福王昭仁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
福王 昭仁 読売ジャイアンツ No.79 |
|
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都町田市 |
生年月日 | 1964年1月10日(44歳) |
身長 体重 |
174cm 78kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 1985年 1位 |
初出場 | 1986年 |
最終出場 | 1999年 |
経歴 | |
■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 |
福王 昭仁(ふくおう あきひと 1964年1月10日-)は東京都町田市出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は読売ジャイアンツの1軍内野守備走塁コーチ。
目次 |
[編集] 来歴・人物
高校野球の名門日大三高では「三高野球部史上最高の遊撃手」と言われ2年生からレギュラーの座を勝取る。もの静かで温厚な性格、責任感は人一倍強く3年で主将を任される。
明治大学では1年先輩の広澤克実(現・阪神タイガース打撃コーチ)とクリーンナップを任せられ、4年次には六大学野球で首位打者を獲得するなど活躍した。1985年にドラフト5位で巨人に指名され入団。(同年1位は桑田真澄)
決して目立つ選手ではなかったが2年目の1987年に初めて一軍に昇格。入団当時の監督が王貞治監督であったため“王に福を与える男”として注目され、日本シリーズにも出場した。その当時のスポーツ新聞の見出しで王監督の下で活躍している福王の他、呂明賜、勝呂博憲らの選手を採り上げ「“王”に“福王”、“呂”に“勝呂”」という語呂合わせを載せていた。
翌1988年からは内外野の守備固めや代走として起用され一軍に定着。主に二塁手であったが、岡崎郁や川相昌弘といった内野手陣が不調の時には先発で三塁手や遊撃手として起用されたこともあった。守備には定評があり将来を嘱望されていたが、打撃面でやや伸び悩んだ。
1993年に長嶋茂雄が監督に復帰してからは吉村禎章に次ぐ貴重な左の代打として数多く起用され、勝負強さを発揮した。地道にフォアボールを狙い、出塁するというつなぎの野球に徹した。1999年を最後に現役を引退。
球団職員を経て2001年に2軍内野守備コーチに就任。2002年から2005年は2軍打撃、2006年、2007年は2軍内野守備走塁を担当。2008年からは1軍内野守備走塁コーチを務める。
[編集] 略歴
ちなみに日大三高の同期生で片山右京(元F1ドライバー、現登山家)と立川志らく(落語家)がいる。
- 身長/体重;174cm/78㎏
[編集] タイトル
- 初出場; 1987年4月12日対中日ドラゴンズ 後楽園球場
- 初安打; 1988年6月7日対ヤクルトスワローズ 中本茂樹 郡山球場
- 初本塁打; 1988年9月29日対阪神タイガース マット・キーオ 東京ドーム
[編集] 背番号
[編集] 年度別成績
年度 | チーム | 試合数 | 打数 | 打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
1986年 | 巨 人 | 0 | 0 | .000 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1987年 | 巨 人 | 16 | 12 | .000 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1988年 | 巨 人 | 34 | 52 | .173 | 9 | 1 | 5 | 0 |
1989年 | 巨 人 | 35 | 51 | .196 | 10 | 0 | 4 | 0 |
1990年 | 巨 人 | 32 | 47 | .213 | 10 | 0 | 0 | 0 |
1991年 | 巨 人 | 44 | 48 | .188 | 9 | 0 | 5 | 0 |
1992年 | 巨 人 | 30 | 43 | .186 | 8 | 0 | 1 | 0 |
1993年 | 巨 人 | 50 | 57 | .193 | 11 | 1 | 3 | 0 |
1994年 | 巨 人 | 32 | 33 | .242 | 8 | 1 | 3 | 0 |
1995年 | 巨 人 | 62 | 71 | .183 | 13 | 0 | 5 | 0 |
1996年 | 巨 人 | 56 | 75 | .333 | 25 | 3 | 13 | 0 |
1997年 | 巨 人 | 67 | 68 | .176 | 12 | 3 | 3 | 0 |
1998年 | 巨 人 | 32 | 29 | .172 | 5 | 0 | 2 | 0 |
1999年 | 巨 人 | 10 | 10 | .000 | 0 | 0 | 1 | 0 |
通 算 | 500 | 596 | .201 | 120 | 9 | 45 | 0 |
[編集] エピソード
- 福王の勝負強さを物語るエピソードとして思い出されるのが、1981年、日大三高3年の春の東京大会準決勝日大二高戦。2対4で迎えた9回裏2死満塁で打席には3番キャプテンの福王。彼の放った一打は神宮第2球場の右中間スタンドに弾丸ライナーで突き刺さる逆転サヨナラ満塁ホームラン。あまりに鋭い当たりであったために応援席に詰めかけた三高生たちの多くは打球の行方を眼で追えず、スタンドから跳ね返ってきた打球がグランドを点々とするのを見て「まだランナーが塁上を走っているのに、なぜ二高の選手がうなだれて戻ってくるのか?」と不思議に思ったほどである。今でこそ強力打線が売り物といわれる日大三高だが、当事は「三高野球=送って繋いで取った1点をしぶとく守りきる」であり、それを体現してる選手の代表のような福王が打ったホームランだけに、野球の応援慣れした三高生たちも度肝を抜かれる思いであった。
- 1996年9月14日のヤクルト戦で0対0の同点のまま試合が流れ、9回1アウト満塁の場面で代打として起用され、カウント2-3から四球を選びサヨナラ勝ちとなった。無理をせず四球でも塁に出るというプレースタイルを身上としていた福王らしいエピソードである。
- 現役時代の応援歌は秀逸の部類に入り、岡崎郁、鴻野淳基らの曲と共に人気が高かった。[1]
- 2007年シーズン現在で第2次長嶋監督から第1次原、堀内、第2次原監督時代を通じてコーチとして在籍しているのは、福王だけである。
- 2008年6月15日の楽天戦で、巨人は一、二塁の場面で、二塁走者は盗塁したが、一塁走者は走らなかった。これにより、一塁コーチだった福王は、原辰徳監督から「あれはコーチのボーンヘッドだ」と叱られた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
監督 |
---|
88原辰徳 |
コーチ |
78伊原春樹(ヘッド)|87尾花高夫(投手総合)|72香田勲男(投手)|81篠塚和典(打撃)| 89村田真一(打撃)|79福王昭仁(内野守備走塁)|73緒方耕一(外野守備走塁)| 74西山秀二(バッテリー)|76白坂契(トレーニング) |82木村龍治(トレーニング兼投手) |
二軍監督・コーチ |
77吉村禎章(監督)|75岡崎郁(ヘッド兼内野守備)|70小谷正勝(投手) |85斎藤雅樹(投手)|86岸川勝也(打撃)| 84金杞泰(打撃)(韓)|83西岡良洋(外野守備走塁)|97伊藤博(トレーニング)|80内藤重人(トレーニング)|98玉木重雄(育成(投手)| 112川中基嗣(育成コーチ兼運営部二軍サブマネジャー)|71藤田浩雅(バッテリー)|115中本茂樹(育成コーチ兼スカウト)|130金鍾勳(打撃) |
投手 |
11久保裕也|13林昌範|15辻内崇伸|17姜建銘|19上原浩治|20豊田清|21高橋尚成|22福田聡志| 26内海哲也|27門倉健|28金刃憲人|29グライシンガー|30西村健太朗|31バーンサイド|33野間口貴彦| 36村田透|37藤田宗一|38上野貴久|39吉武真太郎|41木佐貫洋|42クルーン|46野口茂樹| 47山口鉄也|57古川祐樹|59深沢和帆|60深田拓也|62越智大祐|63会田有志|67加登脇卓真| 68栂野雅史|90深町亮介|92木村正太|93東野峻|95竹嶋祐貴 |
捕手 |
10阿部慎之助|40村田善則|43鶴岡一成|53實松一成|56加藤健|58星孝典|96伊集院峰弘 |
内野手 |
00寺内崇幸|0木村拓也|2小笠原道大|6小坂誠|7二岡智宏|23脇谷亮太|25李承燁| 32円谷英俊|44大道典嘉|45小田嶋正邦|51古城茂幸|52岩舘学|54藤村大介|61坂本勇人 |
外野手 |
5ラミレス|8谷佳知|9清水隆行|12鈴木尚広|24高橋由伸|35亀井義行| 48矢野謙次|50加治前竜一|64松本哲也|65梅田浩|66田中大二郎|94中井大介|99隠善智也 |
育成選手 |
100佐藤弘祐(捕手)|101山本光将(外野手)|102籾山幸徳(内野手)|103西村優希(投手)|104谷内田敦士(捕手)| 105三木均(投手)|106林羿豪(投手)|109鈴木誠(投手)|110大抜亮祐(投手)|111川口容資(投手)|129オビスポ(投手) |
読売ジャイアンツ 1985年ドラフト指名選手 |
---|
1位:桑田真澄 / 2位:広田浩章 / 3位:渡辺政仁 / 4位:本原正治 / 5位:福王昭仁 / 6位:杉浦守 |