恐怖の2番打者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
恐怖の2番打者(きょうふのにばんだしゃ)とは、プロ野球で使われる俗語で、バントをしない2番打者とも呼ばれるという説が存在する。
[編集] 概要
主に日本の野球界での2番打者の役割というと、ランナーに出た1番打者を次の塁に進め、あるいは自らがどんな形でも塁にでて、クリーンアップに繋げる役目が一般的である。しかしバントなどをほとんどせず、長打をしばしば放つ2番打者が中には存在する。そういった選手のことが、俗に「恐怖の2番打者」と呼ばれる。
かつて豊田泰光(元西鉄)は三原脩監督の「流線型打線」理論に基づき2番で起用され、4番並の結果を残して「恐怖の2番打者」と呼ばれたが、以降は存在しなかった。小川亨(元近鉄)、加藤英司(元阪急)や基満男(元西鉄)など2番打者で長打が打てる選手はいたものの、彼らは「堅実な打者」と言われ、繋ぎ役に徹していた。だが1990年代中盤より主軸級の活躍をする2番打者が増え始め、1994年の山本和範(元ダイエー)を皮切りに「バントをしない2番打者」が続々現れた。
その中でも特に小笠原道大(当時日本ハム)は球界でも屈指の最強打者の1人であったが、そのファイターズのビッグバン打線は田中幸雄、片岡篤史、シャーマン・オバンドー、ナイジェル・ウィルソンといった大物打者が数多くいたために打たせる打順が無くなり、本人も1番で結果が出せなかったことから上田利治監督は2番に据えたところ、大活躍し、2番打者のイメージを覆した。
近年は打高投低の傾向が強くなっている上に、2番打者に限らず送りバントを用いない戦法を取る監督が多いことから、大幅にこの手の選手が増加している。代表的な存在はアダム・リグス(ヤクルト)。古田敦也兼任監督に「ランナーを溜めて2番に繋ぐのがウチの勝ちパターン」とまで言わしめており、実質的な主砲として活躍している。
もちろん成功例ばかりではない。従来の2番打者像に惑わされて自身の打撃を崩し失敗した例もある。例えば横浜ベイスターズの鈴木尚典は2004年、当時の山下大輔監督の「攻撃型2番」構想で開幕2番を打ったが打撃を崩し、以後レギュラーとして結果を出せずにいる。
メジャーリーグにおいては、バントをしない長打力のある2番打者は特別珍しいものではない。特にビッグボール派のチームでは出塁率を重視するためバントは好まれない。
なお主軸打者の気分転換などの為や特定投手との相性から、一時的に2番打者タイプでない選手を2番に起用する場合もあるが、これは「恐怖の2番打者」とは呼ばれない。
[編集] 恐怖の2番打者と呼ばれていた選手の一例
[編集] 2番を打った経験はあるが定着しなかった選手の一例
- 掛布雅之(阪神タイガース)
- 桧山進次郎(阪神タイガース)
- 鈴木尚典(横浜ベイスターズ)
- 2004年に「飛ぶボール」採用で攻撃野球を目指した横浜が、鈴木を2番で起用した。しかし当人が2番打者の打撃スタイルに悩んで絶不調になり、開幕数試合で頓挫。
- 前田智徳(広島東洋カープ)