通当初から電化されている。
[編集] 旅客線がほぼ非電化の県
- 徳島県 - 索道以外の鉄道(四国旅客鉄道・阿佐海岸鉄道)には電化区間が全くなく、全国で唯一電車が存在しない。なお、過去にも一切電化された路線が存在しなかったため、歴史的にみても電車が存在しなかった唯一の県である。
- 島根県 - 一畑電気鉄道全線と、西日本旅客鉄道の山陰本線・安来駅(県境の米子駅から電化)-西出雲駅(出雲鉄道部)間は電化されているが、それ以外(山陰本線の西出雲駅以西と、木次線、三江線、山口線)は非電化。
- 鳥取県 - 電化区間は山陰本線の伯耆大山駅-米子駅間(県境の安来駅まで電化)や境線の米子駅-後藤駅(後藤総合車両所までの回送と、試運転で走行するのみ)間と、伯備線(陰陽連絡路線では初の全線電化)のみ。それ以外(JR山陰本線・伯耆大山駅以東と、因美線・智頭急行・若桜鉄道)は非電化。日ノ丸自動車法勝寺電鉄線が廃線になった1967年から伯備線電化の1982年の間は、電化された旅客線がなかった。なお、鳥取駅へ乗り入れる路線が電化されていないため、鳥取市は徳島市と並んで電車がない県庁所在地である。
- 高知県 - 高知市を中心とする路面電車である土佐電気鉄道は電化されているが、四国旅客鉄道・土佐くろしお鉄道線・阿佐海岸鉄道は全区間非電化。現在の電化線は軌道法準拠の路線のみであるが、過去には地方鉄道法準拠の電化路線である土佐電気鉄道安芸線が存在した。JRで県庁所在地が電化されていないのは高知と鳥取、徳島、(那覇)のみである。
- 宮崎県 - 現在では幹線級の日豊本線の電化が完了しているが、1974年の日豊本線南宮崎電化まで電化路線が一切存在せず、電車が走ったのは全国で46番目と一番遅かった(徳島県はまだ電車が走ったことがない)。なお、かつて存在した宮崎交通線では旅客列車では珍しい蓄電池式の機関車・電車を使用しており、電化以前に蓄電池式の旅客列車を走らせた点は特筆される。
[編集] 日本国外の例
[編集] ディーゼル化による電化路線の非電化路線化
電化は初期投資を要するが、輸送量の大きい路線では輸送単位あたりの維持費用は一般に低い。このため、一度電化が行われた路線の電化設備が撤去されることは稀であるが、例外もある。
たとえば、内燃動力が一般的でなかった時代に、急勾配と長大トンネルにおける蒸気機関車の煤煙問題を解決するために行われた電化の場合、ディーゼル機関車と強力な換気装置が登場することで、電化が必ずしも経済的に有利でないケースが生じてくる。アメリカのカスケード山脈越えの路線は蒸気機関車時代に電化されていたが、このような理由からディーゼル化が行われている。
このほかに、インターアーバンが貨物鉄道に転換された際、電車による頻発運転の旅客列車の消滅により電化が不要になり、電化設備が撤去された事例も多い。
日本での類似事例としては、以下の路線で経費節減のために電車を気動車に置き換えた事例がある。
- 玉野市営電気鉄道(1964年12月24日から。1972年4月1日廃止)
- 福塩線(府中~下川辺、1962年4月1日から)
- 名古屋鉄道八百津線(明智~八百津、1984年9月23日から。2001年10月1日廃止)
- 名古屋鉄道三河線(猿投~西中金が1985年3月14日から、碧南~吉良吉田が1990年7月1日から。両区間とも2004年4月1日廃止)
- 近江鉄道本線(八日市~貴生川、1986年~1996年の間)
- くりはら田園鉄道(1995年4月1日から。2007年4月1日廃止)
また、肥薩おれんじ鉄道では、貨物列車直通のために電化設備は残されているものの、旅客列車は気動車による運行に置き換えられている。
[編集] 一部電化による路線の分断
旅客需要の差から、一部区間のみが電化された路線もある。これらのほとんどは運転系統や本数など輸送そのものが分断され、別路線のようになっている(交流・直流のデッドセクションを挟む場合も同様)。また北海道では特急街道にも関わらず非電化のまま残る区間があるが、北海道新幹線との二重投資を避ける事や高出力のエンジンを持つ新型のディーゼル特急やディーゼル機関車の登場で電化の費用対効果が低くなった事、冬季の架線設備メンテナンスコストの高さなどが理由とされる。
[編集] 電化・非電化区間が混在する路線
入出庫用に電化された区間は除く。
- JR
- 函館本線 - 境界は小樽駅と五稜郭駅、電化区間は千歳線や江差線と一体化
- 室蘭本線 - 境界は東室蘭駅と沼ノ端駅、電化区間は千歳線と一体化
- 江差線 - 境界は木古内駅、電化区間は海峡線と一体化
- 津軽線 - 境界は中小国駅、電化区間は海峡線と一体化
- 磐越西線 - 境界は喜多方駅
- 八高線 - 境界は高麗川駅、電化区間は川越線西部と一体化
- 大糸線 - 境界は南小谷駅、同駅でJR東日本とJR西日本に分断
- 関西本線 - 境界は加茂駅と亀山駅、亀山駅でJR東海とJR西日本に分断
- 紀勢本線 - 境界は新宮駅、同駅でJR東海とJR西日本に分断
- 山陰本線 - 境界は城崎温泉駅と、伯耆大山駅と西出雲駅、後者の電化区間は伯備線と一体化
- 播但線 - 境界は寺前駅
- 福塩線 - 境界は府中駅
- 予讃線 - 境界は伊予市駅
- 土讃線 - 境界は琴平駅、電化区間は予讃線と一体化
- 筑豊本線 - 境界は折尾駅と桂川駅、電化区間は鹿児島本線・篠栗線と一体化
- 豊肥本線 - 境界は肥後大津駅
- 長崎本線 - 境界は喜々津駅と浦上駅、旧線区間は非電化
- 大村線 - 境界はハウステンボス駅、電化区間は佐世保線と一体化
- 筑肥線 - 境界は唐津駅、電化区間は福岡市地下鉄空港線と一体化。電化時の路線変更により分断、唐津駅~山本駅は唐津線
- 日南線 - 境界は田吉駅、電化区間は宮崎空港線と一体化
- 私鉄・第三セクター