門倉健
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門倉健 読売ジャイアンツ No.27 |
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基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県入間市 |
生年月日 | 1973年7月29日(34歳) |
身長 体重 |
193cm 90kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1995年 2位 |
初出場 | 1996年7月26日 |
経歴 | |
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門倉 健(かどくら けん、1973年7月29日 - )は埼玉県入間市出身のプロ野球選手(現役期間1996年 - )。読売ジャイアンツ所属の投手。
目次 |
[編集] プロフィール
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
- 1990年頃より、埼玉県の聖望学園高校の野球部のエースとして頭角を表す。
- 1992年、東北福祉大学に進学。全日本大学野球選手権大会でも準優勝の原動力となりプロ野球関係者の注目を大いに集め、1995年ドラフトの注目選手となる。
[編集] プロ入り後
- 1995年 ドラフト2位で中日ドラゴンズに入団。
- 1996年 7月28日の対ヤクルトスワローズ戦で初勝利。この年は7勝をマークした。
- 1997年 初の2桁勝利を記録。
- 1998年 2年連続の2桁勝利を達成。
- 2000年 小池秀郎、佐野重樹、善村一仁の3選手との交換トレードで古池拓一、東瀬耕太郎両選手と共に大阪近鉄バファローズに移籍。
- 2001年 シーズンを通して、ローテーションの一角を守り、8勝5敗の成績で近鉄のパ・リーグ優勝に貢献(防御率は6.49)。
- 2004年 福盛和男、矢野英司両選手との交換トレードで宇高伸次と共に横浜ベイスターズに移籍。6月23日の対ヤクルト戦で移籍後初勝利。同時にプロ入り初本塁打を放っている。シーズン当初は先発投手を任されていたが結果が出ずに不振だった。この年は抑え投手も経験している。
- 2005年 8月20日の対中日戦で勝利投手となり、史上4人目の「12球団勝利」を達成(但し、近鉄には未勝利のため、全球団勝利ではない)。自己最多となる11勝を挙げ、最終戦に中2日で登板させる牛島監督の計らいもあり同僚・三浦大輔と同数でリーグ最多の177奪三振を記録して最多奪三振のタイトルを獲得した。
- 2006年 防御率4.84、不調のため一時は中継ぎで調整するなど、満足のいく内容ではなかったものの、前年に続き規定投球回数に到達。オフ、FA宣言し巨人へ移籍。
- 2007年 本人の「来期開幕カードの横浜3連戦で投げたい」との意気込みどおり開幕第2戦に先発、横浜ファンから毎回のようにブーイングを浴びながらも好投するが、援護に恵まれず土肥義弘に投げ負ける。8月にようやく初勝利しヒーローインタビューで涙を流すも、次の登板で7失点するなど先発では結果を残せず。リリーフ登板でも、9月18日の阪神との天王山といえる試合で敗戦投手となり悪印象を残した。防御率5.97、1勝5敗でレギュラーシーズンを終了。クライマックスシリーズでは中継ぎ投手として2試合に登板している。
[編集] プレースタイル
- 長身からの角度のある直球に落差のあるフォークボールとスライダーを織り交ぜる。
- 制球力もありボールを低めに集める投球をする。しかし調子が悪いと打者にフォークを見切られるなどしてカウントを悪くしてしまい、四球を出すことも多い。
[編集] エピソード
- アゴの長い顔が特徴で、ニックネームは「アゴ倉」「モアイ」。「アゴの長さでは現役一」を自称。
- オフにテレビ番組に出演すると、自分より顔の長い野球選手がいると悔しがったり、「レントゲン写真を撮影した際、あごが全部入りきらなかった」などと自虐ネタを披露している。とある番組で清原和博と顔の長さを測定して競い、負けた際は本気で悔しそうな顔をしていた。
- 近鉄時代、藤井寺球場の壁の落書きに三日月に顔が書かれたような落書きがあり、横に「門倉」と書かれていた(野球バラエティー番組より)。
- TBS系列の『うたばん』では、たびたび登場する山内あゆアナウンサーが司会の石橋貴明(横浜のエグゼクティブ・アドバイザーに就任)に「お前門倉に似てるじゃねぇか!」と「門倉」呼ばわりされており、その縁で門倉タオルをプレゼントしたこともある。
- アントニオ猪木のようにアゴが長いことから、テーマソングを炎のファイターにし、お立ち台で猪木の物真似で「1!2!3!ダァ~!」」をしていた。実績が伴わないと、空虚に見えるだけどなので、しばらくこれを封印すると言う。ただ完全に辞めるわけではなく、しっかり成績を残せるようになったらまたやりたいと本人は述べている。
- 横浜のファン感謝デーに参加した際ファンに対し「チームへの愛着」をしきりにアピールしており、事実牛島前監督や三浦などからは多大な影響を受けている。
- 1年目、対広島戦で勝利投手となり、ヒーローインタビューの際に「広島ファンにざまあみろと言いたい」と発言したが、次の対戦でノックアウトされた。[要出典]
- 酒で失敗したエピソードで中日1年目の納会で、当時の中日の両エースであった今中、山本昌の間に座り込み「お前らもう少しお互い仲良くしろよ~」と発言して、周りを凍りつかせた(当時の今中、山本昌の関係が今ひとつであった)が、本人はまったく記憶がなく、翌日人から聞いて青ざめたという。
[編集] FA移籍の経緯
投球内容は今ひとつの年であったが、先発の1角としての二桁勝利、チーム最多勝、なによりFA権の行使を理由として複数年契約と年俸の微増を主張。しかしこれら主張について「10勝10敗の投手はいらない」「もって後2年」などとされ、球団のフロントに強硬な態度で突き放される。これらの発言に立腹した門倉は移籍を視野に入れたFA宣言を行った。
- 12月2日、横浜が門倉残留交渉を打ち切ると、横浜との決別宣言をしメジャーリーグからのオファーがあったことを明かす(横浜との契約に際して契約の駆け引きに使われていた可能性もあるが、報道では2~3球団からオファーが入っていた模様)。「入団テストを受ける可能性もある。横浜より条件が悪くても他球団」とまで発言。その後読売ジャイアンツが獲得に興味を示していると報道が流れると、「すごく光栄」「原さんにあこがれていた」などと発言。
- 12月7日、巨人との入団交渉に臨み、2年契約総額2億円プラス出来高払いの提示を受け、「すごく高い評価をしてくれた。気持ちはほとんど固まっている。心は一つです」と話し、この時点で巨人への移籍が事実上決まった。
- 12月9日、野球教室で少年たちに「みんな、プロになりたいんだろ。でも横浜は止めておけ」と、球団のフロントへの非難めいた発言をする。なお、これが横浜ベイスターズのユニフォームを着た最後の日となった。
- 12月11日、巨人への入団が正式に決定。「来期開幕カードの横浜3連戦で投げたい」と意気込む。
- 2007年1月9日、FA移籍の人的補償として工藤公康が横浜に移籍することになった。
[編集] 年度別投手成績
年 度 |
所 属 |
背 番 号 |
登 板 |
完 投 |
完 了 |
当 初 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
S | 勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1996年 | 中日 | 25 | 14 | 3 | 0 | 8 | 1 | 1 | 7 | 3 | 0 | .700 | 302 | 72.1 | 63 | 6 | 30 | 0 | 65 | 27 | 25 | 3.11 |
1997年 | 34 | 2 | 5 | 24 | 0 | 0 | 10 | 12 | 0 | .455 | 747 | 160.0 | 173 | 13 | 96 | 10 | 143 | 95 | 84 | 4.73 | ||
1998年 | 26 | 3 | 1 | 22 | 2 | 0 | 10 | 9 | 0 | .526 | 651 | 153.2 | 133 | 10 | 66 | 9 | 115 | 60 | 58 | 3.40 | ||
1999年 | 15 | 0 | 2 | 8 | 0 | 0 | 2 | 4 | 0 | .333 | 227 | 49.0 | 61 | 7 | 18 | 2 | 38 | 33 | 31 | 5.69 | ||
2000年 | 近鉄 | 23 | 23 | 4 | 0 | 14 | 1 | 0 | 7 | 9 | 0 | .438 | 501 | 117.1 | 108 | 13 | 46 | 4 | 109 | 54 | 51 | 3.91 |
2001年 | 32 | 0 | 2 | 21 | 0 | 0 | 8 | 5 | 0 | .615 | 552 | 123.1 | 136 | 27 | 51 | 0 | 122 | 92 | 89 | 6.49 | ||
2002年 | 16 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .000 | 124 | 29.1 | 25 | 4 | 12 | 0 | 32 | 12 | 12 | 3.68 | ||
2003年 | 17 | 20 | 0 | 1 | 16 | 0 | 0 | 6 | 4 | 0 | .600 | 432 | 98.1 | 102 | 12 | 44 | 5 | 103 | 47 | 46 | 4.21 | |
2004年 | 横浜 | 24 | 42 | 0 | 22 | 7 | 0 | 0 | 4 | 8 | 10 | .333 | 336 | 76.1 | 84 | 16 | 26 | 3 | 86 | 42 | 39 | 4.60 |
2005年 | 29 | 4 | 0 | 23 | 1 | 1 | 11 | 8 | 0 | .579 | 832 | 197.2 | 175 | 19 | 76 | 6 | 177 | 80 | 74 | 3.37 | ||
2006年 | 28 | 2 | 1 | 23 | 0 | 0 | 10 | 9 | 0 | .526 | 691 | 154.1 | 187 | 19 | 51 | 3 | 114 | 90 | 83 | 4.84 | ||
2007年 | 巨人 | 27 | 12 | 0 | 5 | 5 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 | .167 | 144 | 31.2 | 36 | 7 | 14 | 0 | 26 | 21 | 21 | 5.97 |
通算成績 | 291 | 18 | 44 | 172 | 5 | 2 | 76 | 80 | 10 | .487 | 5539 | 1263.1 | 1283 | 153 | 530 | 42 | 1130 | 653 | 613 | 4.37 |
- 2007年シーズンまで
- 表中の太字はリーグ最高
[編集] タイトル・表彰・記録
- 最多奪三振:1回(2005年)
[編集] 個人記録
- 初登板:1996年7月26日・対ヤクルト17回戦・神宮球場
- 初勝利:1996年7月28日・対ヤクルト19回戦・神宮球場
- 初完投勝利・完封:1996年8月2日・対巨人14回戦・ナゴヤ球場
- 初セーブ:2004年8月15日・対巨人22回戦・東京ドーム
[編集] アマチュア時代の戦績・記録
- 1991年:全国高等学校野球選手権大会埼玉県大会準優勝。
- 1994年:全日本大学野球選手権大会ベスト8。
- 1995年:全日本大学野球選手権大会準優勝、日米大学野球選手権大会日本代表。
[編集] 背番号
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
|
監督 |
---|
88原辰徳 |
コーチ |
78伊原春樹(ヘッド)|87尾花高夫(投手総合)|72香田勲男(投手)|81篠塚和典(打撃)| 89村田真一(打撃)|79福王昭仁(内野守備走塁)|73緒方耕一(外野守備走塁)| 74西山秀二(バッテリー)|76白坂契(トレーニング) |82木村龍治(トレーニング兼投手) |
二軍監督・コーチ |
77吉村禎章(監督)|75岡崎郁(ヘッド兼内野守備)|70小谷正勝(投手) |85斎藤雅樹(投手)|86岸川勝也(打撃)| 84金杞泰(打撃)(韓)|83西岡良洋(外野守備走塁)|97伊藤博(トレーニング)|80内藤重人(トレーニング)|98玉木重雄(育成(投手)| 112川中基嗣(育成コーチ兼運営部二軍サブマネジャー)|71藤田浩雅(バッテリー)|115中本茂樹(育成コーチ兼スカウト)|130金鍾勳(打撃) |
投手 |
11久保裕也|13林昌範|15辻内崇伸|17姜建銘|19上原浩治|20豊田清|21高橋尚成|22福田聡志| 26内海哲也|27門倉健|28金刃憲人|29グライシンガー|30西村健太朗|31バーンサイド|33野間口貴彦| 36村田透|37藤田宗一|38上野貴久|39吉武真太郎|41木佐貫洋|42クルーン|46野口茂樹| 47山口鉄也|57古川祐樹|59深沢和帆|60深田拓也|62越智大祐|63会田有志|67加登脇卓真| 68栂野雅史|90深町亮介|92木村正太|93東野峻|95竹嶋祐貴 |
捕手 |
10阿部慎之助|40村田善則|43鶴岡一成|53實松一成|56加藤健|58星孝典|96伊集院峰弘 |
内野手 |
00寺内崇幸|0木村拓也|2小笠原道大|6小坂誠|7二岡智宏|23脇谷亮太|25李承燁| 32円谷英俊|44大道典嘉|45小田嶋正邦|51古城茂幸|52岩舘学|54藤村大介|61坂本勇人 |
外野手 |
5ラミレス|8谷佳知|9清水隆行|12鈴木尚広|24高橋由伸|35亀井義行| 48矢野謙次|50加治前竜一|64松本哲也|65梅田浩|66田中大二郎|94中井大介|99隠善智也 |
育成選手 |
100佐藤弘祐(捕手)|101山本光将(外野手)|102籾山幸徳(内野手)|103西村優希(投手)|104谷内田敦士(捕手)| 105三木均(投手)|106林羿豪(投手)|109鈴木誠(投手)|110大抜亮祐(投手)|111川口容資(投手)|129オビスポ(投手) |
中日ドラゴンズ 1995年ドラフト指名選手 |
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1位:荒木雅博 / 2位:門倉健 / 3位:藤井優志 / 4位:渡辺博幸 / 5位:大塔正明 / 6位:益田大介 / 7位:日笠雅人 |