高橋由伸
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高橋 由伸 読売ジャイアンツ No.24 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県千葉市中央区 |
生年月日 | 1975年4月3日(33歳) |
身長 体重 |
180cm 87kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
守備位置 | 右翼手 |
プロ入り | 1997年 1位(逆指名) |
初出場 | 1998年4月3日 |
年俸 | 4億円+出来高 (2008年から4年契約中) |
経歴 | |
■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 |
オリンピック | ||
---|---|---|
男子 野球 | ||
銅 | 2004 | 野球 |
高橋 由伸(たかはし よしのぶ、1975年4月3日 - )は、千葉県千葉市中央区出身のプロ野球選手で、読売ジャイアンツに所属。右投左打で、ポジションは外野手(主に右翼手)。背番号は24。愛称はウルフ。高橋尚成がいるため、スコアボードには高橋由と表示される。
労働組合「日本プロ野球選手会」副会長の1人(2005年12月1日 - )である。
目次 |
[編集] 来歴・人物
[編集] アマチュア時代
桐蔭学園高等学校では1年生時から3番・ライトのレギュラーの座を掴む。このころから強肩・好守に加えて勝負強さの片鱗を見せていた。夏の甲子園で3回戦に進出。1992年も夏の甲子園に出場。1回戦敗退。1回戦で沖縄尚学とあたり本塁でのクロスプレーで腰を強打したとも言われている。この時マウンドに立ちサヨナラ負けしている。チームメイトには、高木大成(2学年上)や副島孔太(1学年上)がいた。キャプテンを務めた3年時には1番打者を務めるも甲子園には出られなかった。高校通算30本塁打。
慶應義塾大学に進学後には、野球部で1年時からレギュラー。1996年春リーグ戦では打率5割1分2厘を記録して三冠王を獲得、1997年には主将に就き、春季リーグではチームを9シーズンぶりのリーグ優勝に導く貢献、そして秋季リーグでは田淵幸一の持つ東京六大学リーグ本塁打記録を更新して歴代1位となる通算23本塁打をマーク。六大学の同世代には川上憲伸、安藤優也等がいる。同年秋のドラフトで読売ジャイアンツを逆指名して入団する。
[編集] プロ選手時代
- 1998年、プロ1年目の開幕を7番ライトで迎え、後半戦は5番バッターに定着。右足を高く上げる独特の一本足打法から、打率.300、19本塁打、75打点の好成績を挙げ、新人王候補にも名を連ねたが、中日・川上憲伸が受賞。新人としては異例のセ・リーグ特別表彰を受賞。
- 1999年、バリー・ボンズをヒントに重心移動に取り組み、長打力もアップ。5月5日にはプロ2年目で巨人軍第66代の4番打者に指名される。9月14日の中日戦(ナゴヤドーム)での守備の際、外野フェンスに激突。鎖骨骨折の重傷を負い以後のシーズンを離脱。それでも打撃タイトル3部門で好成績を残し、1億円プレイヤーに。
- 2000年、前半戦はプロ入り後初めてのスランプを経験するが、後半戦には復調。3番高橋・4番松井・5番清原の強力クリーンアップの一員としてリーグ優勝・日本一に貢献。
- 2001年、江藤智とともに3番打者・6番打者を任され、2年連続で全試合出場。8月1日(対中日戦)にはライバル・川上憲伸からプロ入り通算100号本塁打を放つ。
- 2002年、3番打者としてリーグ優勝・日本一に貢献。またシーズンオフ、選手会長就任。
- 2003年、初の開幕戦4番を務める。故障による離脱などもあったが、シーズン中盤には好調をキープし続け、11打数連続安打・14打席連続出塁というプロ野球タイ記録を樹立。自己最高打率.323を記録。
- 2004年、開幕からシーズン中盤まで4番打者を務め、5年ぶりに30本塁打を記録。しかし後半戦で肘の遊離軟骨状態が悪化。シーズンオフに右肘の手術を受ける。
- 2005年、シーズン中盤に右足首を痛め、昨年同様後半戦を離脱。プロ入り以来はじめて規定打席を割る。また、シーズンオフに小野寺麻衣と結婚(2006年1月)。
- 2006年、シーズン序盤にセンターの守備でダイビングキャッチの際、左脇腹を痛め約1ヶ月の離脱。復帰して半月ほどたった5月27日のロッテ戦で再びダイビングキャッチを試みて左肩を負傷。後半戦は左翼でプレー。前年に続き規定打席を割り、打率.260、15本塁打という自己最低の成績に終わった。
- 2007年、開幕戦から1番・右翼で起用される。1年を通じて大きなケガや長期離脱もなく、3年ぶりに規定打席及び3割をクリア。また、自己最多となる35本塁打を放つと共に、得点圏打率が12球団トップの.409を記録するなど、1番打者としてチーム5年ぶりの優勝に大きく貢献。8年ぶりにベストナインに選ばれる。
[編集] プレースタイル
右足を高く上げる一本足打法が特徴で、しなやかで無駄のない打撃フォームと言われている。初球打ちが多いのも特徴で、プロ1年目から左投手を苦にすることが比較的少ない。手塚一志の提唱するシンクロ打法が巧みで、前足を上げ、投手と重心を同期させる独特のモーションは手塚をしてタイミング合わせの達人と言わしめる。
投手の奥行きの揺さぶりに対しても強く、反対方向に強い打球を放つ事もある、広角打法である。アテネオリンピックでは外角の速球を逆らうことなく、レフトスタンドへ本塁打を記録している(打たれた投手は王建民)。右足首の故障をするまでは2005年の本塁打の7割以上を逆方向へ放っていた。
プロ入り通算10年間で打率3割以上を7度、本塁打30本以上を3度記録しているものの、打撃タイトル獲得経験は無い。
また、入団から各シーズン終了時における生涯通算打率が1度も打率3割を下回ったことがない(2007年シーズン終了時)。これは、他の現役選手ではラロッカ(オリックス)とリック(楽天)のみであり、現役日本人選手としては唯一である。投高打低の現在では、入団1年目の新人選手が3割を打つことは極まれである(高橋由伸と、1998年に新人王争いを共に演じた坪井智哉以降、現れていない)。
遠投120メートルの強肩を生かした外野守備力は高く、プロ入り1年目から6年連続でゴールデングラブ賞を受賞。捕球動作から送球にいたるまでのスピードの早さは日本でも有数で、制球力も抜群である。ただし、全力プレーを心がけ高い守備能力の為に無理をしすぎることが、日本の球場特有の堅いフェンスや摩擦抵抗の大きい人工芝などと重なり、激突やダイビングキャッチが原因で負傷、離脱することが多くなっている。特に球場自体が狭い広島市民球場での故障が多い。入団時は、50m走が5秒9の俊足、好守備、好打者のいわゆる5ツールプレイヤーであった。しかし、近年は怪我などにより足の故障が多いため、昔ほどの脚力が影を潜めてしまった。それでも俊足と呼ばれるべき選手であり、また走塁技術を身につけているのでさほど影響は感じられない。
[編集] 使用用具
- グラブは入団当時からミズノ製を使用している。茶色の本体に白色のイニシャル「Y」をあしらったウエブが特徴的。(キャンプなどは久保田スラッガー製を使用していた時期があった。)
- バットは高校時代からSSK製を使用している。カラーリングは施されていない。
- スパイクは入団当時から2000年ごろまではナイキ製、2001年から2005年ごろまではフィラ製、2006年から現在に至るまでアシックス製の物を使用している。
- 手袋は入団当時からミズノ製を使用。白色に黒色のラインが入っている。
- 肘当て、すね当てを打席時に着用している。白色の本体に「y」の文字を銀色で入れている。
[編集] タイトル・表彰・記録
- ベストナイン:2回(1999年、2007年)
- ゴールデングラブ賞:7回(1998年 - 2003年、2007年)
- 月間MVP:5回(1999年4月、2000年8月、2001年8月、2003年6月、2007年6月)
- オールスター出場:8回(1998年 - 2004年、2007年)
- オールスターMVP:1回(2003年第1戦)
- 850試合目で通算1000本安打達成(歴代8位)
[編集] 日本記録
- 入団から6年連続ゴールデングラブ賞受賞(1998年 - 2003年)
- 11打数連続安打(2003年6月7日 - 6月11日 3四球挟む) ※タイ記録。
- 14打席連続出塁(2003年6月7日 - 6月11日) ※タイ記録。
- シーズン初回先頭打者本塁打9本(2007年)
[編集] 年度別成績
[編集] 年度別打撃成績
年度 | チーム | 背 番 号 |
試 合 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
年 俸 (万円) |
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1998 | 巨人 | 24 | 126 | 466 | 65 | 140 | 32 | 1 | 19 | 231 | 75 | 3 | 2 | 1 | 5 | 36 | 7 | 85 | 5 | .300 | .356 | .496 | .852 | 1300 |
1999 | 118 | 454 | 71 | 143 | 18 | 2 | 34 | 267 | 98 | 3 | 3 | 2 | 2 | 39 | 8 | 96 | 3 | .315 | .378 | .588 | .966 | 4200 | ||
2000 | 135 | 519 | 89 | 150 | 29 | 1 | 27 | 262 | 74 | 5 | 3 | 3 | 3 | 46 | 6 | 87 | 11 | .289 | .352 | .505 | .857 | 10000 | ||
2001 | 140 | 543 | 88 | 164 | 26 | 0 | 27 | 271 | 85 | 3 | 2 | 1 | 5 | 49 | 7 | 85 | 14 | .302 | .364 | .499 | .863 | 12000 | ||
2002 | 105 | 409 | 63 | 125 | 18 | 0 | 17 | 194 | 53 | 1 | 3 | 2 | 3 | 27 | 13 | 70 | 7 | .306 | .365 | .474 | .839 | 20000 | ||
2003 | 118 | 443 | 85 | 143 | 31 | 1 | 26 | 254 | 68 | 3 | 1 | 0 | 2 | 38 | 3 | 59 | 7 | .323 | .379 | .573 | .952 | 22000 | ||
2004 | 109 | 426 | 83 | 135 | 20 | 1 | 30 | 247 | 79 | 1 | 3 | 1 | 1 | 38 | 11 | 70 | 12 | .317 | .387 | .580 | .966 | 32000 | ||
2005 | 88 | 325 | 50 | 97 | 15 | 0 | 17 | 163 | 41 | 1 | 0 | 0 | 0 | 30 | 5 | 54 | 8 | .298 | .367 | .502 | .868 | 35000 | ||
2006 | 97 | 350 | 45 | 91 | 14 | 1 | 15 | 152 | 51 | 1 | 0 | 2 | 5 | 25 | 8 | 64 | 5 | .260 | .320 | .434 | .754 | 32000 | ||
2007 | 133 | 503 | 76 | 155 | 29 | 1 | 35 | 291 | 88 | 1 | 5 | 3 | 2 | 66 | 16 | 107 | 3 | .308 | .404 | .579 | .983 | 28800 | ||
通算成績 | 1169 | 4438 | 715 | 1343 | 232 | 8 | 247 | 2332 | 712 | 22 | 22 | 15 | 28 | 394 | 84 | 777 | 75 | .303 | .368 | .525 | .894 | --- |
- 太字はリーグ最高
- 年俸額は推定
[編集] 年度別守備成績
年度 | 位置 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 |
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1998 | 外野 | 124 | 226 | 12 | 7 | 4 | .971 |
1999 | 118 | 209 | 3 | 2 | 1 | .991 | |
2000 | 135 | 245 | 2 | 4 | 1 | .984 | |
2001 | 140 | 255 | 6 | 4 | 0 | .985 | |
2002 | 105 | 175 | 6 | 2 | 0 | .989 | |
2003 | 111 | 221 | 7 | 3 | 3 | .987 | |
2004 | 109 | 185 | 5 | 1 | 0 | .995 | |
2005 | 78 | 150 | 5 | 1 | 0 | .994 | |
2006 | 96 | 152 | 7 | 1 | 0 | .994 | |
2007 | 128 | 210 | 7 | 1 | 0 | .995 | |
通算成績 | 1144 | 2028 | 60 | 26 | 9 | .988 |
- 太字はゴールデングラブ賞受賞年
[編集] CM出演
[編集] プロ入り前のエピソード
[編集] 高校時代
- 中学のポニーリーグ時代はエースとして全国制覇を経験し、桐蔭学園高校からスカウトされる。
- 2回の甲子園出場では、いずれも悲劇的なサヨナラ負けを喫した。
- 2年時の桐蔭学園は打撃力が売りであり、中核選手として活躍した。甲子園大会でも東の横綱として優勝候補筆頭格に挙げられ、当時全国的には無名校であった初戦沖縄尚学戦では「いったい何点入るのか…」と様々な憶測が飛び交った。しかし桐蔭の打線が打ちあぐね、終盤から高橋がクローザーとしてリリーフし決着をつけるつもりが、まさかの同点打を浴びて延長戦に突入し敗戦。試合後、沖縄尚学の監督は勝利インタビューで「まさか勝てるとは思ってなかった」と述べた。
- 高校の先輩にあたるやくみつるが母校を訪れた際、他の野球部員全員と記念撮影に応じている。
[編集] 大学時代
- 大学(慶應義塾大学)では法学部政治学科で学び、1998年卒業。
- 東京六大学リーグ(六大学野球)で川上憲伸と初対決。それ以来、二人はライバルとして知られる。
- 六大学野球では1度だけリリーフピッチャーとしてマウンドに立ったことがある。乱戦の結果、ベンチ入りしたリリーフピッチャーが全員登板し、緊急措置として高橋に白羽の矢がたった。全く予定外のことだったが、失点0で切り抜ける。この際に球速149km/hを記録した。
- 後輩の佐藤友亮は「とにかく優しくて、後輩が叱られていたらかばってくれたりする仏様のような人です。高橋さんがいなかったら、野球部をやめていたという人が何人もいました」とプロ入り後に語っている。
- 高橋の出身地である千葉にあるロッテのファンが、「高橋君にロッテへの逆指名入団を」と署名運動を繰り広げ、数万人の署名を集めた。
[編集] その他
- 2000年よりチーム内に同姓の高橋尚成がいるため、スコアボード等では「高橋由」と表記される。チーム内やファンからは「ヨシノブ」と呼ばれていて、時には実況やアナウンサーからもそう呼ばれる。
- 現在、打席に立つときのBGMは、SEAMOの『ルパン・ザ・ファイヤー』。007のテーマ(1998年)、スピード2のメインテーマ(2001年 - 2002年)、THE BLUE HEARTSの『夢』(2002年 - 2004年、2006年)や、自分の背番号に因んで『24』のメインテーマ(2005年)を使用したことがある。
- クールな印象が強いが、かなり熱い性格をしている。アテネ五輪でコーチを務めた高木豊は、「宮本の次に日本代表を引っ張るのはヨシノブだ」と話している。
- 生年月日(1975年4月3日)がチームメイトの上原浩治と全く同じで、高橋尚成とは1日違いである。
- 1998年8月4日、広島戦で同じ背番号「24」の左腕エース大野豊から逆転3ランを放ち、引退に追い込んだ。
- 1999年に週刊少年マガジンに「高橋由伸物語」(漫画:村川未来 協力:矢崎良一)で読切連載された。ライバルである川上憲伸も同年、週刊少年サンデーで読切連載された。
- 2007年の高橋の1番起用には賛否両論の意見がある。全く新しい超攻撃型1番として高い評価をする人、その逆で1番はイチローや青木宣親のように俊足巧打で内野安打を量産して出塁率を稼げるタイプが理想で、パワーヒッターの高橋を1番にするのはもったいない、と批判する人もいる。しかし、実際にはホームランだけでなく出塁率も4割を超えており、1番としての役割もしっかりと果たしている。また、高橋は今までは「早打ち」と呼ばれ初球から打っていくことが多かったが、1番定着後はそれが少なくなっている(2007年はリーグ6位の66四球を記録)。
- 2000年9月(東京ドーム・対広島)には球団通算100号のサヨナラ本塁打、2002年6月(札幌ドーム・対広島)には球団通算7500号本塁打と球団の節目の本塁打を放っている。また奇しくも前述の対戦投手は何れも高橋建である。
[編集] 関連項目
- 読売ジャイアンツの選手一覧
- 読売ジャイアンツ歴代4番打者一覧
- 千葉県出身の人物一覧
- 長嶋茂雄 - 高橋のスター性を見出し、「天才」と呼ぶ
- 松井秀喜 - 選手会長を受け継ぐ
- 二岡智宏 - 後任の選手会長
- 上原浩治 - 二人でチームを牽引
- 川上憲伸 - 大学時代からのライバル
[編集] 外部リンク
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監督 |
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88原辰徳 |
コーチ |
78伊原春樹(ヘッド)|87尾花高夫(投手総合)|72香田勲男(投手)|81篠塚和典(打撃)| 89村田真一(打撃)|79福王昭仁(内野守備走塁)|73緒方耕一(外野守備走塁)| 74西山秀二(バッテリー)|76白坂契(トレーニング) |82木村龍治(トレーニング兼投手) |
二軍監督・コーチ |
77吉村禎章(監督)|75岡崎郁(ヘッド兼内野守備)|70小谷正勝(投手) |85斎藤雅樹(投手)|86岸川勝也(打撃)| 84金杞泰(打撃)(韓)|83西岡良洋(外野守備走塁)|97伊藤博(トレーニング)|80内藤重人(トレーニング)|98玉木重雄(育成(投手)| 112川中基嗣(育成コーチ兼運営部二軍サブマネジャー)|71藤田浩雅(バッテリー)|115中本茂樹(育成コーチ兼スカウト)|130金鍾勳(打撃) |
投手 |
11久保裕也|13林昌範|15辻内崇伸|17姜建銘|19上原浩治|20豊田清|21高橋尚成|22福田聡志| 26内海哲也|27門倉健|28金刃憲人|29グライシンガー|30西村健太朗|31バーンサイド|33野間口貴彦| 36村田透|37藤田宗一|38上野貴久|39吉武真太郎|41木佐貫洋|42クルーン|46野口茂樹| 47山口鉄也|57古川祐樹|59深沢和帆|60深田拓也|62越智大祐|63会田有志|67加登脇卓真| 68栂野雅史|90深町亮介|92木村正太|93東野峻|95竹嶋祐貴 |
捕手 |
10阿部慎之助|40村田善則|43鶴岡一成|53實松一成|56加藤健|58星孝典|96伊集院峰弘 |
内野手 |
00寺内崇幸|0木村拓也|2小笠原道大|6小坂誠|7二岡智宏|23脇谷亮太|25李承燁| 32円谷英俊|44大道典嘉|45小田嶋正邦|51古城茂幸|52岩舘学|54藤村大介|61坂本勇人 |
外野手 |
5ラミレス|8谷佳知|9清水隆行|12鈴木尚広|24高橋由伸|35亀井義行| 48矢野謙次|50加治前竜一|64松本哲也|65梅田浩|66田中大二郎|94中井大介|99隠善智也 |
育成選手 |
100佐藤弘祐(捕手)|101山本光将(外野手)|102籾山幸徳(内野手)|103西村優希(投手)|104谷内田敦士(捕手)| 105三木均(投手)|106林羿豪(投手)|109鈴木誠(投手)|110大抜亮祐(投手)|111川口容資(投手)|129オビスポ(投手) |
読売ジャイアンツ 1997年ドラフト指名選手 |
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1位:高橋由伸 / 2位:川中基嗣 / 3位:山田真介 / 4位:小田幸平 / 5位:田中健太郎 6位:中村善之 / 7位:吉村将生 / 8位:平松一宏 |