国鉄419系・715系電車
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国鉄419系・715系電車 (共通事項) | |
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クハ419形 近江塩津 2006年3月撮影 |
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編成 | 3ないし4両 |
営業最高速度 | 100km/h |
減速度 | 3.5km/h/s(常用最大) 5.0km/h/s(非常) |
最大寸法 (長・幅・高) |
20,000×2,956×4,235 |
軌間 | 1,067mm |
電気方式 | 直流1,500V*1 交流20,000V(50/60Hz)*2 |
出力 | 120kW/基 (MT54) |
編成出力 | 120×8基 = 960kW |
歯車比 | 1:5.60 |
駆動装置 | 中空軸平行カルダン撓み板継手方式 |
制御装置 | 抵抗制御 |
ブレーキ方式 | 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ |
備考 | *1 - 419系のみ *2 - 715系0番台は60Hzのみ |
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国鉄419系・715系電車(こくてつ419けい・715けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が581・583系寝台特急形電車の改造により製造した近郊形電車。
581・583系は交直流電車であるが、近郊形への改造に際して使用線区の事情により、交直流切替機能を交流側に固定し交流専用とした715系電車と交直流切替機能を存置した419系電車の2系列に分類される。
目次 |
[編集] 登場の背景
国鉄は1982年の広島地区で、地方都市圏における運行形態を従来の長大編成不等時隔のいわゆる「列車型ダイヤ」から、短編成による等時隔頻繁運転のいわゆる「電車型ダイヤ」への転換を進めた。これは利用者から好評をもって迎えられ、国鉄はこれを全国に拡大していくことになった(1982年11月15日国鉄ダイヤ改正・1984年2月1日国鉄ダイヤ改正も参照)。
直流電化区間では従来から使用されていた電車の改造や先頭車を新造することで編成本数を増やして対応したが、地方交流電化区間の普通列車は電気機関車牽引の客車や電化前に使用されていた気動車が使用されていることも多く、これらは「電車型ダイヤ」に応えられないことから、新たな交流用および交直両用の近郊形電車が大量に必要となった。
1978年には417系が開発され、性能・設備面では地方路線に適した車両であり、本来であれば増備されるべき系列であったが、1970年代末期~1980年代前期は国鉄の累積債務問題が論議され、改革が急務とされた時期で、新規の設備投資が十分に行えない状況下では、高コストな417系新造は困難となり先行量産的に15両が製造されたのみで増備は頓挫した。
この打開策として、激減した急行列車用である457系の転用と、さらに当時新幹線の延伸により夜行列車としての運用が減少し余剰となりつつあった581・583系を近郊形に改造するという奇策が提案され、実行に移されることになった。
こうして、1984年に交流専用の715系0番台が長崎本線・佐世保線用に、続いて1985年に寒冷地対応形の715系1000番台が東北本線(仙台地区)に、交直両用の419系が北陸本線に投入された。
[編集] 概要
改造経費節減と車両の余命も考慮して種車となる581・583系電車の基本構造を活かし、近郊形電車として使用するための最小限度の改造内容となっている。そのため、近郊形電車としては極めて奇異な外観を呈する車両となっている。
主な改造内容は以下のとおり。
- 中間車の先頭車化改造
- 特急時代は10~12両編成で使用されていた車両を導入線区の輸送量に合わせて3~4両編成で使用する事情から、不足する先頭車への改造である。工程は中間車の端部を切断し、あらかじめ製造しておいた運転台ブロックを接合する方式で施工された。新設された運転台は、クモニ143形に類似した非貫通切妻構造であるが、種車の特徴である深い屋根構造をそのまま残した関係で六角形の特徴的な断面となり、「食パン列車」・「ひょうきん電車」とも称されることとなった。また、偶数(東海道本線基準で神戸方)向制御車への改造車には、編成中の補助電源と圧縮空気供給用に電動発電機(MG)と空気圧縮機(CP)を新設した。MGは急行形電車の廃車発生品である110kVAのものに脈流対策等を施工して搭載。クハネ581形改造車のMGは150kVAであるため容量が若干小さいが、4両給電であり、冷房装置の容量も小さいので問題はない。
- 扉の増設
- 種車が特急形車両で乗降扉が1両あたり片側1か所しかないため、増設し片側2か所配置とした。既設の扉は幅700mmの折戸のまま手を加えず、増設扉も既設扉と同じ構造とされたため、近郊形電車では前例の無い扉の狭さとなった。デッキと客室との仕切は、配電盤部分を除いて撤去。戸閉回路は種車から変更し、どの運転台からも開閉できる方式とした。
- 窓の開閉可能化
- 種車の側窓は固定式であったが、混雑時等の換気を考慮し1両につき片側3か所が開閉可能な四分割ユニット窓(1か所あたり上段下降・下段上昇×2)に交換された。この窓の日除けは巻上カーテンを採用している。
- 座席の改造
- 座席⇔寝台の転換機能を封印し、扉付近はボックスシートからロングシートに変更されている。荷棚はクロスシート部分は中・上段寝台の寝台舟に取付けられている物をそのまま使用し、ロングシート部分は中・上段寝台を撤去して新造の荷棚が設置した。また、荷棚の先端には立客のために吊手が取付けられている。
- 一部トイレの撤去
- 種車の1両に2か所のトイレと洗面所は、トイレを偶数向先頭車1両1か所車端側のみ残して、他の車両では撤去して扉の増設スペースとされた。一部扉と干渉しないトイレについては業務用室(物置)扱として閉鎖している。洗面所は洗面器・冷水機等を外し、洗面台部にカバーを被せて使用不可とした。
- 走行性能の変更
- 電動車の歯車比は高速向きの3.50であったが、近郊形としては起動加速力を欠いて運用し難いため、歯車を101系の廃車発生品に交換して5.60とし、普通列車運用に必要な加速力を確保した。これに伴い最高速度は100km/hに抑えられた。
- 第2パンタグラフの撤去
- 種車のモハネ580・582形ではパンタグラフを1両あたり2基装備していたが、このうちユニット外側の第2パンタグラフは元々交流区間では使用していない上、交直両用の419系についても運用面で1基でも十分だと判断されたことから撤去された。
[編集] 715系0番台
1984年2月ダイヤ改正に合せて長崎本線・佐世保線用に48両が改造された交流専用車。改造は小倉・松任工場(現・金沢総合車両所)。しかし、これでも車両不足のため、同時期に713系を新造している。
[編集] 形式
- モハ715・714形
- モハネ581・580形改造の中間電動車。種車全車を改造したことにより交流電源周波数60Hz専用の581系電動車が形式消滅した。
- モハネ581・580-11・3・12・7・8・4・5・2・9・10・1・6→モハ715・714-1~12
- クハ714形0番台
- 下り方制御車は種車のクハネ581形が不足したためにサハネ581形改造のクハネ714形0番台2両が充当された。改造に際し、110KVAMGとCPが搭載されている。
- サハネ581-54・31→クハ714-1・2
4両編成12本(NM101~112編成)が組成され、全車南福岡電車区に配置された。なおNM111・112編成がクハ714形を連結している編成となっていた。塗装は713系と共にクリーム1号地に緑14号帯が新規に設定された。
改造当初は車体側面上部に残されていた明り取り用の小窓は改造によって不要となった後も存置されていたが、水の浸入を防ぐなどの理由で1986年~1990年にかけて埋込工事が施工されている。同時期に塗装も白地(白3号)に青(青23号)帯の「九州色」に変更されている。また腐食防止のため、側面行先表示器の撤去や使用されなくなった前面貫通扉の埋込、閉鎖されたトイレ部分の窓の封鎖が行われた車両もある。
[編集] 運用
1987年の国鉄分割民営化時には48両全車が九州旅客鉄道(JR九州)に承継された。基本的に配置や運用の変化は無かったが、繁忙期には臨時急行「ホリデー佐世保」(博多~佐世保間)などに投入されたこともあった。
当初予定されていた長崎本線・佐世保線の他に鹿児島本線(福間~八代間)でも運用されたが、各車2扉の狭幅折戸でラッシュ時に対応できないこともあり徐々に数を減らし、営業運転からの離脱直前は回送で南福岡に出入庫するのみとなっていた。また、本系列を用いて荒木~鳥栖~長崎間の直通普通列車も運転されていたが、1996年から1998年にかけて813系に置き換えられ、順次廃車・解体された。
クハ715-1は廃車後、解体されずにJR九州小倉工場に留置され、2000年にクハネ581-8に復元の上、2003年8月9日より北九州市の九州鉄道記念館に移されて静態保存されている。工事の内容は塗装の特急時代のクリーム1号+青15号に塗替・車両番号表記の復元。側面の中・上段寝台用の小窓と特急エンブレムの再設置で、増設扉・セミクロスシート・開閉窓・中吊広告枠は存置された。
[編集] 715系1000番台
1985年3月のダイヤ改正に合せて仙台地区用に改造されたグループ。改造施工は、0番台を担当した小倉工場の他に郡山工場(現・郡山総合車両センター)・土崎工場(現・秋田総合車両センター)が担当。
50Hz電化区間で使用されることから、電動車は50・60Hz両用のモハネ583・582形とし、寒冷地で使用されることから、客用扉の半自動化や車内ロングシートの扉隣接部に防風板が設置されるなどの防寒・防雪対策の実施をしたため1000番台に区分された。また、0番台では床下に装備されていた増設運転台のタイフォン(空気笛)が車体前照灯横に装備され、中・上段寝台用小窓が当初から埋込まれるなどの変化が見られる。
[編集] 形式
- モハ715・714形1000番台
- モハネ583・582形改造の中間電動車。
- モハネ583・582-17・20・21・33~35・37・39・43・48・52・67・77・86・90→モハ715・714-1001~1015
- クハ715形1000番台
- 上り方(黒磯寄り)の制御車。
- クハネ581-31・40・39・9・34・41・16・19・38・20・14・10・23・18・26→クハ715-1001~1015
- クハ715形1100番台
- 下り方(一ノ関寄り)の制御車。
- サハネ581-39・42・41・30・21・26・24・3・29・40・33・44・43・5・7→クハ715-1101~1115
0番台と異なり、クハ714形は存在しない。4両編成15本の計60両が改造され、仙台運転所(現・仙台車両センター)に配置された。塗装は0番台同様クリーム1号地に緑14号帯としたが、前面の塗分が0番台とは異なる。後に仙台配置の455系がこの塗色を採用した際、地色はより白みがかったクリーム10号で登場し、これに併せて本系列も地色のクリーム10号に変更された。
分割民営化時には60両全車が東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継された。この後、特別保全工事を受けた車両も存在し、屋根の補修や寝台舟の完全撤去や横引カーテンへの改造が行われた。しかし、これは一部車両への施工にとどまり、末期には工事施工車と未施工車が混在する編成も存在した。
[編集] 運用
東北本線黒磯~一ノ関間のほか、仙山線(仙台~愛子間)や奥羽本線(福島~庭坂間)でも運用されていたが、1995年から1998年にかけて701系に置き換えられ、1998年に全廃された。
[編集] 419系
1985年3月のダイヤ改正に合わせ、小倉・松任・盛岡の各工場で3両編成15本計45両が改造された。車体の基本仕様は715系1000番台と同じであるが、北陸本線向けのため交直流切替機能を残存させたために419系となった。また、編成組成が3両という点も715系とは異なる点である。なお、末尾"9"の形式グループであるが、信越本線横川~軽井沢間(碓氷峠)でEF63形との協調運転(通称・横軽対策)には対応していない。
[編集] 形式
- クモハ419・モハ418形
- モハネ583・582形改造の電動車ユニット。クモハ419形は直江津向きとなっている。
- モハネ583・582-19・36・41・42・54・55・69・72・76・22・32・40・44・49・51→クモハ419・モハ418-1~15
- クハ419形
- 米原向きの制御車。
- クハネ581-13・12・27・15・21・11~クハ419-1~6
- クハ418形
- 米原向きの制御車だが、種車不足を補填するためにサハネ581形から改造された車両は、この形式名が与えられた。
- サハネ581-51・28・34・18・35・9・45・12・22→クハ418-1~9
塗装は改造当初、赤2号にクリーム10号の帯を入れたものだったが、1988年から1991年にかけ、オイスターホワイトにライトコバルトブルーの帯を入れた現行塗装に変更された。
JR化後に全車に「延命N工事」が施工され、座席モケットや化粧板・ガラス支持用Hゴムの交換・ブラインドの横引カーテンへの変更・吊手の増設などが行われている。さらに、一部車両は洗面台が完全撤去され、2005年からはクハ419形の前面貫通扉・種別幕を閉鎖する工事も始まっている。また前面には五角形の「TOWNトレイン」ヘッドマークを掲出していたが、2003年3月に小浜線電化記念ヘッドマークに変更された後に掲出が中止されている。
[編集] 運用
改造当初は全車が金沢運転所(現・金沢総合車両所)に配置され、北陸本線全線で使用されていた。分割民営化時には西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継され引き続き使用されたが、狭小な旅客扉の弱点から次第に閑散区間の運用を主とするようになった。1996年3月には新設の福井地域鉄道部敦賀運転派出に転属した。
[編集] 現状
北陸本線敦賀~直江津間の普通列車で使用されているが、2006年の富山港線(本系列は運用されていない)分離や敦賀駅以南の直流化、521系の投入によって余剰となったことから、クハ419形の前面貫通扉閉鎖工事を行っていない車両を含む編成に廃車が始まっている。2007年4月現在、2編成6両が廃車となっており、廃車車両は他の419系や京都総合運転所所属の583系の部品確保用に残されている模様である。
[編集] 本系列の問題点
運行当初は電車化による列車の頻発化に貢献したが、極度に改造経費の節減を図ったため、不十分不合理な点が残り結果的には使いにくい車両となり、JR発足後は新形車両の増備に伴い、早期に置き換え対象となった。2008年現在でも使用されているのはJR西日本に承継された419系のみである。
- 片側2扉であるが、増設扉も含めて種車の幅700mm折戸を踏襲したため、乗客の乗降に時間がかかり、列車の遅延が生じやすい。
- 特急設計のシートのままであったため、座席は間隔や幅が広い反面、定員が少なく通路も狭く乗客の詰込みには向かない。
- AU41形床置式冷房装置の設置スペースによる客室分断(モハ714形・モハ418形)、クハネ581形改造車の機器室、カバーされたのみの洗面台、撤去されなかったトイレスペースなど、無駄な区画が多く収容力が削がれた。
- 本系列の営業最高速度100km/hとなったが、同様に普通列車格下げとなって併用される急行形電車(主に455・475系)のそれは110km/hのままであり、共通運用が組めない。
- 側窓が小さく、採光が十分でないため、車内が比較的暗い。
- 特急時代の昼夜兼行運用による走行距離過多で、元々種車自体の老朽化が進んでいた。
- 動力車配分の関係で最低でも3両編成で編成を組まなければならなかったことから、ワンマン運転は事実上不可能であった。
[編集] 参考文献
- 佐藤哲也・福原俊一『715系・419系寝台電車改造近郊形電車』(車両史編さん会、2001年)
- イカロスMOOK『国鉄型車両の系譜シリーズ02 形式583系』(イカロス出版、2005年)
[編集] 関連商品
- Nゲージでマイクロエース・東京堂モデルカンパニーから419系旧北陸色、新北陸色・715系国鉄色、九州色、東北地区本社色が発売されている。
[編集] 関連項目
- 日本国有鉄道の交流直流両用・交流用電車 (■JRを含む全一覧 / ■カテゴリ) ■Template ■ノート
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