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江夏豊 - Wikipedia

江夏豊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

江夏豊
基本情報
国籍 日本
出身地 兵庫県尼崎市
生年月日 1948年5月15日(60歳)
身長
体重
178cm
95kg
選手情報
投球・打席 左投左打
守備位置 投手
プロ入り 1966年 第1次ドラフト1位
初出場 1967年
最終出場 1984年7月12日南海戦(西武)
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

江夏 豊(えなつ ゆたか、1948年5月15日 - )は、奈良県生まれ、兵庫県尼崎市園田出身の元プロ野球選手投手)、野球解説者

目次

[編集] 来歴・人物

[編集] 阪神時代

大阪学院大学高等学校入学まで本格的な野球の経験はなく、中学時代は砲丸投の選手として活躍していた。1966年夏の甲子園大阪府予選でベスト4の成績を残し、同年導入された第1次ドラフト阪神タイガースから第1位指名され、プロ野球選手となる。高校時代は変化球の投げ方を全く知らず、試合ではキャッチャーの変化球要求のサインに首を振る真似だけをし、いかにも直球以外の球を投げられるように見せかけて打者と駆け引きをしていた。これに試合観戦に来ていた阪神のスカウト陣が目を留め、「直球もよいが、なかなか頭の使える選手だ」として指名に踏み切った。入団後は、砲丸投げをしていた影響で持っていたいわゆる「担ぎ投げ」の癖を、林義一コーチが矯正させ、変化球も教え込んだ(余談だが、江夏は温厚で真摯に教えてくれた林のことを「お師匠さん」と呼び慕っている)。

1年目から豪速球を武器に225奪三振最多奪三振のタイトルに輝くと、2年目の1968年にはサンディー・コーファックスの記録をも上回るシーズン401奪三振の世界記録を作り上げた。この年9月17日の甲子園球場における読売ジャイアンツ戦では、王貞治の打席で稲尾和久の日本記録に並ぶ353奪三振を記録した後、後続のバッターからは全てのアウトを意図的に三振以外の方法で奪い(投手の高橋一三をも低めの球でセカンドゴロに打ち取っている。江夏曰く「森(昌彦)さんとピッチャーは三振を取らないようにするのがむしろ大変だった」)、再び王の打席が回ってきた時に、記録更新となる354個目の三振を奪う離れ業をやってのけた。しかもこの試合では、自らのバットでサヨナラヒットを放っている。王からの奪三振にこだわったのは、当時阪神のエースだった村山実が、節目の記録となる三振を常に長嶋茂雄から奪うようにしていたことを真似たものである(新人時代に村山がONを指さして「俺はこっち(長嶋)、お前はあっち(王)や」と、王をライバルとするよう命じられたともされる)。これ以降も江夏は王との勝負に固執し、通算で57の三振を奪ったが、直球で勝負を挑んでいたために20本の本塁打も打たれた。王から最も多く三振を奪った投手は江夏だが、江夏から最も多く本塁打を打った打者もまた王である。また、江夏は王に対し一度も死球を与えていない。

頭角を現した以降の江夏は、血行障害に悩む村山に代わって阪神のエースの座に就き、最多勝利2度、最優秀防御率1回、沢村賞1回の他、20勝以上4回、6年連続リーグ最多奪三振などの記録を作りあげ、名実共にセ・リーグを代表するピッチャーとして活躍した。4年目の1970年には通算1000奪三振を記録するが、これは通算奪三振の日本記録保持者、金田正一を上回る最短記録であった。

1971年オールスターゲームでは、速球と正確なコントロールで打者のバットにことごとく空に切らせ、初の9者連続奪三振を記録した。オールスターゲームは、投手は規定で3イニングまでしか登板できないため、これは振り逃げが起こらない限り可能な最高の成績である。この試合で、キャッチャーフライを追った田淵幸一に「捕るな!」と叫んだと言われているが、本人はこれを「(スタンドに入るだろうし、テンポ良く投げたかった為)追うな!」と叫んだものであると、著書の中で述べている。この9連続を挟む15者連続奪三振も、オールスター記録となっている。なお、この試合で江夏は自ら先制ホームランを放っているが、オールスターでの投手による本塁打は1960年巽一に次ぐ2人目であり、江夏を最後に達成者はいない。

1973年8月30日中日ドラゴンズ戦では、松本幸行投手と11回まで投げ合い、11回裏に同投手からの初球をライト側ラッキーゾーンに運び、「自らサヨナラホームランを放つ」という劇的な形で、日本プロ野球史上初の延長戦ノーヒットノーランを達成する。その際に残したとされるコメントが「野球は一人でも出来る」と歪曲されて報道され物議を醸したが、自身はこれについて一切言い訳をせず、それが非難に拍車をかける形になった。また、この試合を実況した朝日放送のアナウンサーが興奮のあまり「バンザーイ!江夏大バンザイ!」と万歳を連呼、公平性を欠くと注意を受けるという後日談もあった。なお、「サンテレビボックス席」で放映されたこの試合の中継映像は、現在でもサンテレビに保管されている。

このように華々しい活躍を見せていた江夏だが、当時は巨人が前人未到の9連覇を成し遂げている真っ只中であり、優勝戦線に加わることはあったものの、ペナントをその手にすることは遂にできなかった。中でも9連覇を許した1973年は、あと1勝すれば優勝という129試合目の対中日ドラゴンズ最終戦に先発し打ち込まれて敗戦投手となったことから、優勝を逸した元凶であるとまで言われることとなった。1974年からは血行障害や心臓疾患が悪化し、肩痛・肘痛を抑えるために服用していた痛み止めなどの影響で体重も激増。同世代のライバルであった巨人・堀内恒夫に先んじて通算150勝を達成するも、成績は年々下降していた。同時期、金田正泰吉田義男両監督との確執などから「一匹狼」「ローンウルフ」といった異名をつけられ、マスコミにフロントとの対立がクローズアップされる。1970年の黒い霧事件に続く騒動に不本意ながら巻き込まれたことも、江夏へのマイナスイメージをファンに植え付けることとなってしまった。そして1976年1月、江本孟紀島野育夫らとの交換トレードで南海ホークスへ移籍。フロント主導で一方的に決められたトレードで、会見の場で江夏は涙ながらに無念を語っていた。

なおこのトレードの際、江夏は交換相手の江本に関し「なぜあんなレベルの選手と(俺が交換させられるのか)」とぼやき、それを聞いた江本が「言いたい放題言いやがって」と激怒、一触即発の状態に陥った。しかし後に和解して良い友人となり、後年江夏の刑事裁判において情状陳述をするまでの関係になった。

[編集] 南海時代

当初はホークスに移籍する気は全くなく、阪神在籍のまま現役を終えるつもりだったという。しかし、野村克也選手兼任監督と会った時に、1975年10月1日広島東洋カープ戦で衣笠祥雄にカウント2-3から意図的に投じたボール球について「あれはわざと放ったんだろう?」と指摘され、その野球観に深い感銘を受け、南海での現役続行を決意する。

移籍一年目は先発として登録されたが、血行障害や心臓疾患などで長いイニングを投げられず、思うような成績が残せなかった。しかし抜群の制球力は健在であったため、50球程度の短い投球回なら十分に戦力になると考えた野村監督から、リリーフへの転向を何度となく打診された。江夏は当初「トレードの上に今度はリリーフと、何で自分ばかりに恥をかかせるのか」と反発し続けていたが、「野球界に革命を起こそう」という説得の言葉が決め手となり、1977年6月にリリーフ投手へと転向。この年19セーブで最優秀救援投手に輝き、日本野球界におけるリリーフ投手のパイオニアとなる。

当時はリリーフ専門投手の調整法というものが日本には無く、ずっとベンチに座って待機していることが腰痛持ちの江夏には辛かったことから、知り合いの記者にメジャーリーグでのリリーフ投手の調整法などを聞き、自己流の調整を始めた。試合が始まっても5回までベンチに入らず、ロッカールームでマッサージを受けたり睡眠を取ったりする調整法は、当時チーム内や球界で非難を浴びたが、今日ではこれらは、全試合待機を義務付けられるリリーフ投手のコンディション維持方法として定着している。

この南海時代以降、阪神時代の豪腕は鳴りを潜めたが、打者の心理を読み取って変化球を巧みに使い分ける技巧派投手として開眼。その投球術は、金田正一をして「現役時代の自分を上回る」と言わしめた。

[編集] 広島時代

1977年オフ、野村監督の解任に際して「野村さんがやめる以上出してください」と発言し、金銭トレードで広島へ移籍。黄金期を迎えていた広島のリリーフエースとして活躍し、1979年1980年の2年連続日本一に大きく貢献した。1979年には、自身初、そして日本のリリーフ投手でも初となるシーズンMVPに輝いている。近鉄バファローズとの対戦となった同年の日本シリーズでは、最終第7戦にて1点リードの9回裏に無死満塁のピンチを自ら招くも、一死からのスクイズを見抜くなどして反撃を断ち、広島を日本一に導いた。この時の様子は、後に作家の山際淳司が『江夏の21球』という短編ノンフィクションに記し、現在ではプロ野球史屈指の名場面として定着している。江夏本人も後年、「広島時代は楽しかった。特に1979年」と回想している。またこの時期、大野豊にフォーム改造などの熱心な個人指導も行い、後の大野の成長の礎を作り上げた。

この時のチームメイトだった衣笠祥雄とは無二の親友であり、現在でも交流が深い。著書によると「広島時代は、嫁さんといる時間よりサチ(衣笠)といる時間の方が長かった」という。

[編集] 日本ハム時代

1980年、日本ハムファイターズパ・リーグ後期シーズンで優勝争いを演じた。自らのチーム強化に手応えを感じた大沢啓二監督は、リリーフエースを求めて広島へ江夏の獲得を自ら打診。同年オフ、先発エースだった高橋直樹とのトレードで、江夏のファイターズ移籍が決定した。

移籍1年目の1981年、リリーフエースとしてチームの19年ぶりの優勝に大きく貢献し、シーズンMVPに輝く。両リーグでのMVP受賞は、プロ野球史上初めてのことであった。広島時代の1979年から1983年まで5年連続で最多セーブ投手のタイトルを獲得し、同時期、12球団全てからセーブを挙げる史上初の記録も作り上げた。1982年、通算200勝を達成。

[編集] 西武時代

1983年オフ、日本ハムの大沢監督が勇退。「お前をとってきた俺がやめるんだから、お前も日ハムをやめろ!」という大沢の強引な説得により、移籍が決まる。背景には新監督となった植村義信の構想から外れていたことも有った。この時点ではまだ移籍先が決まっていなかったが、球団常務となる大沢に希望球団を聞かれたところ、「行きたくないのは巨人、阪神、広島、西武。強い巨人、西武と対戦できるならどこでもいい」であった。しかし、柴田保光木村広とのトレードで西武ライオンズへの移籍が決定。これは、巨人が江夏獲得に乗り出してくると見た西武が、巨人に取られる前に自分の所に引き入れようという意図によるものであった。

西武監督の広岡達朗は厳格な選手管理で有名であり、西武に移籍決定後は、一匹狼の性格の江夏は広岡と早かれ対立を起こすのではないかとの声が上がった。しかし、江夏は日本ハム在籍時に西武からバント攻めを受けた経験から広岡の野球に感服しており、そして広岡のほうも江夏の実績と野球術を高く評価していた。だが、1984年の開幕から江夏は調子が上がらず、シーズン途中で体調不良を訴えた。広岡は江夏の体調の報告が再三にわたって大きく食い違うことに不満を持ち、2軍落ちを宣告し入院を命じた。一方江夏は広岡が選手とコミュニケーションをとらないことに不満を募らせた。江夏によればこの2軍落ちの決定は新聞報道で初めて知ったのだった。

チームは優勝争いから脱落したのを受けて、シーズン途中で早くも将来を見据えての若手中心の選手起用を行っており、ベテランの江夏に出番が与えられることはなかった。史上初の通算200セーブ、通算3000奪三振が目前だったが、1984年限りで西武を退団し、現役引退を表明。球団主催の引退試合は行われなかったが、多摩市一本杉公園野球場にて文芸春秋主催で名球会が協力し「たったひとりの引退式」を行った。

この引退式の引退挨拶で、メジャーリーグに挑戦する旨を述べる。この際江夏は「江夏豊36歳、本当にバカな男かも分かりません。ですが、日本に帰ってきたときには、たった一言、ご苦労、それだけ言ってやってください」と話している。

[編集] メジャー挑戦

1985年、公約通りミルウォーキー・ブルワーズの春季キャンプに参加。「アメリカでの野球生活を終えて日本に移るメジャーリーガーが多い中、日本での野球生活を終えてメジャーに挑戦する36歳のルーキー」として地元マスコミからも注目された。キャンプから順調に結果を出し、オープン戦でも好調をキープ。開幕ロースター入り最終選考まで残るものの、最後の最後で調子を落とし、開幕メジャーリーグとはならなかった。この時、球団からはマイナー契約を打診されていたが、実質的には戦力構想外であったようである。当時のブルワーズの発表によると、やはり36歳という高齢がチーム編成においてネックであったとされており、本人も「そこまでやる気は無い」として、現役を完全に退いた。

余談だが、江夏と最後までメジャー枠を争ったテッド・ヒゲーラは、この年に15勝、翌年は20勝をあげた。ヒゲーラが日米野球で来日したとき、服はブランド物、腕には高級時計を身につけており、マイナー時代は普段着でもアンダーシャツを着ており、ビール1本を買う金すらロクになく江夏の部屋まで飲みに来ていた(江夏は日本球界の最高給投手だった)男の変わりぶりに、江夏は「これがアメリカンドリームか」と驚いたという。ちなみにヒゲーラ自身もマイナーで江夏と過ごしたことを忘れておらず、来日して、江夏の元に真っ先に駆けつけ握手を求めたという。

[編集] 引退後

引退後は、日本テレビ解説者、東京中日スポーツ評論家を務める傍ら、映画、TVドラマ、バラエティ番組に出演するなど、タレント俳優としても活動していた。

しかし1993年3月3日覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕されて懲役2年4ヶ月の実刑判決を受け、静岡刑務所に服役、名球会からも自主的に退会した(名球会退会については、金田会長が江夏逮捕を聞くやいなや、除名すると述べている事から、実際は除名ではないかとも言われている)。1995年4月27日、仮釈放。出所後は野球解説者・評論家に復帰し、判りやすく明晰な技術論で高い評判を得ている。

[編集] 現在

現在はテレビ大阪解説者、デイリースポーツ評論家。選手を「君」付けで呼ぶ野球解説者の走りで、これは野球選手という職業へのリスペクトからであると本人は語っている。

週刊プレイボーイ集英社)で『江夏豊のアウトロー野球論』を連載中。また、2007年まで週刊ベースボールベースボール・マガジン社)で『江夏豊の球界にんげん交遊伝「球人蔵」』を連載していた。

マスターズリーグ・東京ドリームスにも在籍し、モルツ球団にも所属している。

[編集] 評価など

1960年代後半から1980年代前半にかけ、先発・リリーフとして最も高い評価を受けた左腕投手である。現在でも『20世紀最高の投手』との呼び声が高く、広島・日ハム時代に大車輪の活躍を見せてチームを優勝に導いたことから『優勝請負人』の異名も取った。Yahoo! JAPANが企画した「20世紀日本プロ野球ベストナイン」の投手部門でも、沢村栄治、金田正一、稲尾和久ら往年の名投手を抑えて1位に選出されている。奪三振日本記録の更新時の伝説やオールスターでの9連続三振、「江夏の21球」など、江夏が残した武勇伝の多さは、投手では日本プロ野球史中随一といってもいいだろう。

一時の気の迷いで薬物に手を出し、自ら指導者の道を断ってしまったことを悔やむ声は多い。ただ、刑務所の規則に従っての生活で健康状態は劇的に改善し、本人も出所後、法廷での弁護に立った野村克也や江本孟紀、衣笠祥雄ら友人達への感謝の言葉と共に、「もし刑務所に行っていなかったら、僕はもう死んでいたかもしれない」と語っている。また作家の安部譲二は、「あの傲岸不遜だった男が、帰ってきたら物凄く気配りができるようになっていた」と語っており、服役生活は結果的に、その精神面にも良い影響を及ぼしたようである。出所して自宅に戻ってきて一からやり直す決意をするために現役時代の獲得した数々のトロフィーなどを全て捨ててしまったいう江夏らしいエピソードを『いつみても波瀾万丈』にゲスト出演した際に話している。

現在の選定方式では、江夏がもう選ばれる事はないが、野球殿堂入りを熱望するプロ野球関係者は多い。実際、殿堂入りはしていないが、野球博物館内には江夏の21球のビデオが公開されていた。

無類の阪神ファンである作家・小川洋子の『博士の愛した数式』(第1回本屋大賞受賞)では、その背番号(28完全数)の持つ意味を題材に、著者から熱烈なオマージュを捧げられている。また江夏本人も、この作品が映画化された際にコメントを寄せている。

[編集] その他

  • 司馬遼太郎作品を愛読し、中でも特に「燃えよ剣」をお気に入りに挙げている。その理由は、作品の主役土方歳三の最期の地である函館と、自身が現役最期にメジャーリーグに挑戦した地であるアリゾナが妙に重なって思えたことと、登場人物のある一人の女性が非常に魅力的に思えたから。これはその人物の名を自身の子女の名に用いる程にである。
  • は飲まない。体質的に受け付けないわけではないのだが、阪神時代に主治医から「今の無茶な生活を続けていれば、間違いなく数年以内に命を落とす。酒、タバコ、女、麻雀、どれかを止めろ」と言われて酒を断つことを選び、そのまま現在に至っている。ただし、どうしてもタバコだけはやめられないことを、ニュースステーションのコーナー「最後の晩餐」内で話している。
  • MLBで2度のノーヒッターをマークしている野茂英雄が師匠として慕っている。ただ、江夏は鈴木啓示とも親しく、野茂と鈴木との間に溝が出来た事について、「トレーニングに関しては野茂の主張も分かるが、自らの経験から考えると鈴木の言う事も全部間違っているわけではないと感じる。だからこの件だけは野茂と同調できないのだ」と自著の中で述べていた。
  • プロ入り間もない頃、あまりにもストイックな村山実が持つ野球観に感銘を受け「弟子入り」を決意、練習からロッカールームに至るまで側に付き村山の一挙手一投足を観察していた。しかし江夏が初年度から新人離れした成績をあげ、マスコミが「阪神のエース候補」と一斉に書き立てると村山は江夏を露骨に遠ざけるようになったという。この村山の態度に江夏は当初「何て器量の狭い人だ」と憤慨していたが、後に村山の真意を理解し「あれは村山さんが僕を一人前の投手として認めてくれたんだと思う。あれが本物のプロ、勝負師のあり方だと教えてもらった」と自著の中で語っている。
  • 現役時代は日記をつけていたが、メジャー挑戦とともに日本での現役時代の日記を全て燃やしたという。
  • メジャー挑戦前後はビートたけしとの交流もあり、草野球のマウンドに立ったこともある。たけし軍団相手に、真剣に投球する姿にたけし軍団は感激し、感銘したビートたけしはラジオで江夏のことを絶賛・脱帽した。
  • 1985年10月6日放送の『アップダウンクイズ』の最終回(18年間に出演したシルエットゲストによる大会。10問正解チームは無し)では、番組として最後のシルエットゲストを務めた。
  • 左投げ左打ちだが、右利きである。これは、野球においてはサウスポーが有利とされているため、長兄の命令で強制的に矯正されたものである。

[編集] 年度別投手成績

年度 球団 背番号












l






















1967年 阪神 28 42 8 2 0 12 13 - .480 923 230.1 167 27 88 3 225 81 70 2.74
1968年 49 26 8 3 25 12 - .676 1259 329.0 200 29 97 4 401 83 78 2.13
1969年 44 17 7 3 15 10 - .600 1000 258.1 172 17 78 3 262 56 52 1.81
1970年 52 25 8 3 21 17 - .553 1295 337.2 232 29 73 3 340 87 80 2.13
1971年 45 16 6 4 15 14 - .517 1006 263.2 182 25 66 2 267 77 70 2.39
1972年 49 16 3 3 23 8 - .742 1059 269.2 195 30 60 4 233 86 76 2.53
1973年 53 18 7 2 24 13 - .649 1228 307.0 258 23 82 4 215 95 88 2.58
1974年 41 12 2 1 12 14 8 .462 772 197.2 153 24 50 2 149 65 60 2.73
1975年 49 9 1 1 12 12 6 .500 852 208.1 169 24 72 2 132 92 71 3.07
1976年 南海 17 36 8 1 1 6 12 9 .333 612 148.1 115 12 61 4 109 58 49 2.98
1977年 41 1 0 0 4 2 19 .667 346 84.0 72 5 21 5 60 28 26 2.79
1978年 広島 26 49 0 0 0 5 4 12 .556 395 95.1 77 7 38 2 99 32 32 3.03
1979年 55 0 0 0 9 5 22 .643 420 104.2 77 10 36 2 117 31 31 2.66
1980年 53 0 0 0 9 6 21 .600 334 86.0 61 12 20 1 86 27 25 2.62
1981年 日本ハム 45 0 0 0 3 6 25 .333 339 83.0 69 10 24 1 75 30 26 2.82
1982年 55 0 0 0 8 4 29 .667 354 91.0 56 8 31 2 107 22 20 1.98
1983年 51 0 0 0 2 4 34 .333 318 77.1 63 6 27 3 82 24 20 2.33
1984年 西武 18 20 0 0 0 1 2 8 .333 106 24.2 22 1 12 0 28 11 10 3.65
通算成績 829 154 45 21 206 158 193 .566 12618 3196.0 2340 299 936 46 2987 985 884 2.49
  • 表中太字はリーグ最高

[編集] タイトル・表彰・記録

  • 最多勝 2回(1968、1973)
  • 最優秀防御率 1回(1969)
  • 最多奪三振 6回(1967~1972)※当時は連盟表彰の対象ではない。
  • 最優秀救援投手 5回(1977、1979~1982)※最多タイ。他には赤堀元之佐々木主浩
  • MVP 2回(1979、1981)※両リーグでの受賞は史上初
  • 沢村賞 1回(1968)
  • ベストナイン 1回(1968)
  • ノーヒットノーラン(1973.8.30)※延長戦での達成は史上唯一
  • オールスターゲーム出場 16回(1967~1976、1978~1983)
  • オールスター最優秀選手 3回(1970第2戦、1971第1戦、1980第3戦)
  • 1試合16奪三振(1968.8.8)
  • 23イニング連続奪三振(1968.8.8~8.21)
  • 41イニング連続無失点(1969.4.12~5.15)
  • 1試合での34打者連続凡退(1970.9.26)
  • 12球団全てからのセーブを記録

[編集] 背番号

[編集] 著書

  • 江夏豊自伝 流浪のサウスポー(1981/5 講談社)
  • これが、言いたい事のありったけ―さらばプロ野球、乱に生きた18年(1984/12 徳間書店)ISBN 4195030129
  • リリーフエースの危機脱出術―ピンチのときこそ相手の得意コースをつけ!(1985/01 ゴマセレクト)ISBN 4341020641
  • 野球はアタマや(1985/03 徳間書店)ISBN 4195978181
  • 男のチャンスはたった一度(1985/06 徳間書店)ISBN 419503101X
  • 江夏豊のくたばれ管理野球―ここまで言うたら言いすぎやろか(1988/07 学習研究社) ISBN 4051029476
  • 野茂英雄「大リーグ30試合」(1996/03 講談社ISBN 4062080540
  • くたばれ!ジャイアンツ(1997/04 小学館) ISBN 4093872201
  • 江夏の法則-草野球バイブル(1997/12 スキージャーナル) ISBN 4789920615
  • プロ野球観戦術(1998/05 スキージャーナル)ISBN 4789920674
  • 松坂大輔へ(2000/03 中央公論新社)ISBN 4120029816
  • 左腕の誇り(2001/03 草思社)ISBN 479421040X
  • 江夏豊の超野球学-エースになるための条件(2004/05 ベースボール・マガジン社)ISBN 4583037937

[編集]

  • 俺の詩(1980年) 7万枚を売り上げた。

[編集] 出演作品

[編集] 江夏豊を演じた役者

[編集] 関連項目

先代:
村山実
セ・リーグ最多奪三振
1967年 - 1972年
次代:
高橋一三
先代:
小川健太郎
沢村賞
1968年
次代:
高橋一三
先代:
小川健太郎
堀内恒夫
セ・リーグ最多勝投手
1968年
1973年
次代:
高橋一三
松本幸行金城基泰
先代:
外木場義郎
セ・リーグ最優秀防御率
1969年
次代:
村山実
先代:
新浦寿夫
セ・リーグ最優秀救援投手
1979年-1980年
次代:
角三男
先代:
佐藤道郎
金城基泰
パ・リーグ最優秀救援投手
1977年
1981年-1982年
次代:
山口高志
森繁和
先代:
若松勉
セ・リーグMVP
1979年
次代:
山本浩二
先代:
木田勇
パ・リーグMVP
1981年
次代:
落合博満
阪神タイガース
1966年ドラフト指名選手
第1次(9月) − 1位:江夏豊 / 2位:平山英雄 / 3位:木村昭夫 / 4位:大竹勇治 / 5位:奥田敏輝 /
6位:中山孝一 / 7位:宮井信雄 / 8位:石井隆 / 9位:野田英二 / 10位:大原和男
第2次(11月) − 1位:西村公一 / 2位:大倉英貴 / 3位:杉政忠雄 / 4位:伊藤博昭
木村・大竹・中山・宮井・石井・野田・杉政・伊藤は入団拒否
中山は、1969年のドラフト5位で南海入団
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