国府津駅
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国府津駅 | |
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駅舎 |
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こうづ - Kōzu | |
所属事業者 | ■東日本旅客鉄道(JR東日本)* ■東海旅客鉄道(JR東海) |
所在地 | 神奈川県小田原市国府津4丁目 |
電報略号 | コツ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 3面5線 |
乗車人員 -統計年度- |
6,634人/日(降車客含まず) -2007年- |
開業年月日 | 1887年(明治20年)7月11日 |
乗入路線 2路線 | |
所属路線 | ■東海道本線 |
キロ程 | 77.7km (東京起点) |
◄二宮(4.6km)
(3.1km)鴨宮►
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所属路線 | ■御殿場線 |
キロ程 | 0.0km (国府津起点) |
◄-(-km)
(3.8km)下曽我►
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備考 | *JR東日本管轄駅 みどりの窓口 有 |
国府津駅(こうづえき)は、神奈川県小田原市国府津4丁目1にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)の駅である。JR東日本の管轄駅。
JR東日本が管轄する東海道本線と、JR東海が管轄する御殿場線の2路線が乗り入れる。
目次 |
[編集] 駅構造
単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線、合計3面5線を持つ地上駅。単式ホームに隣り合って設置された駅舎はコンクリート造り4階建てとなっている。ホーム間は地下道および跨線橋で結ばれており、原則として1・2・4・5番線を東海道線、2・3番線を御殿場線が使用している。
御殿場線の線路は駅の小田原寄りで東海道線の上り線を高架橋で跨ぎ、御殿場方面に繋がる。御殿場線自体は単線だが、当駅と下曽我駅の中間にある国府津車両センターへの出入庫線が並行しているため、国府津車両センターまでの間は複線のように見える。なお、国府津車両センターは東海道本線を走る列車の車両基地となっているため、一部当駅を始発・終着とする普通列車がある。
これとは別に、御殿場線の線路から国府津駅構内で東海道貨物線へ接続する貨物線もあるが、これは高架橋ができる前の御殿場線のルートを流用している。御殿場線の定期貨物列車が無い今は、東海道貨物線経由での列車出入庫に使用されている。
有人駅で、みどりの窓口(営業時間 6:30 - 20:00)や指定席券売機(営業時間 5:30 - 23:00)、Suica対応自動改札機、自動券売機が設置されている。券売機にはJR東日本線とJR東海線を区別する機能は付いておらず、券面はすべて「東日本会社線」と表示される。
当駅の東京寄りにあった機関庫は、鉄道関係のものとしては日本で最初の鉄筋コンクリート建造物とも言われる歴史的に貴重なものであったが、取り壊された。
[編集] のりば
1・2 | ■東海道線 | 小田原・熱海・伊東・沼津方面 |
2・3 | ■御殿場線 | 松田・山北・御殿場・沼津方面 |
4・5 | ■東海道線 | 横浜・品川・新橋・東京方面 |
■湘南新宿ライン(高崎線直通) | 新宿・池袋・大宮・熊谷・高崎方面 |
- ほとんどの上りアクティーと通勤快速(平日の下りのみ)の前を走る普通列車は当駅で待ち合わせをする。
- 御殿場線の列車には、ワンマン運転を行う列車があり、その場合、列車接近時の放送は流れるものの、発車メロディは使用されない(発車メロディの代わりに列車からの乗車促進音が使用される)。
- 2番線から発車する御殿場線は、国府津車両センター所属のE231系の運用のみのため、山北行きしかない。現在のところ、2番線発車の御殿場線列車は、国府津 - 山北間の1本と、東海道線からの直通1本の、計2本のみである。
[編集] 駅弁
1888年(明治21年)7月に、足柄下郡国府津村で旅館業を営んでいた飯沼ヒデが、国府津停車場構内で販売した「竹の皮に包んだ握り飯に沢庵を添えたもの」が、東海道本線最初の駅弁とされる。以後、明治時代には次のような駅弁が売られたという。
- 上等御弁当 - 献立:玉子焼、魚類、蒲鉾、鳥肉、香ノ物三種、ご飯
- 御弁当(並) - 献立:玉子焼、魚類、蒲鉾、黒豆、白タキ、椎茸、香ノ物、ご飯
- サンドウィッチ
- 小鯵おし寿し
- 御鯛飯
- 洋食御弁当 - 献立:魚フライ、冷やし牛肉、ボイルド・ハム、バター、ポテトチップ、生野菜、ソース、パン
飯沼ヒデは、現在小田原駅等で駅弁を販売する会社「東華軒」(神奈川県小田原市)の初代経営者とされる。[要出典]
なお、東華軒は2・3番線ホームの売店で構内営業を行ってきたが、2007年に廃止された。今でも大型時刻表では国府津駅の項に駅弁取扱のマークが付いているが、売店があるのは改札外(駅前広場向かい)だけとなっている。
[編集] 利用状況
[編集] 駅周辺
当駅は小田原駅付近から延々と続く市街地の東端に位置している。南側には現代の東海道たる国道1号線や西湘バイパスが走っており、西湘バイパスには国府津インターチェンジもある。駅の南方には海があり、かつては国府津海水浴場であった砂浜が広がっているのを見ることができる。当駅と下曽我駅の中間にはJR東日本の国府津車両センターが広がっている。
国道1号線沿いの駅前商店街には、洋館や看板建築、「出桁(だしげた)造り」の建物が多くみられたが、商店の衰退とともに姿を消しつつある。
駅裏手から御殿場線方面に沿って伸びる丘陵は、みかん栽培が盛んであった。
国府津という地名は、昔大磯町西部(国府本郷・国府新宿付近:異説もあり)に相模国国府があって、それに近い港ということで付けられたといわれる。
- 国府津駅前郵便局
- 小田原市立国府津小学校
- 小田原市立国府津中学校
- 国府津インターチェンジ - 西湘バイパス
- 国道1号
- 小田原シティーモールクレッセ(鴨宮駅との中間)
- 日立グローバルストレージテクノロジーズ小田原事業所
- ライオン小田原工場
- 第一三共小田原工場
- 国府津館(文人ゆかりの宿)
- 井上(冷凍みかんの元祖とも言われている)
- 菅原神社
[編集] 路線バス
国府津駅
小田原市は2007年度に国府津駅前広場の整備工事を行う。計画では、バス専用の進入路を新設して、バスとタクシー・一般車を分離することとなっている。
[編集] 歴史
1887年(明治20年)、初代横浜駅(1915年以降は桜木町駅)から当駅までの鉄道路線の開通に伴い、国府津駅は開業した。2年後の1889年(明治22年)には、当駅から御殿場駅・沼津駅を経て静岡駅までが開通したが、国府津駅から御殿場駅までの区間は勾配がきついため列車を後押しする機関車を連結することとなり、当駅は機関車の基地として重要な役割を有することとなった。1888年(明治21年)には、駅前から小田原・湯本までを結ぶ小田原馬車鉄道も発着するようになっている。これは後に小田原電気鉄道と社名を改め、1900年(明治33年)には日本で4番目の電気鉄道(路面電車)となった。1925年(大正14年)には横浜駅から当駅までが電化され、電気機関車と蒸気機関車を付け替える駅としての役割も担うようになる。
しかし御殿場回りのルートは勾配がきついため速度向上のネックとなっており、またトンネル掘削技術が向上したことにより、熱海を経由する新しい路線を建設しようとの機運が高まった。まず1920年(大正9年)、熱海線として当駅から小田原駅までが開業。これに伴い小田原電気鉄道線は廃止された。熱海線はその後、1922年(大正11年)には真鶴駅まで、1924年(大正13年)には湯河原駅まで、1925年(大正14年)には熱海駅までと次々に延伸が重ねられた。1934年(昭和9年)12月になると丹那トンネルが完成し熱海 - 沼津間が開通、これを期に新線と熱海線が東海道本線に編入され、東海道本線は御殿場駅経由から熱海駅経由に変更された。
国府津 - 沼津間全通までは、「つばめ」や「さくら」といった当時最速とされた列車でさえも機関車連結のために停車していたが、東海道本線のルートが熱海経由になったことにより、当駅は本線の後押し機関車の連結駅としての役割を、また新ルートは当初から電化されていたため、機関車を付け替える駅としての役割をも終えることとなった。
国府津 - 御殿場 - 沼津のルートはこのとき御殿場線として分離され、1943年(昭和18年)には戦時中の金属供出により単線となった。以後国府津駅は、東海道本線から御殿場線の分岐する小さな接続駅としての役割のみを持つ駅となった。また、1968年(昭和43年)の御殿場線無煙化により、国府津機関区は車両無配置となった。
1979年(昭和54年)には、下曽我駅寄りに開設されていた国府津機関区電車基地に湘南電車が配属されることになった。また1987年(昭和62年)の国鉄の分割民営化により、東海道本線の東京駅から熱海駅までがJR東日本の管轄、御殿場線がJR東海の管轄となり、当駅は両者間の分界駅ともなった。
[編集] 年表
- 1887年(明治20年)7月11日 - 旧・横浜駅 - 国府津間開通と同時に開業。一般駅。
- 1888年(明治21年)7月1日 - 構内で駅弁販売(東海道本線初の駅弁とされる)。
- 1889年(明治22年)2月1日 - 国府津駅 - 御殿場駅 - 静岡駅が東海道本線の一部として開業。
- 1920年(大正9年)10月21日 - 熱海線 国府津駅 - 小田原駅間が開通。
- 1925年(大正14年)12月13日 - 横浜駅 - 国府津駅間が電化され、電化・非電化の境となる。
- 1934年(昭和9年)12月1日 - 丹那トンネルの完成により熱海駅から沼津駅までが電化複線で開業し、従来の熱海線とあわせて東海道本線とされ、御殿場経由のルートは御殿場線となる。
- 1970年(昭和45年)5月20日 - 新設の西湘貨物駅に貨物取扱業務を移管、当駅での貨物取扱が廃止。
- 1970年(昭和45年)12月 - 現在の駅舎に改築。
- 1980年(昭和55年) - 国府津運転所が発足。
- 1985年(昭和60年)3月14日 - 荷物の取扱いを廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR東日本・JR東海の分界駅となる。
- 2004年(平成16年) - 組織改編により国府津電車区が国府津車両センターに改称。
- 2007年(平成19年) - 駅前広場整備工事開始。これに伴い、移動自転車置き場があったところに駐輪所を移転した。
- 2008年(平成20年) - 指定席券売機設置
[編集] その他
1900年5月10日に第1集東海道篇が発表された『鉄道唱歌』(大和田建樹作詞、多梅雅作曲)では、12番に国府津が小田原電気鉄道との接続点であったことから「国府津おるれば電車あり 酒匂小田原とおからず…」と歌われているが、初版では歌い始めが「国府津おるれば馬車ありて」となっていた。これは、発表がちょうど小田原電気鉄道が馬車から電車へ動力を改めた時期に一致したため、急遽書き直されたからである。[要出典]
[編集] 隣の駅
- 東海旅客鉄道
- ■御殿場線
- 国府津駅 - 下曽我駅
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
東海道本線(東京-熱海) |
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湘南新宿ライン |
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御殿場線 |
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