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門倉健 - Wikipedia

門倉健

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

門倉健
読売ジャイアンツ No.27
基本情報
国籍 日本
出身地 埼玉県入間市
生年月日 1973年7月29日(34歳)
身長
体重
193cm
90kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 投手
プロ入り 1995年 2位
初出場 1996年7月26日
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

門倉 健(かどくら けん、1973年7月29日 - )は埼玉県入間市出身のプロ野球選手(現役期間1996年 - )。読売ジャイアンツ所属の投手

目次

[編集] プロフィール

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

[編集] プロ入り後

  • 1995年 ドラフト2位で中日ドラゴンズに入団。
  • 1996年 7月28日の対ヤクルトスワローズ戦で初勝利。この年は7勝をマークした。
  • 1997年 初の2桁勝利を記録。
  • 1998年 2年連続の2桁勝利を達成。
  • 2000年 小池秀郎佐野重樹善村一仁の3選手との交換トレードで古池拓一東瀬耕太郎両選手と共に大阪近鉄バファローズに移籍。
  • 2001年 シーズンを通して、ローテーションの一角を守り、8勝5敗の成績で近鉄のパ・リーグ優勝に貢献(防御率は6.49)。
  • 2004年 福盛和男矢野英司両選手との交換トレードで宇高伸次と共に横浜ベイスターズに移籍。6月23日の対ヤクルト戦で移籍後初勝利。同時にプロ入り初本塁打を放っている。シーズン当初は先発投手を任されていたが結果が出ずに不振だった。この年は抑え投手も経験している。
  • 2005年 8月20日の対中日戦で勝利投手となり、史上4人目の「12球団勝利」を達成(但し、近鉄には未勝利のため、全球団勝利ではない)。自己最多となる11勝を挙げ、最終戦に中2日で登板させる牛島監督の計らいもあり同僚・三浦大輔と同数でリーグ最多の177奪三振を記録して最多奪三振のタイトルを獲得した。
  • 2006年 防御率4.84、不調のため一時は中継ぎで調整するなど、満足のいく内容ではなかったものの、前年に続き規定投球回数に到達。オフ、FA宣言し巨人へ移籍。
  • 2007年 本人の「来期開幕カードの横浜3連戦で投げたい」との意気込みどおり開幕第2戦に先発、横浜ファンから毎回のようにブーイングを浴びながらも好投するが、援護に恵まれず土肥義弘に投げ負ける。8月にようやく初勝利しヒーローインタビューで涙を流すも、次の登板で7失点するなど先発では結果を残せず。リリーフ登板でも、9月18日の阪神との天王山といえる試合で敗戦投手となり悪印象を残した。防御率5.97、1勝5敗でレギュラーシーズンを終了。クライマックスシリーズでは中継ぎ投手として2試合に登板している。

[編集] プレースタイル

  • 長身からの角度のある直球に落差のあるフォークボールスライダーを織り交ぜる。
  • 制球力もありボールを低めに集める投球をする。しかし調子が悪いと打者にフォークを見切られるなどしてカウントを悪くしてしまい、四球を出すことも多い。

[編集] エピソード

  • アゴの長い顔が特徴で、ニックネームは「アゴ倉」「モアイ」。「アゴの長さでは現役一」を自称。
    • オフにテレビ番組に出演すると、自分より顔の長い野球選手がいると悔しがったり、「レントゲン写真を撮影した際、あごが全部入りきらなかった」などと自虐ネタを披露している。とある番組で清原和博と顔の長さを測定して競い、負けた際は本気で悔しそうな顔をしていた。
    • 近鉄時代、藤井寺球場の壁の落書きに三日月に顔が書かれたような落書きがあり、横に「門倉」と書かれていた(野球バラエティー番組より)。
    • TBS系列の『うたばん』では、たびたび登場する山内あゆアナウンサーが司会の石橋貴明(横浜のエグゼクティブ・アドバイザーに就任)に「お前門倉に似てるじゃねぇか!」と「門倉」呼ばわりされており、その縁で門倉タオルをプレゼントしたこともある。
  • アントニオ猪木のようにアゴが長いことから、テーマソングを炎のファイターにし、お立ち台で猪木の物真似で「1!2!3!ダァ~!」」をしていた。実績が伴わないと、空虚に見えるだけどなので、しばらくこれを封印すると言う。ただ完全に辞めるわけではなく、しっかり成績を残せるようになったらまたやりたいと本人は述べている。  
  • 横浜のファン感謝デーに参加した際ファンに対し「チームへの愛着」をしきりにアピールしており、事実牛島前監督や三浦などからは多大な影響を受けている。
  • 1年目、対広島戦で勝利投手となり、ヒーローインタビューの際に「広島ファンにざまあみろと言いたい」と発言したが、次の対戦でノックアウトされた。[要出典]
  • 酒で失敗したエピソードで中日1年目の納会で、当時の中日の両エースであった今中、山本昌の間に座り込み「お前らもう少しお互い仲良くしろよ~」と発言して、周りを凍りつかせた(当時の今中、山本昌の関係が今ひとつであった)が、本人はまったく記憶がなく、翌日人から聞いて青ざめたという。

[編集] FA移籍の経緯

投球内容は今ひとつの年であったが、先発の1角としての二桁勝利、チーム最多勝、なによりFA権の行使を理由として複数年契約と年俸の微増を主張。しかしこれら主張について「10勝10敗の投手はいらない」「もって後2年」などとされ、球団のフロントに強硬な態度で突き放される。これらの発言に立腹した門倉は移籍を視野に入れたFA宣言を行った。

  • 12月2日、横浜が門倉残留交渉を打ち切ると、横浜との決別宣言をしメジャーリーグからのオファーがあったことを明かす(横浜との契約に際して契約の駆け引きに使われていた可能性もあるが、報道では2~3球団からオファーが入っていた模様)。「入団テストを受ける可能性もある。横浜より条件が悪くても他球団」とまで発言。その後読売ジャイアンツが獲得に興味を示していると報道が流れると、「すごく光栄」「原さんにあこがれていた」などと発言。
  • 12月7日、巨人との入団交渉に臨み、2年契約総額2億円プラス出来高払いの提示を受け、「すごく高い評価をしてくれた。気持ちはほとんど固まっている。心は一つです」と話し、この時点で巨人への移籍が事実上決まった。
  • 12月9日、野球教室で少年たちに「みんな、プロになりたいんだろ。でも横浜は止めておけ」と、球団のフロントへの非難めいた発言をする。なお、これが横浜ベイスターズのユニフォームを着た最後の日となった。
  • 12月11日、巨人への入団が正式に決定。「来期開幕カードの横浜3連戦で投げたい」と意気込む。
  • 2007年1月9日、FA移籍の人的補償として工藤公康が横浜に移籍することになった。

[編集] 年度別投手成績














S



















1996年 中日 25 14 3 0 8 1 1 7 3 0 .700 302 72.1 63 6 30 0 65 27 25 3.11
1997年 34 2 5 24 0 0 10 12 0 .455 747 160.0 173 13 96 10 143 95 84 4.73
1998年 26 3 1 22 2 0 10 9 0 .526 651 153.2 133 10 66 9 115 60 58 3.40
1999年 15 0 2 8 0 0 2 4 0 .333 227 49.0 61 7 18 2 38 33 31 5.69
2000年 近鉄 23 23 4 0 14 1 0 7 9 0 .438 501 117.1 108 13 46 4 109 54 51 3.91
2001年 32 0 2 21 0 0 8 5 0 .615 552 123.1 136 27 51 0 122 92 89 6.49
2002年 16 0 5 1 0 0 0 4 0 .000 124 29.1 25 4 12 0 32 12 12 3.68
2003年 17 20 0 1 16 0 0 6 4 0 .600 432 98.1 102 12 44 5 103 47 46 4.21
2004年 横浜 24 42 0 22 7 0 0 4 8 10 .333 336 76.1 84 16 26 3 86 42 39 4.60
2005年 29 4 0 23 1 1 11 8 0 .579 832 197.2 175 19 76 6 177 80 74 3.37
2006年 28 2 1 23 0 0 10 9 0 .526 691 154.1 187 19 51 3 114 90 83 4.84
2007年 巨人 27 12 0 5 5 0 0 1 5 0 .167 144 31.2 36 7 14 0 26 21 21 5.97
通算成績 291 18 44 172 5 2 76 80 10 .487 5539 1263.1 1283 153 530 42 1130 653 613 4.37
  • 2007年シーズンまで
  • 表中の太字はリーグ最高

[編集] タイトル・表彰・記録

[編集] 個人記録

  • 初登板:1996年7月26日・対ヤクルト17回戦・神宮球場
  • 初勝利:1996年7月28日・対ヤクルト19回戦・神宮球場
  • 初完投勝利・完封:1996年8月2日・対巨人14回戦・ナゴヤ球場
  • 初セーブ:2004年8月15日・対巨人22回戦・東京ドーム

[編集] アマチュア時代の戦績・記録

[編集] 背番号


[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

先代:
井川慶
セ・リーグ最多奪三振
2005年
三浦大輔
次代:
井川慶
川上憲伸
中日ドラゴンズ
1995年ドラフト指名選手
1位:荒木雅博 / 2位:門倉健 / 3位:藤井優志 / 4位:渡辺博幸 / 5位:大塔正明 / 6位:益田大介 / 7位:日笠雅人


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