清水隆行
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清水 隆行 読売ジャイアンツ No.9 |
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基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都足立区 |
生年月日 | 1973年10月23日(34歳) |
身長 体重 |
183cm 83kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
守備位置 | 左翼手、中堅手 |
プロ入り | 1995年 3位 |
初出場 | 1996年4月6日 |
年俸 | 1億3000万円(2007年) |
経歴 | |
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清水 隆行(しみず たかゆき, 1973年10月23日 - )は、読売ジャイアンツに所属する日本のプロ野球選手。右投げ左打ち、ポジションは外野手(左翼手や中堅手を主に務める)。背番号は9。
目次 |
[編集] 来歴・人物
1995年のドラフト3位で東洋大学から読売ジャイアンツ入団。ルーキーイヤーから安定した打率をたたき出し、外野手のレギュラーに定着。当初のポジションは左翼、中堅を兼任。松井秀喜のコンバートに従い左翼に定着。不動の2番だった川相昌弘の出場機会の減少に準じ長嶋茂雄監督に「バントと併殺が少ない2番打者」として起用されることになる。同期入団の仁志敏久と不動の1番・2番コンビ、中堅の松井、右翼高橋由伸と不動の外野陣を形成することになる。「左打ちということで左投手が苦手」(左右病)とされ、左投手が先発する日やワンポイント投手に交替すると「2番・左翼」は右打者が出場していたが、実際は通算で.270以上打っている。そのため2001年まで高打率を残し1年間1軍ベンチにレギュラーとして留まりながら既定打席に到達しない年を複数回経験している。
2002年、背番号を9に変更。就任した原辰徳新監督の構想で1番打者に抜擢され、最多安打のタイトルを獲得する。2003年はメジャーリーグ移籍した松井の穴を埋める中堅手の守備練習や故障などが重なり.240、14本塁打の成績に終わった。2004年に就任した堀内恒夫監督は中堅手に当時成長著しかった斉藤宜之の起用を明言、元々外野手としての守備力に難があった清水に一塁手の練習を提案する(事実上の控えの外野手兼一塁手への格下げ)。斉藤の故障などもありスタメン復帰したものの、2005年にはセンターラインの強化にゲーブ・キャプラー外野手を獲得、清水は一塁手の練習に本格的に取り組むことになるが、選手層の厚さから代打に回される。キャプラーは打撃はもとより守備にも精彩を欠き、4月後半にはキャプラーと左翼を併用され5月には定位置に復帰している。
2006年、原辰徳が監督に復帰。前年のシーズン途中より台頭した矢野謙次・鈴木尚広、シーズン途中に移籍してきた木村拓也・小関竜也などとの外野のポジション争いが熾烈を極めていたが、監督は「清水・由伸(高橋由伸)は格が違う」と発言、左翼のスタメンを確約される。秋季キャンプで広岡達朗の指導で課題のスローイングの修正に取り組み、万全の体制でシーズンを開幕したかに思われたが、持ち味である打撃が低迷し続け、打率2割近辺を上下するほどの打撃不振から抜け出せなくなってしまう。7月26日にはプロ入り11年目にして初めての2軍での調整試合を経験、再昇格後はセンターやライトでの出場も多くなる。高橋由伸に続く出場試合を確保していたものの、矢野や鈴木の台頭、.216、6本塁打という過去最低の打撃成績と、不動のレギュラーとは言い難い年となり、大幅減俸を受け入れる。生え抜き野手最年長であった仁志の移籍により、現在の生え抜き野手最年長となった。
2007年は豊田清と一足早く自主トレに入り、鈴木や移籍した谷佳知とともに「1番候補の一人」として春季キャンプを迎えた。だが怪我により開幕1軍からは外れ、前半戦はほとんど出場がなかった。後半戦に入り徐々に調子を上げていき、スタメンでの出場機会も増えていった。特に9月以降は目覚しい活躍をみせ、少ない打数ながら打率.339を挙げた。また、清水は毎年四球が少なかったがこの年は四球も多く、出塁率は4割を超えた。10月2日のヤクルト戦ではチームを5年ぶりのリーグ優勝を導く内野安打を放ち、中日とのクライマックスシリーズでも7番センターでスタメン出場、左腕小笠原孝からヒットを放ちチャンスメイク。第2戦・第3戦は高橋由伸の腰痛による離脱で1番に入り、全3戦にスタメン出場した。
2008年は、坂本勇人、隠善智也の台頭で、開幕2軍スタートとなったが、ファームで結果を出し5月1日に1軍登録され、その日のカープ戦(東京)の6回裏に代打で登場。08年シーズン初打席でレフト前ヒットを放った。同日日本テレビの野球中継で解説を勤めた山本浩二は、「(左の代打の層の薄さを考えれば)出るのが遅すぎる。」とコメントした。
- 子供の頃から「エースで4番」で、中学時代にはリトルリーグ選抜チームでハワイに遠征したような野球エリートだった(そのとき清水が3番、石井一久(西武)が4番を打っていたという)。浦和学院高時代は「不文律」で3年まで代打だった。
- 高い打撃センスから、入団1年目から多くのOBから「いずれ首位打者をとる」と言われ続けていた。通算打率が3割に近く、首位打者を獲ったことは無いが、代わりに最多安打のタイトルを獲得している。
- 知名度と起用法ゆえか毎年のように「清水トレード説」が新聞を賑わせている。
- 打席に入るときのBGMはペット・ショップ・ボーイズの『Go West』。曲に合わせてファンが合唱する。
- 低迷する選手が使われ続ける事に対し、出場機会を失ったかつてのレギュラー江藤智、清原和博、元木大介、後藤孝志らと共に「いつか自分が必要な時がくるので、それまでは我慢です」と表情を動かさずコメントしていた。
- 2005年ロッテ戦でホームランを打ち、雄たけびを上げ、ガッツポーズをすることがあったが、これが投手を侮辱していると誤解され、マット・フランコ選手から突き飛ばされることがあった。清水はその時なぜフランコが怒っているのかわからず、呆然としていた。
- 安打一本につき、1万円を盲導犬育成のために募金している。
- 2006年は「キリが良いから」と、100万円寄付した。
[編集] プレースタイル
レギュラーで起用されていた時期は、日本球界トップレベルのスイングスピードと独特の足を高く上げた構えからのダウンスイングでプロ入り11年で2割9分以上を8回記録しているアベレージヒッターだった。ときに外野席の観客が逃げてしまうほどの「スタンドに突き刺さる」かの様なライナー性のホームランを放った。早打ちのため四球は少なく出塁率は平凡だったが、俊足で併殺打が少ないため打順は1番2番を打つ場合が多かった。近年はバッティングスタイル・起用法の変化に伴いボールを長く見極めていることが多い。
一方、打撃とは対照的に守備力の評価は低く、弱肩を拡大解釈され守備力を酷評されることが多かった。ポジショニングやクッションボールの処理なども良いほうではないが、脚力が高いため単純な守備範囲は広く、刺殺数も意外に多い。左翼手・中堅手としては無難なレベルといえる。大学時代は右翼手で、何度か一塁も守っており、プロ入り直後や2005年など何度か一塁手の守備も本格的に練習しているが、鈴木尚典などと同様スローイングに根幹の問題があり、チームにもスラッガーが多いためスタメン起用は実現していない。
2006年に極度の打撃不振を経験、2007年も故障や不振などによるファームでの再調整が長く続いたが、後半戦には中堅手として復活、野手と野手の隙間に小フライを落とすような巧打も見せた。打撃の幅を増やし打率.339を記録したものの、2008年も不調が続き開幕2軍、その後故障者続出による緊急昇格。現在も不振が続いており、持ち味だった鋭いダウンスイングは見られず、試行錯誤が続いている。
2006年、スローイングの矯正に取り組んで以降守備が良化、チーム事情もあり中堅手や右翼手も守っている。しかし、このことが前年まで打撃に特化していた身体の微妙なバランス感覚を変えてしまい、2006年以降の極度の打撃不振に陥った遠因となっている(中堅手(2003年)、右翼手(2006年)とコンバートに本格的に取り組んだ年に極端な打撃不振に陥る傾向がある)。
[編集] 年度別成績
[編集] 年度別打撃成績
年度 | チーム | 背 番 号 |
試 合 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
失 策 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1996年 | 巨人 | 35 | 107 | 287 | 37 | 84 | 14 | 4 | 11 | 139 | 38 | 9 | 5 | 1 | 0 | 13 | 6 | 41 | 2 | 3 | .293 | .337 | .484 |
1997年 | 118 | 381 | 50 | 116 | 12 | 3 | 12 | 170 | 36 | 7 | 5 | 2 | 4 | 28 | 7 | 48 | 2 | 2 | .304 | .360 | .446 | ||
1998年 | 129 | 492 | 79 | 148 | 17 | 2 | 13 | 208 | 52 | 16 | 6 | 9 | 4 | 22 | 8 | 64 | 9 | 2 | .301 | .338 | .423 | ||
1999年 | 116 | 424 | 71 | 125 | 23 | 1 | 8 | 174 | 32 | 15 | 5 | 11 | 2 | 24 | 4 | 49 | 7 | 1 | .295 | .337 | .410 | ||
2000年 | 115 | 388 | 65 | 105 | 25 | 1 | 11 | 165 | 46 | 11 | 10 | 18 | 2 | 21 | 2 | 52 | 0 | 2 | .271 | .310 | .425 | ||
2001年 | 126 | 333 | 49 | 108 | 10 | 1 | 7 | 141 | 29 | 8 | 7 | 13 | 2 | 33 | 3 | 39 | 4 | 1 | .324 | .388 | .423 | ||
2002年 | 9 | 139 | 609 | 92 | 191 | 26 | 5 | 14 | 269 | 58 | 12 | 6 | 2 | 3 | 31 | 1 | 69 | 3 | 1 | .314 | .346 | .442 | |
2003年 | 101 | 366 | 48 | 88 | 17 | 0 | 14 | 147 | 44 | 1 | 2 | 1 | 1 | 9 | 2 | 34 | 2 | 2 | .240 | .262 | .402 | ||
2004年 | 135 | 578 | 86 | 178 | 39 | 0 | 16 | 265 | 60 | 4 | 2 | 1 | 1 | 22 | 5 | 65 | 9 | 2 | .308 | .338 | .458 | ||
2005年 | 127 | 490 | 76 | 147 | 24 | 3 | 15 | 222 | 50 | 4 | 3 | 5 | 3 | 32 | 1 | 44 | 5 | 1 | .300 | .342 | .453 | ||
2006年 | 121 | 315 | 36 | 68 | 9 | 0 | 6 | 95 | 20 | 3 | 3 | 1 | 1 | 25 | 1 | 34 | 5 | 1 | .216 | .275 | .302 | ||
2007年 | 66 | 112 | 17 | 38 | 3 | 0 | 3 | 50 | 14 | 0 | 0 | 2 | 0 | 14 | 1 | 13 | 3 | 0 | .339 | .417 | .446 | ||
通算成績 | 1400 | 4775 | 706 | 1396 | 219 | 20 | 130 | 2045 | 479 | 90 | 54 | 66 | 23 | 274 | 41 | 552 | 51 | 18 | .292 | .335 | .428 |
- 太字はリーグ最多
[編集] 年度別守備成績
年度 | 位置 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1996 | 外野手 | 94 | 147 | 4 | 3 | 1 | .981 |
1997 | 外野手 | 109 | 166 | 6 | 2 | 1 | .989 |
1998 | 外野手 | 126 | 192 | 3 | 2 | 0 | .990 |
1999 | 外野手 | 111 | 199 | 3 | 1 | 1 | .995 |
2000 | 外野手 | 108 | 170 | 4 | 2 | 0 | .989 |
2001 | 外野手 | 116 | 159 | 5 | 1 | 1 | .994 |
2002 | 外野手 | 138 | 230 | 6 | 1 | 1 | .996 |
2003 | 外野手 | 88 | 129 | 4 | 2 | 1 | .985 |
2004 | 外野手 | 135 | 218 | 2 | 2 | 0 | .991 |
2005 | 外野手 | 110 | 170 | 4 | 1 | 0 | .994 |
2006 | 外野手 | 87 | 113 | 4 | 1 | 0 | .992 |
2007 | 外野手 | 43 | 35 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
※太字は左翼手刺殺数最多 ※2002年は中堅手松井秀喜、右翼手福留孝介に次ぐ3位
[編集] タイトル・表彰・記録
- セ・リーグ通算40,000号本塁打
- 2005年6月2日札幌ドームでの対北海道日本ハムファイターズ戦で、6回表に金村曉から
[編集] 個人記録
- 初出場:1996年4月6日、東京ドーム、対阪神2回戦、代打で途中出場し、その後レフトの守備につく。
- 初打席:同上
- 初安打:1996年4月14日、横浜スタジアム、対横浜3回戦、島田直也から中前安打
- 初本塁打:1996年4月23日、広島市民球場、対広島1回戦、加藤伸一から
- 初打点:同上
- 初盗塁:1996年5月16日、横浜スタジアム、対横浜8回戦
- 1000試合出場:2004年6月5日、神宮球場、対ヤクルト10回戦(394人目)
- 1000本安打:2004年5月5日、横浜スタジアム、対横浜6回戦、三浦大輔から(218人目)
- 100本塁打:2004年5月29日、東京ドーム、対横浜9回戦、門倉健から(232人目)
[編集] 背番号
- 35(1996年 - 2001年)
- 9(2002年 - )
[編集] 関連項目
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監督 |
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88原辰徳 |
コーチ |
78伊原春樹(ヘッド)|87尾花高夫(投手総合)|72香田勲男(投手)|81篠塚和典(打撃)| 89村田真一(打撃)|79福王昭仁(内野守備走塁)|73緒方耕一(外野守備走塁)| 74西山秀二(バッテリー)|76白坂契(トレーニング) |82木村龍治(トレーニング兼投手) |
二軍監督・コーチ |
77吉村禎章(監督)|75岡崎郁(ヘッド兼内野守備)|70小谷正勝(投手) |85斎藤雅樹(投手)|86岸川勝也(打撃)| 84金杞泰(打撃)(韓)|83西岡良洋(外野守備走塁)|97伊藤博(トレーニング)|80内藤重人(トレーニング)|98玉木重雄(育成(投手)| 112川中基嗣(育成コーチ兼運営部二軍サブマネジャー)|71藤田浩雅(バッテリー)|115中本茂樹(育成コーチ兼スカウト)|130金鍾勳(打撃) |
投手 |
11久保裕也|13林昌範|15辻内崇伸|17姜建銘|19上原浩治|20豊田清|21高橋尚成|22福田聡志| 26内海哲也|27門倉健|28金刃憲人|29グライシンガー|30西村健太朗|31バーンサイド|33野間口貴彦| 36村田透|37藤田宗一|38上野貴久|39吉武真太郎|41木佐貫洋|42クルーン|46野口茂樹| 47山口鉄也|57古川祐樹|59深沢和帆|60深田拓也|62越智大祐|63会田有志|67加登脇卓真| 68栂野雅史|90深町亮介|92木村正太|93東野峻|95竹嶋祐貴 |
捕手 |
10阿部慎之助|40村田善則|43鶴岡一成|53實松一成|56加藤健|58星孝典|96伊集院峰弘 |
内野手 |
00寺内崇幸|0木村拓也|2小笠原道大|6小坂誠|7二岡智宏|23脇谷亮太|25李承燁| 32円谷英俊|44大道典嘉|45小田嶋正邦|51古城茂幸|52岩舘学|54藤村大介|61坂本勇人 |
外野手 |
5ラミレス|8谷佳知|9清水隆行|12鈴木尚広|24高橋由伸|35亀井義行| 48矢野謙次|50加治前竜一|64松本哲也|65梅田浩|66田中大二郎|94中井大介|99隠善智也 |
育成選手 |
100佐藤弘祐(捕手)|101山本光将(外野手)|102籾山幸徳(内野手)|103西村優希(投手)|104谷内田敦士(捕手)| 105三木均(投手)|106林羿豪(投手)|109鈴木誠(投手)|110大抜亮祐(投手)|111川口容資(投手)|129オビスポ(投手) |
読売ジャイアンツ 1995年ドラフト指名選手 |
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1位:原俊介 / 2位:仁志敏久 / 3位:清水隆行 / 4位:大場豊千 / 5位:大野倫 / 6位:小林聡 |