巨人キラー
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巨人キラー(きょじんキラー 、 Giants Killer )とは、読売ジャイアンツとの試合で好成績を残す選手で、主には投手のことを言う。略称はGキラー。全国放送で勝ち星を挙げることから、鮮烈な印象を残すが、その実像はさまざまである。横浜の守護神だった佐々木主浩は、全盛期に巨人の長嶋監督に「横浜との試合は8回までで終わり。それまでにリードしておかないと」とまで言わせた抑え投手であるが、優れた抑え投手は全球団に脅威を呼ぶため、リリーフ投手が巨人キラーと呼ばれることは一般的になく、ある程度の実績を残した先発投手に限定される。
引退した川崎憲次郎は90年代のヤクルトに在籍し、勝利数の3分の1を巨人から稼いだが、勝率はそれほど突出していない。川上憲伸などは通算91勝59敗と屈指の好投手であり、22勝14敗という巨人戦の数字が特別なものではない投手もいる反面、実際の成績は39勝55敗と大きく負け越している村山実も、通算222勝147敗を記録し「巨人に立ちはだかり名を馳せた投手」というイメージのためか、巨人キラーとして認識されている。
彼らの巨人戦勝利数の割合や勝率の偏りは、ほとんどの投手が「運」の許容範囲内に収まると思われるが、偏りの範囲内に収まらない投手も少数だが存在する。
最も巨人キラーの「虚像」に近い投手としては、現役・引退した投手を含め横浜土肥義弘(通算31勝40敗のうち対巨人戦成績15勝3敗)があげられる。こうした土肥のような投手や、逆に優れた投手で1球団を苦手にしていた投手を見つけ出すほうが難しいと思われる。
このように、巨人キラーの定義は土肥や阪神下柳剛のようなケースを除けばイメージ先行であり、例えば「左対左は不利」という常識からか、王貞治や松井秀喜などの左の強打者と貴重な左腕投手との対決というイメージが生まれる。そのため先発左腕投手が水準以上の成績を残すと巨人キラーと呼ばれる傾向が多い。リリーフでも例外的に「左のワンポイント投手」が巨人の左の強打者に対して威力を発揮した場合、巨人キラーと呼ばれる場合がある。
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[編集] 現役選手
特に断りない限り、2008年5月時点での成績(印象)。
- 3人とも好不調の波が激しい左腕投手であり、完膚なきまでに抑えられる印象や、90年代の「強いヤクルト」のイメージとも相まってか、巨人キラーの印象が強いが、通算勝率と比べると(意外なほどに)巨人戦勝率が低い。
- 2003年に阪神に移籍した変則左腕。自身が登板したときのチームの成績は15勝3敗。巨人から勝ち星を稼いでいたが2007年は攻略されている。
- 阪神福原忍(対巨人通算16勝16敗)
- 下柳同様の変則左腕。特に2005年は10勝(11敗)中7勝(1敗)を巨人から稼いだ。下柳と異なり、巨人と中日以外の対戦成績が極端に悪い。
- 現役投手の中で、対巨人の勝利数最多。近年は成績が悪化している。
- 中日川上憲伸(通算103勝67敗、対巨人23勝17敗)
- 中日中田賢一
- 2008年4月19日現在、対巨人7連勝中。
- 過去3年間、ロッテ対巨人の成績が9連勝を含むロッテの13勝3敗と、巨人を圧倒した交流戦のなかの成績であるが、巨人戦通算6勝1敗。
[編集] 引退・退団した選手
単純に他チームのローテーション投手を列挙していけば巨人キラーの定義にはあてはまる(例えば北別府学、川口和久、大野豊と投手王国だった80年代広島カープの3本柱を並べれば良い)。
60年代、金田正一(国鉄-巨人)は弱小チームで巨人戦最多勝を記録(国鉄時代通算353勝267敗、対巨人65勝72敗)。広島カープの創生期、長谷川良平などもカモとなるはずの弱小球団の盾となった。
30勝以上(セーブポイントは含まない)で尚且つ勝ち越しを記録しているのは、平松政次(51勝47敗)、星野仙一(35勝31敗)、川口和久(33勝31敗)の3名のみ。平松は通算勝利数の1/4を巨人から挙げている。
川崎憲次郎(通算88勝82敗、対巨人29勝24敗)は通算勝利の1/3を巨人から挙げているが、勝率自体は突き抜けたものではない。
野村弘樹(通算101勝88敗、対巨人25勝17敗)は通算勝利の1/4を巨人から挙げ、勝率も比較的高い。
広島山内泰幸(通算45勝44敗、プロデビューから対巨人戦無傷で10連勝するなど対巨人通算13勝4敗)のように、活躍期間が1~3年ではあるが、変則フォームを武器にし巨人キラーとして活躍した投手は、故障さえなければ下柳のようにもっと成績を伸ばしたと思われる。
[編集] 記憶に残る投手
「記憶に残る投手」としたにもかかわらず、狭義で巨人キラーとはっきりと定義できる投手が並んでいる。代表例に留める。
- 1960年代後半のワンポイント投手。「王キラー」として知られた。
- 左のサイドスローという関係上、王と非常に相性が良く、その実力を証明するエピソードとして王が本塁打の世界新記録更新に王手をかけている時期に唯一新記録を打たされるのを恐れず、巨人戦で真っ向から挑み、本塁打を打たせなかったのは有名。長嶋キラーでもあった。
- あまり知られていないが、一部のファンの間では未だに「最強の王キラー」という呼び名が高い(江本のエピソードの項を参照)。
- 王貞治を封じるために「背面投げ」をした。
- 巨人を解雇されヤクルトと契約した2001年、生涯成績のうち半分の勝ち星を挙げ、4勝を巨人から挙げている。
- 1993年6月9日の巨人戦では、スライダーで三振の山を築き、8回まで16奪三振セリーグタイ記録のピッチングを続けた(無失点、被安打7)。
[編集] 報道による巨人キラー濫造
未整備なFA制度などもあり、現行のFA制度は、ほとんどの選手が行使するに値無いものとなっているため、当落線上の選手が巨人に移籍するようなことが多い。近年はインターネットによるデータの波及や「阪神ブーム」による報道の単純化により、そういった投手が執拗に巨人キラーとしての側面を取上げられることが多い。
通算勝利数のうち、平均5分の1前後は1球団から勝ち星を奪い、勝ち星はある程度運にも左右され、1年1年の対戦成績も変化するとすれば、他球団のローテーション投手はすべて巨人キラーとなる。したがって被本塁打率や防御率などの具体的な数値で巨人キラーか否かを実測するべきだが、現在の日本のスポーツ報道では、下記に記すような投手が巨人キラーとして語られている。
- 2006年、自らの衰え、2004年就任した落合博満監督との確執もあり、中日ドラゴンズから戦力外同然で巨人にFA移籍した。「巨人にノーヒットノーランを達成した左腕」などと報道されるものの、10年前(8月11日)の出来事であり、対巨人成績も中日での通算80勝78敗中、14勝15敗と得意でもなければ苦手でもない。なお、2007年は中継ぎ投手として巨人の優勝に影から貢献したものの、75%の大減俸で契約更改している。
- 2006年オフ横浜フロントとFA契約交渉が難航し退団、巨人に移籍した。このシーズン10勝10敗、防御率4.8ながら、対巨人戦成績は2勝0敗防御率1.15と好成績を残したため、「巨人キラーを引き抜く」といった報道がほとんどであった。しかし、実は通算対戦成績は防御率5点前後。この年の対戦成績も、少ない(2回)の対戦機会が未曾有の大型連敗中と対戦が重なったというのが真相であった。巨人では怪我人続出により開幕ローテーションのチャンスを掴むが、若手先発投手の台頭により働き場を失っている。
[編集] 打者について
短期的にはトレードで球団を移籍した打者が次のシーズン古巣との対戦で活躍し、古巣を苦しめるようなケースは過去多々存在し、トレードをマイナスにとらえる日本では「古巣を追われた復讐」などと報道されることが多い。
長期的には、レギュラークラスの優れた打者が特定のチームしか打てないということは有り得ないため、チームよりも特定の投手を指して「上原キラー」などという表現が使われることが多い。このように投手よりもさらに曖昧なため、説明に留める。