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立浪和義 - Wikipedia

立浪和義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

立浪 和義
中日ドラゴンズ No.3
基本情報
国籍 日本
出身地 大阪府摂津市吹田市生まれ)
生年月日 1969年8月19日(38歳)
身長
体重
173cm
70kg
選手情報
投球・打席 右投左打
守備位置 三塁手
プロ入り 1987年 1巡目
初出場 1988年4月8日
年俸 1億円(2008年)
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

立浪 和義(たつなみ かずよし、1969年8月19日 - )は、中日ドラゴンズに所属のするプロ野球選手内野手外野手)。打撃コーチ兼任。

1998年2000年2005年2006年には一時期左翼手として出場した。ファンからの愛称は「ミスターツーベース」「3代目ミスタードラゴンズ」「タツさん」「たっちゃん」「タツ」「ナミさん」等。

バッティングスタイルはを据えてしっかりボールを叩くタイプ。コンパクトな構えで球を引きつけてから、鋭い振りでパチンと弾き返す。体格の割に長打力もあり、プロ野球通算最多二塁打478本の記録を持っている。走攻守すべてに安定した力を発揮するバランス型の選手。中日ファンの間では「ミスターツーベース」とも呼ばれている。応援歌は新人時代に流行した光GENJIの『ガラスの十代』であった。

目次

[編集] 人物

  • 幼くして父親と死別、母親が化粧品を販売しながら女手ひとつで育て上げた。2歳上の実兄がいて、その兄の影響を受けて野球を始める。
  • 元々左利きだが、守備位置が限られるために幼少時代に右投げに転向。そのため、今でもゴルフ等は左利き用を使う。
  • 幼少時に憧れた選手は王貞治である。
  • 高校1年生の頃、合宿所で2年先輩の投手桑田真澄と相部屋。桑田の実弟の外野手桑田泉は立浪と同級生。他の同期には橋本清(元読売ジャイアンツ-福岡ダイエーホークス)、野村弘樹(元横浜ベイスターズ)、片岡篤史(元日本ハムファイターズ-阪神タイガース)がいる。
  • PL学園時代の監督・中村順司(現・名古屋商科大学野球部監督)いわく「面倒見のいい選手」、桑田は「マメでよくものごとに気がつく選手」。高校3年夏の甲子園大会決勝の朝も富田林市のPLグラウンドの草むしりをしてから試合に臨んでいったエピソードは有名である。
  • 中村は、1度だけ厳しく叱ったことがある。それは、中継プレイの際、レフトの送球の悪さに、不満の態度を示した。叱責を受けた立浪は、自身も深く反省し、その後、チームメイトへの励ましが増えるなどした。そのかいあってか、中村在籍時のPLは主将を選手の投票で決めるが、立浪と中村はてっきり、三塁手で4番の深瀬猛が選ばれると思ったらしいが、他選手全員が立浪に投票した。これが中村の唯一、予想に反した主将だったと中村は述懐している。
  • 母親思いの性格であり、母親はプロ入り時に、スカウトに対して「自分のことよりも私のことを心配してくれる、そのやさしさがプロでは大丈夫でしょうか」と心配していた。
  • 目標に掲げるアマチュア選手が多く、福留孝介もその1人であった。小学生の頃、中日のキャンプを訪れ立浪にサインをもらった。
  • 近年では球団における様々な打撃記録を更新しているので、「打てば球団記録」と言われている。しかしそれだけの打撃成績を残してきたにもかかわらず打撃タイトルは一度も獲ったことがない。
  • 家族は妻(1990年結婚)と一女。
  • 2004年渡邉恒雄会長(当時)の「たかが選手」の発言に対して「『たかが選手が』と言っていましたよね。力があるのはわかりますが、そういう人の発言ではない。人の上に立つ人の言葉ではない」と公に渡邉個人を批判した数少ない選手。http://www.nikkansports.com/osaka/od/p-od-040622-01.html
  • 2005年梅宮アンナと2人きりで東京都内をドライブしている写真が週刊誌で暴露され不倫疑惑が取りざたされた。
  • 車の運転でスピード違反を繰り返し、検挙されたことが親会社の中日新聞に掲載されたことがあった(後に運転免許を取り消された)。
  • 打席に入る前は鉄の棒を振る。本人いわく「これを振った後にバットを持つとバットが軽く感じる」とのこと。
  • ランナーに出た時は、バッティンググラブを両手に持って走る。
  • 入団以来、チームの中心として活躍し続けている彼を球団OBの西沢道夫高木守道同様「ミスタードラゴンズ」と敬称する者も多い。プロ20年目を迎えた今でもナゴヤドームだけでは無く、全国の中日ファンから一番熱い声援[1]を受ける選手である。将来は幹部候補として、ファンに期待されている。
  • 2006年10月4日の対広島東洋カープ戦、一死一、二塁のチャンスで高橋建からサヨナラタイムリー二塁打を放ち、お立ち台で「今までのサヨナラヒットの中で一番嬉しい」「いつも大声援を受けて涙が出そうになる」と発言し、涙を見せた。この年の7月以降は代打での出場が主で、別の日のお立ち台でも「ヒットをたくさん打ってきたが、ヒット一本一本がうれしい」とも語っている。
  • 片岡篤史とはPL学園時代の同級生であり、無二の親友である。片岡の引退試合となった10月12日の阪神(甲子園)戦では落合博満監督に志願して3番左翼スタメン出場。引退セレモニーでは花束を贈呈し、片岡と熱く抱擁を交しながら号泣した。
  • 下戸であり、おはほとんど飲めない。
  • チームメイトのタイロン・ウッズと同じ1969年8月19日生まれで、当日のゲーム前には報道陣からケーキを贈られウッズと喜びを分かち合うのが恒例となっている。

[編集] 来歴

[編集] 高校時代

  • 1985年PL学園に入学。ちなみに同期に前述の片岡、野村、橋本らがいる。清原和博、桑田らが引退すると17番をもらい、1年生では野村とともにベンチ入りし、の大会ではレギュラーにも選ばれている。
  • 1987年 PL学園の主将となった立浪は、甲子園連覇を達成。この時のPLは、野村、橋本以外に続く投手の岩崎充宏(元新日鉄名古屋)がおり、他校ならばエース級である投手3人を擁し、先発ローテーションを組む強力なチームだった。同年のドラフト会議では南海ホークスが1位で単独指名の予定だったが、中日の1位指名選手が大学進学を希望し、翻意は不可能と悟った中日は、2日前に方針を転換。指名を考えていた他の複数球団同様2位か3位の指名候補だった立浪を当時の監督である星野仙一の強い推薦で、1位で指名することにする。その理由が、立浪の選手としても評価は高く評価していたが、母親思いの性格という情報を得ていたスカウト評を見た星野は、「あれだけ、母親のこと心配する男も珍しい、揉めずすんなり入団するだろうし、ああいうタイプは将来的にはチームを背負う選手になるはずだ」というものであった。当の立浪も、中村に「ドラフトでは何があるか分からない」と戒めを受けており、立浪自身も「早くプロ入りして母を楽にしてあげたいからそれができるなからどこでも」と考えていた。結果、南海と競合し、星野監督率いる中日が1位指名で獲得し入団(契約金5500万)。

[編集] 中日時代

  • 1988年 星野監督は、その守備力を見抜き、ドラゴンズの遊撃の定位置を長年守っていた強打の宇野勝を二塁にコンバートし、立浪を遊撃手に据えた。ドラゴンズの高卒ルーキーでは22年ぶりの開幕1軍スタメン出場を果たし欠端光則から二塁打、このシーズンは110試合に出場。打率.223、22盗塁、21犠打を記録し、中日のリーグ優勝に貢献。入団時にプロレベルに達していたと言われる守備・走塁の技術を高く評価されて新人王。高卒ルーキーとしては初のゴールデングラブ賞を受賞した。ただし、シーズン途中でヘッドスライディングをして肩を痛めて以降、試合を休むようになり、優勝の時の試合では守備要員で途中出場するほどだった。その後、痛みが少し引いたという理由で日本シリーズに出場、オフも肩に関しては一切特別なことをしなかったため、翌年をほとんど棒にふることになる。
  • 1989年 肩の故障で欠場する。星野監督は88年オフの過ごし方がなっていないと激高。前年、故障の影響でシーズン30試合出場にとどまる。
  • 1990年 打率.303、155安打で復活。以降は完全にチームの中心打者となり、7度の3割と安定した成績を残す。
  • 1992年 遊撃から肩の負担の少ない二塁手にコンバートされる。
  • 1993年 6月11日から守備機会連続無失策を続け、それまでの記録を更新。シーズン守備率.997を残し、記録を継続したままシーズンを終える。
  • 1994年 6月11日の対巨人戦で松井秀喜の放った強烈な打球を弾いてしまい、無失策の記録は712回でストップ(2007年に関本健太郎が抜くまで、二塁手としてのセントラル・リーグ記録だった)。最終戦で中日と巨人の勝者が優勝が決定するという10.8決戦では、ヘッドスライディングをした際に脱臼し、退場した。
  • 1995年 2度目のゴールデングラブ賞を受賞。ゴールデングラブ賞はこの年から3年連続で受賞する。
  • 1996年 自己最高となる打率.323を記録し、リーグ3位の記録を残す。この年、ベストナインに選出される。
  • 1997年 4月4日横浜戦で、立浪と同い年で同じ87年ドラフト1位盛田幸妃と、1歳下で後のチームメイトになる谷繁元信のバッテリーから球団史上唯一の開幕戦初回先頭打者本塁打を記録。この年オープンしたナゴヤドーム初の公式戦第1号本塁打となる。8月22日の対阪神戦ではサイクルヒットを達成した。
  • 1998年 巨人松井、高橋由伸と共に内野手登録ながら、セリーグ外野手部門でオールスターゲーム・ファン投票選出(88年遊撃手、96年二塁手で選出。史上初の三部門)される。この年は外野手出場が多かった。
  • 1999年 このシーズンは外野からセカンドに固定される。打率・本塁打共に良い成績ではなかったが、勝利打点はチーム1位とリーグ優勝に貢献。優勝を決めた9月30日の対ヤクルトスワローズ戦では、最後の打者ロベルト・ペタジーニの打球を二塁手としてキャッチした。この頃から、モチベーションが低下したのか、身体のキレが失せ、プレイに精彩を欠いていた。星野監督は奮起を促す意味で、立浪と同様に精彩を欠いていた中村武志を監督室に呼び出し、「お前達の引退試合は来年用意するから」と通告。
  • 2000年 前年のシーズンオフに肉体改造に励み、シーズンでは4年ぶりの打率3割を記録。1500本安打達成。
  • 2001年 12月より社団法人日本プロ野球選手会理事長に就任。労働組合日本プロ野球選手会副会長も兼任し、選手の地位向上や野球の普及活動にも力を注ぐ。シーズンでは荒木雅博の台頭もあってかサードでの出場が多くなる。
  • 2002年 長距離打者不足にあえぐ山田久志監督時代、7月7日の対横浜戦に自身初の4番に抜擢され(翌年もしばしば4番を打った)、その試合でホームランを放っている。この年チーム最多の92打点を記録する。そして5月22日のヤクルト戦では五十嵐亮太からサヨナラ満塁本塁打を放った。
  • 2003年 6月26日1000得点達成。7月5日PL学園の2年先輩の清原和博に先んじて2000本安打達成。名球会入り。10月1日には150本塁打を達成。また、この年プロ野球史上初めて3つのポジション(遊撃手・二塁手・三塁手)でのゴールデングラブ賞を受賞するなど記録づくめの年となる。この年のオフに井端弘和を球団選手会長として自ら指名し、その職から外れる。
    このオフには選手兼任を条件に監督候補にも上がっていた(本人が打診があったことを『サンケイスポーツ』に二塁打の日本記録達成時に語っている)。
  • 2004年 落合監督就任一年目に3番打者としてチームを牽引。ホームラン数は減ったが、得点圏打率で一時5割を超えるという驚異的な勝負強さで優勝に大きく貢献する。このシーズン、後半調子を落としたものの、5月、6月に月間MVPを獲得するなど5年ぶりの優勝への貢献度は大きい。また、2度目のベストナインに選出される。日本シリーズでは、第2戦の7回裏、松坂大輔から同点3ランホームランを放つなど活躍したが、チームは3勝4敗と惜しくも日本一を逃した。
  • 2005年 開幕直後は調子が良かったが、5月に入ってから調子を崩し、徐々に打率は低迷した。また、この時期から三塁の守備に自信をなくし、時折軽いイップスになるなどして、監督に「サード、もう自信なくなりました」と自ら左翼へのコンバートを志願。2005年末に東海地方のローカル放送局であるCBCで放送されたドラゴンズ特番によると、落合監督はこの時がシーズン中で最も困惑したことらしい(理由は、あらゆる場面を想定して準備をする落合監督の頭の中に左翼立浪は構想になかったため。しかし、打線の構成上、あらゆるケースに対応するバッティングセンスのある立浪3番は欠かすことが出来ない条件だったからと語っている)。交流戦に450本目の二塁打を放ち、福本豊の持つプロ野球通算二塁打の最多記録を更新。さらに2275本目の安打を放ち、高木守道の持つ通算安打の球団記録を更新している。
  • 2006年 前年の不調により森野将彦と三塁のレギュラーを争い、シーズン直前の森野のケガにより開幕スタメンとなる。4月7日の巨人戦では、上原浩治から通算2本目となるサヨナラ満塁本塁打を放った(ちなみにサヨナラ満塁本塁打数は歴代1位タイ記録)。交流戦では球団新記録となる通算970打点をマークした。また、プロ野球タイ記録となる5度目の1試合5安打を記録。しかし、やはり守備の衰えは否めず7月からは三塁手の座を森野に譲り渡し、スタメンから外れ、代打要員となる。この為、1990年から続いていた規定打席到達の記録はストップした。だが、勝負強さを発揮し、お立ち台で涙を見せるなど、代打の切り札として中日ファンを感動させた。日本シリーズでは、一人気を吐くもののチームは日本一になれなかった。この頃から、メディア等でミスタードラゴンズの愛称が使われる事が多くなった。
  • 2007年プロ入り以来20年連続で背番号3を背負う。これは史上最長記録を更新。球団史上最高の減俸額(1億2500万円)を受け入れ代打専任としてシーズン、監督修行をしながら戦い抜くこととなる。3年目の90年から17年続いた開幕スタメンの記録は途絶えた(サードは新加入の中村紀洋、森野はレフトに回った)。8月24日の対阪神戦で通算1,000打点(32人目)を、9月1日の対広島戦で通算3,500塁打(22人目)を相次いで達成している。ペナントレース公式戦での代打起用93回は、日本プロ野球史上最多記録である。日本シリーズでは敵地の札幌ドームで2試合指名打者として出場。結果は振るわなかったものの、チームは地元ナゴヤドームで優勝を決め、リーグ2位ながら自身にとって初の日本一[2]となった。11月24日 2008年シーズンの打撃コーチ兼任が発表された。

[編集] タイトル・表彰・記録

  • 新人王(1988年)※高卒1年目での受賞は、セ・リーグの野手としては史上初。
  • ベストナイン:2回(1996年=二塁手、2004年=三塁手)
  • ゴールデングラブ賞:5回(1988年=遊撃手、1995年 - 1997年=二塁手、2003年=三塁手)※19歳での受賞(1988年)はセ・リーグ最年少記録、内野手最年少記録。
  • 月間MVP:3回(2002年6月、2004年5月・6月)
  • 優秀JCB・MEP賞:3回(1991年、1992年、2000年)
  • サイクルヒット:1回(1997年8月22日)
  • 16年連続シーズン100安打以上(1990年 - 2005年)※歴代7位。
  • シーズン30二塁打以上:7回(1990年、1991年、1996年、1999年 - 2002年)※日本記録。
  • シーズン20二塁打以上:14回(1990年、1991年、1994年 - 2005年)※日本タイ記録。
  • サヨナラ安打:12回 ※歴代6位タイ、セ・リーグ歴代3位タイ。
  • サヨナラ本塁打:5回 ※球団記録。
  • サヨナラ満塁本塁打:2回(2002年5月21日、2006年4月7日)※日本タイ記録。
  • シーズン代打起用:93回(2007年)※日本記録。
  • 通算猛打賞:173回 ※歴代6位。
  • 33歳10ヶ月で通算2000本安打達成(2003年7月5日)※年少記録歴代4位。
  • 712守備機会連続無失策(1993年6月11日 - 1994年6月11日)※二塁手としてのセ・リーグ歴代2位。
  • 3ポジションのゴールデングラブ賞受賞(遊撃手、二塁手、三塁手)※史上最多。
  • オールスターゲーム出場:10回(1988年、1991年、1994年 - 1998年、2000年、2002年、2004年)

[編集] 年度別打撃成績

年度





















(万円)
1988年 中日 3 110 336 61 75 15 1 4 104 18 22 46 53 .223 480
1989年 30 85 10 20 6 1 2 34 8 3 10 10 .235 960
1990年 128 511 73 155 33 6 11 233 45 18 65 61 .303 840
1991年 131 520 87 151 35 2 10 220 45 10 75 69 .290 2800
1992年 98 379 52 114 16 4 5 153 42 8 53 52 .301 5000
1993年 128 500 73 143 18 3 16 215 50 6 73 51 .286 6800
1994年 129 489 90 134 27 1 10 193 53 12 85 50 .274 9500
1995年 126 489 72 147 25 1 11 207 53 10 63 46 .301 12000
1996年 130 511 91 165 39 2 10 238 62 2 71 57 .323 15000
1997年 133 495 77 133 24 3 14 205 55 8 82 42 .269 15000
1998年 134 504 60 137 24 1 8 187 43 6 78 60 .272 15000
1999年 123 417 54 111 32 1 4 157 53 3 52 44 .266 15000
2000年 126 436 58 132 30 3 9 195 58 5 49 43 .303 15000
2001年 139 507 52 148 30 2 9 209 65 6 56 54 .292 19000
2002年 137 506 62 153 34 2 16 239 92 4 51 55 .302 25000
2003年 135 500 52 140 28 2 13 211 80 2 59 72 .280 25000
2004年 134 523 68 161 25 0 5 201 70 5 50 52 .308 25000
2005年 138 501 57 127 25 1 9 181 56 2 73 76 .253 25000
2006年 113 259 17 68 10 1 1 83 31 3 19 28 .263 22500
2007年 101 109 4 30 2 1 2 40 31 0 17 14 .275 10000
通算 2423 8577 1170 2444 478 38 169 3505 1010 135 1127 989 .284 -
  • 太字はリーグトップ。
  • 年俸は推定金額。

[編集] 通算成績

  • 試合 2423(歴代8位、球団1位)
  • 打率 .284(歴代47位、球団10位)
  • 打数 8577(歴代8位)
  • 安打 2444(歴代9位、球団1位)
  • 二塁打 478(歴代1位
  • 長打 680(歴代24位、球団1位)
  • 塁打 3505(歴代20位、球団1位) 
  • 得点 1170(歴代17位、球団1位)
  • 打点 1010(歴代32位、球団1位)
  • 犠飛 66(歴代19位、球団1位)
  • 四死球 1127(歴代11位、球団1位)

※2007年シーズン終了時。歴代順位は4000打数以上の選手の中での順位である。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ ナゴヤドームの場合、ネクストバッターズサークルに居るだけでファンがざわつき始め、名前がコールされるとスタンディングオベーションが見られるほどである。
  2. ^ 過去4度のリーグ優勝を経験していたが、日本シリーズでは1勝4敗が3回(1988年1999年2006年)と3勝4敗が1回(2004年)といずれも涙を呑んでいた。
先代:
清原和博
通算2000試合達成(34人目)
2004年6月29日
次代:
田中幸雄
先代:
荒井幸雄
セ・リーグ新人王
1988年
次代:
笘篠賢治
先代:
立浪和義
川上憲伸
セ・リーグ月間MVP(野手)
2004年6月
J.ベバリン(投手)
次代:
小久保裕紀
五十嵐亮太
中日ドラゴンズ
1987年ドラフト指名選手
1位:立浪和義 / 2位:鎌仲政昭 / 3位:上原晃 / 4位:小美濃武芳 / 5位:音重鎮 / 6位:高橋幸二
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