加古川線
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加古川線(かこがわせん)は、兵庫県加古川市の加古川駅から兵庫県丹波市山南町の谷川駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。全線が大阪近郊区間に含まれる。
兵庫県の中央部を流れる加古川に沿って山陽本線と福知山線を結んでいるが、地域輸送が中心である。
目次 |
[編集] 路線データ
- 管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 路線距離(営業キロ):48.5km
- 軌間:1067mm
- 駅数:21駅(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:全線(直流1500V)
- 閉塞方式:自動閉塞式(特殊)
- 運転指令所:厄神CTCセンター
- ワンマン運転実施区間:全線
谷川駅を除きJR西日本神戸支社の管轄である(うち、支社直轄の加古川駅以外は加古川鉄道部が管轄。なお、谷川駅のみ福知山支社篠山口鉄道部の管轄)。
神戸支社独自で与えられたラインカラーは、車体カラーに合わせて青緑(駅名標などで使われるが、あくまで支社独自のものであるため、アーバンネットワークのラインカラーではない。よって谷川駅では採用されていない)。
[編集] 運行形態
全線を通して運転される列車は1日1往復しかなく、厄神駅と西脇市駅を境に運転系統が分かれている。ただし、全線を直通する列車も西脇市で列車番号が変わる。
加古川~厄神間と加古川~西脇市間の列車が概ね毎時1本ずつ運転され、加古川から厄神までは毎時2本、西脇市までは毎時1本の本数となる。このほか、加古川~粟生間の区間運転列車が平日の朝夕に4往復ある。西脇市~谷川間は1日9往復、2~3時間に1本程度の閑散区間である。南側の加古川~西脇市間の列車は、かつて西脇市(当時は野村)駅から分岐していた鍛冶屋線に直通運転していた名残であり、当時から西脇市(野村)~谷川間が実質的に支線格であった。8月以外の第4土曜日は保守工事のため、厄神~谷川間で日中の列車が運休し、5時間ほど運行されない。
全線でワンマン運転を実施し、全列車が半自動扉扱いとなっている。
夜間滞泊は厄神駅と西脇市駅で行っている。
[編集] 横尾忠則のラッピング列車
2004年12月19日の電化時から、横尾忠則デザインのラッピング電車が運行されており、2007年6月には4本目となる列車の運行が開始された。各列車のテーマと運行開始日は以下の通り。
- 眼のある電車「見る見る速い」 - 2004年12月19日運行開始。マイクロエースがNゲージ鉄道模型化している。
- 「銀河の旅」 - 2005年12月18日運行開始。電化1周年記念
- 「滝の音、電車の音」 - 2006年3月12日運行開始。加東市発足記念
- 「走れ!Y字路」 - 2007年6月10日運行開始。西脇市の夜のY字路がモデル
[編集] 使用車両
上記のラッピング車以外の103系のカラーは、常磐線(直流区間のみを走行するものに限る)と同じく青緑1号である。
[編集] 歴史
加古川水系の舟運を代替する目的で設立された播州鉄道と、その路線を譲り受けた播丹鉄道(播但線の前身である播但鉄道とは別)が開業させた路線を、戦時買収したものである。そのため、同じ播丹鉄道に属していた支線の高砂線、三木線、北条線、鍛冶屋線とは密接な関係があり、ほぼ一体となった運転形態であった(高砂線除く)が、その全てが特定地方交通線として廃止・転換され、本路線のみがJR線として残っている。
播州鉄道は加古川及びその支流で行われていた舟運を鉄道に代替する目的で路線を敷設したため、加古川線の各駅は物流拠点付近に設置されており、集落から離れた場所であることが多い。旅客の流動に合わない路線設定ゆえに旅客需要は伸び悩んでおり、各支線への直通列車も多かったが乗客は少なかった。
民営化後に通勤利用を狙って朝の加古川行き快速列車を設定したりとテコ入れがなされたが、十分な効果が得られず快速運転も数年で取りやめになるなど明るい話題に乏しかった(ただし快速列車については、国鉄時代に設定されていたことがある)。さらには大阪・神戸方面からの直通列車がないことが災いして、高速バス(大阪駅発着の中国ハイウェイバスと三宮駅発着の西脇方面の急行バス)に圧倒されていた。
1995年の阪神・淡路大震災では、播但線などとともに寸断された山陽本線の迂回路の役割を果たした。しかし単線非電化であったことから迂回路としての機能強化を求める声が起き、2004年12月19日には全線が電化され、125系や103系電車が走るようになった。総事業費は約60億円で、うち45億円を西日本旅客鉄道や兵庫県などの沿線自治体が負担し、残る15億円を沿線地域での募金などにより民間が負担した。
[編集] 年表
- 1913年(大正2年)4月1日 - 播州鉄道 加古川町~国包間(4.7M≒7.56km)開業。加古川町駅、日岡駅、神野停留場、国包駅(初代・現在の厄神)開業。
- 1914年(大正3年)1月1日 - 滝停留場休止。
- 5月1日 - 滝停留場再開。
- 1915年(大正4年)5月14日 - 加古川町駅を国有鉄道加古川駅に統合(公示日)。
- 1916年(大正5年)2月4日 - 粟島停留場開業。
- 1921年(大正10年)5月9日 - 播鉄中津停留場、粟島停留場休止。釣橋駅の旅客営業廃止。滝停留場を臨時停留場に格下げ。
- 1923年(大正12年)12月21日 - 播丹鉄道に譲渡。
- 1924年(大正13年)12月27日 - 野村~谷川間(10.7M≒17.22km)延伸開業、現在の加古川線が全通。比延駅、黒田庄駅、本黒田駅、船町口停留場、久下村駅開業。
- 1925年(大正14年)4月28日 - 河合西駅を停留場に格下げ。
- 10月1日 - 新西脇停留場開業。
- 1926年(大正15年)10月21日 - 喜多駅開業。
- 1929年(昭和4年)8月23日 - 神野停留場を駅に格上げ。
- 1930年(昭和5年)4月1日 - 営業距離をマイル表記からメートル表記に変更(30.2M→48.8km)。
- 1931年(昭和6年)2月9日 - (貨)釣橋駅を停留場に格下げ。
- 1934年(昭和9年)4月5日 - 休止中の播鉄中津停留場、粟島停留場廃止。
- 1937年(昭和12年)3月24日 - (貨)釣橋停留場を駅に格上げ。
- 1943年(昭和18年)6月1日 - 播丹鉄道国有化、加古川線となる。全線改キロ、0.3km短縮。停留場・臨時停留場を駅に格上げ。播鉄大門駅を青野ヶ原駅に、播鉄社駅を社町駅に、播鉄滝野駅を滝野駅に改称。(貨)釣橋駅、喜多駅廃止。
- 1972年(昭和47年)3月15日 - 蒸気機関車が廃止され無煙化。
- 1985年(昭和60年)7月15日 - (臨)日本へそ公園駅開業。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 貨物営業廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が承継。
- 12月23日 - 日本へそ公園駅が通年営業となる。
- 1989年(平成元年)8月1日 - 野村~谷川間でワンマン運転開始。
- 1990年(平成2年)4月1日 - 鍛冶屋線廃止に伴い、野村駅を西脇市駅に改称。
- 6月1日 - 加古川~西脇市間でワンマン運転開始。
- 1999年(平成11年)8月から日岡 - 厄神間においてCOMBAT(バリス式列車検知形閉塞装置)の試験を実施(2001年3月まで)。
- 2001年(平成13年)3月3日 - 運行本数の削減および保守工事運休導入。
- 2004年(平成16年)4月25日 - CTC化。
- 12月19日 - 加古川~谷川間が電化。同時に加古川~日岡間0.9kmおよび加古川駅を高架化し、最終の時刻を3~17分繰り下げ。
- 2006年(平成15年)3月18日 - 最終の時刻を1~5分繰り下げ。
[編集] 駅一覧
駅名 | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|
加古川駅 | 0.0 | 西日本旅客鉄道:山陽本線(JR神戸線) | 兵庫県 | 加古川市 |
日岡駅 | 2.5 | |||
神野駅 | 4.8 | |||
厄神駅 | 7.4 | |||
市場駅 | 11.5 | 小野市 | ||
小野町駅 | 13.7 | |||
粟生駅 | 16.6 | 北条鉄道:北条線 神戸電鉄:粟生線 |
||
河合西駅 | 19.2 | |||
青野ヶ原駅 | 21.3 | |||
社町駅 | 24.2 | 加東市 | ||
滝野駅 | 27.3 | |||
滝駅 | 28.4 | |||
西脇市駅 | 31.2 | 西脇市 | ||
新西脇駅 | 32.3 | |||
比延駅 | 34.6 | |||
日本へそ公園駅 | 36.1 | |||
黒田庄駅 | 38.5 | |||
本黒田駅 | 42.0 | |||
船町口駅 | 43.8 | |||
久下村駅 | 46.3 | 丹波市 | ||
谷川駅 | 48.5 | 西日本旅客鉄道:福知山線 |
ローカル線ではあるが、平成の大合併で市だけを通る路線になった。
[編集] 廃駅
カッコ内は加古川駅起点の営業キロ。
- 播鉄中津停留場 - 加古川~日岡間(約1.2km)
- 釣橋駅 - 日岡~神野間 (3.7km)
- 粟島停留場 - 粟生~河合西間
- 喜多駅 - 黒田庄~本黒田間 (39.2km)