高砂線
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高砂線(たかさごせん)は、兵庫県加古川市の加古川駅から兵庫県高砂市の高砂駅までを結んでいた日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。1980年(昭和55年)の国鉄再建法の施行により特定地方交通線に指定され、1984年(昭和59年)11月30日限りで廃止された。
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[編集] 路線データ
- 路線距離(営業キロ):8.0km(加古川~高砂間6.3km、高砂~高砂港間1.7km)
- 軌間:1067mm
- 駅数:7駅(貨物営業廃止直前。起終点駅含む)
- 複線区間:全線単線
- 電化区間:全線非電化
- 閉塞方式:
[編集] 概要
加古川の舟運を代替する目的で設立された播州鉄道が、舟運の物資集散地であった高砂と流域各地を結ぶ路線として開通させ、その後も貨物輸送を中心とした輸送体系が続いた。戦後は沿線に国鉄高砂工場も置かれ、貨物列車に加えて工場入出場のための回送列車も設定されており、高砂市中心部に乗り入れていたものの旅客列車は運転本数が少なかった(最末期は日中2時間毎)。そのため旅客需要は神戸や姫路方面への直通電車を頻繁に運転する山陽電気鉄道や、加古川へ頻繁運転する(当時日中30分毎・尾上駅相当の大崎~加古川駅間は15分毎)神姫バスの利用がほとんどで、高砂線の利用者は定期運賃の安さから高校生が中心となっていた。
国鉄再建法の施行により特定地方交通線に指定された後も、高砂工場の存在や沿線人口の多さから楽観視されていたが、高砂工場の閉鎖が決まり、また尾上~高砂北口間の第二加古川橋梁の老朽化から第三セクター鉄道への移行が諦められ、廃止となった。
なお、廃止時に列車に取り付けられていた、「さよなら高砂線」のヘッドマークは現在さいたま市にある鉄道博物館にて展示されている。
[編集] 運行形態
日中は2時間に1本、ラッシュ時は40分~1時間毎の運行であった。廃止直前の運転本数は1日12往復となっていた。
[編集] 歴史
- 1913年(大正2年)12月1日 - 播州鉄道 加古川町~高砂口間(2.9M≒4.67km)開業。北在家駅(初代)、尾上駅、高砂口駅開業。
- 1914年(大正3年)9月25日 - 高砂口~高砂~高砂浦間(1.6M≒2.57km)延伸開業。野口~尾上間改マイル、0.3M(≒0.48km)延長。高砂駅、高砂浦駅(のちの高砂港駅)開業。高砂口駅廃止。北在家駅(初代)を野口駅に改称。尾上駅を停留場に格下げし移転。
- 1915年(大正4年)1月26日 - 北在家停留場開業。
- 1915年(大正4年)5月14日 - 加古川町駅を国有鉄道加古川駅に統合。
- 1917年(大正6年)10月9日 - 野口駅を停留場に格下げ。
- 1921年(大正10年)5月9日 - 高砂~高砂浦間の旅客営業廃止。
- 1923年(大正12年)12月21日 - 播丹鉄道に譲渡。
- 1928年(昭和3年)8月3日 - 北在家停留所を駅に格上げ。
- 1929年(昭和4年)9月4日 - 尾上停留場を駅に格上げ。
- 1930年(昭和5年)4月1日 - 営業キロをマイル表記からメートル表記に変更(4.8M→7.6km)。
- 1930年(昭和5年)7月10日 - 高砂北口停留場開業。
- 1933年(昭和8年)4月24日 - 北在家駅(2代目)を停留場に格下げ。
- 1943年(昭和18年)6月1日 - 播丹鉄道国有化、高砂線となる。加古川~高砂間改キロ (+0.1km)、高砂~高砂港間改キロ (+0.3km)。停留場を駅に格上げ。北在家停留場廃止。高砂浦駅を高砂港駅に改称。
- 1955年(昭和30年)2月10日 - 鶴林寺駅開業。
- 1981年(昭和56年)9月18日 - 第1次特定地方交通線として廃止承認。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 高砂~高砂港間 (1.7km) が廃止。全線の貨物営業廃止。
- 1984年(昭和59年)12月1日 - 加古川~高砂間 (6.3km) 廃止。
[編集] 駅一覧・接続路線
*印を付け駅名を強調した駅は、1980年以降も営業を続けた駅。
駅名 | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|
加古川駅* | 0.0 | 日本国有鉄道:山陽本線・加古川線 | 兵庫県 | 加古川市 |
野口駅* | 2.0 | 別府鉄道:野口線 | ||
鶴林寺駅* | 2.7 | |||
北在家停留場 | 2.9 | |||
尾上駅* | 3.7 | 山陽電気鉄道:本線(尾上の松駅) | ||
高砂口駅 | - | |||
高砂北口駅* | 5.7 | 山陽電気鉄道:本線(電鉄高砂駅) | 高砂市 | |
高砂駅* | 6.3 | |||
(貨)高砂港駅* | 8.0 |