浦上駅
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浦上駅(うらかみえき)は、長崎県長崎市川口町に所在する九州旅客鉄道(JR九州)長崎本線の駅。長崎本線の新・旧線の分岐駅であり、全列車が停車する。2008年3月14日までは寝台特急「あかつき」1往復のみが当駅を通過していたが、廃止されたため、当駅を通過する列車は無くなった。2005年2月28日までは「あかつき」の他に寝台特急「さくら」も当駅を通過していた。
特急「かもめ」や快速「シーサイドライナー」も当駅に停車するため、諫早・佐世保・鳥栖・佐賀・福岡方面から長崎市北部への玄関口となっている。
ここでは駅前にある長崎電気軌道の浦上駅前電停(うらかみえきまえでんてい)についても併記する。
目次 |
[編集] 駅構造
[編集] JR浦上駅
[編集] 駅舎
- 平屋建ての簡単な駅舎が在る。これは前の駅舎が原爆で焼失した後に建てられた物である。コンビニエンスストアam/pmとパン屋が駅舎内部に設けられている。
- 自動券売機が1台設置されている。自動改札機は無い。JR九州直営駅でみどりの窓口が設置されている。なお、終日駅員は配置されているが、早朝と深夜にはみどりの窓口は閉鎖される。(集札は行われている)
- 駅には諫早方面のみLED式発車案内表示があり、長与経由・市布経由は別々に表示されている(駅外側から見て左が市布経由、右が長与経由。それぞれ2段表示がなされている。裏側にLEDはない。また長与駅止まりの列車は「長与まで」と表示される(隣の長崎駅も同様))。
- 時刻表は諫早方面は長与経由と市布経由が分けて書かれている。一方、長崎方面はまとめて書かれているほか、始発駅も書かれている。
- 駅自動放送は「まもなく、列車がまいります。危ないですから、黄色い線の内側でお待ちください」とだけ流れる、簡易なものが使われている。(周辺の西浦上駅、長与駅なども同じ)
[編集] ホーム
相対式ホーム2面2線を有する地上駅。駅舎側が1番のりば、奥が2番のりばである。1番のりばと2番のりばは跨線橋で結ばれる。エレベーター、エスカレーターはない。
1 | ■特急「かもめ」 ■快速「シーサイドライナー」 ■長崎本線 |
長崎行 |
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2 | ■特急「かもめ」 | 諫早・佐賀・博多方面 |
■快速「シーサイドライナー」 | 諫早・大村・ハウステンボス・佐世保方面 | |
■長崎本線(市布経由) | 諫早・湯江・肥前山口・鳥栖方面 | |
■長崎本線(長与経由)・大村線 | 諫早・大村・ハウステンボス・佐世保方面 |
[編集] その他
- 浦上駅から諫早方面に2~300m程進むと、踏切の手前にクロスポイントがあり、これが新線と旧線との分岐点となっている。そのまま直進すると旧線、ポイントを曲がると新線である。
- 旧線は電化されておらず、直進する列車は全て気動車である。一方新線は電化されており、気動車のみでなく電車も走行する。
- このクロスポイントの後の踏切から次の長崎トンネルまでの約1.5kmは、長崎本線の新旧線が並走する単線並列区間となっている。現在単線並列区間の踏切は上記の他にもう1箇所あり、長崎電気軌道の専用軌道(複線)とも並走する区間は高架化されている。
[編集] 長崎電気軌道浦上駅前電停
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- JR浦上駅前の国道206号上にある相対式2面2線の併用軌道の電停である。南側は横断歩道で、北側は歩道橋で繋がっている。以前は国道の横断手段は歩道橋しかなかったが、近年電停の改築に合わせて横断歩道が追加された。なお、この歩道橋はJRの線路を越えて西の浦上川・長崎西高校方面まで繋がっている。かつて戦後の復旧の際に当電停から浜口町電停までは長崎大学医学部・歯学部附属病院の直下を通る路線に一時迂回していた。後に現在の路線に戻っている。なお、迂回していた間、ここには長崎電気軌道で唯一、色灯式の踏切があった。
[編集] 駅周辺
- 駅前広場を挟み国道に面する。又、長崎電気軌道本線の浦上駅前電停に接続している。駅の裏には病院、近くにはマンション・コンサートホール・放送局・学校等様々な施設が有り、この駅の利用者の中にはそれらへの通勤通学者も多い。
[編集] 文教施設
- 活水中学校・高等学校
- 長崎県立長崎西高等学校
- 長崎市立淵中学校
- 長崎市立銭座小学校
- 長崎市立坂本小学校
- 北九州予備校長崎校
- 長崎大学医学部
- 長崎大学歯学部
[編集] 医療
- 長崎大学医学部・歯学部附属病院
- 日本赤十字社長崎原爆病院
- 長崎県医師会館
[編集] 文化施設
- 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
- 長崎原爆資料館
- 長崎市平和会館
- 長崎市立歴史民俗資料館
- 長崎ブリックホール
[編集] マスコミ
[編集] その他
浦上駅近くの長崎自動車茂里町営業所の再開発事業計画が行われている。観覧車をランドマークとする滞在型商業施設を予定しており、物販フロアの面積を最小限に留める等、地元商店街との摩擦に配慮しているという。
[編集] 利用状況
- JR九州 - 1日平均乗降人員 3,801人(2005年度)
- 長崎電気軌道 - 1日平均乗車人員 3,578人(2000年度)
[編集] 歴史
[編集] JR浦上駅
1897年(明治30年)7月22日の開業当時、この駅は長崎駅という名であった。今の長崎駅が出来るまでの8年間は終着駅であり、長崎市の表玄関の駅でもあった。現在でも駅前広場の一角に「長崎駅址」の石碑が建てられている。
1945年(昭和20年)8月9日、この駅は長崎への原子爆弾の投下により被爆した。爆心地にかなり近かった為辺りは相当な被害となったが、諫早駅等との間で被災者をピストン輸送する拠点として機能し続けた。
- 1897年(明治30年)7月22日 - 九州鉄道長崎線の終着駅、長崎駅(ながさきえき)として開業。
- 1905年(明治38年)4月5日 - 路線延伸により浦上駅(うらかみえき)に改称。
- 1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道の国有化に伴い官設鉄道の駅となる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 国有鉄道の線路名称制定により長崎本線の駅となる。
- 1945年(昭和20年)8月9日 - 原子爆弾により被災。
- 1972年(昭和47年)10月2日 - 喜々津駅から市布駅を経て当駅に至る長崎本線の新線が開業し、分岐駅となる。
- 1976年(昭和51年)6月6日 - 鳥栖~長崎駅間電化。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が承継。
- 2008年(平成20年)3月15日 - 前日限りで当駅を通過していた寝台特急「あかつき」が廃止されたため、全列車が停車となる。
[編集] 長崎電気軌道浦上駅前電停
- 1915年(大正4年)11月16日 - 長崎電気軌道本線の病院下(現大学病院前)~築町間開通に伴い開業。
- 1945年(昭和20年)8月9日 - 原子爆弾により被災。
- 1947年(昭和22年)5月16日 - 大橋まで一部路線変更の上復旧。
[編集] 隣の駅
- 九州旅客鉄道
- ■長崎本線(新線、市布経由)
- 特急「かもめ」
- 快速「シーサイドライナー」(通常の停車駅)
- 喜々津駅 - 浦上駅 - 長崎駅
- 普通
- ■長崎本線(旧線、長与経由)
- 西浦上駅 - 浦上駅 ( - 長崎駅)
[編集] 関連項目
長崎本線 |
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鳥栖 - 肥前麓 - 中原 - 吉野ヶ里公園 - 神埼 - 伊賀屋 - 佐賀 - 鍋島 - (臨)バルーンさが - 久保田 - 牛津 - 肥前山口 - 肥前白石 - 肥前竜王 - 肥前鹿島 - 肥前浜 - 肥前七浦 - 肥前飯田 - 多良 - 里(信) - 肥前大浦 - 土井崎(信) - 小長井 - 長里 - 湯江 - 小江 - 肥前長田 - 東諫早 - 諫早 - 西諫早 - 喜々津 - 市布 - 肥前古賀 - 現川 - 肥前三川(信) - 浦上 - 長崎 (長与支線(旧線)) |
長崎電気軌道1系統 |
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赤迫 - 住吉 - 昭和町通り - 千歳町 - 若葉町 - 長崎大学前 - 岩屋橋 - 浦上車庫前 - 大橋 - 松山町 - 浜口町 - 大学病院前 - 浦上駅前 - 茂里町 - 銭座町 - 宝町 - 八千代町 - 長崎駅前 - 五島町 - 大波止 - 出島 - 築町 - 西浜町 - 観光通り - 思案橋 - 正覚寺下 |
長崎電気軌道2系統 |
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赤迫 - 住吉 - 昭和町通り - 千歳町 - 若葉町 - 長崎大学前 - 岩屋橋 - 浦上車庫前 - 大橋 - 松山町 - 浜口町 - 大学病院前 - 浦上駅前 - 茂里町 - 銭座町 - 宝町 - 八千代町 - 長崎駅前 - 五島町 - 大波止 - 出島 - 築町 - 西浜町 - 賑橋 - 公会堂前 - 諏訪神社前 - 新大工町 - 新中川町 - 蛍茶屋 |
長崎電気軌道3系統 |
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赤迫 - 住吉 - 昭和町通り - 千歳町 - 若葉町 - 長崎大学前 - 岩屋橋 - 浦上車庫前 - 大橋 - 松山町 - 浜口町 - 大学病院前 - 浦上駅前 - 茂里町 - 銭座町 - 宝町 - 八千代町 - 長崎駅前 - 桜町 - 公会堂前 - 諏訪神社前 - 新大工町 - 新中川町 - 蛍茶屋 |