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野村謙二郎 - Wikipedia

野村謙二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

野村 謙二郎
基本情報
国籍 日本
出身地 大分県佐伯市
生年月日 1966年9月19日(41歳)
身長
体重
176cm
78kg
選手情報
投球・打席 右投左打
守備位置 遊撃手三塁手一塁手
プロ入り 1988年 1位
初出場 1989年4月19日
最終出場 2005年10月12日
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手
オリンピック
男子 野球
1988 野球

野村 謙二郎(のむら けんじろう、1966年9月19日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手内野手)。現在は野球解説者

目次

[編集] 来歴・人物

[編集] アマチュア時代

  • 1985年
    • 駒澤大学に進学。
    • 同大学史上初の1年春からベンチ入り。開幕戦から1番・ショートでスタメン出場し、レギュラーに定着。
    • 1年春に1試合6打数6安打(6打席連続安打)をマークするなど早くも頭角を現す。

[編集] プロ入り後

  • 1989年
    • 1年目は主に代走・外野手としてプレーし、出場88試合ながら21盗塁をマーク。左打一本に絞る。
  • 1990年
    • チームを代表する選手だった高橋慶彦がトレードで移籍し、本来のポジションである遊撃手に復帰、レギュラーとなる。
    • 4月8日から11日にかけて3試合連続三塁打を記録。
    • リードオフマンとして活躍し、盗塁王を獲得。
    • 同じく頭角を現してきたルーキーの佐々岡真司前田智徳、ドラフト同期で2年目の江藤智らとともに次代を支えるリーダーとして目された。
  • 1991年
    • リードオフマンを台頭してきた前田やベテラン正田耕三に譲り、3番打者として活躍。
    • 全試合出場を果たして31盗塁で2年連続となる盗塁王を獲得し、170安打で両リーグ安打数1位、打率もリーグ4位の.324を記録する。ベストナインに選出されるなど、チームのリーグ優勝の大きな原動力となり、シーズンMVP級の活躍といわれた(実際には同じく大活躍した、エースの佐々岡が選ばれた)。
    • 日本シリーズでは全7試合に出場、打率.333の高打率を残し、日本シリーズ優秀選手賞を受賞する。
  • 1992年
    • シーズン当初は3番を打っていたが、6月以降1番野村・3番前田が定着。リードオフマンに復帰する。
    • 9月4日対中日ドラゴンズ(ナゴヤドーム)の1回表に先頭打者本塁打。続く2番山田和利もランニングホームランで、初回先頭から2者連続本塁打。
    • 2年連続全試合出場を達成、初の得点王を獲得。
  • 1993年
    • シーズンを通してリードオフマンに定着するも、盗塁が初めて20を割り込むなど低調な成績に終わる。
  • 1994年
    • 前半は打順に試行錯誤が行われたが、中盤以降は1番野村以下正田、前田、江藤で固定される。
    • 8月3日から25日にかけて20試合連続安打を記録。
    • 3年ぶりに3割を記録して打率.303、169安打でこの年から設けられた最多安打と、自己最高となる37盗塁で3度目の盗塁王を獲得。2冠に輝き、好成績をあげる。
  • 1995年
    • この年からインコースをさばくためにグリップの位置を高くしたフォームに改造する。この結果、打力・走力に加えて長打力が開花、シーズン前半は本塁打王争いをリードするなどの活躍を見せ、史上6人目のトリプルスリー打率:.315、本塁打:32、盗塁:30)を達成。イチローとともに両リーグを代表するリードオフマンとして一躍注目を集めた。
    • 5月13日から26日にかけて10試合連続得点を記録。
    • 7月23日福岡ドームでの阪神大震災チャリティーマッチにジャパン・ドリームスの一員として出場。1番イチロー、2番野村のリードオフコンビが注目を集め、3回には二人の連打で一・二塁とした後にダブルスチールを決めて観客を沸かせた。
    • 8月までは不動のリードオフマンとして活躍したが、9月から足の故障が癒えた緒方孝市が台頭して1番に定着したため、3番を打つようになる。
    • 9月22日、当時歴代5位のスピード記録となる857試合目で、1000本安打を達成。
    • リードオフマンとしては異例のシーズン300塁打(308、リーグ最多)を達成、初の100得点も記録して2度目の得点王を獲得したほか、173安打で2度目の最多安打・ベストナイン、初のゴールデングラブ賞をそれぞれ受賞。攻・走・守がバランスよく揃った万能選手として、また内野の中心選手として、チームを引っ張った。どんなに点差のついた試合でもヘッドスライディングを果敢に行うなどの闘志溢れる全力プレーは、ファンを湧かせた。チームリーダーとして選手からの信頼も厚く、将来の監督候補としても期待され始める。
  • 1996年
    • 前年に続き主に3番として活躍。前年から台頭した緒方・金本知憲と江藤に加えてアキレス腱断裂から復帰した前田、同年から加入したロペスとともに強力打線の中核を担った。
    • 6月30日、1試合3犠飛の日本タイ記録。
    • 3度目のベストナインに選出された。
  • 1997年
    • リードオフマンに復帰。1番野村から緒方・前田・江藤・金本・ロペスと前年に続く強力打線の切り込み隊長を務めた。
    • オフにFA権を取得。アメリカメジャーリーグタンパベイ・デビルレイズからオファーが来るも、駒大時代の恩師(監督)・太田誠をはじめ周囲の人々の説得、そして野村自身の広島を愛する気持ちから残留を決意した。
  • 1998年
    • 当初は1番前田・3番野村と構想されたがまもなく1番野村・3番前田と前年と同じ打順に復帰。
    • 9年連続2桁本塁打を達成。
    • 3年ぶりに全試合出場を達成。
  • 1999年
    • 足の故障から三塁手一塁手へ回る機会が多くなる。
    • 5月19日、当時歴代4位のスピード記録となる1289試合目で、1500本安打を達成。
    • 5月25日、右股関節を故障。これが原因となり、以降ショートを守る機会が激減する。
    • 9月11日から17日にかけて、シドニー五輪予選となるアジア野球選手権大会に出場。二塁手としてベストナインを獲得。
  • 2000年
    • サードにコンバートされる。
    • 4月8日に左足肉離れで退場する。筋肉が断裂していて、選手生命も危ぶまれた。[1]
    • 故障の影響のため大学の後輩で長打力に頭角を現し始めた新井貴浩とともに併用される。
  • 2001年
    • 開幕当初はセカンドにコンバートされるが、すぐにサードに戻る。
    • 9月27日、2年ぶりに先頭打者本塁打を記録(1回表初球)。
  • 2002年
    • 故障のため、プロ入り後最低の成績に終わる。
  • 2003年
    • 前年に続き左わき腹、右太もも裏など度重なる故障に苦しんだものの、サードを守って.274を残す。
  • 2004年
    • 得点圏打率.329と勝負強さを見せた。
    • 6月に右膝を負傷し1ヶ月欠場し、同年オフに手術する。
  • 2005年
    • 足の故障と手術のため、ファーストにコンバートされる。
    • 6月23日広島市民球場で行われた対ヤクルトスワローズ戦の4回裏第2打席に川島亮投手から安打を放ち(打ったのはカーブ)、プロ野球史上33人目、大卒・社会人出身の選手としては15人目の2000本安打を達成した。
    • 6月24日には広島県から県民栄誉賞が贈られることが発表され、7月9日の対読売ジャイアンツ戦前に広島市民球場で顕彰式が実施された。
    • 2000本安打達成以後は代打の切り札として活躍が多くなった。
    • 若手選手の成長もあり、9月14日引退を表明した(引退会見は2日後の9月16日)。
    • 1991年の優勝貢献、トリプルスリー、2000本安打の実績を球団が評価し、背番号7を永久欠番にする打診があるも野村本人が辞退し、本人の推薦が出るまでは永久預かりという形で準永久欠番となった。
    • 引退試合となった2005年10月12日の対横浜戦(広島市民球場)では自身3年ぶりとなる1番打者での先発出場を果たし、プロで長らく守った遊撃手中堅手を守り、ファンを魅了した。この試合では軽快な守備を見せ、6回に最後の安打となる2塁打を放った。
    • 引退セレモニーで「今日集まってくれた子供達、野球はいいもんだぞ! 野球は楽しいぞ!」と球場にいる子供たちに呼びかけた。

遊撃手に定着した1990年から1998年まで、ほとんどの試合に出場し、9年連続2桁本塁打、シーズン150安打以上を7度(あとの2年は148安打と149安打)、20盗塁以上を6度記録。1999年以降、怪我のため成績が低迷、安打のペースも鈍るが、直向きな全力プレーは変わらなかった。

[編集] プロ野球選手引退後

  • 2007年
    • 春季キャンプでは臨時コーチとして走塁指導をするなどしている。

[編集] 経歴

  • 初出場 1989年4月9日阪神タイガース(広島市民球場・代走での出場)
  • 初盗塁 1989年4月12日対横浜大洋ホエールズ(横浜スタジアム)
  • 初安打 1989年5月4日対ヤクルトスワローズ(広島市民球場)
  • 初打点 同上
  • 初本塁打 1990年4月15日対読売ジャイアンツ(広島市民球場)
  • 引退試合 2005年10月12日対横浜ベイスターズ(広島市民球場)

[編集] タイトル・表彰・記録

[編集] タイトル

[編集] 表彰

[編集] 記録

  • トリプルスリー:1回(1995年)
  • シーズン150安打以上:7回(1991年、1992年、1994年 - 1998年)※歴代4位タイ。
  • 5年連続シーズン150安打以上(1994年 - 1998年)※歴代5位タイ。
  • 通算初回先頭打者本塁打:21本(表6本、裏15本)※歴代9位。
  • 通算初回先頭打者初球本塁打:7本(表3本、裏4本)※歴代1位。
  • シーズン初回先頭打者初球本塁打:3本(1990年 表2本、裏1本)※歴代2位。
  • 2試合連続初回先頭打者本塁打(1997年8月21日 - 8月22日)
  • 1試合3犠飛(1996年6月30日)※日本タイ記録。
  • 3試合連続三塁打(1990年4月8日 - 4月11日)
  • 20試合連続安打(1994年8月3日 - 8月25日)
  • 10試合連続得点(1995年5月13日 - 5月26日)
  • オールスター出場:8回(1990年、1991年、1993年 - 1998年)

[編集] 記録達成歴

  • 1995年9月22日横浜ベイスターズ(横浜スタジアム) - 通算1000本安打達成(デニー友利から、181人目。857試合での達成は歴代9位)
  • 1996年5月28日対中日ドラゴンズ(ナゴヤ球場) - 通算100本塁打(山本昌から、187人目)
  • 1999年5月19日対阪神タイガース(米子球場) - 通算1500本安打達成(井川慶から、77人目。1289試合での達成は歴代5位)
  • 2001年8月26日対阪神タイガース(甲子園球場) - 1500試合出場(6番サードで、133人目)
  • 2001年10月6日対中日ドラゴンズ(広島市民球場)通算150本塁打(小笠原から、119人目)
  • 2005年4月1日 - 通算300二塁打(42人目)
  • 2005年6月23日対ヤクルトスワローズ - 通算2000本安打達成
  • 2005年7月1日 - 通算250盗塁(37人目)

[編集] 年度別打撃成績

年度



















年俸
1989 広 島 7 88 151 29 39 4 5 0 53 12 21 10 21 .258
1990 125 519 84 149 28 8 16 241 44 33 54 83 .287
1991 132 524 75 170 22 7 10 236 66 31 38 62 .324
1992 130 545 89 157 22 5 14 231 63 21 61 73 .288
1993 130 556 67 148 21 1 14 213 48 12 44 83 .266
1994 130 558 77 169 20 4 10 227 61 37 49 75 .303
1995 131 550 109 173 29 5 32 308 75 30 59 60 .315 1億800万
1996 124 514 77 150 30 3 12 222 68 8 43 63 .292 1億7000万
1997 131 540 81 151 25 0 13 215 52 26 59 68 .280 1億9000万
1998 135 561 75 158 26 4 14 234 49 15 44 63 .282 2億
1999 101 350 37 102 20 1 6 142 42 2 35 34 .291 2億
2000 61 208 15 50 4 1 2 62 17 1 18 22 .240 2億
2001 117 403 35 110 18 1 9 157 53 7 31 59 .273 1億7500万
2002 85 175 14 37 4 0 3 50 11 1 9 33 .211 1億7000万
2003 94 310 25 85 8 0 5 108 32 3 28 49 .274 1億5000万
2004 107 359 27 97 18 2 5 134 43 1 27 48 .270 1億+出来高
2005 106 272 19 75 14 0 4 101 29 1 19 42 .276 1億+出来高
通算(17年) 1927 7095 935 2020 313 47 169 2934 765 250 628 938 .285
  • 太字はリーグ最高。
  • 年俸は推定金額。

[編集] エピソード

  • グリップの位置を高くした1995年以降、左打者としてインコース打ちの技術は球界屈指として知られていた。安定した下半身はインコースを攻められてもミートまで開かないため、ライト線へのライナーがファウルにならず、長打につながっていた。
  • 1990年代の通算安打1527本は歴代1位、通算盗塁215は同僚の緒方孝市に次いで歴代2位である。[2]
  • 全盛期の野村は強肩、好守で知られたが、守備機会の多い遊撃手ということを考慮しても失策数が多かった。これに関しては、守備範囲が非常に広かったことと、普通なら捕れない打球を全力で追い無理して捕球しようとするなどの、積極守備が原因だったともいわれている。
  • プロ入り後しばらくは一塁への悪送球が目立ったが、1994年に身長190センチを超えるメディーナが一塁手になると、高い送球を問題なく受けられるようになり、野村自身のスローイングも安定し始めた。
  • 怪我のため1999年後半以降はポジションを遊撃手から三塁手(一時期二塁手も守ったがすぐに三塁手へ戻った)、一塁手へと変えていった。また、2005年には一塁手の他に、キャンプの紅白戦で数試合のみ捕手を守ったことがある。
  • 通算2000本安打を達成した野村本人の最後のシーズンとなった2005年は、守備の負担を減らすために一塁手に転向した。そのため、守備位置が同じで長打力があり、将来の主砲となる新井栗原の両方を起用することが出来ず、まさに「野村に通算2000本安打を達成させるためのペナントレース」であった。
  • 2年目の1990年に33盗塁で盗塁王を獲得しているが、逆に盗塁死も23個あり、成功率は高いとはいえなかった。しかし、翌1991年にはきっちり盗塁技術を向上させ、失敗数を減らしている(成功31、失敗5)。
  • 左打者であることと俊足を生かし、1991年から1994年までリーグ最多内野安打を記録している。
  • 全盛期は常に本塁打を10本以上打つなど、俊足・巧打に加え強打も兼ね備えたリードオフマンだったが、流石に打順の関係か、打点が100を超えることは無かった(トリプルスリーを獲得した1995年の75が最多)。
  • プロ入り当初はスイッチヒッターで、右打席でも安打を打ったことがある。
  • 1997年オフにFA権を取得、メジャーからのオファーを受けた際には恩師・太田誠(当時駒大野球部監督)と5時間にわたる会談を行い、「FA宣言せずに残留」を選択した。イチローが2001年にメジャー挑戦に向けて出発する際に電話を受けた件については「野村さんが先にいってくれると思っていた、ってね。ただ、自分の決断には後悔はないよ」とコメントしている。[3]
  • 広島アスリートマガジンの対談からサンフレッチェ広島選手・森保一と意気投合し、現役時代にはお互いの試合を見に行ったり、合同自主トレを行っていた[4]。双方ともに現役引退した後も、吉田安孝が作ったフットサルチームに特別参加する[5]など、交流を続けている。ちなみに、双方共に現役時代の背番号は「7番」であった。
  • 実弟・昭彦は同じく佐伯鶴城のエースとして1986年の夏の甲子園に出場しベスト8に進出している。大学も同じ駒沢大に進学し卒業後は日本石油に所属、現在は駒澤大学硬式野球部コーチ。
  • 1996年3月15日に大分県佐伯市民栄誉賞を受賞。

[編集] 参照

  1. ^ http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/05kikaku/nomura/5.html
  2. ^ http://www.baseball.per.sg/column/200002.htm
  3. ^ http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/05kikaku/nomura/4.html
  4. ^ http://www.sel.cs.hiroshima-cu.ac.jp/~sato/carp/diary/cd9601.html 1/17日参照
  5. ^ http://blog.yoshida-yasutaka.com/20060616.shtml

[編集] 現在の出演番組

[編集] 関連項目

先代:
正田耕三
セ・リーグ盗塁王
1990年-1991年
緒方耕一(1990年)
次代:
飯田哲也
先代:
古田敦也
和田豊
セ・リーグ最多安打
1994年-1995年
次代:
A.パウエル
先代:
緒方耕一
石井琢朗
セ・リーグ盗塁王
1994年
次代:
緒方孝市
広島東洋カープ
1988年ドラフト指名選手
1位:野村謙二郎 / 2位:佐藤裕幸 / 3位:畝竜実 / 4位:近藤芳久 / 5位:江藤智 / 6位:千代丸亮彦
他の言語


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