利用者:永尾信幸 - Wikipedia
利用者:永尾信幸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[編集] 知らなかったぁ
- 利用者ページというのは、利用者が自由に書けるエリアだったんだと、つい最近2ちゃんねるで教えて頂きました。
- わたしは、ノートがあるし、ノートの方に自己紹介は書いたので、別にいいやと思っていましたが、ここが空白だと違和感がある方が多いらしいので、少し書いておこうと思います。でも、この最初のメッセージも不親切ですね。「まず自分の自己紹介を利用者ページに書きましょう」とでもしてくれていたら、もっと早く書いたのですけどねぇ。
[編集] 参加のきっかけと現状
- ノートの方に書いたように国鉄の103系を少しお手伝いしたいと思っていましたが、それを書いてから1年ほど経ちますが、いろいろな方の編集を見てきた結果、今は労力をかけてまでここに記したいとは思わないという風に感じています。
[編集] 違和感を感じる点
- 誰でも編集しやすいくするため「検証可能性」に基づく記述を基本としている点です。
- つまり、ウィキペディアの記述は真実を求めるのではなく検証できる事を求めるというのが最大の違和感です。
- わたしをはじめとして、何かを調べたりする方々の多くは、過去の文献を調査したり、資料を探し集めたりして「真実とは」を求めます。
- 今まで解き明かされていない謎を究明する事や、今までの記述をもっとわかりやすく言い換えようとか、違う角度から見てみようとか、そのような目標があるために辛い調査中でもモチベーションを持続できるわけです。
- が、ウィキペディアは、そうやって入手した真実については記事に書く事が許されません。
- もちろん、それをどこかに発表してからであれば改変できるわけですが、普通考えてください、そうやって発表できるのであれば、何もウィキペディアに参加してこちらに記事を書く必要などありませんよね。
[編集] 抜け道
- ただし、検証可能性には、
- 個人のウェブサイトやブログは、原則として適切な情報源としては認められません。ブログや掲示板の発言を一意見として紹介するのも同様です。例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう。その人の著作がこれまでに信頼できる第三者によって出版済みであるなら、その人の自主公表物を情報源として認めてよいこともあり得ます。しかし、注意してください。もしその専門研究者のブログに掲載された情報が本当に書く価値のあるものならば、他の誰かが既に執筆していたはずです。
- とあります。
- 裏返せば「信頼できる第三者によって自主公表した事がある者は自己のブログに書いた内容をして検証可能性を満たすことができる」とも読めます。
- この解釈で行けば、わたしは自分のブログに記載するだけで、その事柄については検証可能性を満たす事ができるようになります。
- しかし、この特例も結局は使う事が無く終わりそうです。
[編集] 共同作業と信頼関係
- ウィキペディアは共同作業だと言われます。しかし、お互いは名前も知らなければ顔も知らない。話もしたことがなければ、相手がどんな事を好むのかもわからない。
- この状態で、どの程度信頼関係を築けるでしょうか。
- ガイドラインを無視して編集する方々、真実はもとより、検証可能性すら満足させようと努力しない方々を見て、信頼関係以前に、この方々と共同作業ができるのかどうか非常に疑問に思っています。
- また、うまくコミュニケーションを取ってくれる方も多数ウィキペディアには存在します。そのような信頼関係を築こうとしている方が大勢いる反面で、どちらかというと敵対関係でも良いと考える人が多くいるため、どのジャンルの記事でもトラブルは絶えません。
- 仮に、信頼関係に基づく共同作業が、誰にでも簡単にできるのであれば、こんなに多くの場所でトラブルは発生していません。
- つまり、信頼関係に基づく共同作業を行う事は、非常に困難な事であると言えると思います。
- そのような、信頼関係が築きにくいプロジェクトは、苦労が多いばかりか生産性もあがりません。
- そんな苦労をするならば、勝手知ったる信頼関係を築ける方々とプロジェクトを立ち上げて独自に発表する方がよっぽどスムーズに事が運ぶと考え、こちらで上の特例を用いて記事を真実に導くのであれば、別プロジェクトでそういう発表の企画を考える方がよっぽど良いと感じました。
[編集] 百科事典の重み
- ウィキペディアを1年近く見てきて、感じたのは「百科事典とは何だろう」でした。
- 誰もが自由にと書かれていますが、自由をはき違えているのではと感じる。
- 百科事典を編集するという事はどういう事だろうか?普通、常識で考えたら「自分が専門としている項目」「自分が研究してる項目」でなければ編集できないはずです。
- が、ウィキペディアは違います。誰でも編集できます。
- 要は「専門知識を持ったAさんが記述した内容を、ちょっとその件について雑誌で斜め読みしたBさんが意図も簡単に書き換えれる」事を意味します。
- しかも、その大半はAさんの専門的知識と検証可能性に基づく資料によって記されてる内容をBさんがただ、そのことを知らないという理由だけで変えられるのです。
- そうなったときに、専門的知識を持った方が、この百科事典の正確さについて疑問を持ち始めます。
- そこでWikipedia:検証可能性の冒頭にある
- ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です
- を思い出します。
- 信頼のおける出版物に記載されてるという事は、それを参照しているウィキペディアの記述は真実である可能性が高い。だから、検証可能という部分は良い。ただ、検証可能にして記述しているのに、その検証をせずに安易に書き換える編集者がいるのであれば、検証可能性のメリットは根底から狂う。
- そこで、専門知識を持った者はハッと気づく。ウィキペディアは何もわからない素人も何の制約も無く編集できるのか・・・と。
[編集] ウィキペディアは嘘ばかり
- 先の検証可能性で書かれてるように、ウィキペディアでは真実はどうでも良いのです。ただ、基本的に検証できるような理論は事実である可能性が非常に高く、例外的に検証できない真実はあっても、気にするレベルではないとの事だと思っています。
- ここで言う「嘘ばかり」というのは、検証可能性に基づく真実ではない記述の事ではありません。
- 検証も何もせずに、単に自分が感じただけで記述する編集者が多すぎるために起こる、検証可能性を満たさない妄想的文章があちこちに散らばっているという事です。
- ウィキペディアに長年携わった方はこう言うでしょう。
- と。
- 確かにそうでしょう。でも、差し戻すのは誰ですか?差し戻すためにはその書かれた内容を検証できたかどうかが大きく関わります。
- つまり、その記事の内容に精通していなければ実質的には不可能です。
- と、なると、その記事に常駐している専門知識を持った方が最有力なのですが、その方の気持ちになって考えてください。
- と思うはずです。そんな時間があれば、もっと記事を構築する上で必要になる資料の精査などをしたいわけです。
- だから、だんだんと、こういう検証可能性を満たさない文章が放置される事になっていく。
[編集] 記事の構成について
- 総論が少なく各論が多いという状況は、裏返すと全体像を見れる専門知識を有した方が居ないと言えます。
- 結局、それにつきると思うし、車両の記事だと雑誌の特集号などを参考にするので、細かい車両解説などの方が記事にしやすいと言うのがあるんだろう。
- 構成については、いろんな方が気になさってるようなので、そのうち何かは変わると思うけど、変わるとと言っても執筆者がいなければ今のままなんだよねぇ。
- 専門知識を有した方が定着しにくい状況を考えると、素人執筆者からの妨害を受けつつも、そういった労力のかかる事を誰がやろうとするのかは疑問ですけどね。
[編集] 今、お手伝いできる事
- ウィキペディアで記事を書くためには、まず記事の元になる根拠を過去の資料などから抽出してこなければならない。ウィキペディアが検証可能性を掲げる以上、当然の作業なんだが、この作業というのが非常に手間暇かかる。
- たぶん、多くの方が普段は仕事をしてると思うのですが、その環境の中でこれらの作業をするわけですから、一つの節の記事を書く、または改変するのに月単位の時間がかかる事も珍しくありません。
- 特に加筆の場合は、今まで書かれている記事内容との整合性を図らなければ文章としておかしくなるので、それらを見越して資料を精査する必要もあります。
- わたしは現在多忙ですので、そのような時間をウィキペディアのために費やす事ができません。
- 上で説明したように、ウィキペディア自体に失望してるのも理由ですが、時間のないわたしが、何かお手伝いできないかと思ったのが、画像の提供でした。
- 画像の場合はウィキペディアで説明されているかどうかを判断基準として画像を選定すれば良く、記事を書くのに必要な資料の精査という莫大な時間は不要だからです。
[編集] でも少し憂うつ
- 現存しない車両の画像をアップしても別に感謝されるわけでもなく、逆に画像の内容についての知識が無いものから批判される状態があると、こういうことすらバカらしいってなってくるんですよねぇ。
- 画像が多すぎる云々という意見があるが、市販の百科事典も昔に比べて遙かに画像・図表の比率が高まっている。なぜか?文字でくどくど説明するよりも見たらわかるって事が多いから。会社の書類もそうでしょ?提出を受けた報告書を見て、文字がびっしりだと「却下、書き直せ」って言いませんか?
- でも市販の百科事典の画像・図表なんて一つの記事に何枚もあるわけじゃない・・・
- ふむふむ、そりゃそうだ、誌面が限られてるんだから。
- 考えた事は無いですか?2枚だったらどうなるんだろうかって。
- 画像が増えたら、それに応じて記事も見直せば良い。
- そうすれば、質は完全に向上している。
- 見にくくなるとか、末節にこだわりすぎるとか、それは構成の問題であって、一つ一つの節レベルの話ではない。
- 一つ一つの節レベルの記事は常に質を高める努力をすべきだろう。
- 画像がたくさんある百科事典など誰も見た事無いだろう。でも、それがダメな理由は見つからない。ウィキペディアでチャレンジしても良いのではないかとは思うな。
- そういう可能性を考えずに、闇雲に「ダメ」「バランス悪い」と決めつける方が多いような気がして、その点はちょっと憂うつ
[編集] 恐れていた事が
- 485系において、私が上で書いたような理由で、とりあえず画像をアップしていたのですが、画像過多だとノートで怒られてしまいました。どうも画像のアップも編集だからきっちりと記事も書かないと無責任だと言うのです。(甘えてるんだそうです、ちょっと表現にびっくり)
- まぁセットでできるに超した事無いとは思うのですが、だからこそ最初に断りを入れているんですが、受け入れられないのであればお手伝いする必要もありませんね。
- 画像が欲しくなったら自分たちで撮影するなり、画像提供者を捜すなりしてくれればいい話です。
- そういう事ができないから、今までの各記事には画像も図表も無かったんだと思います。
- 写真を撮るにはその車両が走ってるところまでいかなければなりませんし、図表を書くにもセンスや手間がかかりますからね。それに比べて記事は言っちゃ悪いが、ちょっと雑誌を見ただけで書ける。
- その記事に対してどの程度の思い入れがあるのか、そういう部分が問われると思っていますが、本当に思い入れがあれば、画像提供に対しては「でも少し憂うつ」で書いたように感謝されて当然だと思うんですがねぇ。
- それが無いというのは、あまり思い入れが無いって事なのかなぁと思ったり。
- 自分がそういうのを用意せずに記事を書くのは、先の理論から行くとそれこそ無責任とも言えるかと思いますね。
- もちろん、画像がなければ記事を書いてはいけませんなんてどこにも書いてませんが、画像もそうですよねぇ。
- 記事がなければ画像をアップするなとは書いてないと思うんですけどね。後者を甘えというなら、前者も甘えだと思いますが。(私は今までそういう風には考えた事無かったけど)
- いずれにしても自分ができる範囲を持ち寄って作り上げていくという分業システムを否定されたら、共同作業なんてできやしませんから、画像提供ってのは103系など自分が記事を書きたいと思ってる項目以外は終了にします。
[編集] 行動しない人は口が動く
- で、こういう画像・図表を揃えれないから、逆に百科事典の記事には画像や図表は、そんなにいらないと言う事を言い始めるわけで。
- 具体的な説明を求める時に、そのことを知らない人に説明するにはどうしてもくどくど言わなきゃならない。姿形なんて文字で説明するのは大変だからねぇ。それを画像を使えば非常に楽に見せれるし、だからこそ紙ベースの百科事典でも画像・図表が増えているんだけど、オンラインで容量を気にしないウィキペディアでそれを用いない手はないんだけどね。
- 画像・図表の入手が困難だから、あえて「不要」という風に決めつけてるように思えますね。
- 画像ばかりあってもと言うかもしれませんが、例えば山の写真でも東西南北から見た画像があったらダメですか?湖の画像でも同じですが・・・
- 雨の日と晴れの日の画像があったらダメですか?
- 想像してみてください。そういうのを一度に見れるんですよ。素敵じゃないですか。
- どうも、ウィキペディアに参加してる方の一部は、一般の百科事典と比較する事が多いですが、もともと別物というのはわかってるはずですが、こういう自分たちが動く事が難しい・面倒だというような話になったときには、一般の百科事典を引き合いに出すケースが多いように思えます。
- まぁ、画像に関しては「カメラ」というのが必要になる事もあって、その道具を使って綺麗な写真を作るにはちょっとしたスキルが必要なんだけど、そういうスキルの無いやつが人の画像に文句を言うシーンを良く見かける。
- だいたい人の画像に文句言うなら、自分が代わりの画像を撮ってこいってのが実社会でも言われる事なんだけどねぇ。
- 文句言わずに、きっちり仕事(よりよい画像の撮影)をして、さりげなく報告(画像の差し替え)をしたら良い
- って思うんだけど、そういう自分は動かないが人の事にけちをつける連中が多いから「共同作業と信頼関係」で思うように信頼なんてできないんだよなぁ。
[編集] 責任って?
- 485系でもノートで責任を持って編集してると言ってる方が、検証途中の内容をいきなり本文から削除したりするんだもんなぁ。責任って何だよって思うけど、その程度なんですよねぇウィキペディアの責任って。
- だって、実社会と違って自分自身が責任を負うわけじゃない。自分のアカウントという影武者が非難されるだけですからね。
- 実社会では、検証不足から間違った事を公表してしまうと「あいつの言う事は信用ならん」「頼りにできない」など言われてしまいますから、だからこそいい加減なレベルで話を進めれないわけです。特に仕事などはそうですが検証はきっちりとする事が大事です。
- それに対してウィキペディアでは、間違った事を公表したり、間違いを記述したりしても、本人は何ら影響を受けませんよね。
- あいつは信用できないと言うのは、単にアカウントやIPに対しての事で、本人にはそういう評価は全く及びません。
- しかも分が悪くなると出てこないんですよねぇ。実社会ではありえないでしょ?
- 大きなミスをした。実社会ではその批判を受けて会社なりに出て自分を晒さなければならない。
- だから、そうならないように慎重に行動する。
- それに対して、ウィキペディアは出てこなければ済むだけなんですよねぇ。(アカウントを変える人もいます。ブロック対象後にアカウントを変えるので無い限りは別に規制は無いみたいですから)
- だからいい加減に内容を書き換える方が多いのでしょうけどね。
- きっちり、居住地や名前を登録させておき、いい加減な事を言えばネットで公開するなどの制裁は必要ではないかと思いますね。
- 個人情報云々という方がいるかもしれませんが、百科事典の編集に匿名ってのもおかしいでしょう?それだけ責任の重い仕事をしてるという自覚が必要ですから、そんなのは当然の事ではないでしょうか。
- 良く文責と表現されますが、ウィキペディアには責任を取る人が誰もいない点が大きな欠点だと思いますね。
- だから共同作業もできなければ、信頼関係も築きにくいと思います。
- まぁこういうのは実現不可能だろうけど、それくらいの意識で編集して欲しいですけどねぇ。
[編集] 当然の帰結
- 485系のノートを見ていると、検証可能性の存在自体ご存じないような書き込みがありました。「ウィキペディアは嘘ばかり」で書いたように、検証可能性を満たせない記事はとても危険なんですよね。
- 本人は悪気があって書いてるのでは無くても、検証できない状態では本人の妄想と思われても仕方ないですから。
- で、検証可能性に基づいて、出典を明記して「こんな記述がありました」と根拠を示しても、それは全く無視するんですよねぇ。
- こうなると、話にならないです。
- 私が出した根拠が記事の中で使うに相応しいか相応しくないかは、これから決めるべきことなのに、ハナから土俵に上がれないんですよね。
- つまり、相手が気に入らない根拠は仲間に入れてもらえないという事で、それってのは偏見混ざってますよねぇ。
- 本当に簡単に調べて数点の根拠を出しただけだけど、他の方は全く自分の意見をおっしゃるだけで、その根拠は全く提示していただけませんでした。
- 一週間ほど待ってみましたが、結果としては全く私が提示した検証可能性を満たす根拠は無視なんですから、もう何も言うことは無いというか、勝手にウィキペディアのルールに合致していない「自分たちの考えるウィキペディアを作れば良い」と思いますね。
- 別に485系の記事がどうなろうが知ったことではないしね(笑)
- ルールをわかっていない者が多すぎるのなら、やっぱり参加はできないですよねぇ。
- ま、がんばって下さいと言うしかないですが・・・・
[編集] 自分たちでwiki
- ウィキペディアについては、こういうやりとりができる事を教えてくれたという面では非常に感謝しています。
- すでに、自分自身でウィキペディアと同じwikiのシステムであるMediawikiをインストールして使える状況を作っていて、ウィキペディアでの経験を生かしたウェブサイト作りができるかどうか、今度は自分自身のwikiで試していっています。
- ウィキペディアのような複数の方々と共同して作るような事もできるでしょうから、そういうプロジェクトがあれば、プロジェクトチーム用に解放するつもりにもしています。
- ウィキペディアでは信頼関係など持てという方がハナから無理で、その状況での共同作業が本当にできているのかどうかについては、これだけ多数のページでトラブルが起こってる現状を見ても明確です。
- 当然、責任を持った編集をしてる方などごく一握りであり、その他の方は、口では偉そうに言っても、実際には「自分の好き勝手書き換えたい」という方々です。
- そんな事で、自分自身でwikiを持った事は正解だと思っています。MySQL等の知識がいりますが、そのあたりもサポートしてくれるホスティングサービスも増えたので、本当に真剣にやりたい方は、私のように自分自身でwikiを構築していく方が今後増えるのでは?と思います。
[編集] 保護とノートの活用
- 問題の多くが本文への無責任な加筆と改編にあるので、それをできないように基本的に全ての記事を保護扱いすればと思う。
- 現在の記述を書き換えたいのであれば、ノートで提起して一定の人間の同意を得る必要があるという感じで、合意形成ができた段階で初めて本文を変更するという手順を踏めば、無駄な編集合戦も減ると思う。
- もちろん、ノートページで議論は多数起こると思うけど、それこそ百科事典の編集に相応しい手順だと思うけどね。
- 読者に見せる本文側であーでもないこーでもないと編集合戦を起こしてる状態がどれだけ不細工な状態か。小売店で店員が商品の値札を100円じゃない300円だと店頭で言い争いをしてるようなもんで、そんな店、信用できないので訪れませんよね普通。
- そんな事は事前に決めておけって誰しも思うけど、店頭であーでもないこーでもないってやってるのが、今のウィキペディアです。
- もっとノートを活用するようにすれば良いんだけど、ノートも自分に不利になると出てこない無責任な方が多いのでねぇ。議論の途中で出てこなくなったアカウントやIPを無期限ブロックにする等の措置が無いと、なかなか活発化しないでしょうが。そうすれば何らかの都合で議論から抜けるときにも「挨拶」をするようになるでしょう。今の状態では「現在調査中なので議論に参加できない」のか「議論を放棄」したのかわかりませんからね。
[編集] 百科事典に書くと言うこと
- 自分が本当に調査してる項目だけしか編集しないようにさせる方法を考える点でしょうかねぇ。
- ちょっと本を読んだらすぐに記事にできるなんて、百科事典じゃないと思いますけどね。
- 多くの方がすごくたくさんの項目の編集に携わってるんですが、あれを見るだけで「いい加減な媒体だ」ってわかりますよね。普通、自分が参考資料を集めていて人に説明できる項目なんてせいぜい数点でしょうから。
- ブログとかなら「ちょっと調べてみました」程度に書くのは大いにアリだと思うんですけど、その感覚で百科事典の編集をされてもねぇと思いますが(笑)
- 百科事典に一行書くのが本来どの程度の知識が必要か冷静に考えたら、そんなちょっと文献を読んだからという無責任な形で加筆なんてできないはずですが、それができてしまうのがウィキペディアの怖いところですね。
[編集] あれ?
- ウィキペディアの編集スタンスを書いてるうちに、大半がウィキペディア批判になってしまった。
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