セス・グライシンガー
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セス・グライシンガー Seth Greisinger 読売ジャイアンツ No.29 |
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基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | カンザス州カンザスシティ |
生年月日 | 1975年7月29日(32歳) |
身長 体重 |
190cm 90kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1996年 1巡目(全体6番目)でタイガースから指名 |
初出場 | MLB / 1998年 KBO / 2006年 NPB / 2007年 |
経歴 | |
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■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 |
オリンピック | ||
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男子 野球 | ||
銅 | 1996 | 野球 |
セス・グライシンガー(Seth Adam Greisinger 、 1975年7月29日 - )はアメリカ合衆国カンザス州カンザスシティ出身のプロ野球選手。読売ジャイアンツ所属の投手。
目次 |
[編集] プロフィール
- 身長・体重:190cm・90kg
- 投打:右投右打
- 出身地:アメリカ合衆国カンザス州カンザスシティ
- 球歴:マクリーン高校(バージニア州) - バージニア大学 - タイガース(1998年 - 2003年)- ツインズ(2004年)- ナショナルズ(2004年12月-2005年3月)- ブレーブス(2005年)- 韓国・起亜(2005年途中 - 2006年)- 東京ヤクルトスワローズ(2007年)- 読売ジャイアンツ(2008年)
[編集] 経歴
[編集] アマチュア時代
マクリーン高校時代は投手兼遊撃手として活躍。1992-1993年シーズンにはバージニア州のゲータレードプレイヤーオブジイヤーに選ばれ、1993年のドラフトでは7巡目でクリーブランド・インディアンスから指名を受ける。グライシンガーはインディアンスとは契約せず、バージニア大学へ進学。
大学進学後は、最初の2年間で9勝12敗、防御率4.75という成績を残す。大学3年時には123イニングを投げ12勝2敗、防御率1.76、奪三振141という成績を残し、チームの主力として活躍するだけでなく、アトランタオリンピックの代表メンバーにも選ばれ、大会では3勝を挙げアメリカ代表の銅メダルに貢献している。グライシンガーは同1996年のドラフトにおいて、デトロイト・タイガースから1巡目(全体6位)で指名を受けプロ入りする。
[編集] プロ入り後
- 1997年にデトロイト入りしたグライシンガーは、2年目の1998年6月3日にMLBデビューを果たす。この年は21試合に先発し6勝を挙げるものの、このシーズンがMLBに最も長くいたシーズンとなり、以後はMLBとマイナーリーグとを行き来する生活を送ることになる。
- 2000年、2001年には怪我を負い、2年連続で公式戦登板は無し。
- 2004年にはミネソタ・ツインズに移籍。1年間でチームから放出されると、同年12月にワシントン・ナショナルズと契約。
- 2005年3月には、アトランタ・ブレーブスへと移籍する。AAAのリッチモンド・ブレーブスでプレーを続けたグライシンガーはAAAのオールスター選手に選ばれるものの、結局オールスターゲームを前にした6月7日にチームから放出され、シーズン半ばに韓国へ渡ることになる。
- 2005年途中から、韓国の起亜タイガースでプレー。登録名は「クレイシンオ」だった。途中入団ながら6勝をマークする。
- 2006年には先発ローテーションの一角として29試合に登板し、14勝12敗、防御率3.02、164奪三振を挙げる活躍を見せる。同年12月に東京ヤクルトスワローズと契約し、日本へ渡る。
[編集] ヤクルト時代
2007年、東京ヤクルトでは当初、外国人枠の関係上、ディッキー・ゴンザレス投手との併用が予定されていたが、ゴンザレス投手が開幕直前で手術のため突然帰国し、シーズン絶望となったために、先発ローテに組み込まれることとなった。
開幕からの活躍が認められ、オールスターゲームに、来日1年目ながら監督推薦で出場メンバーに選ばれ、7月21日の第2戦目に登板。5回裏から登板し、無失点に抑えた。
抜群の制球力を武器に、リーグ随一の安定感で開幕から着実に勝利数を重ね、16勝でセリーグ最多勝のタイトルを獲得した。
他にも、先発登板数、無四球試合数、投球回数、被安打率、与四死球率、被出塁率、被長打率、など、様々な部門でリーグ1位を記録した。また、リーグ特別表彰としてスピードアップ賞も受賞している。
[編集] 移籍の経緯
2007年の秋ごろから在阪スポーツ紙などを中心に「阪神がグライシンガー獲得を検討」という記事が踊るようになり、事実、2007年11月29日に、ヤクルト側との条件面の折り合いがつかなかったため、自由契約選手として公示されると、阪神が積極的な獲得意思を見せ総額2年6億円を提示。巨人、ソフトバンクも獲得の意思を見せる。全球団との交渉が可能となってからも引き続きヤクルトも交渉を続け、7年間在籍し複数年契約を要望していたラミレスをあきらめ、その年の外国人残留交渉をグライシンガー1本に絞る。2008年の契約として、前年リグス・ゴンザレスと結び失敗している2年契約を提示、阪神を越える2年総額7億円まで提示額を上げ、粘り強く交渉。その後ソフトバンクはマネーゲームを恐れ撤退し、ヤクルトとの交渉も決裂。12月11日、状況を静観していたかに見えた巨人が2年総額5億円での契約締結を発表した。スポーツ報知2007年12月10日の記事では、グライシンガー側が「在京で、優勝争いのできる球団」を強く希望していたと説明され、前年の年俸4000万円からすれば6倍以上の額を勝ち取った(金額はいずれも推定)。背番号はひきつづき29。
[編集] プレースタイル
- 140km/h台後半の直球(ツーシーム)と、チェンジアップのコンビネーションで打者を翻弄する投球が持ち味である。特に決め球としてバルカンチェンジを多用している。他に見せ球としてカーブ、スライダーも投じる。
- 内外角、高低共に投げ分ける抜群の制球力を誇る。調子の良い時はカウント0-3からでもコーナーを突いて三振を取る場面も見受けられる。2007年シーズンは開幕から29イニング連続無四死球と、その制球力の高さを見せ付けた(途切れた試合もその一つしか四球を与えていない)。制球が定まるかどうかをかなり気にしており、調子の悪い日はストライクの取れる球種を投げたがる事もある。
- 遊撃手をやっていた事からもうかがえるように、野手としてのセンスも良く、長身ながらフィールディングも悪くない。積極的に打っていく場面も見られ、2007年5月31日には自ら勝ち越し打となるタイムリーを放った。ただしバントは余り上手ではなく、3打席連続で失敗した事もある。
- ボークぎりぎりの牽制球は絶妙で、何度かランナーを刺す場面もある。
[編集] エピソード
- 大学時代、ブライアン・ブキャナンとチームメイトだった。
- プロ入り後度重なる怪我に苦しみながら、ステップアップしてきた投手。大学では金融学を専攻していた。引退後は実業家を志している。
- 日本食をかなり気に入っており、韓国ではキムチが苦手だったが日本にはそういうものがないと語っている。
- 研究熱心で試合中にも相手チームの投手、野球を研究したり、相手に打たれた球やどこをつけば空振りを取れるかなどの配球の勉強をしている。ベンチに戻ると休まないで直にノートにメモを取っている他、捕手に注文を付けている事もある。また捕手のリードに首を振る場面もしばしば見られる。
- 2007年の沢村賞候補に、セ・リーグから唯一選ばれたが、受賞は逃した。
[編集] 年度別投手成績
年度 | チーム | 背 番 号 |
登 板 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セーブ | 勝 率 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボーク | 失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
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2007年 | 東京ヤクルト | 29 | 30 | 3 | 2 | 2 | 16 | 8 | 0 | .667 | 209.0 | 185 | 14 | 31 | 4 | 159 | 7 | 1 | 70 | 66 | 2.84 |
- 2007年シーズンまで
- 表中の太字はリーグ最高
[編集] 通算投手成績
- MLB通算:42試合 223.2回 10勝16敗 118奪三振 防御率5.51
- KBO通算:43試合 263.2回 20勝18敗 222奪三振 防御率3.28
- NPB通算:30試合 209.0回 16勝8敗 159奪三振 防御率2.84
[編集] タイトル・表彰・記録
- 最多勝利:1回(2007年)
- スピードアップ賞:1回(2007年)
[編集] 個人記録
[編集] 背番号
- 50 タイガース(1998年 - 2002年)
- 58 ツインズ(2004年)
- 48 ブレーブス(2005年)
- 59 起亜(2005年途中 - 2006年)
- 29 東京ヤクルト(2007年)、巨人(2008年 -)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
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監督 |
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88原辰徳 |
コーチ |
78伊原春樹(ヘッド)|87尾花高夫(投手総合)|72香田勲男(投手)|81篠塚和典(打撃)| 89村田真一(打撃)|79福王昭仁(内野守備走塁)|73緒方耕一(外野守備走塁)| 74西山秀二(バッテリー)|76白坂契(トレーニング) |82木村龍治(トレーニング兼投手) |
二軍監督・コーチ |
77吉村禎章(監督)|75岡崎郁(ヘッド兼内野守備)|70小谷正勝(投手) |85斎藤雅樹(投手)|86岸川勝也(打撃)| 84金杞泰(打撃)(韓)|83西岡良洋(外野守備走塁)|97伊藤博(トレーニング)|80内藤重人(トレーニング)|98玉木重雄(育成(投手)| 112川中基嗣(育成コーチ兼運営部二軍サブマネジャー)|71藤田浩雅(バッテリー)|115中本茂樹(育成コーチ兼スカウト)|130金鍾勳(打撃) |
投手 |
11久保裕也|13林昌範|15辻内崇伸|17姜建銘|19上原浩治|20豊田清|21高橋尚成|22福田聡志| 26内海哲也|27門倉健|28金刃憲人|29グライシンガー|30西村健太朗|31バーンサイド|33野間口貴彦| 36村田透|37藤田宗一|38上野貴久|39吉武真太郎|41木佐貫洋|42クルーン|46野口茂樹| 47山口鉄也|57古川祐樹|59深沢和帆|60深田拓也|62越智大祐|63会田有志|67加登脇卓真| 68栂野雅史|90深町亮介|92木村正太|93東野峻|95竹嶋祐貴 |
捕手 |
10阿部慎之助|40村田善則|43鶴岡一成|53實松一成|56加藤健|58星孝典|96伊集院峰弘 |
内野手 |
00寺内崇幸|0木村拓也|2小笠原道大|6小坂誠|7二岡智宏|23脇谷亮太|25李承燁| 32円谷英俊|44大道典嘉|45小田嶋正邦|51古城茂幸|52岩舘学|54藤村大介|61坂本勇人 |
外野手 |
5ラミレス|8谷佳知|9清水隆行|12鈴木尚広|24高橋由伸|35亀井義行| 48矢野謙次|50加治前竜一|64松本哲也|65梅田浩|66田中大二郎|94中井大介|99隠善智也 |
育成選手 |
100佐藤弘祐(捕手)|101山本光将(外野手)|102籾山幸徳(内野手)|103西村優希(投手)|104谷内田敦士(捕手)| 105三木均(投手)|106林羿豪(投手)|109鈴木誠(投手)|110大抜亮祐(投手)|111川口容資(投手)|129オビスポ(投手) |