1987年の日本シリーズ
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[編集] 戦評
森祇晶監督率いる西武ライオンズと王貞治監督率いる読売ジャイアンツの対戦となった1987年の日本シリーズは、1983年と同じ組合せであった。しかしこの戦いも結局西武が4勝2敗で勝利し、2年連続7度目の日本一(西鉄時代を含む。西武では4度目)。「打の巨人、投の西武」の対決という下馬評だったが、勝負を決めたのは守備力と走力の差だった。
西武が日本一に王手をかけてから迎えた第6戦、西武伊原春樹守備走塁コーチは巨人中堅手・ウォーレン・クロマティの緩慢な守備につけ込み、2回に清原和博にセンターフライで二塁から、8回に辻発彦にシングルヒットで一塁から、それぞれ一気にホームを陥れさせる。2回の清原の走塁は、クロマティからの雑な送球・中継に入った二塁手・篠塚の送球ミス(清原が既に三塁を回って本塁に走っているのも関わらず、三塁に投げた)・三塁手の原の緩慢な本塁返球(清原が既に本塁に走ってるのにも関わらず、全く意味のないタッチのそぶりをした後、本塁に送球した)とミスが3つ続いた隙をついてホームインした。8回の辻の走塁は、秋山幸二のセンター前ヒットで、ヒットエンドランでなかったにもかかわらずクロマティの緩慢プレイを見逃さず一塁から一気にホームイン、クロスプレーにすらならない見事な走塁を見せた
巨人は第5戦でも初回に3失策を喫し、かたや西武は辻や石毛、秋山といった守備の名手はもちろんのこと、守備に不安のあったブコビッチまでがファインプレーをみせた。巨人は前年のシリーズMVPの左腕・工藤公康を全く打てず、第6戦で原辰徳が放ったソロホームランが工藤から奪った唯一の得点だった。同試合終盤、西武日本一決定目前では清原が突然涙を流し、それをなだめる辻の姿も見られた。PL学園高校の同期、清原と桑田真澄の「KK対決」は2打数1安打1四球の成績だった。なお、このシリーズ終了後に取り壊される後楽園球場で行われた最後のシリーズである。
[編集] 試合結果
[編集] 第1戦
10月24日 西武 入場者32365人
巨人 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 7 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
西武 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 |
(巨)桑田、○加藤初(1勝)、水野、鹿取-山倉
(西)●東尾(1敗)、小田、森、松沼雅、森山-伊東
勝利打点 中畑1
本塁打
(巨)中畑1号2ラン(3回東尾)、駒田1号ソロ(6回東尾)
[審判]パ藤本(球)セ田中 パ村田 セ山本文(塁)パ前川 セ福井(外)
巨人の先発はこの年15勝を挙げ防御率1位と大躍進を果たした桑田真澄。西武はこれも15勝を挙げた東尾修。1回裏、先頭石毛宏典の強烈なピッチャー返しが桑田を直撃。桑田の焦った送球が高投となり、石毛は二塁まで進んだ。続く金森栄治のバントで桑田が野選、あっという間に無死1、3塁のピンチとなった。ここで秋山幸二がライト前にはじき返し、先制点。4番に入っていたジョージ・ブコビッチは三振に倒れ、1死1、2塁の場面で清原和博との日本シリーズで初めてのKK対決。ここで清原はレフトへクリーンヒット。当たりが鋭すぎて二塁走者の金森は三塁止まり。1死満塁となって、続く6番の安部理の三塁ゴロ併殺崩れの間に金森が生還して2点目を挙げた。一方の巨人は3回、駒田徳広が左中間二塁打。1死後、原辰徳、吉村禎章、篠塚利夫の三連打で同点。吉村が三盗失敗で2死となったが、7番中畑清がレフトポール際に2ランを叩き込み、逆転に成功した。その裏西武はヒット、四球で2死1、2塁とし、伊東勤のタイムリーヒットで1点を返した。桑田は3回もたずKO。しかしリリーフした加藤初、水野雄仁が完璧に西武の反撃を抑え込んだ。巨人は6回には代打岡崎郁のタイムリーと駒田の本塁打で追加点を挙げ、東尾をKO。8回には鴻野淳基のタイムリーヒットで追加点を挙げた。4点差だったが、巨人は手堅く9回から鹿取義隆を投入、危なげなく西武打線を抑え切り、巨人が先勝した。
なお、東尾は自分が調子が良くないことを自覚していたが、巨人打線の特徴をつかむために志願して続投したという。特徴をつかみ取った東尾は第2戦先発予定の工藤公康に「完封できるよ」と話したという。
[編集] 第2戦
10月25日 西武 入場者32424人
巨人 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
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西武 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | X | 6 |
(巨)●西本(1敗)、広田、岡本光-山倉
(西)○工藤(1勝)-伊東
勝利打点 石毛1
本塁打
(西)石毛1号ソロ(3回西本聖)、秋山1号ソロ(6回西本聖)、清原1号3ラン(7回広田)
[審判]セ福井(球)パ前川 セ田中 パ村田(塁)セ井上 パ寺本(外)
西武の先発は工藤、巨人はシーズン成績は良くなかったものの日本シリーズでの実績を買われた西本聖。東尾の予告通り、巨人打線は工藤に全く歯が立たなかった。わずか3安打、そのうち外野に飛んだ安打は1本だけという完敗。攻撃では第1戦4三振だったブコビッチをベンチに下げたが、3回石毛、6回秋山、7回清原と主軸に効果的に本塁打が飛び出し、西武の良いところばかりが出た試合となった。
[編集] 第3戦
10月28日 後楽園 入場者40608人
西武 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
巨人 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 |
(西)○郭(1勝)-伊東
(巨)●江川(1敗)、水野-山倉
勝利打点 ブコビッチ1
本塁打
(西)ブコビッチ1号ソロ(4回江川)、石毛2号ソロ(6回江川)
[審判]パ寺本(球)セ井上 パ前川 セ田中(塁)パ藤本 セ山本文(外)
巨人は江川卓、西武は郭泰源の先発。江川はストレートが135キロにも満たず、明らかに好調からほど遠い様子だったが、カーブとのコンビネーションとコントロールに活路を見出し、郭と互角の投手戦を展開。均衡が破られたのは4回。第1戦不振、第2戦でベンチに下げられていたブコビッチに対し、江川は不用意にストレートでストライクを取りに行ったところをブコビッチが見逃さずジャストミート。打球はライトスタンドに吸い込まれた。6回には先頭打者の石毛に対してカウント1-1からのストレートが真ん中に入ったところを捕らえられ、レフトへのホームラン。江川は2球の失投で2点を失った。これ以外はほぼ完璧に抑えていただけに悔やまれる2球だった。巨人は7回、2安打でつかんだチャンスに中畑がタイムリーヒットで1点を返し、9回にも1死から原の内野安打で同点のランナーを出したが、続く吉村のあたりは不運にもファースト清原の正面。原は戻れずダブルプレーで万事休した。郭は8安打を許しながら要所を締めて1失点の完投勝利。江川はこの年限りで引退、これが最後の公式試合登板となった。
[編集] 第4戦
10月29日 後楽園 入場者40829人
西武 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
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巨人 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | X | 4 |
(西)●松沼博(1敗)、小田、渡辺、小野、松沼雅-伊東
(巨)○槙原(1勝)-山倉
勝利打点 吉村1
本塁打
(巨)原1号ソロ(6回渡辺)、篠塚1号ソロ(6回渡辺)
[審判]セ山本文(球)パ藤本 セ井上 パ前川(塁)セ福井 パ村田(外)
巨人は初回、2死1、3塁のチャンス、吉村の打球はボテボテの三塁ゴロだったが、これが幸運にも内野安打となり、三塁走者の駒田が生還し先制。さらに篠塚も中前タイムリーで追加点。7回には原、篠塚の本塁打で4-0とし、試合をほぼ決めた。巨人の先発・槙原寛己は11奪三振の力投で西武を完封。対戦成績を五分に戻した。
[編集] 第5戦
10月30日 後楽園 入場者41383人
西武 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 |
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巨人 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
(西)○東尾(1勝1敗)、S工藤(1勝1S)-伊東
(巨)●桑田(1敗)、岡本光、加藤初、西本聖、鹿取-山倉
勝利打点 秋山1
[審判]パ村田(球)セ福井 パ藤本 セ井上(塁)パ寺本 セ田中(外)
巨人・桑田、西武・東尾という第1戦と同じ顔合わせ。1回、石毛の当たりは平凡な三塁ゴロと思われたが、これを原がお手玉。若い桑田はこれでリズムを崩してしまい、辻発彦の送りバントのあと、秋山に右中間を破られ先制。清原の打席の時に桑田が誰もいない2塁へ牽制球を投じ秋山は3塁へ。清原を打ち取って2死にこぎつけるも、安部、ブコビッチに連打を許し初回3失点。この後伊東の中前打をクロマティがはじき(この回チーム3つ目のエラー)、清家政和を敬遠で歩かせ満塁とすると、東尾にあわや走者一掃の大ファウルを打たれるという危ない場面があった。結局東尾を何とか打ち取り1回を投げ切ったものの、桑田は第1戦に続き無念の降板。巨人は小刻みな継投で西武の追加点を許さなかったが、打線が東尾の前に沈黙。かろうじて4回吉村のタイムリーヒットで1点を返したものの、これ以外はチャンスらしいチャンスも作れないまま9回に。先頭のウォーレン・クロマティがセカンドの横を抜けるライト前ヒットで出塁。原は三振に仕留めたが、吉村、篠塚と好調の左打者が続くところで、西武は手堅く工藤に交代。工藤は「だめじゃないですか東尾さん、最後まで投げてくれなきゃ」と軽口をたたくほど余裕たっぷりだった。その余裕のとおり、吉村をセンターフライ、篠塚を三振に仕留め、ゲームセット。西武が2年連続の日本一に王手をかえて、所沢に戻ることになった。
なお、この試合が後楽園球場で行われた最後の公式試合であった。
[編集] 第6戦
11月1日 西武 入場者32323人
巨人 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
西武 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | X | 3 |
(巨)●水野(1敗)、鹿取-山倉
(西)○工藤(2勝1S)-伊東
勝利打点 なし
本塁打
(巨)原2号ソロ(7回工藤)
(西)清家1号ソロ(3回水野)
[審判]セ田中(球)パ寺本 セ福井 パ藤本(塁)セ山本文 パ前川(外)
再び舞台を西武球場に移しての第6戦。ここまでほぼ互角の戦いぶりに見えた両者だったが、大一番で西武が切り札を見せ、野球の質の違いを見せつけることになる。2回、清原がヒットで出塁、安部の送りバントで1死2塁。続くブコビッチはセンター後方へ深いフライ。この打球で二塁走者の清原は一気に三塁を蹴り、ホームイン。さらに8回、1死1塁から秋山がセンター前へ。1塁ランナーの辻は巨人の守備をつき一気にホームイン。
この2つのビッグプレーはセンター・クロマティの緩慢な返球をついたプレーと言われているが、それだけではなく、巨人中継陣の判断の甘さをも見越したものだったといわれている。
2回のプレーは、清原の巧みな走塁に中継陣がまどわされたものだった。これは、クロマティからの返球を中継した篠塚は三塁の原に送り、原からバックホームされたが、間一髪セーフというプレーであり、篠塚から直接バックホームされていたらアウトだったろうと見られている。篠塚によれば、三塁を回ろうとしている清原の動きは見えていたという。しかし三塁を回った清原が一度止まりかけたように見えたので、篠塚は三塁に送球した。原も清原が三塁に戻ると予想しており、タッチする体制で送球を受け取ったためにわずかにバックホームが遅れたのだという。清原の巧みな動きが守備陣のかく乱を呼んだのである。
8回のプレーも、クロマティの緩慢な送球だけでなく、中継に入った川相昌弘がバッターの2塁進塁を警戒する体制になるために三塁走者の動きが死角になる、という弱点を巧みに突いたものだった。
当時西武のコーチだった伊原春樹によれば、このような巨人守備陣の弱点はシリーズ前から知っていたが、あえて勝負どころまで使わなかった。第3戦でも同様のチャンスはあったが、あえて封印したという。
この2つのビッグプレーによる2点のほか、3回には公式戦でも本塁打のなかった清家の一発が飛び出し、西武が優位に試合を進めた。巨人は7回、原のホームランで一度は追い上げたが、8回裏の辻の走塁でとどめを刺され、工藤の前に沈黙。工藤がこのまま完投し、西武が2年連続の日本一となった。
2完投の工藤が1972年、1973年の堀内恒夫以来となる2年連続日本シリーズMVPに選ばれた。
[編集] 表彰選手
[編集] テレビ・ラジオ中継
[編集] テレビ中継
- 第1戦:10月25日
- 第2戦:10月26日
- 第3戦:10月28日
- 第4戦:10月29日
- 第5戦:10月30日
- 第6戦:11月1日
※なお、第7戦はTBSテレビで中継される予定だった。
[編集] ラジオ放送
- 第1戦:10月25日
- 第2戦:10月26日
- 第3戦:10月28日
- 第4戦:10月29日
- 第5戦:10月30日
- 第6戦:11月1日
[編集] 外部リンク
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